356: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:40:58 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
漆黒世界 ソ連の国土再開発
ソビエト。それはWW1中に起きたロシア革命を発端として建国された人民による、人民のための、人民の国…になるはずだった国家である。
端的に言ってしまえばそれは失敗した。
WW1に実質勝利したと言っていいロシアにウクライナやベラルーシ、バルト三国までの領土を取られ、フィンランドは独立。
コーカサス地方も現代でいう、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン部分がオスマントルコの庇護の下で独立させられ、バクー油田の利権も各国に奪われた。
そして頼みの綱のロシア皇室の遺産も東ロシア(レナ川以東)にて成立したロシア王国に奪われている(むしろ血筋的にロシア王国の方が正統)
つまるところ金がない。史実よりずっと金がない。あとロシア内戦が史実より苛烈になったので国内もボロボロ。
上も下も仲良く貧乏という意味では平等であろう。
もっか最大の問題は食料であった。ロシアの食糧庫であったウクライナがドイツに奪われたことにより、ソビエト内の食料生産力が大幅に低下しているのだ。
しかしウクライナを失ったのならば新たに開拓しなければならないのだが、それを満足に行うだけの体力スラ怪しいのが今のソ連であった。
幾ら明日の食料を作るためとはいえ、腹が空きすぎては鍬すらふるえないのである。
そんなピンチに駆け付けたのがアメリカ合衆国こと米合。
人身売買だ、奴隷制継続だのでいい話を聞かない相手ではあったが、背に腹は代えられぬと当時のソ連上層部は合衆国との取引に合意した。
所謂中国へ進出するための橋頭保になってほしいという話である。
代わりに得られるのが各種支援。食糧支援に始まり、医療、技術、知識、戦力… 米合が用意できるありとあらゆるものが揃えられた。
こうして多少なりとも持ち直したソ連は全力で農地開拓に勤しんだ。
それがウラル地域南方及びカザフスタン地域である。
極寒の地というイメージの強いロシアだが、それは北部やシベリアであり、南部地域は比較的農耕や牧畜に秀でた地域も多かった。
また中央アジアに分類されるカザフスタン地域は真冬であろうとロシア本土よりはマシな気温であるため、農地に適した土地も多いのである。
米合から教えられた体系的な農法を基に全力開拓されたウラル南部とカザフスタンはウクライナを失ったソ連における新たな食糧庫に生まれ変わることとなる。
なおここまで順調に農地開発が進んだのは、ロシア内戦下における食糧危機の記憶やウクライナを失ったことによる危機感以外にも、米合が寄越した食糧支援の中身が信用できないという点も大きかったそうな。
当の米合からすれば人肉なんて入っていないちゃんとした食べ物を送っていたのだが、当のソ連やソ連人民がそれを信じなかったのが大きい。
話を戻す。
こうして新たな食糧庫を得て、一息ついたソ連であったが、今度は別問題に晒された。
国防である。
具体的に言うと戦力的にも足りないが何より立地が不味かった。
ドイツが分捕っていったウクライナ、ベラルーシの国境から現在の首都モスクワまで500㎞もないのだ。
一旦戦争が始まれば一瞬で詰められる距離である。
何より相手はあのドイツ軍。WW1時に電撃戦でパリを落とした、高速戦の申し子。
戦力的にも不安が残る現状ではモスクワの防衛は不透明であった。
ということで遷都である。詳しく言えば戦時における新たな首都を決めようとした。
357: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:42:08 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
まず第一に候補に上がったのがニジニノヴゴロド。モスクワより東に奥まった場所にあり、ヴォルガ川に面しているため流通の面に優れ、各種鉄道も通っているためインフラの面でも問題なし。
しかし、モスクワよりも国境から遠いとはいえ、まだまだ近すぎるということで没となった。
次に候補に上がったのがカザン。ニジニノヴゴロドと同じくヴォルガ川に面しており、流通、インフラの面で最適な都市である。
国境からも1000㎞以上離れているのでドイツの電撃戦についても、十分な時間が稼げる見通しである。
最もこのカザン。タタール時代の中心都市であり、そういう意味ではロシア人的に少々複雑な心境であった。
とは言え背に腹は代えられぬため最有力候補として残った。
三つ目の候補がエカテリブルグ。カザンよりも更に奥に位置している。
大型河川からは離れているものの鉄道を始めとした各種インフラは整っており、更に開発の進んだウラル南部やカザフスタンに近い位置に存在しているのは魅力であった。
また西シベリアからの鉄道もここを通るため、東西物流の中心点でもある。
最後の候補がノヴォシビルスク。この当時は開発途上の街であったが、東部領では最も繁栄しており、東部ロシア開発の中心点となるべく開発計画も持ち上がっている。
また物流の面も河川ではオビ川に面しており、更に現在米合と審議中のモンゴル縦貫鉄道との連結も計画されているなど将来有望であった。
そんなこんなで幾つか候補が出た中での新首都はカザンへと決まった。
なんやかんやで最も欧州に近く、インフラも整っているからである。歴史的な事情に関しては目をつぶった。
最もソ連は安心しておらず、いざという時にはエカテリンブルグへの二次遷都も計画に入れるなど慎重な姿勢を崩さずにいた。
同時にモスクワに関しても従来の欧州ロシア鉄道中心地として運営を続けており、平時における巨大物資集積所の役割をこなす都市として重要視されている。
さて。新首都を決めたはいいが、首都選定の最中でソ連上層部は思い知ったことがある。
国内インフラの脆弱さである。
内戦で荒れ果てたこともあるが、本数の少ない列車と一部の線路、そして春夏の間の大規模河川のみに頼っている現状のインフラではこれから先不安が残ったのだ。
というわけで東西の主要都市や新たな穀物庫となったウラル南部やカザフスタンと連結させるための大インフラ整備計画が持ち上がった。
既存の列車及び河川流通を大規模化を中心に、各種幹線道路の整備なども盛り込まれた計画であったが、当初からいきなり躓くこととなる。
人手が足りないのだ。
日露戦争の被害から数えて、WW1で消耗し、ロシア内戦でズタボロとなり、最後には東西で国が分裂してしまった今のロシアには人手が足りていないのだ。
だから少数民族だろうと、多少の政治犯だろうと、素行不良な兵隊だろうと大事に使っていた。
何よりも多くの人民をウラル南部やカザフスタンの開拓に従事させているため、改め国内インフラ整備のための人員を算出できなかったのだ。
これに困ったソ連にまたまた話を持ち掛けたのがかのアメリカ合衆国。
彼ら曰く備品を使えばいいとのこと。言ってしまえば奴隷である。
ではその奴隷はどこにあるかと言えば、元々米合が目を付けていた新たな市場中華である。
当時の中華はこれといった統一政権は存在せず、各地を軍閥が跋扈している戦国時代のようなものだったので、幾らでも人は攫い放題だったのだ。
米合からすれば人口、資源両方が豊富な中華へ是非とも進出したいがためにソ連に支援を行ったのである。
そんな中でインフラ整備に悩むソ連に更に声をかけた。内容はこうだ。
まずはモンゴル縦貫鉄道を整備する。そこから順次中華から持ってきた人員を使って国内を整備していけばいい。
無論我々が使う分の数も確保してほしい。やり方は凄腕のハンターを派遣するので彼等から習ってくれ。
という感じで取りあえずマンハントのための受講代はおまけするから、さっさとモンゴル鉄道作ってクレメンスという内容だ。
米合は中華進出のための橋頭保以外に、現地へのマンハントや資源確保にもロシア人を使おうと考えたのだ。
358: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:42:41 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
ソ連も露骨な米合のマンハントに眉をひそめたが、自国の人民を犠牲にするよりはマシとこの計画を手伝うことを選んだ。
こうして米合資本の下で真っ先に整備されたのが、かの悪名高き人攫い鉄道ことモンゴル縦貫鉄道である。
中華北部及び中央に伸びるこの鉄道はモンゴル国内をそのまま貫通しながら、ソ連領内のノヴォシビルスクへ繋がり、そこからソ連国内の鉄道を通ってモスクワに行きつき、モスクワからレーリングラード(リアルではサンクトペテルブルク)へ行きつき、そこからバルト海、北海を抜けて大西洋から米合本土へ繋がる一大交易ルートとなった。
運ばれるのは備品となる奴隷以外にも中華で取れる各種資源や食料など様々である。
このルートは一本だけではなく、モスクワからアルハンゲリスクへ行きつき、白海からバレンツ海へ出て、大西洋へ出るルート。
同じくモスクワからコーカサス地域へ行きつき、アゾフ海から黒海へと出て、更にそこからギリシャ連邦へ荷揚げをし、地中海に出るルート。
またバルト海、北海を抜けた後にベルギーに寄港するルートもある。
特に北方ルートは流れてくる氷塊や氷の問題もあることから、米合の支援にて数多くの氷砕船の建造を行って極力動ける期間を延ばすなどの対策にも力を入れている。
こうして真っ先に出来上がったモンゴル縦貫鉄道からは中華で収穫された大量の奴隷が運び込まれ、ソ連内のインフラ整備消費されていくこととなる。
ソ連が10年足らず国内の主要インフラの改善、発展を成功させた裏には中華から連れてこられた奴隷たちの犠牲があったのだ。
詳しい数は不明であったが、年1000万とも言われた中華でのマンハント(後の調査により流石に年1000万は誇張だったと判明した。最も年100万単位で連れ出されていたのは確かであったようだが)で得られた奴隷の多くは既に備品運用体制が成熟していた米合本土ではなく、インフラ整備や鉱山開発が急務であったソ連で消費されたことが発覚している。
10年にも及ぶ国土大開発の犠牲となった奴隷の詳しい数は判明しておらず、一説には1000万とも2000万ともいわれている。
少なくとも米合から送られてきた技術者からも「流石に浪費がすぎる」と本国への報告書に書き連ねるほどの量であったという。
各種開発作業の傍ら死んでいった奴隷たち(ソ連では備品や奴隷ではなく開拓者と呼んだ)は現地に派遣された「エコロジー&エネルギー(EE)」社により、全て回収され家畜や養殖魚の餌、もしくは生態由来のバイオ燃料へと変えられていった。
このため労働力とされた奴隷たちの墓は非常に少なく、具体的な死亡数が未だ判明していない原因の一つとなっている。
国外から連れてこられた労働者が実質使い捨てとして扱われているのと逆に国内の少数民族や被差別民族の扱いはそこまで悪くなかったとされる。
これは単純に史実よりも遥かにソ連の人口が少なかったことが要因とされる。
当時のソ連最高指導者であるスターリンは国家に協力するのならという条件付きで少数民族や被差別民族の権利を保障していた。
最も反共主義者や反スターリン派の躍動は変わらず続いており、国内で政治犯とされた人々がドイツや東ロシアに亡命することも後を絶たなかったことも大きい。
ソビエト政府は海外に逃亡した反政府主義者の代わりの国民を欲していたという点でも、国内の少数民族との融和を進めていたのである。
そしてこの国内における少数派への融和政策は意外と成功していた。
理由としては様々であるが、帝政時代よりはマシになった生活というのが大きいと推測されている。
最もきつい労働に関しては海外から連れてきた労働英雄(奴隷)に任せればいいため、史実のような少数派を酷使することが少なかったのも大きい。
米合支援の下で行われた農業改革と開発が成功したというのも見逃せない点であろう。
豊富に供給される食料と、冬の間でも物資を届けるための各種インフラ整備。この二つを持ってソビエトは国内の少数派の懐柔に成功したと言える。
当時のソビエトは使い捨ての“奴隷”ではなく、確固たる“国民”を切実に欲していたという側面がよくわかるエピソードであろう。
359: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:43:17 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
この時期のソビエトは三つの改革に成功していた。
農業、インフラ、融和である。
農業開発の成功による食料供給の安定。インフラ整備による国内流通網の改善。国内の少数民族との融和による“国民”の増加。
1920年代後半から30年代半ばまでのソ連は絶頂期と言ってもいい状況であった。
しかし対して米合陣営によく見られた長大な要塞線というものを持っていなかった。
これはソビエト軍の当初の計画が、遅滞戦闘を繰り返し、国土の奥深くにおびき出し、補給線が伸び切ったところを攻撃するというものであったためである。
またこの手の陣地構築作業に使える労働英雄の大半がインフラ整備とその維持に使われていなかったのも大きい。
最も流石に新首都となったカザフ及びエカテリンブルク周りやウラル地方に改めて移設した工業地帯などには多数の対空兵器や飛行場が建設。
更に多数の線路が交わる分岐点や中心部にも同様の防空対策がなされた。
同時に線路への爆撃を危惧し、対空武装列車とも言える列車兵器を開発。
これは武装列車の一種であり、多数の対空機関砲や高射砲を搭載し、更に線路復旧用の工作車も備えるなど、戦時を見越した兵器であった。
このように全ての線路や都市を守れないと考えたソ連は重要地点にのみ手厚い防空網を設置。
また移動式の対空陣地である対空武装列車を走らせることで、防空網の充実を図るなど、柔軟な対応を行った。
これは日露戦争やWW1における日英及びドイツの航空戦力へのソ連なりの解答であったと思われる。
同時にソ連では遅滞戦闘及び待ち伏せに最適な兵器が数多く開発されており、いわゆる突撃砲や駆逐戦車と呼ばれる兵器が多数開発されている。
無論通常の旋回砲塔タイプの戦車も開発、運用しているが、他国に例を見ない数の固定砲戦車を扱っていたのも事実である。
実際これら待ち伏せ、遅滞戦闘目的の固定砲戦車は独ソ戦初期では多大な戦果を挙げており、性能が陳腐化した中期以降も侮れない火力としてドイツ軍から警戒され続けた。
たった十数年で三本の改革に、独自の軍備を整えたソ連の努力は諸外国からは驚愕を持って評価されている。
無論大量の労働英雄を消費した点には大きな批判が寄せられているが。
そんなソ連もWW2には流石に日英陣営に勝てず降伏。米合とは違い戦後もどうにか国体維持を許されたが、WW2の疲労から戦前のような運営とはいかず後に崩壊。敢え無く東ロシアとドイツに分割されることとなる。
分割されて更に時のたった後の世。冷酷な支配者と呼ばれていたスターリンは改めて再評価が進んでいる。
残存している彼の日記や側近、家族からの証言から常に己の中の良心と現実の落差に苦しみながらも、どうにか国民を生かそうとしていた彼の苦悩と努力が見られ、決して彼は心を持たぬモンスターマシンではなかったことが判明している。
360: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:44:03 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
〇説明
史実におけるソ連の人口は1930年代では1億6300万人ほどとされていた。
しかし漆黒世界ではウクライナ、ベラルーシ、バルト三国及び当時の極東連邦管区の殆どを失っており、人口は大きく後退している。
また史実よりも激しく争われたロシア内戦もこれに拍車をかけていると思われる。
失われた地域の当時の人口を全て合わせた場合、大凡6000万人ほど。
このため漆黒ソ連は1億をギリギリ超える程度の人口だと推測される。
20年代から30年代末までの人口増加率を考えても精々が1億Ⅰ1000万に届くかどうかだろうか。
なおこれらの国民人口とは別に中華から連れてこられた奴隷人口が別途に存在しているが、これらの消耗は非常に速いため詳しい数を推測するのが難しい。
このため大凡数十万から数百万の奴隷労働者が常にどこかで運用されていたと思われる。
主に中華から連れてこられた使い捨ての労働者のこと。
米合では備品、ベルギーでは玩具、ブラジルでは人形などと呼ばれている。
ソ連では一応開拓者と呼称されているが、一般的には開拓奴隷や労働奴隷と呼んでいた。
最も合理的に奴隷を扱っているのが米合ならば、最も多く消費していたのがソ連である。
これはソ連内のインフラ整備及び維持、または鉱山開発に大量の労働力が必要とされたためである。
1年を通して、それこそ真冬のロシア領内でも構わずインフラ開発のために使われていったためボロボロと死んでいったのだ。
史実よりも国民を大切にしている、漆黒ソ連において代わりの使い捨て労働力を中華奴隷に求めた結果である。
疲労や病気に対しては大量の麻薬を摂取させることにより誤魔化し、無理矢理働かせ続けた。
ある意味既にシステムとして完成しているため、大型工事以外では早々大量に消費しない米合の備品運用と対比となる原始的な運用方法と言える。
メタい理由では史実通りソ連が1922年に建国されたとして、漆黒世界のWW2の勃発が速ければ1939年、遅くても1942年までには起こると考えられた結果である。
速ければ戦争まで17年間しかないため、急いでソ連国内を整える必要があったため、大量の使い捨て労働奴隷による突貫工事を行ってもらった。
このため短くても17年間、長くても20年間の間ソ連の大地に散った奴隷たちの総数は想像できない数になると思われる。
具体的には数百万は硬い。
米合企業の一つ。略称はEE社。
生き物の死体から家畜の餌やバイオ燃料を作り出すことを商売としている。
多分米合国内に幾つかあるバイオ燃料の製造、研究を行っている企業の一つ。
文字通りの死体回収業者であり、人間の死体から家畜の死体まで何でも引き取っている。
多分ソ連ではこの会社の所有するトラックや列車が毎日ソ連中で動いていたと思われる。
ウクライナを失ったので新たな穀倉地帯が必要となった。
このため色々調べたらなんとウラル南部とカザフスタンあたりが結構有力だと判明。
そのためこれらの地域を新しいソ連の食糧庫となってもらった。
史実だと開発に失敗しているのだが、ここだと日英のやりざまを観察して学習した米合からの支援により、農地開発に成功したという方向にした。
この農業開発が成功した点だけは史実のソ連より上かもしれない。
361: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:44:53 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
ソ連政府に協力的なら手厚く扱い、非協力的なら鉱山送り。ここは史実と変っていない。
政治犯や反共主義者も同じくである。
しかし、史実ほど一方的な扱いではなく、ある程度の融和政策を押し出している。
これは本文中でも語ったが、史実よりも大幅に減ってしまった人口を補おうとした結果である。
幸い史実で行われた過酷な労働の大半は中華から連れてこられた奴隷に扱わせているため、無理に少数民族まで動員する必要性がないのも多きい。
ソ連は使い捨ての労働者よりも、共に国のために働いてくれる国民を求めたのだ。
突撃砲のような固定砲戦車や、対空火器もりもりの武装列車などが登場。
詳しい設定はしていない。
幾ら米合からの支援があるとはいえ、戦力的には日英独陣営に劣っているソ連では強力な火力が求められそうということから生産性と火力を天秤にかけて突撃砲やら駆逐戦車やらが大きく活躍できそうと考えた結果である。
最も固定砲戦車の類は遅滞戦闘のための代物のため、反撃用や機動防御用の旋回砲塔戦車もきちんと用意していると思われる。
対空列車に関しては全ての路線をカバーするだけの対空兵器の設置や航空部隊の配備は現実的ではないため、線路のあるところなら自由に素早く移動できる列車に対空陣地として活躍してもらうことにした。
同時に工作部隊や物資を車両に載せて破損した線路まで行かせれば修復も可能という具合。
多分この手の対空列車以外にも史実でも使われた装甲列車や列車砲の類も大量に用意されていそうである。
このように陸の準備はきっちり進めており、空に関しても相応の準備を進めているが、それで割を食ったのは海軍だと思われる。
史実よりも経済も貧弱で、海に面する地域も多く削られた結果史実以上に錆び付き海軍になっていそうだと推測したため。
このため史実以上に海軍予算は陸や空へと持っていかれているだろうなと。
ぶっちゃけ海にリソース割いてもドイツやオスマンにすら勝てんだろうし。
メインは多分潜水艦や駆逐艦、沿岸警備のためのフリーゲートやコルベット。
ソ連では米合やベルギーほどガチガチに要塞で固めていない。
これは軍の戦略が焦土戦と遅滞戦闘をメインとしているためである。
というのは建前でぶっちゃけ、貧乏で更に時間もないソ連だと米合やベルギーほどガチガチに要塞作りまくる暇がないというメタな理由である。
最短で17年間。最悪は更に縮むであろうこの時間でソ連国内を一通り整備し、戦えるようにしなければならなかったため、要塞作るだけのリソースを裂けなかったのが真相。
精々がドイツや東ロシアとの国境線上にそれなりの陣地を構築している程度だと思われる。
これは余り詳しく考えていない。そこまで話題が進んでいないからである。
まあ戦後はギリギリ国体維持できそうかなと思っているが、長続きはできそうにない。
多分欧州ロシアはドイツに、カフカースことコーカサス地方あたりはオスマンに、シベリアあたりは全て東ロシアに持っていかれそう。
ウラルと中央アジアあたりはそれぞれ大量の独立国家がひしめき合って、三者の緩衝地帯となりそうだと薄々考えている。
スターリンは当面は心を持たない冷酷な独裁者という風聞になりそうだが、後の世だと再評価されそうだなという思いから。
362: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18:46:27 HOST:FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp
投下終了
考えてみたら人口激減しているソ連君。ウクライナの人口が当時で3000万だか4000万だかいたらしい。
あと地味に時間もないのが一番きつい(汗
実質20年足らずで国内の改革と復興と敵への備えをしないといけないンゴ(白目)
最終更新:2020年11月20日 11:11