924: ひゅうが :2020/12/25(金) 23:15:33 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
かくて、ヒューイ・ロングの登場を迎える
政治的経歴のはじまりをポピュリストとして迎えた彼は、いってみればアメリカ人のルサンチマンを凝縮したような人物だった
まずもって彼の提唱した富の再分配政策は太平洋の向こう側ですでに実践されていたから主張に目新しさがないと酷評されがちであった
彼のさらに不幸だったところは、自らの政策がルーズベルト政権に先取りされていることだろう
ニューディール政策は日本人という成功例を無視できない議会や法曹界の消極的協力を得てある程度順調に進捗しつつあった
ポピュリストが行動を先取りされたとすれば残るものは何か
ナショナリズムである

感情の産物であるルサンチマン、特にこの時期のアメリカ人にとってのそれは、自らが国際社会において「相応しい地位についていない」というその一点に尽きる
新たなローマ帝国であるはずの合衆国は当然ながら劣った旧大陸より進歩していなければならないはずなのだが、経済的にはまったくその逆
軍事力についても英国と同等、そしてはるかに新興のはずの日本が太平洋において地域の覇を確立している
しかも、新たなフロンティアたるはずのチャイナは当初のアルカイックスマイルが嘘のようにアジア人のアジアを号して日本人を矢面にたたせはじめていた
せっかくの市場となったはずのシベリアやマンチュリアも、世界恐慌の発生でそれまでのもみ手具合が嘘のようによそよそしくなっている
これで悪感情を持たない方がどうかしている
ルーズベルト政権の多国間外交という方針がアメリカ人にはまったく理解できなかった(これについては日本人の多数派も同じだったのだが)ことも大きかった
そして、「2番底」が到来する

第3共和政が生み出した鬼子のような人民戦線内閣が短絡的に行ったデフォルトが直撃したアメリカでは既存政治勢力への不信感が頂点に達した
と同時に、多用された連邦軍の投入により政府への批判的感情をも喚起する
このチャンスをポピュリストたるロングは逃さなかった

社会主義的な政策への恐怖感を共有するニューヨーク財閥の協力を取り付けるとムッソリーニのローマ進軍をモデルに准軍事組織ミリシアを糾合
ニューヨークのモードからドロップアウトしたデザイナーに作らせた制服「白シャツ」を支給し統一多数派勢力のように見せかけてさらなる参加者を募った
参加者となったのはニューディール政策による受益者となっていたはずの国営公社の労働者たちであった
1度目の恐慌は未経験の事態だったろうが、これが2度目となると恐怖感以外の何も感じなくなる
メディア王たるランドルフ・ハーストの協力をとりつけたロングはたくみに宣伝を展開

とどめとなったのは1934年10月21日になされた全国放送だった
ラジオドラマにも関わらず
「連邦軍が無辜の市民を殺戮している」
というニュース仕立てのストーリーは、演出家オーソン・ウェルズの優れた才覚を示すかのように連邦市民の激昂を誘発した
(当初はH.G.ウェルズの宇宙戦争を翻案し放送する予定だったが急遽差し替えられ、フィクションであることを注意するはずのコメントも省略された)
1週間が経過したとき、連邦政府の大半の勢力がロングら「国家革新同盟」への支持を表明
市民はおろか、D.C警察や公務員がホワイトハウスと連邦議会を包囲する中、銃を突き付けられたルーズベルト大統領は退任を宣言
同10月31日、副大統領および上院議長の辞退を理由に連邦議会は万雷の拍手のもとでヒューイ・ロングの大統領代行への就任を決議
法的にかなり怪しい手続きのもとで政権移行が行われ、それが終わったときには合衆国は一変していた
あったのは、ヒューイ・ロングという扇動政治家にして国家主義者の支配する独裁国家に堕したかつての自由の国だった

おそるべきことに、この時点においてもロングは「合衆国こそ新たなローマ」以外に何も主張していなかったのである

925: ひゅうが :2020/12/25(金) 23:16:49 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
訂正。放送は1934年10月21日としといてください

926: ひゅうが :2020/12/25(金) 23:22:14 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
というわけで、憂鬱本編以上にロング氏を危険な存在に変えてみました
強い指導者、好きでしょ?(ゲス顔)

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最終更新:2020年12月31日 14:36