608: 弥次郎 :2020/11/21(土) 00:35:47 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

日本大陸SS 漆黒アメリカルート ネタ「すなわち、神明決裁」



 第二次世界大戦と呼称させる、世界を巻き込んだ大戦争。アメリカ合衆国という国家を文字通りの意味で滅ぼさんとした日英の戦争。
その戦争は、紆余曲折を経ることにはなったのだが、天秤はおおむね日英陣営の勝利へと傾いていった。
無論、それが戦争そのものの勝利であり、合衆国のミームなどを含めた「絶滅」させるという目的においてはまだとっかかりにすぎないのだが。
ともあれ、そんな戦争後期においては、アメリカ合衆国では「正規兵」の積極的な戦線投入が行われるようになった。

 誤解を避けるために言うが、便衣兵を積極投入していたわけではなく、いわゆる備品を用いていて、それに加えて人間の兵士を投入するようになったのである。
無論、これまでは合衆国も人間の兵士の投入は行ってきていた。しかし、コストの高い正規兵を失うことを嫌った合衆国は一定の割合で押さえていたのだ。
正規兵、すなわち備品ではない人間の兵士を投入する他国と比較すれば、戦死しようが何をしようが、コスト面では被害が小さい。
よって、消耗戦となった場合には自国に有利だ、という戦略に基づいた判断だった。
 しかし、打算と計算そして彼らは認めはしないだろうが楽観の混じったその戦略は当然ながら破綻した。
たかだか兵士の消耗や国力の消耗程度で日英陣営が戦争をやめてやる理由など存在していなかったのだ。
ここでたたかねばいつ叩くのか、これまでシヴィル・ウォー以来積み重ねられてきた積年の恨みつらみをどうしろというのか。
合衆国が理解しえない、きわめて感情的な問題もあって、日英陣営は決してひるみも打算もしなかったのだ。
 よって、投入される兵器の質の差、数の差、さらに元々あった国力の差もあって、合衆国は追い詰められていく。

 そして、使い捨てにできる備品が払底した時、合衆国は正規兵の乗る戦闘機や戦車の調達さえおぼつかなくなりつつあった。
無理もない。世界の海を二分し、世界の経済の過半を握り、資源地帯を抑え、発言力は極めて大きい日英同盟が相手なのだ。
 それは開戦時から行われてきた戦略攻撃に始まり、物理的な海域封鎖や資源の調達先の制圧などによって合衆国は戦う武器をそろえられなくなっていた。
無論のこと、備蓄されていたものを使うことで最低限は維持できていたが、いかに効率化と資源再利用を繰り返そうとも、資源は減り続けていく。
いや、むしろ、計画されていたものを実行しようとすると、計画時とは異なる状況故にかみ合わず、合理的に回せなくなる始末であった。
合衆国の想定は総力戦であっても、どうしても限定戦争に域から脱却しきっておらず「被害が重なれば日英も手を引くだろう」という楽観があった故だった。

 当然の帰結として、合衆国は必要となる資源の徴発を開始した。
 それは「備品」だけではなく、各種資源を含む機械や道具、細かなものまでさまざまに。
 だが、所詮は民間に眠る程度のレベルしかない。もとより民間市場というものが国家規模に対して小さい合衆国の保有量は少ないのだ。
 途方に暮れる合衆国軍は、しかして対応を求められる。連日の攻撃に対して手を撃たねば市民は死んでいくし、スポンサーたちもうるさい。

609: 弥次郎 :2020/11/21(土) 00:36:18 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

 そして、ある資源を活用する、という選択から合衆国の正規兵たちは備品たちの兵器を使うという苦渋の決断を下すことになった。
もとより高度な操縦や操作などを求めていないがゆえに、省資源であり、低コストの兵器ばかりであったのだ。
つまり、この追い詰められた台所事情の合衆国でも一応配備は可能であり、運用は可能ということ。
おまけに訓練期間を短くせざるを得ない徴兵された新平たちでも扱うことはたやすく、譜面上の戦力をそろえるのは簡単であった。
 だが、それはあくまでも場をつなぐもの、あるいは数合わせでしかないものだった。すなわち、進化と増産を続ける日栄に対して勝るところがない。
元々、弾除けや敵の消耗を誘うためのものをいきなり正面戦闘に用いたところで、挙げられる戦果などたかが知れているわけである。

 では、こんな状況下で、これまでの合理性というモノが脆くも崩れ去ってしまっている合衆国軍では何が起こるだろうか?
簡単なことである。貴重な正規兵向け兵器の奪い合いであり、備品向けの兵器の押し付け合いである。
合理的戦略、冷静な判断力、状況に合わせた適応。合衆国が持っていた強みは、とうの昔に消え去っていた。
残されたのは極めて人間的な---非合理的な判断であった。海軍におけるナンバーズ・フリゲートの誕生の経緯を振り返れば、むベなるかな、というところ。
 ともあれ、どこにどれだけの戦力と数合わせを配置し、どのように防衛するべきであるか、骨肉の争いにまでなりかけた。
無論のこと、重要都市に優先配置という合理的な判断がされはした。だが、それの実現が一苦労であったことも事情をややこしくした。
つまり、工業地帯は優先して叩かれるし、輸送のための要衝は攻撃されるしで、必要なところに必要なものが届かないこともあったのだ。
計画通りにならないがゆえに、それ以外に適応しにくい合衆国軍はどうするかを考える余裕をなくした。
 そして、それは何も上層部に限った話ではなかった。戦術レベルや戦闘レベルにおいても、兵士の間で奪い合いに発展したのだ。
誰が生き残る可能性が高い兵器を使い、誰が外れを押し付けられるのか。練度や慣熟度で区別することもできただろう。
だが、人間、そう理性的になれるものではないし、「人間」の自分たちが「備品」と同じものを使うということに心理的抵抗があった。
殊更に、いざとなれば備品のものも活用することを受け入れられる訓練を経た軍人ではなく、徴兵された新兵においてはよく見られたのだ。

 そして、ここから合衆国は思わぬ方向へと舵を切る。
 どうしても感情的な激突は避けえず、互いの正当性や合理性の衝突が発生し、決着がつかない。
 では一体、どうやって納得を得るのか?
 それは、恣意的な要素が混じるかもしれないが、少なくとも不毛な議論をするよりもはるかにマシな方法。
 それを日英陣営が知ったのは、いったいいつのことであったかは定かではない。だが、確固たる情報として、呆れと共に報告されることになる。
実際に使われたであろう「現物」が発見され、さらには「証言」も得られたことでそれは確信となった。

 すなわち、籤引である。

 関わる人間が確認可能で、不正をするとしても防ぎやすく、運がほぼすべてを決定づけるそれ。
 誰かが決めるのではなく、偶然が決定することにより、誰も誰かを攻めたり不満を述べる余地をすべて切り捨てられる選択。
 合理的とはいいがたい選択であるが、そうであるがゆえに、納得を生み出すという合理的手段であった。

 それらは呆れと共に戦後も語り継がれることになる。
 合理性を謳いながらも、そんなものに頼らなければおぼつかないほど実情は情けないものだったのか、と。

610: 弥次郎 :2020/11/21(土) 00:36:55 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

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追い詰められた末期は、それゆえにこういうこともあるかなって…

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最終更新:2020年11月25日 21:51