455: ホワイトベアー :2020/11/03(火) 21:00:15 HOST:157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第46話 

1940年代のアメリカ合衆国は、まさに黄金の時代を迎えていた。

経済面では、圧倒的な生産力と日本には劣るもののそれでも世界ではトップクラスの技術を背景にした安く性能のいい工業製品を自らの庭である南米や満州、さらに盟友である日本と共にこじ開けたイギリス連邦加盟国と言う新たなる市場に売りまくっており、これらの市場から膨大な金がアメリカに流れこんでいた。

そして、世界恐慌以降落ち込んでいた経済を完全に復活させる為に、この資金とフランクリン・ルーズベルト大統領主導の見境ない財政支出を背景として、連邦政府は各州政府と協力して老朽化しつつあるアメリカ合衆国全土のインフラを刷新するためと言う名目の下、全米を対象とした超大規模なインフラ整備計画である国土改造計画を実行に移した。これは同時期に日本で進められていた日本大陸改造計画に匹敵する程のインフラ整備計画であり、アメリカ建国史上最大のインフラ整備計画であった国土改造計画であった。

その為、既存のインフラ整備に関わる重機や資材、それらを運ぶ車両などだけでは需要に答えられず、これらの重機から労働者用の作業服や食品なども含めてアメリカ国内では生産が拡大し、さらに労働組合と共和党の存在をバックにした労働者賃金の上昇による購買力の増大がかみあって、製造業を軸に高度成長を達成し、アメリカの経済は拡大につぐ拡大を遂げていた。

国土改造計画をきっかけとした経済成長による雇用の拡大と賃金の上昇は40年代なかばまで続き、恐慌後に国内に少なくない数いた失業者達のほぼ全てに職を与え、1949年3月にはその経済力は世界恐慌前の水準を80%も超える事に成功し、アメリカ合衆国本土での失業率は驚愕の3%と言う数字を叩き出していた。
資本主義国でありながら完全雇用と言っても過言ではない状況が達成は、すなわち個人所得の増大により可処分所得が増加を意味しており、耐久消費財の需要も増加、さらに連邦政府の外交方針による市場の拡大と科学の発展は米国民に明るい未来を予感させ、世界恐慌以降、押さえつけられていた米国民の欲望が爆発し再び消費ブームを発生させた。

ブームの到来は技術革新とコストダウンも相俟って結果として《狂乱の20年代》でアメリカ社会に花開いた大量生産大量消費を確固たるものとさせ、住宅・自動車・家電製品といった耐久消費財が普及し、大衆消費社会が本格化する。

外交面ではドイツ帝国やソ連と言った外敵を新たに抱えた事から、19世紀から1930年代まで続いていた新モンロー主義(※1)を完全に転換。

日本と共に多国間安全保障体制であるハワイ条約機構を結成を主導し、欧州連合の影響力を封じ込める為に南米各国への親米親日化工作の強化や中南米近代化支援計画である通称《ハル・ツジプラン》を実行に移すために援助政策の根拠法となる《1943年対外援助法》を成立させ、これに合わせて援助受け入れ機関として米州協力機構を設置させる。そして、アメリカは米州協力機構を通じて中南米各国に無償贈与を中心に総額200億ドルを超えるハード的、ソフト的経済援助とそれに匹敵する軍事援助の供与を開始した。

この援助は中南米の近代化と経済発展に大きく貢献すると同時に、中南米市場の拡大を同市場を支配していた日米企業にあたえる事になる。そして、日米企業の流入拡大に合わせて中南米の治安の低さを解決するための政治的・技術的支援も《ハル・ツジプラン》にパッケージされ、これらを根本的に解決するために徹底的に中南米国家への介入を深めていく。

また、欧州や中東では欧州唯一の同盟国であるオーストリア帝国やイスラム世界の雄であるオスマン帝国、反英、反ソ連を掲げ、ハワイ条約機構に加盟したイラン帝国(パフラヴィー朝)などに経済的・軍事的支援を与えると同時にこれらの国々を安心させる為に一定以上の規模を有する正規軍部隊を駐留させており、これらの部隊を通してアメリカの文化を浸透させる事に成功、中東と言う大きな市場にも進出を果たせていた。

458: ホワイトベアー :2020/11/03(火) 21:01:18 HOST:157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
こうした政治的・外交的な封じ込め戦略だけではなく、軍事面でもアメリカはその責務を果たすべく動いており、新たな戦略である欧州封じ込めに合わせるように陸海空軍海兵隊の再編成を進めていた。

海軍では大洋艦隊法の成立に伴いレキシントン級航空母艦(※2)やノースカロライナ級戦艦、アイオワ級戦艦など主力艦(戦艦・空母)20隻を中心として老朽化が進む、もしくは陳腐化が著しい各種艦艇の段階的に退役させていく事を発表した。

退役する艦艇の代艦としてモンタナ級の発展型であるアーカンソー級戦艦2隻、超モンタナ級とも言えるワシントン級戦艦2隻、フランクリン級航空母艦の発展型である7万5千トン原子力級航空母艦4隻と2万トン級対潜ヘリ空母8隻、強襲揚陸艦6隻を中心に巡洋艦33隻、ミサイル駆逐艦40隻、汎用駆逐艦40隻、対潜フリゲート55隻、原子力潜水艦23隻、各種補助艦多数の建造とモンタナ級戦艦、フランクリン級航空母艦など退役しない艦艇への近代化改修を盛り含んだキングプランを実行する。

この計画は艦艇の整備のみならず《四〇式艦上戦闘機(F-14C)》のライセンス機である《FJ-40C コルセア》や《四八式艦上戦闘機(F/A-18)》のライセンス機である《FA-48 アベンジャー》、《二八式早期警戒機三型(E-2C)》のライセンス機である《E-28C ホークアイ》、《三八式電子戦機三型(EA-6)》のライセンス機である《EA-38C》、国産の攻撃機である《AV-1ハリアー(※4)》、哨戒機である《P-3》や《SH-27A(※5)》、救難ヘリコプターである《HH-27A(※5)》などの新型航空機の配備を含めた統合的な軍備近代化計画であり、1950年代後半までに質・量ともに対日八割の戦力を整備する事を目標とした一大海軍拡大計画である。

これと同時に海軍は組織の再編成も実施する。対立の最前線となったアイスランドの防衛力強化の為にもともと第2艦隊分遣隊に空母打撃群1個、対潜哨戒群(※6)1個、遠征打撃群1個を編入する形で第7艦隊を新設、同艦隊をアイスランド、レイキャビック海軍基地に常駐させる。また、第7艦隊の設立と前後して戦略潜水艦隊として運用されていた第6艦隊が解体され、大西洋艦隊司令部直轄の大西洋艦隊潜水艦部隊を新設することで運用能力の柔軟性を有し、また、本土防衛の為に2個対潜哨戒群、8個ミサイル艇隊からなる大統領直下艦隊(スペシャル・サービス・フリート)が再編され、即応能力の向上されている。

一方、アメリカ陸軍は新兵器を導入したり、組織の大規模な再編成を行うなどの軍備強化としての動きは見せなかった。むしろ、アメリカ陸軍は国防総省と協議の末に陸軍の装備の刷新は一旦低調にしていた。

これは何故か。それを知るには当時のアメリカ陸軍の状況に目を向けなければならない。当時のアメリカはハワイ条約機構成立前後して、新たな国家戦略となった欧州封じ込めの一環としてオーストリア帝国本土に唯一の機甲軍であり、6個師団を基部とする大軍である第7軍を派遣するしていた。これにより陸軍の本土戦力が無視できないレベルで低下しており、これを補うために州軍の近代化に走っていたのだ。

州軍はアメリカ陸軍の予備戦力としての性質もある軍事組織であり、その起源を植民地時代のミリシアンに求めることができる連邦軍よりも歴史ある組織である。しかし、当時のの大半の州軍は予算の問題や意識の低下などからアサルトライフルや拳銃など基本的な歩兵装備こそ連邦陸軍や海兵隊と同様のものを配備していたものの、戦車や装甲車、野戦砲などの重装備は勿論、歩兵用対戦車兵器や無線機など良くて前世界大戦時の装備を改良したものを、悪ければ満州戦争や朝鮮戦争時の装備を使い続けており、兵士も訓練時間は連邦陸軍よりもすくなく、モラルも低いなど戦力としては張り子の虎でしかなかった。

このためアメリカ陸軍は装備の更新が遅れてもいいからと国防総省に事態の改善を要求し、国防総省は州軍近代化計画であるニューディール計画立案、計画遂行のために国防閥の議員を通して予算確保の為の根拠となる州軍近代化法を1943年に成立させ、自軍に配備するのとは別に州軍用の兵器の調達と州軍の練度建て直しを開始する。

これにより州軍でもようやくAT-84無反動砲やM2A1 パットン歩兵戦闘車、M80装輪装甲兵員輸送車、AH-24、UH-8、UH-2、M109自走榴弾砲など連邦軍で運用されている兵器やその一世代前の兵器を運用することができた。

一方で戦車はコストや性能の問題から連邦陸軍と海兵隊が運用しているM46A1やM46、その前身であるM4A2SEPではなく、カモミールと三菱が中小国への輸出用戦車として共同で開発した46t主力戦車(※7)をM72として供与していった。

州軍に対しての訓練は連邦陸軍教導部隊および連邦陸軍教育センターが主導する形で教育方法の見直しを中心に行われていき 、5年の期間を持って州軍の近代化と建て直しに一応の成功を果たす。

459: ホワイトベアー :2020/11/03(火) 21:03:03 HOST:157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
こうしてアメリカ合衆国国民が大いに平和を堪能し、政府が次の時代の戦争に備えた軍備改革を進めていくなかで、合衆国の足下では無視できない大事件がおきる。後にロサンゼルス暴動と呼ばれる大規模な暴動である。

この事件の背景には建国後から続く黒人差別やヒスパニック系移民の増加による仕事の喪失など様々な要因があるが、直接の発端はロサンゼルス市内でおきた白人警官による黒人暴行射殺事件とその犯人達が裁判で無罪判決を受けた事であった。

無罪評決が出たことが報道されるやいなや黒人社会を中心に憤激が高まり、まず裁判所や警察署などを取り囲んで大規模な抗議集会が行われ、ほどなくして黒人達が暴徒化し、警察署や裁判所などが襲撃をうけた。ついでロサンゼルス市各地で人種問わず放火や略奪、一般市民に対する暴行、殺害が公然と行われていく。

不幸なこと本来ならこうした無法者達を取り締まり、治安を維持するLA市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、もはや治安維持能力は喪失していた。

また、暴徒達の矛先はロサンゼルス市政府にもおよび、同日にはロサンゼルス市庁舎が銃器で武装した暴徒達に占拠され当時市長だったトム・ブラッドリーも捕らわれてしまった。

そして、1949年8月18日午後5時35分、暴徒達のリーダーを名乗る男がロサンゼルス市庁舎の会見室よりアメリカ全土にロサンゼルスのカリフォルニア州からの独立と抗議者らによる自治が宣言されるまでにいたる。

こうした事態を受けたカリフォルニア州知事タケル・ヤマモト(日系2世)は午後7時ちょうどにロサンゼルス政府に当事者能力はもはや存在しないとして代わりに緊急事態宣言を発令。カリフォルニア州兵の動員と州警察と合同でのロサンゼルスへの治安維持出動を決定する。また、同時に混乱の拡散を防ぐためにハイウェイパトロールによって高架道路を閉鎖する措置が取られ、ロサンゼルスからの移動に大きな制限をかける。

そして、ニューディール計画にて導入された最新の兵器を装備する第118機械化歩兵旅団戦闘団、第119歩兵旅団戦闘団の2個旅団戦闘団を中心に12,000名の“白人と日系人を中心とする“州兵部隊と2,000名からなる州警察機動警備隊をロサンゼルスへ派遣する。これらの州軍部隊は装甲兵員輸送車はもちろんの事、戦車や歩兵戦闘車、榴弾砲、迫撃砲、攻撃ヘリコプターなど治安維持には不必要なほど威力が高すぎる兵器も持ち込んでおり、ロサンゼルスでの緊張は一気に高まっていた。

一方でロサンゼルス市内では少なくない数の黒人団体が現地の白人や黄色人種の安全確保の為に動き、ホワイトハウスでは全米黒人地位向上委員会とアメリカ合衆国連邦政府が共同で事態の沈静化と平静を求める声明を発表するなどの事態の平和的解決を求める動きは確かに存在した。

そんな状況や連邦政府からの水面下からの圧力もあって州政府は当初予定していた容赦ない鎮圧作戦と言う方針を展開する事になり、州軍に戦車や榴弾砲などの武器の使用を制限させ、暴徒と市民を見極め、暴徒にのみ最低限度の攻撃を認めると言う極めて難解なオーダーを出さざるを得なかった。

この命令に州軍の司令官達は難色を示しながら治安回復作戦を展開させていくことになる。それでも、州軍はこの困難な政治的オーダーに忠実に従い、州軍側に少なくない数の死傷者をだしながらもロス市警本部やロス市庁舎を解放、または奪還していき、暴動発生から二週間ほどが経つとようやく暴動は収束を迎え、ロサンゼルスに再び平穏が保たれるようになった。


461: ホワイトベアー :2020/11/03(火) 21:06:25 HOST:157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
黒人差別に対するカウンターとしておきた本暴動は本来なら不満の解消の為、そしての足下を固めるためにも黒人の地位向上に繋がる筈であった。いや、繋げなければならなかった。しかし、当時のアメ
リカ合衆国国民(白人)は倫理的、人種的に優れ、神に愛された白人とそれに匹敵する日系人がこの暴動の原因の一翼を担い、また少なくない火事場泥棒を働いた事を人種差別の観点から認める事ができず、史実においてドイツがヒトラーとナチに、日本が軍部にそうしたように黒人にその全ての責任を押し付けたのだ。

もっとも全ての黒人達に責任を押しつけたのではない。彼らはいい黒人と普通の黒人、悪い黒人と言う風に黒人達を分別して悪い黒人と区分した人々に責任を押しつけた。

当然ながらこれらの区分をするのは政界や財界、マスメディアを支配する白人層と日系人であり、いい黒人とは自らの地位を向上させようとせず、彼らに従順で都合のいい人間のみであった。

そして、いい黒人とされた少数の黒人達には飴が与えられた。彼らには名誉白人とも言うべき地位が与えられ、それまで分離すれども平等として白人や日系人専用として整備されていた施設の使用が認められられた。

対して悪い黒人とは犯罪歴のある黒人や今の体制を変えようとする黒人であり、悪い黒人とされた人々にはこれらの改善は与えられず、それどころか市民が求めれば社会の安全のためと言う名目で個人情報が公開されるなどの罰が与えられていく。

無論、こうした政策はリベラルを気取る知識人からも眉をひそめるが、逮捕された暴動参加者のうち数人がドイツ情報部のフロント企業を後援団体の1つとする黒人地位向上団体に参加していた事(※8)からこうした方策はアメリカを社会主義者達から守るために必要だとキャンペーンをうち、世間(白人や日系人、それと黄色人種)からの支持を受けていった。

こうして完成した新たな黒人差別の体形は21世紀になっても名前や姿を変えてアメリカ社会に残り続き、西暦1999年に公民権法で黄色人種への差別を禁止した後も続いていくことになる。

(※1)
大平洋地域および南米を日米の勢力圏として欧州列強からの干渉を防ぐと言う外交方針。
(※2)
史実翔鶴型のエレベーター配置をデッキサイド形式にした艦艇
(※3)
米製Su-33。
(※4)
米製Yak-38。
(※5)
米製Ka-27
(※6)
アメリカ海軍が欧州連合の潜水艦隊の驚異に備えて編成した新たな部隊であり、軽空母×1隻、ミサイル駆逐艦×1隻、対潜フリゲート×3隻から構成される。
(※7)
T-72をもとにしつつ、史実で欠陥とされるものを改修した戦車。
(※8)
逮捕されたのは幹部やリーダーなどではなく、ただの平団員であり、その団体自体は暴力ではなく言論や法廷闘争で地位を勝ち取ろうとする極めて健全な団体であった。それにフロント企業もあくまでも後援団体の1つでしかなく、大半の活動資金は黒人達からの献金や自分達の稼ぎで賄っていた。

463: ホワイトベアー :2020/11/03(火) 21:08:58 HOST:157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2023年07月23日 18:07