543: yukikaze :2020/11/03(火) 17:58:37 HOST:p473185-ipngn200310kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
あ・・・ありのまま今起きたことを話すぜ。
俺はデータが消えた『豊臣夢幻会 Hoi4カイザーライヒver世界』における
日本18インチ砲戦艦の記事を書いていたはずなのに、出来上がったのは、ドイツ
第二帝国戦艦『フリードリッヒ・デァ・グローセ』級戦艦だった。

な・・・何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何が起きたかわからなかった。
頭がどうにかなりそうだった・・・
日本海軍の巡洋艦構想でどうするかで悩んだとか、前置きが長すぎて中身がとっちらかった
とか、そういった理由が積み重なった結果じゃないかなーと思ったりはする訳だが・・・

とりあえず、完成しましたので、以下に投下しときますね。

544: yukikaze :2020/11/03(火) 18:01:11 HOST:p473185-ipngn200310kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
フリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦

基準 57,600トン
全長 272.5m
全幅 36.0m
吃水 9.3m
機関 ワーグナー式重油専焼高圧型水管缶12基
+ブラウン・ボベリー式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大出力 164,000hp
最大速力 30.8ノット(公試時)
航続距離 16ノット/7,000海里
乗員  2,600名
兵装  SK C/34 42cm(47口径)連装砲4基
     SK C/28 15cm(55口径)連装速射砲6基
     SK C/33 10.5cm(65口径)連装高角砲8基
     SK C/30 3.7cm(83口径)連装機関砲8基
装甲  舷側:300mm(水線部)、180mm(第一甲板舷側部)、150mm(水線面傾斜部)
     甲板:120mm(最厚部)
主砲塔  400mm(前盾)、220mm(側盾)、320mm(後盾)、200mm(天蓋)
副砲塔  100mm(前盾)、80mm(側盾)、40mm(後盾)、40mm(天蓋)
司令塔  350mm(前盾)、350mm(側盾)、200mm(後盾)、220mm(天蓋)
艦載機  アラドAr196A-3水上偵察機4機
カタパルト2基

同型艦『フリードリッヒ・デァ・グローセ』『カイザー・バルバロッサ』『カイザー・カール・
デァ・グローセ』『プリンツ・オイゲン』『シャルンホルスト』『グナイゼナウ』『ブリュッヒャー』
『モルトケ』

(解説)
1930年代、ドイツ第二帝国が『Z計画』の下に、威信をかけて建造した戦艦である。
完成当時、世界最大の戦艦であり、老齢のヴィルヘルム2世が「不沈戦艦」と豪語することになるのだが、彼女にとって大変不幸だったのは、彼女とその姉妹が就役をしだした時、はるか極東では、彼女をはるかに凌駕する『越後』型戦艦6姉妹が生を受けていたことである。

第一次大戦終了後、ドイツ第二帝国海軍は控えめに言って継子扱いであった。
皇帝が推進した大海軍計画であったが、皇帝自慢の艦隊は、戦術的勝利を得たことはあっても、戦局にほとんど寄与することがなく、終戦時には、キールやヴィルヘルムスハーフェンでむなしく時を過ごすばかりであった。

当然のことながら海軍に対する風当たりは強く、カイザー級以前の戦艦は即時退役。巡洋戦艦もフォン・デァ・タンが練習戦艦として指定を受けるなど、大幅な削減を受けることになる。
無論、削減されたからと言って、戦艦11隻、巡洋戦艦4隻という布陣は、列強海軍では第2位であり、イギリス海軍が革命により分裂して以降は、数量的には世界1位を誇ってはいたが、内実は悲惨と言ってよかった。

その最大の理由が主砲口径の問題である。
ドイツ海軍が大口径砲製造に後れを取ったこともあって、ドイツ海軍において14インチ砲以上の戦艦はわずかに2隻。
イギリスの共産革命のゴタゴタによって、地中海艦隊にいたクイーン・エリザベス級戦艦『バーラム』『マレーヤ』を拿捕し『ハノーファー』『ブラウンシュヴァイク』と編入しても4隻である。
では他の国はと言えば、共産イギリスは、クイーン・エリザベス級戦艦2隻しかなく、共産アメリカもニューメキシコ級1隻にネヴァダ級2隻。属国扱いのアメリカ連合はニューメキシコ級2隻保有であり、共産フランスは戦艦がなく、アメリカ共和国もニューヨーク級2隻のみ。亡命イギリス政府もクイーン・エリザベス級戦艦2隻持っていたが、殆ど岸壁の女王扱い。
これだけ見れば、ドイツ海軍が焦る必要はそうそうないのだが、問題は、極東でドイツ海軍を鼻で笑う化け物がいたことであった。
38センチ砲戦艦6隻、42センチ砲戦艦6隻を保有する日本海軍と比較すれば、ドイツ海軍の質的劣勢は明らかであった。
しかも、ドイツ海軍のほぼすべてがジュトランド沖海戦での戦訓への対応に不十分であったのに対し、日本海軍は、とっくにそれを組み込んだ設計を施しており、同数どころか、倍の数で攻めても短時間で敗北する未来しか描けなかった。
ドイツ海軍としても、何とかこの状況を打破しようと努力はしたのだが、前述のとおり、ドイツ海軍の政治的発言力は地に落ちており、何よりも急拡大した勢力圏を維持するために必要なのは、陸軍と警察であり、イタリア占領に伴い、ドイツ地中海艦隊が設立されていなければ、更なる戦艦の削減すらあり得た状況であった。

545: yukikaze :2020/11/03(火) 18:02:15 HOST:p473185-ipngn200310kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
まさにドイツ海軍にとって冬の時代であった。
せめてもの救いは、新たに勢力圏となったアメリカ連合や中南米との貿易のために、大西洋の通商路の防衛が必要であるというドイツ海軍の主張に経済界が賛同し、ケルン級軽巡洋艦とその改型が許されたことくらいであろう。

そんなドイツ海軍に転機が訪れたのが、1930年代である。
その要因となったのは、共産連合による海軍拡張であった。
3大勢力の中で一番海軍力が劣っていた共産連合にとって、大西洋における通商路が脅かされるのは、死活問題であった。
その為、彼らは一致協力して、大西洋における制海権奪取を試みるのだが、問題は革命による人材流出により、艦艇建造のノウハウを持つものが少なくなっていたことであった。(更に言えば革命前よりも経済力が低くなっていた。)
その為、彼らは大型戦艦建造を諦め、装甲巡洋艦を基にした艦艇整備を決定。
結果、基準排水量13,000t 速度32ノット 45口径25.4センチ砲連装砲3基搭載した、装甲艦『カウンティ』級が誕生することになる。

この事態に、ドイツ第二帝国は過敏に反応した。
『カウンティ』級装甲艦は、確かに戦艦との殴り合いは向かない艦である。
だが、ドイツ第二帝国が保有する巡洋艦相手だと、攻防走全てにおいて優越し、戦艦に関しても、巡洋戦艦相手でも有速であり、且つ航続距離も長いというスペックは、通商破壊艦としては必要十分な性能であった。
何より、共産連合合わせて20隻近くの建造が見込まれるのだから、それらが暴れたら、大西洋の通商路がずたずたにされるのは明白であった。
詳細な報告書を読んだヴィルヘルム2世は―この皇帝にとってはいつものように、自身の行動の結果であることを無視して―海軍の現状に対して激怒するとともに、「共産主義者も極東の猿どもも黙らせる大艦隊をただちに整備すべし」と命令をすることになる。

さて、皇帝の鶴の一声で、艦隊拡張の許可を得た海軍であったが、かといって課題は山積みであった。
まず、一番の悩みの種である装甲艦対策であるが、相手型が3か国の国力を以て建造できるのに対し、こちら側は基本的にドイツ1国、辛うじてアメリカ連合が使えると言ったところであった。
よって、数量での張り合いを行うとした場合、基本的に陸軍の発言力が強いドイツ第二帝国においては、どうしても予算に限りがあることから、数的に張り合えない可能性があった。

よってドイツ海軍としては、質的な有利を得る方向に努力することになるのだが、この時、ドイツ海軍内で、史実P級を推す1派と、史実アドミラル・ヒッパーを推す1派とに分かれ、その調整に時間がかかることになる。
最終的には、P級の心臓である高馬力ディーゼルエンジンの開発失敗と、排水量過大という問題から、アドミラル・ヒッパー派が勝利を収めることになるのだが、それでも主砲口径を20センチ砲ではなく28センチ砲3連装2基にすべきではという意見が出され、砲撃力強化案に皇帝が口を出すという問題行動を起こすなど、混乱が発生することになる。
(結果的に、史実プリンツ・オイゲン類似艦であるプロイセン級が12隻。同巡洋艦をベースにして、28センチ3連装砲2基の砲撃力強化型のベルリン級4隻の合計16隻の建造が承認されることになる。)

そして、ドイツ海軍が「見なかったことにしたい」と心の底から思っていた日本海軍対策であるが、はっきり言ってまともに戦うのは自殺行為であった。
1930年当時の日本海軍は、戦艦12隻 正規空母4隻 軽空母2隻 巡洋艦24隻 駆逐艦96隻。しかもその大半が艦齢10年程度であり、最も古い戦艦ですら艦齢15年である。
特にドイツ海軍でも持っていない(と・・・いうより保有しているのは日本海軍だけである)空母や、外洋でも平然と活動できる駆逐艦群に関して言えば、張り合うだけ無駄と言ってよかった。

よって、ドイツ海軍としては日本艦隊に正面切っての艦隊決戦は挑まず、隻数が多く高速型の装甲艦で通商破壊戦を挑み、日本の通商路を混乱させることとした。このドイツ海軍の装甲艦を捕捉するために、敵艦隊は分散する。その分散した小艦隊を新鋭戦艦が各個撃破する、という方法を採用するしかなかった。

要は、共産勢力がドイツ第二帝国に行うとしたことを、自分達も日本側に行おうとしたのである。
彼らの立てたZ艦隊計画において、Uボートが120隻近く建造されることになったのも、対日戦という観点において、Uボートによる通商破壊戦で、相手方の補助艦艇戦力を漸減させる必要性があったからに他ならない。
(なお、ドイツ海軍の本音としては、2万トン近い空母を複数保有することを望んでいたのがだ、自身の縄張りに踏み込まれることに反発するドイツ帝国空軍との政争に敗れたことで、彼らの空母保有は遅れに遅れることになる。)

546: yukikaze :2020/11/03(火) 18:02:52 HOST:p473185-ipngn200310kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
そして、ドイツ第二帝国海軍の決戦戦力として建造された艦こそフリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦に他ならなかった。
以下、同級について説明していく。

主砲については、当時世界最大の主砲であった長門型より劣ることが許されなかったことから、新開発のSK C/34 42cm(47口径)砲を連装4基8門装備することになる。
長門型と比べて2門劣っていることに対して、ヴィルヘルム2世の機嫌は悪く、42センチ砲12門艦とするか、あるいはそれより大口径砲にせよと命じたものの、ドイツ国内の主要な港湾施設の水深では、同級の規模で入港可能な深さの限界に達しており攻防走のバランスを考えた場合、8門艦が限界であるという回答の前に、渋々ながら取り下げることになる。
なお、ドイツ海軍においても皇帝と同様の意見を述べる者もいたが、砲身長が長門型よりも長いため、近距離での打撃力においてはこちらの方が上であり、更に船体の防御構造を考えれば、長門型との殴り合いでも互角以上に戦えると判断されていた。

副砲については、Z計画で建造されることになったケーニヒスベルク級軽巡洋艦と同主砲であるSK C/28型15cm(55口径)砲を採用し、連装砲塔を航海艦橋左右に1基ずつ、残り4基を舷側寄りに片舷2基ずつ計6基装備し前方へ8門、後方へ4門指向できた。その他に対空用に10.5cm(65口径)砲を連装砲架に8基計16門を副砲塔よりも一段高い場所に片舷4基、3.7cm(83口径)対空砲を連装で8基16門を装備している。
射撃指揮装置は前檣に2基、後檣に1基装備し、列強新戦艦に多く見られる2基に比較して多い。射撃方位盤はヴァイタル・パート内に収容され前後2基存在する。測距はステレオ式である。
こうした装備と、安定的な船体から、同級の射撃精度は良好であり、これもドイツ海軍上層部の自信となっている。
なお、前檣楼の射撃指揮所内に対空戦闘指揮所が備えられていたが、訓練の結果、迅速な対空射撃指揮に支障を来たすことが分かったため、下部甲板に「高角砲射撃指揮所」を作成し、併せて前部の対空戦闘対勢表示室をより有効にすべく高角砲座への電話網を作るなど、対空指揮において問題を抱えるなどしており、第二次大戦においてその不備を突かれることになる。

このように攻撃兵装に関しては、対空指揮部分を除けば十分満足いくものであったのだが、防御構造はお寒い限りであった。
前述したように、ドイツ海軍は、視界の悪い北海及びバルト海での近距離砲戦を重要視したことから、「打たれ強く沈みにくい」構造を船体に採用していた。
彼らにしてみれば「ジュトランド沖はこれで勝てた」からであるのだが、結果、その防御構造は、バイエルン級の踏襲となっており旧態依然と言ってよい代物であった。
一言で言えば「防御効率が非常に悪い」代物であり、実際、日本海軍が20年前から採用していた集中防御方式で再設計した場合、それこそこの規模で言えば、主要防御部分の装甲の増厚や砲門数の増加などができたであろう。
また、水中防御に至っては、燃料槽による防御を実施していたが、これは多層防御ではなく一層防御になっていた。
一層の厚みはあるためそれなりの衝撃吸収力はあり、ある程度の防御力は期待できたものの、舷側部分の燃料庫が艦底部分まで達していないため、水線部の深い部分に魚雷が命中した場合や機雷による損傷を受けた場合かなりの損害を受ける危険性を有していた。
これについてはドイツ海軍でも危険視されたものの、水密区画は細分化されており、区画の数が多いので被害は局限できるため許容範囲とされていたものの、こちらも第二次大戦において煮え湯を飲まされることになる。

547: yukikaze :2020/11/03(火) 18:06:52 HOST:p473185-ipngn200310kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
機関については、ドイツのお家芸である3軸推進を取りやめて、オーソドックスに4軸推進としている。
これは3軸にする場合、缶の高温・高圧化は避けられず、計算では50気圧・450度もの蒸気を使用できる高性能ボイラーが必要であると見られていた。
そしてドイツ海軍は高馬力ディーゼルエンジン開発に失敗したというトラウマから、機関については保守的となっており、高温・高圧缶を諦める代わりに、タービン機関を1基増やすことで、馬力を稼ぐことにしている。
このドイツ海軍の判断が正しかったことは、同級の期間トラブルは、初期故障を除けばほとんど発生せず、就役中安定して利用できたことからも見て取れる。
ただし、前述したようにドイツの港湾問題から、機関重量増に伴い、燃料搭載量が削減されることになり航続距離は当初計画よりも2000カイリ近く削減されることになる。
また、燃料層が水雷防御の一環として利用される予定であったのに対し、燃料搭載量が削減されたことで、水雷防御も低下する羽目になり、慌てて空いた個所を水中防御区画として細分化したものの、計画よりも防御が低下することになる。

同級の最大の強みは、同型艦が8隻建造されたことであろう。
これにより北海とバルト海において強力な新型戦艦が8隻配備され、ドイツの内海であり且つ安定していた地中海に旧式戦艦4隻を置くことで、少なくとも共産勢力に対して、ドイツ第二帝国が戦艦戦力で圧倒的に優勢に立つことが決定づけられたのである。
共産勢力も慌てて新型戦艦建造に動くものの、大口径砲開発に後れを取ってしまったことと、戦艦建造のノウハウの蓄積が失われていたこともあって後手後手になってしまい、海軍戦力の構築に迷走することになる。

同級は、1936年度計画から建造が開始され、1945年に全艦就役することになる。
この時、ドイツ皇帝はヴィルヘルム3世の治世であったが、この皇帝の門出を祝うべく、大観艦式が挙行され、本級8隻の揃い踏みはドイツ国民を熱狂させることになり『パクス・ゲルマニカ』の象徴としてみられることになる。

同級は、第二次大戦において、ドイツ海軍の切り札として活躍が期待されていたものの、既に日本海軍はドイツ海軍が全く想定していないステージに達しており、8隻中4隻が戦没。残り4隻も早期に退役を余儀なくされてしまう。
この事実に激怒したヴィルヘルム3世の意地により、ドイツ海軍は『グロス・ドイッチュラント』級戦艦の建造を行う羽目になるのだがそれはまた別の話である。

548: yukikaze :2020/11/03(火) 18:16:33 HOST:p473185-ipngn200310kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
と・・・言う訳で、栄えあるドイツ第二帝国戦艦完成。
まあ一言で言えば『ビスマルクの拡大版。ただし機関は改善する』というもの。
hoi4のカイザーライヒと比べても、ドイツイケイケモードなんだけど、一方で陸軍と比べて政治的発言力失った海軍の扱いと言えばこうなるよなあと。

防御構造が酷すぎるわけですが、これはもうジュトランドの呪い。
ドイツ海軍にとってジュトランドは『勝利と栄光』なために、ここで思考停止した連中の多いこと。
あれだ。対馬沖での完全勝利が忘れられない日本海軍と思っていただければ。

カタログスペックでは文句なしに世界有数の巨大戦艦ですし、抑止力としては優秀でした。
まあ共産海軍相手だったら無双できたのではないかと。
相手が異次元レベルに進化した日本海軍が相手だったというのがもうね。
こっちは空母なし、相手はジェット機すら配備している空母機動艦隊群。どこの坊ノ岬沖よ・・・
しかも相手の戦艦は18インチ砲戦艦搭載艦だし。

自分がドイツ第二帝国海軍側として考えた場合、ほんと対日戦については「勘弁して」ですわ。

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最終更新:2020年11月05日 23:07