32: yukikaze :2020/12/27(日) 11:59:12 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
ようやっと完成した。御唱和ください我の名を。
豊臣
夢幻会世界カイザーライヒver 越後型戦艦降臨です。
越後型戦艦
基準排水量 98,500 t
満載排水量 112,000 t
全長 296.4 m
最大幅 46.4 m
吃水 11.2 m
主缶 ロ号艦本式重油専焼水管缶12基
主機 艦本式タービン8基4軸
出力 280,000馬力
速力 28.5ノット
航続距離 18ノットで 10,000浬
乗員 約3,900名
兵装 45口径50cm3連装砲 3基
54口径12.7cm単装速射砲12基(片舷6基づつ)
50口径76mm連装速射砲20基
42式連装誘導式噴進弾発射機4基(片舷2基づつ)
装甲 舷側 560mm
甲鈑 330mm
主砲防盾 800mm(前盾)370mm(側盾)330mm(天蓋)
※ これらの装甲にはいずれも100mm程度の被帽破砕装甲が別途つけられている。
同型艦 『越後』『武蔵』『伊予』『琉球』『摂津(計画中止)』『安芸(計画中止)』
(解説)
日本海軍が建造した最後の戦艦である。
第二次大戦以降、半世紀にわたって日本海軍の象徴として君臨し続け、日本海軍の勝利と栄光を体現した武勲艦として今なお最大の人気を誇っている。
1920年代から30年代にかけて、日本海軍は、戦艦戦力の整備に不熱心であった。
その最大の原因は、第一次大戦終結から1920年前半までの世界規模での混乱の結果、日本は守るべき通商路が激増してしまい、使い勝手のいい巡洋艦や航洋性に優れた駆逐艦、更には遠距離の索敵手段を持つ航空母艦の整備に力を費やさなければならなかったからである。
勿論、世界唯一の42センチ砲戦艦である長門型6隻と、38センチ砲戦艦である山城型6隻の合計12隻の戦艦戦力に質的に勝てる国家がいなかったことも大きかったのだが。
とはいえ、日本海軍としても、戦艦戦力を全く整備しないという考えではなかった。
戦艦という存在は、後の世界で言う反応兵器と同様の戦略兵器であり、存在そのものが列強としての国威でもあったのだ。
故に、戦艦の能力が貧弱であった場合、有体に言えば、他国から舐められる側面があった。
そうしたことから、1930年代に山城型の代艦計画が生まれたのも当然であった。
日本海軍にとって、長門型は42センチ砲10門という強力な艦である故、今後も戦力として一定の抑止力を有していると判断していたものの、山城型については、バイエルン級やQE級相手には十分に戦えるものの、敵新型戦艦相手では荷が重いと判断していたのだ。
そんな彼らが考えていた新型戦艦は、後のスペックを考えると極めて穏当な性能であった。
基準排水量50,000t、50口径42センチ砲3連装3基、速力30ノットの高速戦艦。
主砲門数こそ長門型に劣るものの、攻防走は長門型よりもバランスの取れた艦であり、これら6隻の艨艟が海原を疾駆すれば、大抵の国家は黙るであろうと思われた。
ところがそんな日本海軍の目論見を根底から壊したのがドイツと越山重工業であった。
1930年代前半にドイツ海軍が打ち出したZ艦隊計画では、日本海軍の新型戦艦と同等のスペックを持つフリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦が、8隻建造されることになっていた。
無論、長門型も含めれば、42センチ砲戦艦の数的有利は変わらないものの、ドイツ新型戦艦が改装された長門型よりも高速であった(改装後の長門は28ノット)事を考えれば、日本海軍にとって厄介であるのは事実であった。
33: yukikaze :2020/12/27(日) 12:00:08 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
とはいえ、フリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦だけならば、日本海軍は狼狽しなかった。
彼らが恐れたのは、ドイツ海軍が設計を始めたとされる『ケッテンJ』であった。
フリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦の次に建造することが予定される同艦は、明確なスペックこそ明らかにされていなかったものの、フリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦を超える戦艦であることは明らかであった。
事実、クルップ社においては、新型艦載砲として、46センチ砲の開発に入ったという情報や、『ケッテンJ』が4~6隻建造予定であることが、ドイツ海軍内で取りざたされているなどという情報まで入れば、現在の戦艦計画では力不足になることは明らかであった。
これだけでも頭が痛いのに、それに輪をかけて頭が痛いのは、越山重工業の新型機であった。
34試艦上攻撃機計画において開発された機体は、後に『流星』と名付けられることになる機体となるのだが、その試作機は、最大速度こそエンジンの馬力問題から、海軍の要求をやや満たさなかったものの(ただしエンジン改良により解決にめどが立っている)、それ以外はすべての項目で、要求を上回る性能を発揮し、爆弾搭載能力に至っては、1t近くも増えているのである。
海軍にとっては万々歳ではあったが、これにより『流星』は、陸上攻撃機用とされていた重航空魚雷(炸薬量を増やす代わりに全重量が1t超え)利用も可となり、理論上可能とされていた「航空機による戦闘行動時の戦艦の撃沈」がいよいよ現実味を帯びてきたのである。
海軍の砲戦派の面々にとっては由々しき事態であった。
こうした情報から、日本海軍は、当初の戦艦案を改め、速度こそ28ノット程度に抑えたものの、基準排水量65,000t、46センチ砲連装4基or42センチ3連装砲4基の戦艦を6隻建造する方向性を打ち出そうとしていた。
主砲の大きさこそまだ固まってはいなかったものの、この艦ならば、『ケッテンJ』にも『流星』にも対抗できると考えたのである。
そう・・・ここまではまだ『常識的な範囲』で収まっていたのだ。
全ての箍が外れてしまったのは、やはりドイツと越山重工業からもたらされた情報であった。
まずドイツであるが、『ケッテンJ』の主砲が46センチ砲ではなく48センチ砲であるという情報がドイツ艦隊協会の会報で発表され、しかも排水量も8万トンオーバーの大戦艦であることが予想図とともに公開されたのである。
実のところ、この『ケッテンJ』のスペックについては、ドイツ海軍が世論に対する観測気球に近いものであったのだが、同時に彼らは「日本海軍の長門型代艦は、間違いなく46センチ砲を搭載する」という確信を抱いており(何しろ日本海軍は、新型戦艦建造ごとに4センチ口径を上げている)、ドイツ海軍の言うところの『超長門型』を叩き潰すにはこれくらいの艦が必要であると、アピールに余念がなかったのである。(なお老皇帝と皇太子も、この手の大戦艦が大好きであったし、ドイツ最大の新聞であった『フェルキッシャー・ベオバハター』主筆であるアドルフ・ヒトラーも、艦隊増強に好意的な発言を繰り返していた。)
そして越山重工業からもたらされた情報は、海軍関係者全員の頭を抱えさせるものであった。
越山重工業製先進技術実証機。コードネーム『心神』の成功。
これにより、越山重工業は、1940年初めには、爆弾搭載量が4t近いうえに音速で飛ばせる化け物を『量産』できる事を明言し、そしてその主武装として、日本海軍が大型重爆撃機用対艦攻撃兵装として試作していた、空対艦誘導噴進弾(重量3t 速度M1.2 行動半径200km 赤外線誘導or手動指令照準線一致誘導方式)も搭載可能であるとしたのである。(実際には3tは特殊仕様機でなければ難しく、これを1.5t程度に小型化した空対艦誘導噴進弾が主力となっていた。)
海軍にしてみれば、1発当たっただけでも大被害必至な攻撃手段を持つ機体が数多く出現するわけであり(4発重爆よりジェット攻撃機の方が取得・維持コストの面からマシである)、一部の過激な航空士官からは『水上艦艇無用論』という意見まで出る始末であった。(勿論、極論以外の何物でもない。)
そしてこの事態に、海軍は自重を捨て去った。
もはや常識的な思考と良識で作る戦艦が役に立たないというのならば、とことんまで攻防性能を突き詰めた戦艦を投入することに腹をくくったのである。
ある砲戦派士官が「鉄の城を浮かべてやろうじゃねえか。戦艦が簡単に沈むか!!」と、啖呵を切ったのは有名であるが、これによりこれまで常識的な範囲内で計画されていた新型戦艦が、完全に常軌を逸した巨大戦艦へと進化することになる。
34: yukikaze :2020/12/27(日) 12:01:23 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
さて、日本海軍の半ばやけくそといっていい方針のもと生み出される戦艦の土台となったのが、仮称『Y』計画により設計された戦艦であった。
この『Y』については、何の略称であるかいまだに不明であるのだが、当時この計画を推し進めていたのが、海軍有数の大艦巨砲主義者と呼ばれていた金田海軍中将であり、『今後考えうるありとあらゆる兵器を相手にしても耐えうる艦』というコンセプトのもとに設計をされている艦である。
口さがない者は「戦艦建造がないことから、暇した戦艦の設計部門の連中のお遊び計画」などと言っていたのだが(実際、この計画に参加させられたのも艦政本部の傍流)、この計画を推進した金田中将は、長門型戦艦の建造にも噛んでいた存在であり、「一体どういう艦を目指すんですか?」という技術者の問いに対し「最低でも排水量10万トンクラスの艦にしてくれ。20年後はそういう艦じゃないと生き残れないよ」と、言い放ち、唖然とする技術者達に「1900年の戦艦と今の戦艦の差を見りゃ、これですらまだ楽観的過ぎると思っているんだがね。僕は」と、平然としていたとされる。
もっとも、この筋金入りの大艦巨砲主義者が主導していたこともあって、同計画で設計された艦のスペックは1920年代時点においては破格と言っていい代物であった。
主砲としては45口径50センチ砲を9門搭載。防御力も50センチ対応。速度こそ馬力の問題から25ノット程度に落ち着いていたものの、副砲に20センチ砲3連装砲4基、高角砲も多数。
それでいて排水量として90,000t程度に抑えられているのだから、金田中将とスタッフ達の力量が見て取れるのだが、海軍としてはこの素性の良かった『Y』計画艦を元に、現在の技術で再設計することにしている。
以下、本型について説明していく。
主砲については当時世界最大であった45口径50センチ砲を3連装3基搭載している。
これは『グロス・ドイッチュラント』級戦艦が搭載した52口径53cm砲(ゲレート36)まで世界最大の艦砲であったのだが、1発当たりの弾重量は2.4t、最大射程が50km超という狂った性能を有していた。
無論、最大射程で殴りあうのは非現実的であり、基本的には20km~25km近辺での殴り合いになる。
砲身については1930年初頭に、亡命フランス政府からの発注により試作された試製50センチ砲を基にしているが、素材の見直しによる軽量化、過熱による精度悪化を防ぐためのサマールジャケットと冷水放射基を組み込んでいる。
主砲弾については、多重信管を組み込むことによって『着弾すれば絶対に起爆する』砲弾となっており、これによって、敵艦隊に対して、砲弾の危害半径内にいた場合、必ず損傷を与えることを目論んでいる。
また、同砲には特殊砲弾として、各砲それぞれ5発ずつの硬芯付高速徹甲弾が配備されている。
同砲弾は、従来の徹甲弾の弾体にあたる部分を弾芯とし、これに軽合金を外殻として包み込んだものである。
これによって、着弾と同時に軽合金部分が潰れると同時に、内部の弾芯だけが貫通を果たすことを目論んでいたのだが、弾芯部分は劣化ウランを利用しており、貫徹力をさらに増している。
事実、この砲弾によって、フリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦は壊滅的な打撃を受けるのだが、加工コストが極めて高く、また弱いとはいえ放射性物質であることには違いないことから、1950年代後半からはタングステンを利用した砲弾に切り替えている。
副砲については、日本海軍の次世代型高角砲である54口径12.7cm単装速射砲を両舷合わせて12門搭載している。
艦の大きさの割にはやや少ないともいえるが、後述する42式連装誘導式噴進弾発射機の装填機構付き弾庫にスペースが取られてしまったためであり、総合的な防空火力を考えれば許容範囲であった。
同様に50口径76mm連装速射砲も、最低限としつつ、12.7cm単装速射砲が設置されていない艦首や艦尾部分にも備え付けられている。
本型が原案と大きく異なったのが42式連装誘導式噴進弾発射機の存在である。
元々原案では20センチ砲3連装4基(片舷2基づつ。史実ヴェネトと同じ配置)装備するところであったが、敵水雷部隊であっても、多重信管付きの主砲弾によって蹴散らせるという判断、及び『ケッテンJ』を相手とすると中途半端すぎて意味がないとして搭載を取りやめている。
35: yukikaze :2020/12/27(日) 12:02:25 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
その代わりとして、開発に成功したSAM1型を搭載することにしたのだが、搭載形式は妙高型と異なり、非装甲区画に噴進弾を格納し、底部装填機構付き弾庫から直接装填されるようにしている。
これは下手に装甲区画に噴進弾を格納し、万が一でも誘爆してしまった場合、なまじ装甲が頑丈である分、エネルギーが装甲内部で吹き荒れかねないという懸念と、装填速度の向上及び妙高型との装填形態の比較を行っておこうという意図によるものであったのだが、仮に弾庫に直撃しても被害が局限できるように、上部はブローオフパネルにして、爆発によるエネルギーが艦内に吹き荒れないように設計をしている。
格納数についてはそれぞれ定数では72発であったが、如何せん噴進弾自体が高価であることと、砲戦に移行した場合失われる可能性が高いことから、実際には40発程度に抑えられている。
なお、噴進弾誘導用火器管制レーダーを4基装備しており、当初は1目標1発しか狙えなかったものの、SAM1型がセミアクティブレーダーホーミングに変更して以降は、1980年代の大改装まで、8目標狙えるようになっている。
防御に関しては、当初案と比べると大分手を加えられている。
舷側装甲や甲板装甲については、概ね原案通りの厚さであるのだが、前述の硬芯付高速徹甲弾の開発を受けて、舷側装甲をインターナルアーマーにするとともに、舷側装甲から離して新たに100mmの被帽爆砕装甲を備え、仮に相手が硬芯付高速徹甲弾を使っても、100mmの被帽爆砕装甲で外殻部分を潰し、突破してきた弾芯も、舷側主装甲までの空間及び隔壁により運動エネルギーを弱め、主装甲で受け止めるという方式にしている。
この方法は、舷側装甲の修理に非常に時間がかかる(外装部のバルジを撤去しないといけない訳だから当然)のだが、海軍としては「そう簡単に沈んでもらっては困る」として、許容範囲としている。
また、水平装甲も同様に被帽爆砕装甲として100mm別に備えているのだが、こちらについては上甲板上に貼られており、このことも噴進弾の搭載方式が、(主に搭載場所の確保のために)非装甲区域での搭載ということに繋がっている。
なお、直接防御に目が向きがちであるが、むしろ間接防御の方が「お前はアホか?」と言わんばかりの偏執的なこだわりを見せている。
通路・居住区を含む舷側区画を硬芯付高速徹甲弾や重空対艦噴進弾の空間装甲としたのは序の口で、スプリンター防御と交戦中の艦内前後主要区画の行き来の維持のために、天井や舷側側壁に鋼板を張りまし、装甲接手の溶接結合化、舷側装甲と支持結合部の間に、クッション用防震用ゴム材を挟み込み、アーマーボルトで固定することで敵徹甲弾等の威力の減衰、多層式液層防御を組み込むとともに、新型潜水艦用低圧ポンプ・ブロアーを利用しての
抽排水能力の強化、水密区画の細分化などと、考えうる限りの対策を取っている。
勿論、電源の維持にも気を使っており、主電源のタービン発電機が出力1,500kwを8基、予備電源としてディーゼル発電機を1,000kwを6基搭載し、主電源路が切断されても正副予備電源に切り替えることができるようにしている。
ただし、電線については当初装甲パイプで保護する予定であったが、この場合断線を復旧するのに時間がかかることなどから、主要区画部分のみの保護に留めている。
ちなみに本型は秘密裏ではあったが、反応弾を用いた戦争時における運用も考慮されており、対放射能塵・汚染物質対策のために木甲板を廃止。鉄・鉛粉末コンクリート層による耐熱表面被膜とし、放射能塵除染用散水装置の設置、区画の一部に含水層を追加し、断片、火災、対放射能防御に利用。
艦橋最上部の露天防空指揮所以外をエンクローズド化し、毒ガス対策に取られていた艦内主要区画の集団防御区画を進め、外気遮断のための艦内の陽圧化や濾過通風装置の能力向上を施している。
機関については、翔鶴型(憂鬱大鳳)で採用された機関と同型のを採用している。
これは少しでも機関の寿命を延ばしたいというのと、史実大和型と同様のツインエンジンにしておけば、外側のエンジンがやられても内側のエンジンが生き延びるというコンセプトのもとでの採用である。
36: yukikaze :2020/12/27(日) 12:03:20 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
無論、ツインエンジンにするということは、機関重量及び機関の幅を多くとってしまうことになるので、エンジンも可能な限り小型にはしているものの、やはり単一エンジンと比べても幅を多くとっており、80年代の大改装時に
おいて、新型機関との換装において、重量の差が酷いことになってしまい、艦政本部が頭を悩ませることになる。
勿論、シフト配置も採用していなければ、史実モンタナやミッドウェイのように、缶を機関の周囲に配置するなどと言う面倒なことはしていない。
なお、敢えて保守的な設計にした分、機関の信頼性は抜群であり、また計算よりも燃費が良かったことから、実際には18ノットで12000海里走れることが明らかになっている。
本型の最大の特色が、主砲及び高角砲の射撃指揮装置として、トランジスタ使用による高速演算射撃方位盤を採用していることである。
これは長門型が大改装時に、最新型のアナログ射撃盤と機械式コンピューターによる自動式射撃システムを組み込んだものをさらに発展させたものであり、各レーダー、射撃指揮装置、各兵装とのデータリンク機能を備えることに成功している。
これにより、長門型で限定的であるが達成していたリアルタイム照準と追尾が、本型では複数の目標に対して行うことが可能となっており、実際、同射撃盤を10基備えたことで、最大10の目標に対するリアルタイムの照準と追尾を
可能としている。
性質の悪いことに、同射撃方位盤が複数あることによって、仮に砲戦で一つ潰しても、それ以外の方位盤が対応することができることから、相手側は全ての方位盤を潰さないと、本型の砲撃を無力化することはできず、それこそ『一度捕らえられたら、本型を沈めない限りどうにもならない』羽目になっている。
もっとも、電磁パルスによる損傷には脆弱性を抱えていたのも事実で、アナログ式レーダー連動射撃方位盤である38式射撃方位盤(史実Mk.56 砲射撃指揮装置)も予備として設置されていた。(ただし性能としてはあくまで補助レベルでしかなく、更に言えば反応弾による電磁パルス攻撃は間違いなく大規模な反応弾による戦争を誘発させることから、起こり得る可能性は低いとして、大改装時に撤去された)
なお、同型は、航空機搭載をやめ、回転翼機の搭載を行っているのだが、奇妙なことに初期を除いては、艦後部のエレベーターから回転翼機を格納するようなことを行っていない。
また、回転翼機格納庫部については、ヴァイタルパートほどではないが、装甲が施されているなど、防御に気をつけている。
これについて日本海軍はいまだに沈黙を守り続けているが、一説には回転翼機格納庫部分には報復用の反応弾搭載巡航誘導弾が格納されており、敵国から反応弾攻撃を受けた際に、反応弾による報復を行うことを目的としているのではと見られている。
実際、当該区域については、乗組員ですら原則立ち入り禁止とされており、他艦のヘリについても余程の事態でなければ着艦は認められず、仮に認められても、即座にクルーが隔離されるなどしたため、上記の説への信憑性を高めることになっている。
この取り扱いについては、大改装時に
アメリカ共和国が開発したハリアー戦闘機を搭載することになって以降取りやめられることになったのだが、記念艦である『越後』でも、同区域に関しては一部非公開とされており、情報の公開が望まれている。
以上のように、全ての自重を捨て去った本型は、破格の性能を有することになったのだが、同時にその建造費用も莫大な金額になり、それこそ建造費用の試算を見た大蔵省の官僚が無言で泡を吹いて倒れる羽目になっている。
勿論、大蔵大臣の郡は、当時の兵部大臣であった米内光政に対して「いくら何でもこれは無茶が過ぎる」と、計画の見直しを求めるも、米内は「ただの戦艦なら10年持てば御の字。この艦ならば真面目に改装をすれば半世紀は持つ。トータルで考えれば安価」と一歩も譲ろうとしなかった。
一方、議会や有権者はというと「海軍さんはドイツに対抗して凄い戦艦を作るようだぞ」と、海軍側の計画に対して終始好意的な姿勢であり、ドイツ皇帝の「Z艦隊計画が完成すれば、極東の薄汚いサルは直ちに隔離される」という演説に「あの人種差別丸出しの野蛮人を叩きのめす強い戦艦を配備しろ」と、さっさと強力な戦艦を作れと発破をかける始末であった。(ちなみに対外的に発表されたスペックは50口径46センチ砲9門、排水量80,000tであった)
37: yukikaze :2020/12/27(日) 12:03:56 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
海軍が計画した『新六六艦隊計画』(超大型戦艦6隻、超大型空母6隻)の計画素案が発表されて以降は「予算が足りないというのならば、喜んで献金させていただく」という声が上がるなど、陸軍が「なんで海軍ばっかり目立つんだ」と、陸軍担当者が思わず愚痴るほどの盛り上がりを見せるほどであり(なお陸軍も同様の運動が起きたため機嫌は直った。)、当時のドイツの強圧的姿勢に国民が反発を覚えていたのと、1930年代の未曽有の好景気に、国民の財布の紐が緩かった事がなければ、『新六六艦隊計画』は確実に下方修正を受けていたとされている。
もっとも、郡大蔵大臣は「絶対に海軍は維持費用で戦艦を持て余す」と、仲介に来た豊臣公爵に愚痴を述べ、豊臣公爵も宥めるのに苦労することになる。
余談ではあるが、最大の難物であった郡の仲介を行った豊臣公爵家に対して、海軍は敬意を込めて本型の1番艦を『越後』と名付け、2番艦は「もう徳川宗家にまつわる艦名でよかろう」と『武蔵』と名付けたものの、3番艦以降
は久しぶりの戦艦建造ということで、今まで戦艦の艦名に選ばれなかった府県が我も我もと自薦することに。
特に大阪府は「『越後』も『播磨』も『近江』も『尾張』も『山城』も、豊太閤殿下の所縁の地はみんな選ばれて、何故に豊臣家の本拠地である『摂津』が選ばれないのか」と官民挙げての論陣を張り、四国は四国で「どうして四国は一度も選ばれないのか」と、四県知事連名で抗議をする有様であった。
その為海軍は早々に『伊予』『琉球』『摂津』『安芸』という艦名を公表したものの、1940年代中ごろから中東情勢がきな臭くなったのを受けて、越後型は『琉球』までの建造を急がせるとともに、5番艦と6番艦については意図的に建造を遅らせ、翔鶴型3番艦の『大鳳』4番艦の『白鳳』の方に資材を注力することになる。
これは海軍が妙高型重巡洋艦の建造等で、装甲板の生産が一時的に飽和状態になったことを受けてのことであったのだが、同時に『ケッテンJ』がドイツでも項目がなかなか決まらずに、結果的に日本海軍において戦艦建造の優先順位が落ちていたことも大きい。
実際、第二次大戦が開戦した時、ようやく起工準備が整うところであったのだが、海軍側は躊躇なく建造を中止し、余った予算を一旦国庫に返納したうえで、戦時予算として活用することになる。(なお、大阪府民のドイツに対する怒りは最高潮になっており、これは『摂津型』戦略級反応動力潜水艦就役まで消えることはなかった)
本型は、第二次大戦において4隻全艦がアラビア海に向けて出陣し、第二次大戦中最大級の海戦であったアデン湾沖海戦では、フリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦3隻及び旧式15インチ砲戦艦4隻に対し、日本海軍は越後型4隻及び長門型6隻を以て激突。
悪天候のために航空攻撃が封じられる(これは、開戦前期に、通商破壊作戦を行っていたフリードリッヒ・デァ・グローセ級戦艦『グナイゼナウ』と、近代化改修され未だに戦力として有効とみなされた『デアフリンガー』が、日本海軍空母機動艦隊に捕捉され、『デアフリンガー』が瞬時に轟沈。『グナイゼナウ』もその後を追うという敗北から)ことを奇貨として、戦艦部隊を以てサウジアラビアに送られる大輸送船団の撃滅を狙うドイツ海軍に対し、暗号解読や潜水艦部隊の索敵によってドイツ海軍の意図を看破した日本海軍による決戦は、ドイツ海軍が越後型戦艦の性能を完全に読み間違えていたことや、後方にいると思われていた長門型戦艦も海戦に加入していたこともあり、ドイツ海軍は即座に撤退を判断するも、既に日本海軍の間合いに入り込んでいたこともあって、半ば一方的に打ち据えられることになる。
38: yukikaze :2020/12/27(日) 12:04:28 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
この時、遣アラビア艦隊司令長官の福留大将が、一方的な状況に「Z旗はいらんかったんじゃないか」と軽口を叩き、結果的に「戦の最中に慢心するなど司令長官として不適」として、連合艦隊司令長官になる道を断たれることになる(ただしこれは、大艦巨砲主義から抜け出られない福留に、兵部大臣の高野五十六が見切りをつけたというのが大きい)のだが、日本海海戦以来のパーフェクトビクトリーにより、アラビア海の制海権は完全に日本が抑えることになる。
本型は、第二次大戦終結後、一旦は予備役指定をされるものの、本土に戻ったイギリスと(いやいやながら)安全保障条約を結んだことと、ドイツ第二帝国がその威信をかけて建造した『グロス・ドイッチュラント』への対抗から、遣英派遣部隊の総旗艦として、常に1隻が英本土に常駐して、欧州本土に対して睨みを利かせることになる。
1970年代末以降の冷戦が最高潮になった時は、『越後』以外の全艦が、艦影が一新するほどの大改装が施され、(越後は改装時期に冷戦が終了し、改装計画が消滅)、当時のドイツ皇帝が『邪龍』と吐き捨て、予備艦となっていた『グロス・ドイッチュラント』が無理やり改装され、ただでさえウラル紛争で国家予算を浪費していたドイツ経済に更なる負担を与える羽目になる。
冷戦終了後は、全艦予備役になる予定であったが、『与一システム』(史実イージス)を組み込まれた『武蔵』以下2隻は湾岸戦争及び北米動乱にも参加する羽目になり、結果的に、冷戦終了時から運用費用の維持に限界を感じた海軍によって解体されるまでの数年間、変わらず汗をかく羽目になる。
なお、改装時期を逃したが故に、ほぼ完成時と姿の変わらなかった『越後』は、「日本海軍の象徴を解体するなどとんでもない」という東京府の訴えにより、お台場に記念艦として保存されることが決定されたのに対し、『武蔵』以下2隻については、『与一システム』を外したのちに、『天弓計画』(史実イージスアショア)の施設用に使われる(そのため施設名が艦名になっている)など、今なお国土防衛のために働いている。
39: yukikaze :2020/12/27(日) 12:14:12 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。改めてみるとなげえな、これ・・・
コンセプトはというと「大戦艦を!! 一心不乱に大戦艦を!!」
モチーフは、今なお架空戦艦の中では最強格の「戦艦大和欧州激闘禄Ⅱ」に出てきた51センチ砲搭載の魔改造大和。
で・・・それを基に、更に上乗せで凶悪化させたのが越後型戦艦。
まあ当初はこれに核砲弾だの積む予定だったし、スペックも50口径50センチ砲12門で150,000t級戦艦にいこうとしたからなあ。
播磨級までにいかなくてよかったと思うよ。うん。
戦艦としては破格のスペックだけど、これ1950年代前半の技術さえあれば、予算を無視すれば普通に量産出来てしまうというのが何とも。
こんな化け物と戦う羽目になったドイツ海軍には同情します。
ただまあ、ここまで暴走したのは、倉崎の爺様の天才性と、ドイツ海軍の観測気球とドイツ皇帝の思い付きもあったりするんで、ドイツ海軍の自業自得の面もあるんだけど。
まあこんなバケモンがイギリス本土に居つけば、ドイツ皇帝もフリードリッヒに見切りをつけて超巨大戦艦建造を推進するわなあ。
お陰で空母建造に相当遅れを齎すことになるんだけど。(ドイツでは、陸軍>空軍>海軍である)
次は何かなあ。『ケッテンJ』かなあ。
40: yukikaze :2020/12/27(日) 12:15:29 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
追伸
一応要望があったら、1970年代末からの大改装案も考えるけど
どう考えても「ドイツへの嫌がらせ」なんだよなあ。これ。
45: earth :2020/12/27(日) 13:01:32 HOST:KD106172122062.ppp-bb.dion.ne.jp
まさに大戦艦……それとしか言いようがないですね。
しかし表だと45口径50cm3連装砲4基で説明文だと3連装3基なんですが……。
基準排水量98,500 tで3連装4基搭載はキツイ気がしますし、3基が正解なんでしょうか?
47: yukikaze :2020/12/27(日) 13:57:33 HOST:p440093-ipngn200307kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
45
項目の記入誤りですね。(当初は46センチ砲連装4基にしていたので、その消し忘れ)
50センチ砲3連装3基が正しいです。(51センチじゃないのは、既にインチが国際基準として使われなくなったため)
最終更新:2020年12月31日 14:44