147: モントゴメリー :2020/11/01(日) 01:08:15 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
ある戦艦の物語——あるいはFFR建国神話——
戦艦リシュリュー。
それはFFR国民に取り国家の象徴であり、国土及び国民統合の旗手であり、勝利の女神であり、国家そのものである。
何故1隻の戦艦がここまでの敬意と信仰の対象となったのであろうか?
それを紐解くためには、FFRの歴史を振り返る必要がある。
1948年のクーデター未遂の混乱の末、フランスは体制を刷新して現在のフランス連邦共和国(FFR)となった。
だが、その前途は決して明るくはなかった。
前大戦の傷跡は未だ癒えておらず、経済は崩壊寸前。軍備に至っては正規軍部隊に小銃を完全充足することすらできない有様であった。
しかし、「そんなこと」は些細な問題であった。FFR最大の問題は『国民意識の統合力欠如』であった。
本土であるヨーロッパ州、正式な国土に昇格したアフリカ州。そしてOCUから管理を押し付けられたエストシナ。
これらの地域の国民意識は見事にバラバラであった。OCUに対する敵愾心すら大きな温度差があったほどである。
今でこそ「反セクト」で同じ方向を向いているが、何か手を打たねば早晩分裂するのは明らかであった。
もっと言うと、州内部でも地域や民族の違いから意識の対立が起こり始めており、一番安定しているのがエストシナであるという笑えない状況に陥りつつあった。
しかし、この問題に対してジョルジュ=ビドー初代大統領以下FFR政府は具体的な対応策を何一つ用意することができなかった。
国民が団結するために必要な「象徴」が無かったのである。
これが王族や皇族が存続している国家ならば簡単であった。彼らを旗印にすれば国民は同じ方向を見ることが出来る。
事実、イギリスは王室の威光を最大限活用して大英帝国を英連邦条約機構という国家連合への再編に成功している。
しかし、フランスに王家は存在しなかった。というより、「王」になろうとした者をフランス人自ら葬ったばかりである。
民主主義国家ならば、「政府」への忠誠がそれに代わる存在になるはずであった。あるいは「自由」という思想そのものが。
しかし、発足したばかりのFFR政府に国民全てをまとめ上げるほどの求心力などありはしなかった。
後世の我々はビドー初代大統領を「偉大なる政治家にして愛国者」と記憶している。
しかし、それは彼の長年に渡る在職期間に築き上げた実績の上に成り立つ評価である。この時の彼に、それはまだ存在していなかった。
「自由」という思想に頼ることも難しかった。WW2の、あの決定的な敗戦の後ではそんな「あやふやな」ものに国家の命運を託すことはできなかった。
148: モントゴメリー :2020/11/01(日) 01:09:06 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
このような時、国家が使用する解決策は古今東西共通している。
すなわち、『英雄』の創造である。
国民を導くアイドル(偶像)を生み出すのである。
しかし、この方法も当時もFFRには困難極まりないものであった。
最も英雄の座にふさわしい人物であったフィリップ・ペタン元帥はFFR体制発足前に亡くなられて久しかった。
無論、死者であったとしても英雄にすることはできる。しかし、「国民を未来に導く旗手」としてはいささか勝手が悪い。
しかし生者の中から選ぼうとしても、今度はペタン元帥が成し遂げた功績の前にはどの人物も翳んでしまうのである。
また、ビドー以下FFR政府の者たちは自国民たちの「癖」をよく分かっていた。
…「自らが望んだ英雄を、自ら引きずり落としたがる」という癖を。
「人間」を英雄に選んだ時点で、この未来は確定したも同然なのである。
この方法では国民の意識を統一できたとしても、「革命」という結末にしかならない。それではFFRは、フランスは今度こそお終いである。
八方塞がりか、皆が諦めかけたその時。ビドー大統領に天啓が閃いた。
———別に「英雄」は人間である必要はない
そして、英雄足り得るモノはフランスに存在していた。
戦艦リシュリューである。
『実績』はペタン元帥にも引けを取らない。
彼女が第二次ゼーラント沖海戦終盤で成し遂げた「敵陣中央突破」は、WW2でフランス軍が唯一誇れる「勝利」であった。
事実、(ペタン元帥を除く)陸軍の評価が地に落ちたのとは対照的に海軍の評価と人気はそれほど悪いものではない。
リシュリューの活躍は、確実に国民たちに『明日への希望』を与えたのである。
『血筋』も申し分ない。
アルザス級などの「ビンソン計画」艦艇のような米国式設計ではなく
リシュリューはフランスの建艦思想とフランスの戦術構想の下に、フランスの技術を用い生まれた「純国産」戦艦であった。
(主砲など、米国由来の技術を使っている部分もあるが)
FFR政府は、早速リシュリューの「英雄」化へと着手した。
彼女とペタン元帥、そして(第二次ゼーラント沖海戦で散華した)ジャンスール提督を神格化し、国民統合の象徴としようと試みたのである。
具体的には第二次ゼーラント沖海戦での彼女の活躍を大々的に顕彰したのである。
映画を作り、教科書に記載し、絵本の題材にも取り上げた。
その他にも彼女の生い立ちや能力などを紹介し
「フランスはこれほどの戦艦を生み出した」
「我々フランス人は、日本人やオランダ人に対して決して劣っているわけではない」
「国民一人一人が団結し、前進すれば必ず彼らに追いつき、追い越す日がやってくる」
「偉大なるフランスを、我々の手で再興しよう!!」
と国民に訴えた。
言うなれば、リシュリューの物語は歴史上最も新しい『建国神話』なのである。
ただし、この時点では「プロパガンダ」の色が濃いものであり、政府としても本命は「元帥」や「提督」であり
リシュリューは彼らを補完する存在だと定義していた。
しかし、嘘もつき続ければ真実となり、物語も語り継がれれば神話となる。
149: モントゴメリー :2020/11/01(日) 01:09:51 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
FFRはその後、アフリカ州に対する苛烈な同化政策(日蘭等からは「文化的大虐殺」と呼ばれた)の副作用により長い混迷の時代を過ごした。
この時代をフランス人たちは「暗黒の30年」、「屈辱の30年」等と呼称する。
そして、彼らがその時代の中で心の支えとしたのは物言わぬ死んだ英雄ではなく常に最前線に立ち続けたリシュリューであった。
彼女は闇の中で国民を照らし先導する「松明」であったのだ。
そして、その光は時を経る毎に輝きを増していき、ついには時代をも動かした。
1980年代初頭、FFRが後世に「奇跡」とすら表現される高度経済成長の時代に突入しようとした時、国民たちの眼前にそれは現れた。
大改装を施された戦艦リシュリューである。
FFR国民に取って、その姿は祖国の姿そのものに映ったのである。
フランスは、FFRは生まれ変わった。もはや暗黒の時代は過ぎ去り、フランスに栄光の光が舞い戻ったのだ、と。
闇夜を照らす「松明」は、闇そのものを打ち払う「暁」となったのである。
そう。この時こそが「リシュリュー=FFRそのもの」というフランス人にとって絶対の方程式が完成した瞬間である。
観艦式など、リシュリューに関わる行事で必ずと言ってよいほど歌われる歌がある。
『Chant du Départ(門出の歌)』である。
「ラ・マルセイユーズの兄弟」と呼ばれる歌で、第一帝政時代には国歌とされた歌である。
何故、この歌が歌われるようになったかは今となってはわからない。
しかし、これが歌われるようになったのは大改装直後の「お披露目」の時であったと記録されている。
特に『2番』の歌詞はFFR国民の心に響いたと言う。
De nos yeux maternels ne craignez pas les larmes :
Loin de nous de lâches douleurs !
Nous devons triompher quand vous prenez les armes :
C'est aux rois à verser des pleurs.
Nous vous avons donné la vie,
Guerriers, elle n'est plus à vous ;
Tous vos jours sont à la patrie :
Elle est votre mère avant nous.
(Refrain)
La République nous appelle
Sachons vaincre ou sachons périr
Un Français doit vivre pour elle
Pour elle un Français doit mourir.
Un Français doit vivre pour elle
Pour elle un Français doit mourir.
我等の母の涙恐れるなかれ
消え去れ、絶望よ!
武器を取りて 勝利を手にせよ
涙は王等にあり
そなたに与えし命
そなたのもので無し
母なる国のもの
全てに勝る母
(合唱)
共和国は呼ぶ
勝利か 滅亡か
フランス人はそれゆえ
生きまた死す
フランス人はそれゆえ
生きまた死す
この『全てに勝る母』というフレーズは、この時以降リシュリューの異名の一つに加えられる。
150: モントゴメリー :2020/11/01(日) 01:10:32 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
ここまで、リシュリューが神格化されていく経緯をFFRの歴史と共に辿ってきた。
最初は多分にプロパガンダ成分を含んでいたものであった。
その「虚像」が、時代を経る毎に国民の信頼と敬意を獲得していき「実像」となった。
そして大規模改装によって「偶像」となったのである。この時、敬意は信仰へと昇華した。
やはり、大規模改装のタイミングが絶妙であったと考えられる。
生まれ変わったリシュリューは、変貌しつつあるフランスという国の姿を映す「鏡」として国民に認識されたのだ。
リシュリューの物語は、FFRの歴史そのものなのである。
時代が21世紀に移り変わってもそれは変わらなかった。
フランスを縛り付けてきた軛である「アムステルダム条約」が改訂されたとき、最初に行ったのはリシュリューの第二次大規模改修であったのだ。
FFRの歴史が続く限り、リシュリューは国民たちの最前衛に立ち続けるであろう。
———フランス人で初めて光速を突破した者たちがリシュリュー乗組員であることがその最も新しい証左である————
151: モントゴメリー :2020/11/01(日) 01:13:19 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
以上です。
ウィキ掲載はOKです。
前スレ470氏の書き込みを見てから急遽作成し、それ以降の皆さんの発言を取り入れました。
今夜はもう寝ますので、感想の返事は明日ということで。
最終更新:2020年11月05日 22:16