688: モントゴメリー :2020/11/23(月) 20:39:59 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
FFR神話——生者の指揮権はリシュリューへ、死者の指揮権はオセアンへ——
「生者の指揮権はリシュリューへ、死者の指揮権はオセアンへ」
これはフランス連邦共和国(以下、FFR)の死生観を表す最も有名な言葉である。
端的に言うならば、この身果てるまでリシュリューの旗の下で戦い、この身果てて魂のみとなってもオセアンの旗の下で戦い続けて祖国を護る、
という意味である。
日本の「七生報国」思想に近いと言えるかもしれない。
FFR国民にとって、リシュリューが最高神であるならばオセアンは冥界を司る女神なのである。
何故このような特異な思想…否「神話」が生まれたのであろうか?
その答えを知るためには、やはりFFRの歴史を振り返る必要がある。
この神話の源流を求めると、まず一つのエピソードにたどり着く。
1950年代後半、エストシナ地域内陸部境界線付近で中華中央の勢力と小規模な軍事衝突が発生した。
無論、これだけならば「日常の一コマ」で片づけられる現象である。しかし、この時は様子が違った。
FFR陸軍の1部隊が的中に孤立、包囲されてしまったのである。すぐさま増援部隊が組織されたが、天候の悪化により出撃することができなった。
彼らが奴らに捕らわれたらどうなるか…。その末路を知る故に行軍中の犠牲を覚悟して出撃しようとした矢先、通信が入った。
「救援は不要なり。我らこれより『元帥』の指揮下に転属せんとす」
天候が回復した翌日。救援部隊が現場に到着すると、焼け落ちた即席陣地の中に彼らの亡骸とその周辺に散らばる数倍の敵兵の死体を発見した。
現場検証の結果、陣地は内部から爆発したと判明し、彼らは人間としての尊厳を守り抜いたのだとわかった。
この壮絶な最後は本国においても大々的に報道され、それと共に「『元帥』の指揮下に転属する」という表現も広く浸透した。
FFRにおいて元帥とは『フィリップ・ペタン』ただ一人。彼の下に行くということは「あの世に行く」という意味に他ならない。
が、「指揮下に転属する」という言葉に込められた意味はこれだけではない。
指揮下に転属するとは、すなわち「あの世に行っても今生と変わらず祖国のために戦い続ける」という意味になるのである。
以後この表現は陸軍将兵の間で広く用いられるようになり、特にエストシナではその傾向が強かった。
689: モントゴメリー :2020/11/23(月) 20:41:12 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
そして60年代にあの出来事が起こった。
1962年のオセアンに対する「作戦終了」電文の発信と、それによる各種心霊現象の鎮静化である。
それまではオセアンは「呪われた戦艦」、「フランスに恨みを抱く戦艦」などと呼ばれ、恐れられる存在であった。
リシュリューがFFRの「正」の象徴ならば、オセアンは「負」の象徴であったと言えるだろう。
後のリシュリューとオセアンの「二元論」的考えの源流はこの時点で存在していたのである。
しかし、先の電文による出来事でその評価は一変した。
——オセアンはフランスを恨んでなどいなかった。それどころか、死してなおフランスのために戦ってくれていたのだ——
オセアンは恐れられる存在ではなく、フランスの誇りとなり、「国民の模範」とされるようになったのである。
国民たちの目には「死してなお戦う」という行為の具体例に映ったのである。
この時、既にリシュリューの「神話」が創られてより10年以上の月日が経っていた。
初等教育から神話を聞いて育った子供たちが成人して社会に出るには十分な時間である。
彼らにとって、オセアンはリシュリューと同じ「神話」に登場する神々となったのである。
この考えはエストシナ地域で生まれ、そこに派遣され帰還してきた兵士たちによってFFR
全体に広まっていった。
ジョルジュ=ビドー大統領以下FFR政府もこの思想の潮流を把握してはいた。しかし、具体的な行動は何も起こさなかった。
政府として肯定はしないが、否定もしなかったのである。
危険思想という訳ではないし、国民統合のための「プロパガンダ」を補強してくれるのならばむしろ好都合。
かすかな違和感を感じながらも、ビドー大統領たちはそう判断したのである。
思えば、ここがFFRの「国民宗教」の軌道を修正する最後の機会であったのであろう。
その後、1980年代に入りリシュリューの「美魔女化改装」が実施され、ビドー大統領たち戦前世代が第一線を退いた時。
神話は急速に発展し、より強固なものへとなっていった。
リシュリューがフランスの最高神へと昇華されていくに従い、その「対」となる存在であるオセアンの再定義も進められた。
——リシュリューが生者を統べる女神ならば、オセアンは死者を統べる女神である——
ここに、オセアンの女神観は完成した。
「死者を統べる冥界の女神にして、『元帥』の墓標を護る者」
と。
死したフランス人はオセアンの御許へ行き、彼女の旗の下で再びフランスのために戦うのである。
690: モントゴメリー :2020/11/23(月) 20:42:15 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
こうして冒頭で述べた「生者の指揮権はリシュリューへ、死者の指揮権はオセアンへ」という死生観が完成した。
しかし、この時はまだ「国民宗教」の域であり、政府公認の「国家宗教」ではなかった。
ビドー初代大統領の後継者たちFFR政府も、もはやどうすることもできないとは解っていても最後の一線で踏みとどまっていた。
しかし、その抵抗も20世紀と共に終わる時が来るのである。
21世紀初頭、サン・シール陸軍士官学校の卒業式で学年主席が卒業生全員を代表した「宣誓の言葉」でこう述べたのである。
「我らは誓う。
『リシュリューの旗の下』で
エストシナの山峡(やまかい)からドーバーの海岸、アフリカの砂漠や原野に至るまで、
自己の全霊をかけて職務を全うし祖国の名誉と権益と市民の生命財産と共和主義を守ると。
この身、果てるまで。
そして、この身果てた後も魂は『オセアンの旗の下』に集い戦い続けると!!」
後世において軍人としてよりも偉大な政治家にして大統領として記憶されるこの金髪の女性の誓いを、軍と政府は拒否することはできなかった。
既に生中継で内容は全国土に放送されており、国民たちは万雷の拍手と歓声でその誓いを支持していた。
これを否定すれば「革命」が起こるであろう。
こうして、リシュリューとオセアンの物語は正式に国家公認の「神話」となったのである。
パリの凱旋門下には「無名戦士の墓」という慰霊碑がある。
1920年に設置されて以降、フランスのために戦い斃れていった将兵たちはここで弔われている。
それは現在でも変わらず、戦死者が出ればそれが1人であっても大統領自ら参列し弔辞を読む。
その末尾は必ずこう締めくくられる。
「オセアンよ。貴方の下にまた勇士の魂を送ります。
いつの日か、貴方の下で彼らと再び戦列を組む事を切に願います…」
また、海軍の艦艇が退役する際はそれが小型ミサイル艇であったとしても「退役式」が催され、やはり大統領が臨席する。
式の最後には大統領のスピーチがあり、最後は必ずこう締められる。
「〇〇(退役する艦艇の名前)は消滅するのではない。『リシュリューの艦隊』から『オセアンの艦隊』に移籍するだけである。
彼女はフランスの守護天使の一柱となり、永久(とこしえ)に我々を護ってくださるのだ…」
691: モントゴメリー :2020/11/23(月) 20:44:49 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
以上です。
ウィキ掲載は自由です。
前々から頭の中で燻っていたアイデアが
陣龍氏の>>629に対する>>630の返答でピシッと固まったので作成しました。
最終更新:2020年11月25日 21:59