560: 名無しさん :2020/10/25(日) 16:45:58 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
投稿確認ヨシ!!
と言うことで米合強化?プラン投稿だ!
なお、タイムラインについては確定して無いのであやふやにしてます。

アメリカ漆黒ルート 小ネタ「バルカン狂騒曲-フランスとソ連も添えて-」

「バルカン連邦」。この国が成立したきっかけはドナウ連邦の対応と米合の介入にあるとされる。
オーストリア=ハンガリー二重帝国は、WWⅠ(または欧州大戦)によって事実上の戦勝国になったドイツに便乗する形で勝利…とはならなかったものの(米合の技術ブーストが無い)、ドイツのおこぼれによって若干の強化がされており、それがギリギリでの引き分けを生み出していた。戦後、ほぼ敗北したような国内経済をはじめとする混乱に、新たに確保した東方生存圏の不安定化を嫌ったドイツと「米合に介入される前にせめて連邦化を」とリソース不足で新たな(過労死)仲間を作ろうとした日英の介入によって、立憲君主制であるドナウ連邦(史実オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)が誕生した。
しかし、ドナウ連邦はサラエボ事件を引き起こし戦後国内の困窮と不安定化を生み出したセルビアや唯一の領土割譲であるトランシルヴァニアを保有するルーマニアに対し激しい敵意と憎悪が向けられ、国内ではセルビア人とルーマニア人が不満の捌け口として迫害され、それがドナウ連邦に対する憎しみを生む連鎖を創り出していた。
また、モンテネグロもセルビアに対して支援を行っていたため差別と迫害が行われており、同様に憎悪の連鎖を生み出した。アルバニアはドイツが東方生存圏を確保したことでプロイセン脳の陸軍上層部主導により見捨てられたことでドイツへの憎悪が生まれ、ギリシャはイギリスがオスマン帝国に融和的対応として少しばかりテコ入れしたことで第一次バルカン戦争においてクレタ島を得るのみで国内は戦火によって敗戦同然の有様であり、ブルガリアはマケドニア地域をいくらか得るのみでギリシャと同じ有様であり、アルバニア地域を争った第二次バルカン戦争での更なる疲弊に加え、WWⅠ前後におけるイギリスのオスマン帝国へのテコ入れの増加に対して自国には何もしない(リソース不足)ことで、二国はイギリスとオスマンへの憎悪を募らせていった。
(実はバルカン戦争においてイギリスと日本の意向もあってオスマン帝国はあえてバルカン半島から手を引くことで勢力圏の固定化と強化、改革を図っていた)
そしてド英土独のいずれかの勢力に敵意を持っていることに目を付けた米合はバルカン半島に資本を投下する形で浸透していき、フランス内戦後とフランス領分割における混乱に乗じて米合の意向とド英土独の憎悪が史実ユーゴスラビア王国建国である1918年に、後のWWⅡにおいて、「オスマン帝国、ドイツ、ドナウ連邦との民族浄化合戦を繰り広げた」とされるバルカン連邦(史実セルビア、ルーマニア、モンテネグロ、アルバニア、ギリシャ、ブルガリア)が誕生した。

561: 名無しさん :2020/10/25(日) 16:49:13 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
そして連邦化によって国が一つになったことで米合の助言により国内の全犯罪者との交換によって米合との技術交流や民間・軍事的な部品が米合との統一化が行われ、来たる雪辱の時まで塹壕列車や民間人のゲリラ訓練など米合の合理的思考を元に国力を大きく拡大していった。更に米合とソ連が最恵国待遇を結ぶと米合が本領を発揮した。まず、ソ連と国交を結ぶと同時に北京―モンゴル―カザフスタン地域―ソチ路線の鉄道を米合主導でアフリカ・中華の備品【検閲済み】人を使用し五年で開通すると共に、同時期にイスタンブールがイギリスの監視下にあることを逆手にブルガリアのブルカスからギリシャのヴィストニダ湖までの運河をアフリカ・中華の備品【検閲済み】人を使用して五年で開通させた。そして、バルカン連邦とソ連と国交を速やかに結ぶことで両国は数多の死体と血による特需によって急激に成長したのである。
そして、バルカン連邦と関りの在ったもう一つの国がヌーベル・フランスである。ヌーベル・フランスは、フランス内戦によって本土から逃れてきたものの、本土をあきらめきれないフランス人のプライドを変に拗らせた者が多く、本土解放を理想とするものの、それを実行できないために、アルジェリアとチュニジアの地をフランスにすることで鬱憤を晴らそうとするが、そこに米合が介入してくる。米合が注目したのはチュニジアという良港とヌーベル・フランス内での原住民への激しい迫害であり、国内の反フランス派を米合ギャングとマンハンターの勢力下に置き、反抗的なものは即出荷という恐怖とヌーベル・フランスで自分たちの要望を聞けば「何をしても」構わずそのための支援を行うという飴によって、ヌーベル・フランスの治安は劇的に悪化し、ヌーベル・フランス国民からもマンハンターや薬物などの違法行為を行う勢力が拡大したことで、その責任をお互いになすりつけ合った結果、事実上の無政府状態になるという本土の二の舞を引き起こしてしまっていた。
こうしてヌーベル・フランスは瞬く間に米合の勢力図となったのである。

562: 名無しさん :2020/10/25(日) 16:51:10 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
閑話
アフリカにおいてはフランス分割の際に大まかな内容として
アルジェリア・チュニジア:ヌーベル・フランス領
ドイツ:フランス分割で買収を有耶無耶に+独領東アフリカ、ナミビア、トーゴランドをイギリスに差し出し
免罪。
スペイン:モロッコ
米合:モータリア、スーダン(マリ)、オートボルタ(ブルキナファソ)、コートジボワール
ベルギー:ウバンギ・シャリ(中央アフリカ共和国)、仏領コンゴ(コンゴ共和国、ガボン)、チャド
ポルトガル:セネガル、ギニア
イタリア:仏領ソマリランド
イギリス:ダホメ(ベナン)、ニジェール
日本:マダガスカル、インド洋無人島群、コロモ諸島

となっていた。イギリスは南米での仏領ギアナでの虐殺を受け、ポルトガルにガンビア、シエラレオネとモザンビーク、アンゴラを軍事支援込みで交換させ、セネガル、ギニアを押し付ける一方で、ドイツとフランスから獲得した領土で、ナイジェリアを中心としたナイジェリア連邦共和国(史実ナイジェリア、ニジェール、ベナン、トーゴ、ガーナ)と南アフリカを中心とした南アフリカ連邦(史実意南アフリカ、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニア、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、マラウイ、レソト、エスワティニ、ナミビア、アンゴラ)として再編させ、英領スーダンをオスマン帝国、英領ソマリランドをイタリアに譲渡(押し付ける)ことによって、ポルトガル・オスマン帝国・イタリアを強制的にマンハンターとギャングの脅威からこちら側に引き込むことでリソースの確保に成功した。しかし、米合とベルギーが接続しないようニジェールを取ったことがヌーベル・フランスのやらかしで帳消しになった。また、ドイツ陸軍のプロイセン脳によってアフリカ植民地をカメルーン以外イギリスへの生贄としたことで、アフリカ植民地にいた全てのドイツ兵たちがカメルーンに集結し、スペイン領赤道ギニアに全力の救援要請という名の土下座をされつつ、共に米合の脅威に立ち向かい、ポルトガルが新たなアフリカ領土再編を米合に恐怖しつつ悲鳴を上げながら要塞化したことで、後のWWⅡで重要な戦略地帯の拠点となったという良いバタフライエフェクトもあった。

閑話終了

563: 名無しさん :2020/10/25(日) 16:52:01 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
こうして、北京―ソ連―バルカン連邦―ヌーベル・フランス―アフリカ米合・ベルギー領―ブラジル連邦共和国―ニカラグア・コスタリカ―米合というルートが完成し、大西洋が落ち着くどころか黒海と地中海までギャング、マンハンター、その他大勢の軍閥崩れなどが進出してきて地中海に関してはオスマン帝国とイタリアがメインで過労死することになるのだが、黒海ではアフリカ植民地がカメルーンのみとなった影響で活躍の場がカメルーンへの商船警護メインになっていたドイツ帝国海軍が、帝国警備会社と深い相互連携を取る協定を自ら申し出て、今までの鬱憤を晴らそうと黒海で暴れまわっていた。この経験が功を奏し、後にドイツ海軍は一撃離脱で敵を仕留める潜水艦と敵を瞬時に発見し制圧する空母に焦点を絞り、高速化と質の上昇に力を入れていくことになる。

564: 名無しさん :2020/10/25(日) 16:53:42 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
以上です。米合勢力強化+ドイツ海軍の救済措置でした。

…中華とヌーベル・フランスは犠牲となったのだ(目そらし)

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最終更新:2020年10月26日 22:46