973: ひゅうが :2020/12/26(土) 15:14:44 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
高速戦艦「長門」型(昭和12年大改装後)
全長231m
全幅35m
喫水9.5m
基準排水量4万1120トン
満載排水量4万7900トン
速力:30ノット
機関:艦本式ロ号缶(大型重油専燃)10基
艦本式オールギヤードタービン4基4軸 出力16万馬力
主砲:1年式45口径41センチ砲3連装3基
武装:60口径12.7センチ両用砲連装10基20門
ボフォース40ミリ機関砲4連装12基
20ミリ機関砲連装12基 単装8基
搭載機:水偵2機
【解説】――1913年度(大正3年度)対独建艦計画における1号型戦艦
のちの八八艦隊計画における1号艦である
当時、参戦したばかりの第1次世界大戦において無視できない艦隊戦力を有していたドイツ海軍ならびに、中国革命に伴い青島に展開していた
アメリカ艦隊に対抗する目的から世界初の41センチ砲を搭載した大戦艦となった
主砲塔は、鞍馬型巡洋戦艦に続く弩級戦艦河内型で実用化された30.5センチ3連装主砲の技術と先に製造されていた金剛型用の36センチ連装主砲の技術を応用した41センチ3連装主砲である
当初はフランス艦にならって4連装主砲化を行ってヴァイタルパートを節減するか、連装4基で我慢し早期の実現を図るかで意見が分かれたものの、河内型での経験を理由に折衷案的な3連装主砲採用が決定した
結局誕生当時は故障が多かったものの、1930年代に入る頃には技術熟成が進み満足のいく主砲塔へと評価が一変している
主砲塔1基を削減したことから機関部区画ならびに居住区画は大きく拡大され、扶桑型の狭い居住区画から長期間の航海にも対応ができる「長門御殿」へと一変
また速力も計画では32ノットに達する韋駄天ぶりを発揮するはずであったが、後述するドッカーバンク沖海戦の情報から設計は変更。重装甲に加えて機関出力のさらなる強化にともなって概ね新造時28ノットで落ち着いた
本級は本来は1917年末に竣工就役するはずであったが、起工から1年たたない1914年、ドッカーバンク沖海戦において英国巡洋戦艦が遠距離からの一撃で水平装甲を撃ち抜かれて轟沈するに及んで急遽設計が変更
水平・垂直装甲の増厚とともに、ドイツ潜水艦の雷撃への過大評価から大型バルジの装着が行われ、たっぷりと予備浮力をとることとなった
これに伴って排水量は扶桑型戦艦の3割増しを超えて基準4万トンを突破し、完成当時世界最大の戦艦となった
代償として就役は1918年半ばにずれこみ、第2次ジェットランド沖海戦には間に合わなかったことが惜しまれる
工期のずれに伴って設計は後続の加賀型戦艦と似通ったものになっており、のちに大改装された後にはほとんど見分けがつかなくなった
1番艦長門は1918年5月、2番艦陸奥は1918年7月に竣工
1930年代に相次いで大改装され、特徴的だった7本脚マストは塔型艦橋に変更。主砲威力の増大に加えて砲塔型副砲が両用砲に換装された
艦首も加賀型戦艦にならってバルバス・バウに変更され、機関出力の増大が図られたことから念願の30ノット台を確保した
太平洋戦争開戦時には旧式戦艦群を率いて第2艦隊にそろって配属
同僚たる八八艦隊計画艦とともに米海軍と激闘を繰り広げることになる
最終更新:2020年12月31日 14:42