564: ひゅうが :2021/01/07(木) 17:59:05 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
西暦1936年、人民戦線内閣下フランスにおいて救国を掲げる士官グループが蹶起
諸派連合の形をとっていた人民戦線内閣が経済的に無策であることに鑑み、革命的サンディカリズム(労働組合主義)を掲げてその諸派連合による第3共和政打倒が叫ばれたのである
これはその前年に成立していた「新社会」ことアメリカのロング総帥政権の成立やイタリアのムッソリーニの手によるローマ進軍に影響を受けた行動であったが、現在ではアメリカのロング総帥から有形無形の援助を受けていたことが判明している
その実態は、世界恐慌の引き金を引いたフランス人民戦線へのアメリカのぬぐいがたい復讐感情の発露であった
これを歴史上は「西欧分離工作」と称する
1936年のパリ祭(革命記念日)の日、すなわち7月14日ユベール・ラガルデル(前アメリカ大使 史実ではイタリア大使)に率いられた全フランス革命的サンディカリズム連合(通称全革連)は新領土ラインラント駐留軍を抱き込む形で本土へ進軍し、空転し続ける議会を武力制圧
軍と労働者、そして学者の三者連携によるフランス・コミューン国を成立させた
通称赤化フランスの誕生である
彼らは、有形無形のサボタージュを継続するラインラントの後方支援基地と化していたドイツ連邦への対決姿勢を鮮明にしていく
さらにはフランス第一主義をぶり返させた結果、北米大陸のカナダ領ケベックへと火の粉を飛び火させた

「ドイツ人の債務はドイツ人に!」

をスローガンに掲げるフランス人たちは、自国領土とするラインラントでは飽き足らずにドイツ本土からの第1次大戦賠償金取り立てを主張
ついで、各フランス語圏の一体化運動とそれによる「団結」、第1次大戦の「清算」をそのスローガンにしていた
となれば、フランス語話者が多数を占める地域への影響は必至であった
ことに、世界恐慌後の不景気とともに北米大陸の熱狂を間近に目にしていたケベックにおいては
この動きに機敏に反応したのは英国が支援する西ロシアだった
彼らの不倶戴天の敵たる無政府主義ウクライナ人たちは赤化フランスと密接な関係を有していた(というよりパリそのものがそうした「主義者」のるつぼであった)し、何より老いたニコライ2世をラーダ統合の象徴とする東ロシア、そしてその最大の支援者であった米国とは敵対関係にあった
ロマノフ家や貴族家から没収した資産、それも米国金融機関にある莫大なそれの帰属をめぐってというのがその表象にあたる
かくて、仏露は鋭い対立関係となった
それが発火点を迎えるのは西暦1938年9月である
ラインラント有数の古き都市アーヘンで発生した連続爆弾テロ事件に加えて、ライン川右岸の東ケルンのフランス軍駐屯地で発生した銃撃事件を発端として、フランス軍は一斉にライン川を渡河
その実態が軍民による組織化された略奪行為であることは、フランス国内各所に建設された強制収容所とユダヤ人やドイツ系住民収容というロング政権を真似た行為からも明らかであった
これに対しドイツ連邦軍は国内のフライコール(義勇軍)に加えて西ロシアからの義勇軍「バグラチオン軍団」の介入を選択
これに消極的ながらも英国海外派遣軍(BEF)も追随し義勇軍を派遣したことから事態は第2次欧州大戦かという方向に流れ始める
英国グランドフリートによるフランスの海上封鎖に対抗し、アメリカが義勇艦隊による海上護衛を開始したのはライン川渡河から6か月後のことであった
この時点で戦線はエルベ川周辺にまで移動していたが、双方ともに決め手を欠いていた

惰眠を貪ると称された極東アジア情勢に対し、欧州情勢は魔女の釜の中であったのだ

565: ひゅうが :2021/01/07(木) 18:05:08 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
というわけで追加
日中戦争ならぬ独仏戦争勃発です
この時点で米国の目標は、英グランドフリート殲滅による制海権奪取と中東油田地帯の利権奪取
そして西欧市場の「解放」。
これを受けて米国は挑発行為に走り始めます

568: ひゅうが :2021/01/07(木) 18:46:28 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
564追加


戦間期、中東経済は大きな発展を遂げた
第一次世界大戦中の日本遣欧艦隊およびイギリス東洋艦隊の手によりなし崩し的に利用が開始されたクウェートの自噴油田地帯の開発が日英資本の手で進行したこと
そしてそれを満たす巨大な需要が極東地域に出現したことがその理由であった
米国がこの流れに乗り遅れた理由は複数考えられるが、彼らがジェットランド沖および第2次ジェットランド沖海戦で主力艦派遣主義に固執する間に日本遣欧艦隊が地道な「大輸送」作戦に従事していたことはその最大の理由であろう
そして、アラビアプレートとユーラシアプレートが衝突するというこの上ない好条件の中、なんといってもバクーと同じく自噴する油田地帯の中では、成長していかない方がおかしかった
となればその恩恵が湾岸地域、ことに「サウジアラビアを支配するハーシム家」に及ばないわけがなかった
英連邦のもとで彼らは、英本国とともに穏健なイスラム国家として大いなる発展を遂げていくことになる
そしてその最大の友好国となったのが、大量の石油を大人買いして中央共同連合に格安で売りさばいていた日本人たちだった
世界最古の王朝の血をひくものたちが嫁ぐとともに彼らは世界のロイヤルファミリーの中で最大のブランドを手に入れていたからである
(と同時に、湾岸の真珠産業は壊滅に追いやられていたことへの罪滅ぼしの意味もあったとされる)
1920年代から30年代にかけての開発投資は続き、その頃になると日本帝国の皇室資産から、英国からは民間資産が拠出されて成立した「ロイヤル・『ジャングロ』・ペトロナス」はロックフェラーとならぶ世界最大級の石油資本になりおおせていたのだった

対照的であったのがアメリカであった
彼らが手にしそこなったものは、テキサス油田を数十倍にするくらいの巨大な利権であった
しかも、製造効率たるや湾岸油田の足元にも及ばない
巻き返しをはかった米国資本は、1929年の大惨事で停滞を余儀なくされ、その間に技術的になぜか先行する日英企業の躍進を許す始末であった

だからこそ米国は決断した。
この蜜と乳の流れる地(カナーン)を合衆国のものとすることを
つまりは、第2次世界大戦の開戦要因というのはそういうところにあったのである


閑話休題
だからこそ、ロング総帥はじめ、合衆国が描いていた戦略目標はごく単純なものである

「大英帝国の支配力の根源であるロイヤルネイビーを一撃のもと殲滅することで、英国から世界支配の力を奪う」

「この結果中東湾岸油田地帯の利権を奪取し、返す刀で太平洋の日本および中央共同連合の外征能力を撃滅。両洋の制海権を奪取」

「あとは世界市場をアメリカ主導に再編する」

このための撒き餌として選ばれたのが、カナダ
そしてケベックだったのである

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最終更新:2021年01月09日 19:00