910: yukikaze :2020/11/23(月) 14:47:16 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
とりあえず上述の重巡が完成したんで投下。
46センチ砲戦艦何時になったらできるんだろ・・・

妙高型重巡洋艦

排水量 19,000t
全長 218.4m
全幅 24.8m
吃水 7.3m
主缶 ロ号艦本缶4基
主機 艦本式ギヤード・タービン4基4軸
出力 136,000hp
最大速力  32kn
航続距離 18ノットで10,000海里
兵装 55口径20.3cm3連装速射砲 2基6門
    54口径12.7cm単装速射砲5基
    50口径76mm連装速射砲9基
    41式単装誘導式噴進弾発射機1基
装甲 舷側:100mm~154mm
   甲板:38mm~88mm
   主砲塔:50mm~200mm
乗員 1,850名
同型艦 『妙高』『足柄』『那智』『羽黒』『高雄』『愛宕』『摩耶』『鳥海』
    『古鷹』『青葉』『衣笠』『鈴谷』『熊野』『新高』『白根』『鞍馬』

(解説)
日本海軍が1940年代に建造・就役させた大型巡洋艦である。
日本海軍として初となるミサイル搭載型水上艦艇であり、巡洋艦としては2020年に至っても最大の排水量を誇る艦である。

数々の新機軸を組み込んだ艦であったため、就役当初はトラブルに見舞われたものの、優秀な防空火力だけでなく、指揮能力や対水上・対地砲撃能力にも重宝され、最終的には機関の老朽化が隠せなくなった1980年代まで第一線で働き続けることになる。

日本海軍において大型巡洋艦構想が打ち出されたのは1930年代初頭のことであった。
と・・・言っても、ミサイル搭載だとかそういった話は影も形もない。
この時期の爆撃機や攻撃機の速度は300km~400km程度であり、従来の高角砲や機銃で対応可能であったからだ。(なお、他国においてはこの時期は200km~250km出せれば優秀である)
では何故大型巡洋艦が必要であったのか?
それは日本海軍の外洋海軍化の影響に他ならない。

第一次大戦における連合国の敗北と、1920年代の北米分裂により世界環境は大きく激変した。
日本とてその影響から逃れられるわけではなく、気づいた時には、西はインド洋、東はアメリカ西海岸までの海域をほぼ独力で安定させなければならなくなったのである。
日本及びその勢力圏の維持・繁栄のためには、避けることのできない決断であった。

そしてその変化をまともに受けたのは、現場で汗をかく羽目になる日本海軍であった。
1920年代、彼らが熱心に整備を進めたのは、空母であり軽巡洋艦であり外洋でも戦える駆逐艦であり、何より安価で扱いやすい巡視船であった。
空母によって洋上索敵の手段を確保し、巡洋艦以下の猟犬によって安全を確保させる。
対馬沖の栄光にばかり目を向けていた士官層が、場合によっては海軍から放逐されるという荒療治が発生するなどの混乱はあったものの、「通商路防衛」という海軍の本義に、彼らは立ち戻ることになるのだが、そこである一つの問題が発生することになる。

『艦隊指揮能力を持つ手ごろな艦艇の欠如』

艦隊のワークホースとして建造された球磨型軽巡洋艦は、確かに水準を満たした性能を有していたものの、その指揮能力はあくまで戦隊レベルにとどまっていた。
しかしながら、日本海軍が防衛する海域は広大であり、必然的に複数の戦隊を束ねて運用しないといけない場面が増えていたのである。
これに対し、日本海軍としては、山城型戦艦や特設巡洋艦を指揮艦として改装するなど対応したが前者は任務の性質上過大であり、後者は居住性等は好評であったものの、防御が脆弱すぎて不安視されるなど、帯に短し襷に長しという状況であった。

そのため日本海軍においては、艦隊指揮能力を強化した大型巡洋艦の整備を求めることになる。
無論、主力となるのは比較的安価な軽巡洋艦であり、大型巡洋艦についても、可能な限りコストを下げるように注力することになる。
海軍としては性能もさることながら、航路防衛に必要なのは『数』であることを骨身にしみて理解していたのである。
実際この時期試案として出されていた巡洋艦のスペックは、『基準排水量12,000t 15.2cm3連装砲4基 12.7cm連装高角砲6基』という、後から見れば比較的おとなしい艦であった。

だが、この計画は、共産陣営とドイツ第二帝国陣営の手によって木っ端微塵に粉砕されることになる。
まず先陣を切ったのは共産陣営で、彼らは1930年代前半に基準排水量13,000t 速度32ノット 45口径25.4センチ砲連装砲3基搭載した、装甲艦『カウンティ』級を就役させ、英米仏合わせて20隻近く建造することを宣言してのけたのである。

911: yukikaze :2020/11/23(月) 14:48:25 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
この発表は、ドイツ海軍に深刻なまでの危機感を持たせることになるのだが、日本もまた他人事という態度をとる訳にはいかなかった。
この時期、中東及びアフリカのフランス植民地において、共産主義者による扇動が頻発しており、亡命フランス政府内においても内部対立からの分裂要素が見えるなど、不安定さが増していたのである。
仮に東アフリカや中東地域が雪崩を打って共産勢力にたなびいた場合、日本の通商路に多大な影響を及ぼすことは間違いないのである。

そう考えた場合、カウンティ級装甲艦は、通商破壊艦として考えた場合厄介な存在であった。
山城型にしろ長門型にしろ、腰を据えて戦えば確実に相手を爆沈させてのけるのだが、どちらもカウンティ級と比べると速度が遅く、航空戦力で封殺しようにも数が足りないという問題が生じるのである。
無論、試案で出された巡洋艦の速射性能で穴だらけにするという声もあったが、その前にこちらが大ダメージを食らいかねない(発射速度はこちらが上だが、射程や1弾当たりの威力は確実に相手が上)ことを考えれば楽観視する方が無理であった。

これだけでも頭が痛かったのに、それに輪をかけて頭痛を覚えさせたのがドイツ第二帝国のZ艦隊計画でありそこで建造されるプロイセン級及びベルリン級重巡洋艦16隻であった。
プロイセン級は、20.3センチ砲連装4基8門ではあったものの、手堅くまとまった設計であり、その砲撃強化型であるベルリン級は、28センチ砲3連装2基6門と、カウンティ級と互角以上に戦える艦とみなされていた。そしてドイツは、ベルリン級1隻に対しプロイセン級3隻を組み合わせることで、こちらも通商破壊部隊として無視できぬ戦力を構築しようとしたのである。

カウンティ級までなら試案巡洋艦で対応できるとした面々も、このドイツ第二帝国の方針については対応が困難であると言わざるを得なかった。
カウンティ級は排水量の問題から、15.2cm砲でもダメージを与えられるとみられていたが、プロイセン級については20.3cm砲対応防御であることが確実視されていたからだ。
伝統的にドイツ艦艇は防御重視であり、15.2cm砲では対応が不可能であると判断されても仕方がなかった。
何より、共産勢力にしろドイツにしろ大型巡洋艦を大量に導入しようと動いている以上、当初考えていた大型軽巡洋艦を少数導入するという計画そのものが現実的でないという点は大きかったのだが。

もっとも、計画を変更したからと言って、課題は山積みであった。
まず重要なのは「性能をどうするか?」という点と「何隻建造するのか?」という点であった。
後者については「最低でもドイツと同じ数は必要である」ということから、16隻という数字が固まることになるのだが、問題は前者であった。

最も有力視されていたのが、ドイツと同じく基準排水量で14,000t程度で、20.3cm砲3連装3基9門とする艦であった。この能力だと、カウンティ級やプロイセン級が相手でも十分に殴り合いをすることが出きるし、取得コストとしてもそれほど問題がないという主張は、主にコスト面で賛同を得ていた。

一方、ベルリン級を危険視している面々は、基準排水量を2万トン級近くする代わりに、45口径30.5センチ砲を6門備えた艦こそ必要ではないかと論陣を張っていた。
確かに第一案はカウンティ級やプロイセン級と互角に戦えるかもしれないが、ベルリン級相手だと一方的に撃ち抜かれかねない危険性を有しており、質的劣勢は免れないとしていた。
それならばこちらも、運用実績のある30.5cm砲を搭載することで、ベルリン級に対して質的な均等性を有しておこうと判断したのである。

これもまた間違いではないのだが、この場合の問題点は、第一案と比べると確実にコストがかかることと、防御については対20.3センチ砲のままであることから、かつての巡洋戦艦と何が異なるのだという意見が出されることになる。特にコスト面においては、第一案と比べると2倍近いという試算が重くのしかかることになる。

この両案に対し新たに表れたのが第3の案であった。
彼らは、第2案の人間の心配に同意するも、コストの問題は無視できないとして、1弾当たりの威力ではなく、時間単位当たりの投射量を増やすことによってベルリン級を凌駕してはどうかと提案。
そしてその解決策として、高角砲において研究が進められていた自動速射砲を採用することによって、艦の肥大化とコスト増を抑えるとともに、ベルリン級を凌駕する性能を付与すればどうかと提案したのである。

この提案に対し、第一案を推していた面々は、第一案よりもコストが1.5倍であることに難色を示したものの、一方でベルリン級への対応も可能であることから、基本的に了承。第二案を推していた面々も、自分達の問題を解決できる提案であったことから、第三案に対して賛同を示すことになる。

912: yukikaze :2020/11/23(月) 14:48:57 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
だがここで更なるどんでん返しが起きることになる。
震源地は兵部大臣である米内光政。彼は海軍側がまとめた試案を一瞥するや、「これでは今後の戦場では戦えない」と評価。唖然となる海軍関係者に対してある試験結果を渡すことになる。
これこそが『日本海軍の軍艦を最も多く撃沈した機体』と揶揄されることになる越山重工業製先進技術実証機。コードネーム『心神』。1936年当時世界最初のジェットであり、史実ではF-86と呼ばれる機体であった。

『心神』は化け物であった。
あくまで先進技術実証機でしかなかったのだが、テストパイロットとして操縦した下川万兵衛大尉が「越山はなんちゅうもんを作ったんじゃ」と半ば呆れたような声をだし、技術者達に対して「お前らの大将は一体航空機の歴史を何度塗り替えれば満足するんじゃ。それはそうとこいつの戦闘機型をさっさと作れ。これはとんでもない駿馬じゃ」と、太鼓判を押す程の性能を発揮していた。
この時期の日本軍の最新鋭機である34式艦上戦闘機の速度が560km。その改良型として実戦配備されようとしているのが600km前後であったのに対し、『心神』の速度は900kmを超えていたのである。
下川ならずとも驚き呆れそして狂喜するのも当然であった。
勿論、燃料消費の問題など、初期ジェットの問題は有していたものの、それが些事に見えるほどの高速力、加速力、上昇力を備えていたのである。
倉崎御大が『後5年待っていてください。皆さんが満足いくジェット戦闘機と攻撃機をお見せします』という宣言に対し陸海軍の航空士官の面々が「あんたほどの実力者がそういうのならそうなんじゃろう」と、疑いもせずに受け入れるなど既に陸海軍の現場では、1940年代初頭からはジェット機が主力であるというコンセンサスができるほどであった。

そしてこの事実は、海軍の艦艇整備計画を根底から吹き飛ばす代物となった。
当然であろう。世界最高の航空機設計者が、5年後には天空を音速で飛翔する化け物を実戦配備させると明言したのである。
無論、日本に敵対する各国が、ジェット機を同時期に配備できるかといえばそれはあり得ないと言えるだろうが、一方で時間はかかるかもしれないが、相手方もいつかはジェット機を配備する未来が訪れるということでもあった。
つまり海軍としては、否応もなく「ジェット機に対応できる艦艇」を整備することを考えねばならなくなったのである。
しかも、倉崎の言葉を信じるとするならば、今後ジェット機は確実に速度が音速の2倍に、重量や大きさも拡大するというおまけ付きで。
海軍技術本部の上層部が「戦艦が異常進化した1910年代の時思い出したわ」と、半ば遠い目で述懐するのも無理はなかった。
(無論、ジェット機対応の空対空装備や空対艦装備の開発が必須となった航空技術本部の混乱具合に比べればはるかにマシではあったのだが)

とはいえ、海軍側にとって幸いであったのは、彼らの手元にはジェット機に対応できるカードが揃いつつあったことであろう。
防空火力の向上策として開発が進められてきた自動速射砲は、試作段階から実戦配備段階へと移行していたし、それを十全に使用するための射撃用電探や近接信管についても、2年以内には実用化の目途が立っていた。
そして高高度重爆撃機迎撃用として陸軍と共同で開発を進めていた地対空誘導式噴進弾のデータを転用して、艦対空誘導式噴進弾(もっとも、公式文書ではともかく、余りにも堅苦しい訳語を嫌がったのか、技術者界隈ではSAMと呼称しており、後年では公式文書でもSAM○○型と記載されることになる)の実験を、兵装実験艦となっていた『大和』で行うことの計画が進められようとしていた。

『今後、建造される艦艇については、少なくとも巡洋艦以上は、ジェット機への対応を考慮すること』

この米内の通達に対し、海軍側も了承することになり、重巡洋艦の要求項目を改定することになる。

以下、本型の性能について説明する。

主砲については前述したように、55口径20.3センチ3連装速射砲を前部2基6門搭載している。
当初は後部に1基搭載し、3基9門艦とする予定であったが、SAMの搭載場所の確保のために後部主砲搭載は諦めている。
無論、砲戦派からは不満の声が上がったのだが、それでも1門辺り毎分10発、毎分60発の砲弾が敵艦に叩き込まれることになることから、砲1基減じても、プロイセン級相手には有利に戦えると判断されていた。

913: yukikaze :2020/11/23(月) 14:49:40 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
なお装填機構についてであるが、同砲では、せり上げ式に持ち上げられた砲弾を、砲の後方ではなく砲の俯仰軸に持っていくようにした。
砲弾は、揚弾筒の最上部で、俯仰軸と同軸に設置されたスイング・アーム式のクレイドル(カゴ)に取り込まれ、砲身の仰角に合わせた角度に振り出されて、砲身後方にあって砲架と一体化された装置に渡される。
頭からクレイドルに入った砲弾は、お尻から装填装置の回転トレーに移される。
装薬もしっかりとした薬莢に充填され、艦の最下層にある火薬庫から、回転ドアを介して1門づつに備えられている専用揚薬筒で砲身の左側に上がってくる。
これもせり上げ式になっており、スイング・アーム式のクレイドルに取り込まれると、砲弾と全く同じ要領で、砲身と仰角を揃えられ、砲身の左側に沿って後方へ押し出され、装薬用の回転トレーに渡される。
この時、砲身の左右に上がってきた砲弾と薬莢は、砲弾が前側、薬莢がその直後に、ちょうど装填に合致した位置へ並ぶように配置されており微調整は必要ない。

砲身の中央後方には装填トレーがあり、最後尾にチェーンラマーの頭部がある。
このトレーには、砲弾と薬莢が直列に並べられるだけの長さがあり、回転式トレーが回ると、砲弾と薬莢は左右から装填トレーに移り、一直線に並ぶ。下へ開く垂直鎖栓式尾栓が開放されれば、ラマーが進んで装填は一気に完了する。
例え大仰角であっても、尾栓の一部が薬莢を支える位置にあるため、砲弾薬の滑落の危険性はない。
発砲で後退する砲身は、装填装置と一体になっているので、トレーの移動などは必要なく非常に素早い装填が継続できるようになっている。薬莢のトレーには、空薬莢を受ける別なトレーが付属しており、発砲後に吐き出された空薬莢を受け取ると、次弾装填時に一緒に回転して空薬莢を排出装置に渡すことになる。

本砲塔では、前述したように各砲身の左右にスイング・アームが設けられており、これが砲身と附仰軸を共用しているため、砲身がどんな仰角であってもほぼ一定の速度で装填が可能であり、人力での給弾や装填操作は全くない。
唯一、砲弾を揚弾機口にまで運ぶ運搬装置のみ、操作員が必要とされる事と、使用した弾薬の補充に人力が関わる程度である。
勿論、これだけの機構を備えている以上、砲室やパーペットの拡大が必要であり、砲の肥大化も免れていない。
また、搭載砲弾数は1門辺り150発程度であり、それ程多くないことから、全力射撃した場合、15分で撃ち尽くすことになる。

なお一部には同砲を限定的な対空砲として使用してはどうかという意見も出たが、ジェット機相手には全くの無意味であるとして、構想段階でバーストしている。
余談ではあるが、仮に同砲を対空射撃にも使えるようにした場合、対空射撃と対水上・対地射撃の両方が完全に出来る、全く新しい方位盤と測的・射撃盤が必要となることから、確実に就役が遅れることが予想されたことも、同砲を対空射撃に使うことを諦めさせる要因となった。(一応、対空速射砲用として、電探盲従式で省力化された射撃指揮装置も開発されていたのだが、殴り合いで電探が破壊された場合の砲撃力の低下を嫌った艦隊側が、主砲においては光学照準射撃も重視するよう要求していたことが大きかった。)

副砲については、日本海軍の駆逐艦用主砲として開発が進められていた54口径12.7cm単装速射砲を採用している。
同砲は、毎分30発近い射撃を継続できるよう、揚弾薬作業を機械化している。
具体的には、最下部の弾火薬供給所においては、弾火薬倉から取り出された砲弾・薬莢が人力でドラム型弾倉に装填される。
弾倉に装填された弾薬は、一体となって上部揚弾薬機まで垂直揚弾されたのち、回転式移送装置により、砲塔に従属する(砲塔とともに旋回し、発砲方位に向いている)揚弾薬機に移送され、砲塔内に垂直揚弾されている。
これにより、従来利用していた40口径12.7センチ砲の1.5倍の防空火力を有することに成功している。
同砲は、2番主砲と艦橋の間に1基、片舷に2基づつ備えており、船の4時から5時及び7時から8時までの方角以外については濃密な火力を発揮させることに成功している。(上記方角については、砲の旋回の問題から、1門しか火力が発揮されない)

914: yukikaze :2020/11/23(月) 14:50:17 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
また、従来、中距離用として利用されていた40mm機関砲についても、ジェット機への対応には足りないとして、こちらも50口径76mm単装速射砲になっている。
同砲も、尾栓機構後部、砲尾両側にはロータリー式の自動装填機構を有している。
砲側の装填手は、2名ずつが左右両側に配置されており、砲架の後部に設置された回転式弾倉から弾薬を取り出し、自動装填機構に装填する。装填された弾薬は左右交互に、砲の中心線上にある運弾樋上に落とされ、薬室内に装填される。
砲の発射速度は、毎分45発という凶悪な代物であり、1960年にアメリカ共和国と共同して開発した62口径76mm自動速射砲採用以降も、補助艦艇等では現役であった。
もっとも、給弾は人力であり、発射速度を維持できるかは砲員の技量と体力に左右されるため、『海軍でも最も過酷な部署』とまで言われることになる。
これについては片舷3基づつ、艦首に1基、艦尾に2基備えており、防空火力の死角をなくそうと配置されたものの、艦首及び艦尾はとにかく酔いやすく、特に冬場の艦首側は『絶対に行きたくない』と言われるほど不人気な配置であった。)

そして、本型の最大の特徴である41式単装誘導式噴進弾発射機である。
後部甲板に設置された同機構はやや複雑であり、船体下部に搭載されたSAM1型を中甲板下にある換装室まで運ぶ揚弾筒があり、換装室に運ばれたSAMは、そこでユニット化されたブースターを半自動で取り付けられ、41式単装誘導式噴進弾発射機に繋がる別の揚弾筒で揚げられることになる。
(なお揚弾筒は、せり上がり中は開口部のシャッターは自動的に閉じられ、防火対策が取られている。)
これは、砲戦における被弾の被害の局限化を進めるための物であったのだが、実際には過剰ともいえる内容であり、装填速度の減少(初弾発射から再装填まで40秒ほどかかっている)が問題視されるなどしたことから、1960年代の大改装時に、甲板直下にミサイル弾庫を移動させ、同時に後部甲板の一部をブローオフパネルにして艦内被害の局限を計っている。
なお、この大改装により、当初40発程度だった搭載量は60発に増えており、これが同型の延命につながっている。

ちなみにSAM1型は史実テリア、SAM2型が史実ターター、SAM3型が史実スタンダードとなるのだが、妙高型は当初はSAM1型、大改装以降は3型を搭載している。なお、兵部省は誘導式噴進弾について愛称をつけており、基本的に空対空ミサイルは『剣』、地対空ミサイルは『弓』、艦対空ミサイルは『光』、対艦ミサイルは『花』、対地ミサイルは『名刀の名前』などとしているが現場ではほとんど使われておらず、大抵英語の略称で終わらせている。
もっとも、陸上から発射されるミサイルと艦上から発射されるミサイルは、英語での略称が同じであるため、こちらについては陸上使用の分だけ愛称で呼ばれたりしている。

防御については、史実デ・モインのそれと同じである。
史実日本海軍と違い、敵部隊への水雷攻撃を行う際の火力支援及び盾役という役目がないことから、純粋に中距離での砲撃戦に適したスタイルを採用している。
舷側に使用された152mm表面硬化装甲は傾斜こそ無いものの、8インチ砲にある程度耐えることが出来る防御力を持つ。  
装甲範囲も広く、対巡洋艦戦用としては十分な能力を有している。
一方で水平装甲には、巡洋艦としては異例の重装甲を施している。
装甲帯の上端に接続する中甲板に89mmの均質装甲を配置、さらに一段上の甲板にも25mmの装甲を持つなど、他国の重巡洋艦と比べるとその差は顕著である。(重装甲と言われたプロイセン級でも30mm+50mm)

機関については、この時期の日本海軍のハイパワーユニットと言っていい、艦本式タービン152,000馬力をデチューンしたものを利用している。これは、機関の寿命を少しでも長く伸ばすためと、速力の要求を緩和したことによるものであったのだが、同艦のボイラーは、主力駆逐艦用のボイラーとして開発されていた蒸気圧力40キロ/平方センチ、蒸気温度370℃の高温高圧缶を採用している。
なお、機関配置はシフト配置を採用しており、対水雷防御にも注意を払っている。

915: yukikaze :2020/11/23(月) 14:52:29 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
艦橋は、艦隊指揮を執ることを求められていたこともあって、比較的大きな構造物となっている。
マストについてはラティスマストを採用し、煙突も集合煙突として1本にまとめるなど、ミサイル用のイルミネーターの搭載場所を確保するために、様々な苦労をすることになる。

同型は、1941年から毎年4隻づつ建造されており、1948年までに16隻全艦就役されている。
これはドイツのZ艦隊計画が1947年には完成されることが確実視されていたからであり、最後の4艦については、国際情勢の悪化に伴い、就役時期を繰り上げるなど、戦時建造に等しい状況で完成をさせている。

同型は、第二次大戦中最大級の海戦であったアデン湾沖海戦や、ソコトラ島の補給を巡っての第一次~第三次ソコトラ島沖海戦において、想定通りの働きを示し、特に第三次ソコトラ島沖海戦においては、ベルリン級重巡洋艦に対して『高雄』『愛宕』両艦による射撃により『ウィーン』を撃沈してのけたことが、同島占領の決定打となっている。(なお、第三次ソコトラ島沖海戦での勝利要因については、艦艇の指揮能力機能や射撃用電探の差などが大きな要因とされている)

1970年代後半から就役した『金剛型』重巡洋艦が就役して以降は一線を退くことになったが、それでも小規模紛争においては同艦の砲撃力と対空性能は砲艦外交として役立っており、武勲艦であった『妙高』『高雄』『愛宕』『熊野』に関しては記念艦として保存さることになる。

916: yukikaze :2020/11/23(月) 15:02:05 HOST:p312209-ipngn200406kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。
コンセプトは『デ・モイン級をボストン級ミサイル巡洋艦のように改装したらどうなる?』というもの。

カイザーライヒverだと、日本が戦艦戦力が圧倒的なため、重巡戦力を水雷戦隊の襲撃役に使うというコンセプトそのものが発生しない可能性が高い訳で。(酸素魚雷も開発されるか不明)
そうなると、日本海軍は重巡よりもコストの安く数の揃えやすい軽巡を揃えるよなあと。

じゃあ重巡が必要な場面って?
そう考えた場合、必要になる局面って「相手が持っているからその対抗策」でしかなくそして相手が大量建造するんならこっちもやらざるを得ないと。
16隻建造はちょっと想定外でしたが。

で・・・それだけ作ったんだったら、すぐに陳腐化するのはやだよねということで最初からCG化すりゃあいいじゃんと。
これにより防空もできれば対地攻撃にも使える艦が完成と。

まあこいつ退役したら、対地火力が激減しますんで、そこら辺どうするかという問題ありますが。

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最終更新:2020年11月25日 20:38