719: yukikaze :2020/12/21(月) 20:04:22 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
おかしいな。なぜこんな船ができたのか?
豊臣夢幻会カイザーライヒverのお艦です。

実験用航空母艦『鳳翔』

基準排水量 21,600トン
常備排水量 22,600トン
満載排水量 26,500トン
全長 190.4m
水線長 181.2m
最大幅 35.1m(アンクルドデッキ含む)
吃水 8.4m
ボイラー ヤーロー式重油・石炭混焼水管缶25基
主機 パーソンズ式直結タービン(高速・低速)2組4軸推進
出力 42,000HP
最大速力 22.0ノット
燃料 重油:1,170トン 石炭:1,000トン 航空燃料:67トン
航続距離 16ノット/4,000海里
乗員 900名
兵装 40口径7.6cm単装高角砲4基
装甲
舷側:なし
甲板:38mm(主甲板)、38mm(飛行甲板)
搭載機数 36機(ただし固定装備はなし)

(解説)
1920年代中頃に日本海軍が初めて就役させた航空母艦である。
現代まで続く航空母艦の始祖ともいえる存在であると同時に、その数奇な運命から、日本海軍でも異色の存在として扱われている。

そもそも本艦の前身は空母でもなければ、日本艦でもなかった。
彼女の元々の名前は、ロシア帝国戦艦『ガングート』であり、ロシア帝国が日露戦争の痛手からようやく完成させたJ級戦艦であった。
そんな戦艦が何故日本にまで来て且つ空母になったのか?
全ての元凶は、アメリカ風邪とロシア革命にあった。

1916年秋にニューヨークで感染が確認されたアメリカ風邪は、瞬く間にアメリカとの商取引を活発化していた連合国側に蔓延。総力戦体制の下、配給制を余儀なくされた連合国側の銃後の民衆は、抵抗力が平時よりも落ちていたこともあって、子供と老人を中心に死者が増加。
前線での膨大な死傷者数も相まって、連合国内に厭戦気分が蔓延するのも当然な惨状であった。

それを示すかのように、国内での不満が増大していたロシア帝国において遂に革命が勃発。
当初はロマノフ王家の打倒で済むはずであったのが、戦争の継続の是非を巡って、ロシア国内で再度の革命が誘発(ただし、指導者と目されていたレーニンが先手を打たれて殺害されていたことや、トロッキーが逃亡先のニューヨークでアメリカ風邪に罹患し死去しているなど、結果的に革命は阻止されている。)するなど、ロシアの国内情勢は、当事者ですら不明という有様であった。(唯一共通しているのは「ドイツくたばれ」であった。)

そんな中、このロシアの状況に絶望を覚えていたのが、ロシア共和国政府内での権力闘争に敗れ、自ら志願して小艦隊を率いてイギリスに来訪していたコルチャーク中将であった。
コルチャークの目論見としては、英仏の支持を受けたうえで、共和国政府内での主導権を取り戻そうとしていたのだが、むしろイギリス側が、コルチャークに対して「ロシアは何とかならないのか?」と、圧力をかけている始末。この時点でコルチャークはイギリスに対しても見切りをつけていた。

とはいえ、現状のままであると、コルチャークにとっても碌なことにならないのも事実であった。
本国に戻ったところで、幸運に幸運を重ねて雀の涙の年金生活。普通なら、権力闘争の余波での粛清。まだしもイギリスでの亡命生活の方がマシなのだが、イギリスの銃後の不満を見る限り、ロシアの二の舞になりかねない危険性を持つイギリスになぞ、金を貰っても留まりたくもなかった。

では他に候補はというと、連合国側はイギリスと似たり寄ったりでダメ。同盟国側は論外。アメリカ合衆国はアメリカ風邪の発祥の地なので行きたくもない。
そう考えれば、もはや選択肢は一つしかなかった。

720: yukikaze :2020/12/21(月) 20:05:06 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
1918年1月。コルチャーク率いるロシア艦隊は、極東防衛の名のもとにポーツマスを出航。
イギリスに対して「駄目もとでもなんでもとにかく日本を連合国側に引きずり出さないと最早終わり。そして手ぶらで言ってもあいつらは交渉なんかしないので、艦隊連れて交渉する。イギリス艦隊もついていく? お宅うちより日本人に嫌われているって自覚ある? あとドイツがちょっかいだすだろ。やめとけ」と、半ば強引に説得しての出航であった。
無論、このコルチャークの行動は、イギリスにおいても不審の目で見る人間の方が多かったのだが、東部戦線から多数の兵が西部戦線に移動している情報をキャッチしていたイギリス陸軍省や外務省にしてみれば、うさん臭さ爆発であるとはいえ、コルチャークの主張に縋らざるを得ないという状況であった。

もっとも、イギリス側の懸念は当たり、5月に日本に到着したコルチャーク達の艦隊は、日本に対し亡命を申請。
既にカイザーシュラハトによってパリ前面まで押し込まれていたイギリスに、このコルチャークの行動を留めることなどできず、まんまとコルチャークに一杯食わされる形となってしまった。
余談だが、イギリス側の怒りは相当なものであったようで、駐日イギリス大使及びロシア大使は、コルチャークとその一党を『脱走兵』として引き渡しを要求。(コルチャークの艦隊が英本国艦隊指揮下にあったことから)日本側も「めんどくさいことに関わりあいになりたくない」ことから、引き渡す方向性で動いていたのだが、コルチャークを見て激高した駐日イギリス武官がコルチャークに対して発砲したことで日本政府の態度が硬化。
面目を失わされた日本政府側が「コルチャークのケガが完治し、かつ公平な軍事裁判が行われることが、第三国監視の下で行われることを確約しない限り引き渡さない」という宣言を出す羽目になる。

結局、1918年の連合国の敗北に等しい休戦とロシアのgdgdで、コルチャーク達はなし崩しに日本で生活できる許可(ただし政治的活動は一切厳禁とされた)を得たのだが、問題は艦隊の方であった。
戦艦1隻、装甲巡洋艦1隻、防護巡洋艦1隻、駆逐艦4隻も日本に抑留されることになるのだが、これの帰属権を巡って、ロシアの諸勢力がわれもわれもと主張しだしたのである。
滑稽であったのがウクライナ自治政府及びフィンランド大公国であり、どちらもドイツの紐付き国家であるのだがお互いが帰属権を主張しており、日本から「ドイツ人は内部の意見調整もできんのか」と、呆れられることになる。

日本にしてみれば「亡命時の所属がロシア共和国である以上、ロシア共和国に返すのが当然」と考えていたのだが、そのロシア共和国が分裂し、どれもが正統性を訴えているのだから処置なしであった。
結局、日本側はこれらの艦艇を適正価格で買い取ることとし、その代金については「ロシアの民衆が民主的に選んだ政府にお渡しする」と、スイス銀行にわざわざ引き渡し用の口座を作って振り込んだことで決着をつけている。
(ちなみにこの口座については、2020年においても、未だにロシア国内で帰属が争われており、スイス銀行に眠ったままである。)

かくして、ロシア帝国艦艇からロシア共和国艦艇に代わり、日本海軍艦艇に編入された『ガングート』であるが、編入された日本海軍において、「どうやって使えばいいんだこれ」と、頭を悩ませる羽目になる。
成程、主砲の門数は扶桑型よりも上ではあるが、艦体の材料に高張力鋼を採用して船体重量の軽量化を図ったものの、初めての採用であったため船体強度の計算に問題を起こしている。
そして、この時の設計ミスにより主砲斉射時には船体が耐えられなかった事が判明。
更に、浸水を防ぐべく舷窓を少なくする設計を前級から踏襲したために換気能力の低下をもたらし、冬季は保温に優れるが、夏場は通風不良によって乗員の体調を損なうという欠陥を有することや、日本の部品と規格があわないこと、更に同型艦がないことで運用がめんどくさいことなどもあって、海軍からは「屑鉄にして民生用に使用した方がマシ」という評価を受けるまでになる。
こうした状況から、他の艦同様、『ガングート』も早期退役が取りざたされたのだが(主砲だけは要塞砲に転用する意見もでたが、砲弾の規格が合わないことから取りやめになった)ここで声を上げたのが、海軍艦政本部及び海軍航空派であった。

721: yukikaze :2020/12/21(月) 20:05:46 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
何故彼らが「戦力として不適」と呼ばれた艦に注目したのか。
それは、この時期の海軍整備計画が原因であった。
大正7年度に海軍は、新艦種として『航空母艦』を作ることを計画し、計画通りに行けば10,000t級の艦ができる予定であった。
しかしながら、議会において重要視されたのは、長門型戦艦の追加発注問題であり、海軍は長門型戦艦の追加発注が認められた反面、航空母艦建造計画が流産する羽目になっていたのである。
まあ国会議員にしても、何者かもわからない空母よりは戦艦を優先するし、航空機のことを知っているもの好きな議員も実績のある水上機母艦の改装を進めたりしている状況であったのだが、海軍航空派にとっては出だしから躓いてしまうことになる。

それではと、海軍航空派は、輸送船を改装して航空母艦にしようと思ったのだが、これはこれでハードルが高かった。
何しろ空母に改装できる輸送船というのは、民間では優良商船の類なのである。
海軍にしろ民間にしろ、仮装巡洋艦ならともかく、改装したら元に戻らない艦に優良商船を渡すという選択肢に二の足を踏むのは当然であった。

勿論、旧式軍艦の改装というのは論外であった。
扶桑型の改装なんぞを言えば、海軍砲戦派の憤激を買うし、装甲巡洋艦などは容積という点で問題があった。
何より耐用年数という点で新造艦よりもコストが高いのも嫌われる要因であった。

そうした中で『ガングード』というのは体のいいおもちゃであった。
まず船体規模は戦艦であるが故にそこそこ大きかった。
建造も数年前であるためにほぼ新造艦状態。しかも改良したからと言ってどこからも文句の出る恐れはない。
唯一の欠点は速度の遅さであったが、あくまで本艦は次の空母に使うための実験用空母であったことから特に問題はないと判断されていた。

かくして『ガングート』は、実験用航空母艦『鳳翔』として生まれ変わることを余儀なくされる。
もっとも、全く違う艦種への転生は、関係者の想像以上に困難を生み出すことになる。

まず彼らが最初にやったのは、全ての武装と艦上構造物及び装甲板の撤去であった。
空母として使うにはこれらの戦艦時代の装備は不要な代物であったからであるが、一部からは「舷側装甲までなくすのはやりすぎ」という批判が出されることになる。
とはいえ、舷側装甲を新たに装着するとなると、予算が増えてしまうことや、この艦はあくまで実験艦であることを踏まえれば、やむを得ない決定であった。

次に彼らが行ったのは、船の最上甲板に支柱を立てるとともに、新たに飛行甲板を設けることになる。
当初は、戦艦の最上甲板を飛行甲板にしようという意見もあったが、後述するエレベーター問題の解決ができなかったことから、新たに飛行甲板を作ることになっている。
なお、元の船体が180m程度であったことから、飛行甲板の長さを少しでも長くするために、船体と飛行甲板を一体化したエンクローズト・バウを採用し、これは護衛空母を除く日本海軍航空母艦のスタンダードとなっている。
格納庫に関しては、トップヘビーの問題と、建造費用の圧縮も考慮されて1段としており、荒天時の波対策から、格納庫側面は波浪に耐えるだけの強度を確保するようにしている。

エレベーターについては、当初は旧砲塔部分に設置する計画が持ち上がったが、位置が悪かったことと、飛行甲板の利用幅を増やすこともあって、艦橋前後に2基サイドエレベーターを設置することにしている。
サイドエレベーターの開口部は、通常は波浪侵入防止用のシャッターで閉じられており、航空機の格納等時のみ開けられることになっていた。
当初は「開口部から光が漏れて潜水艦のいい的」と言われていたが、実際に使ってみると便利な機能であり、何よりアンクルド・デッキの採用と相まって、限定的とはいえ航空機の離陸と着陸の同時進行ができたことは、海軍航空関係者にとっては最大の成果と言える発見であった。

722: yukikaze :2020/12/21(月) 20:06:18 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
『鳳翔』最大の特徴というべきアンクルド・デッキであるが、こちらはある意味苦肉の策と言える代物であった。
まず元となった船体が短いため、どれだけ頑張っても飛行甲板の長さが190m程度。
現状の機体ならばともかく、10年後の機体では離着陸に相当の距離を取らざるを得ないという研究成果が上がったことで、少しでも飛行甲板を有効活用できないか議論していた際、ある若手士官が「いっそのこと、離陸については斜めで行ったらどうです? そっちの方が距離が長いですし」という、半ばやけくそじみた提案に、「それだ!!」と、造船技師が即興で従来の長方形の甲板に交差するような形で、斜めの甲板を書き加えた代物であったのだが、件の造船技師は、後の質問で「どちらかというと、右舷側にサイドエレベーターと艦橋を積んでいるので、左舷側にカウンターパートとして甲板を貼り出させた」と述べるように、艦構造物のバランス保持という側面から生み出されたものである。(それでもバランスが取れていたとはいえず、左舷側のバルジは、右舷側のバルジよりも大きくなっている。)
煙突については、艦橋と一体化した直立煙突になっており、気流の乱れが心配されたものの、実際にはそこまでの影響は起きていない。

なお、少しでも改装費用を下げるために、機関の改装はされておらず、水雷防御についても、バルジ内の液層防御に頼るという状況であり、艦の抗担性という点では落第点であった。
実際、速度の遅さは艦隊においては不満の的であり、『鳳翔』が遂に実験用航空母艦のままで終わった要因となっている。

搭載機数については、当初は『鳳翔』固定の航空隊とすることも予定されていたが、航空戦による消耗具合を考えて、『母艦航空隊』として編成することにしている。
格納庫に搭載できる数は1930年代初頭で36機(史実で言うと96式艦戦や97式艦攻の時期)と、やや物足りなさを感じるが、露天係止すれば48機と何とか及第点を得ている。

居住性については最優先で改善され、砲塔跡地の空いたスペースに搭乗員の部屋を増設するほか、前述の通風不良についても可能な限り改善されている。
実際、乗組員の部屋のスペースについては、日本海軍の中でも広い部類であり『鳳翔御殿』と、水兵達からの人気の的であった。

余談ではあるが、『鳳翔』の食事は、海軍でも評判の美味さであり、生鮮食品が少なくなり、缶詰や乾燥野菜を使った料理においても「おかんの味」と呼ばれるほど、丁寧な家庭料理が振る舞われるなど、食生活には特に気を使われたという。
その為、『鳳翔』の料理担当は、一目も二目も置かれており、古参の下士官が、入ったばかりの厨房担当の二等兵に大真面目に先に敬礼するなどといったことや、『鳳翔』で訓練を行う若手パイロットに、古参パイロットが「今日は鳳翔母さんが特別な料理を作ってくれるから味わって食え」というなど、食にまつわるエピソードには事欠かない。

1923年に艦隊に配備された『鳳翔』は、連合艦隊直属艦として、航空母艦としての運用データ蓄積に活躍。
少なくともこの時のデータがなければ『蒼龍型』航空母艦の完成度はなかったとされる。
一方で、飛行甲板の短さや速度の遅さなどは、艦載機の大型化に伴い、問題点が見過ごせないレベルにまで拡大し、1930年代後半においては、『練習空母』として、海軍の母艦航空隊の錬成を担うことになる。

海軍のジェット化の波と、機関の老朽化に伴い、1940年代後半には予備役となるが、同艦に育てられた海鷲達の数は多く、『鳳翔』退役時には、母艦航空隊が追悼飛行をするなど、最後まで惜しまれる存在であった。
その為、次世代反応動力航空母艦(史実フォード級)の一番艦として『鳳翔』の名前が復活することが決定している。

ロシア生まれの戦艦は、極東において新たな生を授けられ、未来を切り開いたといえよう。

724: yukikaze :2020/12/21(月) 20:17:26 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。『越後型』戦艦はどこ行ったという突っ込みはなしで。

結論から言うと『ありえない』艦。
何しろ戦艦から空母に改装ですんで、ぶっちゃけこれ作るんなら1万トン級空母新造した方が安価。
じゃあなんでこれ作ったかというと「他国から買った艦なので好き勝手いじっても文句言われない」から。
何しろいきなり新機軸の艦作るなんて不可能ですんで、それなら「実験艦」ということで好き勝手やった方がいいだろうと。大蔵省はブチ切れ案件でしょうが。

コルチャークについては、まあ何というか良くも悪くも軍人であり政治的寝技なんてできない人なんですがここでは狂言まわしをしてもらうことに。だって、他国から買える可能性のある戦艦なんて、割と真面目にこいつくらいしかないですしねえ・・・

まあこれ作った一番の動機は、越後型の設計でクールダウンしているときに「同志おっきいのが割烹着姿で家庭料理を作るってシチュエーションはありだな」だったりする。艦これは偉大なり。

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最終更新:2020年12月25日 18:15