536: ひゅうが :2021/01/07(木) 10:58:54 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
太平洋戦争前日本駆逐艦建艦史概略(サンクス!フェデリズム世界)
――大日本帝国海軍にとって駆逐艦とは、巨大な水雷艇であった
のっけからこう断言しても差し支えないように、彼らが建造した艦艇群の中にあって駆逐艦は異彩を放っている
搭載する魚雷は長射程化をとことん追求していったし、のちには雷速すら列強標準を大きくはみ出していたほどだった
そしてその頂点を極めた挙句に、限界を悟ってあれほど執着した魚雷をいとも簡単に主力兵器から外してのけたのであった
西暦1921年、1隻の革新的な駆逐艦が産声を上げた。
満載排水量2400トン(常備排水量2000トン)の船体に52口径12.7センチ砲を砲塔に連装3基と61センチ魚雷発射管4連装3基12門を搭載した「吹雪」型駆逐艦である
八八艦隊計画において量産されたこの艦は、従来の駆逐艦とは一線を画する攻撃力をその船体に秘めていた
その淵源を第一次世界大戦中にドイツ海軍が計画した艦隊駆逐艦に有する吹雪型は、軽巡洋艦の代替を考えたフランスの大型駆逐艦といってみれば同世代であった
それ以前の「睦月」型駆逐艦が3分の2程度の船体規模に12センチ砲をむき出しに4門と魚雷発射管レ3連装2基を搭載していたことを考えれば、一挙に1隻あたりの攻撃力が倍化しているとすらいえる
米海軍の提督などは冗談をかなぐり捨てて「わが軍の平甲板型20隻とフブキクラス8隻を交換しよう」ともちかける程度には、吹雪型は革新的であった
ゆえに、計画名も「特型駆逐艦」とされる
それまでの駆逐艦を並とするなら、吹雪型は特型という意味であった
この特型駆逐艦に、日本海軍はほれ込んだといっていい。量産予定であったことから番号で呼ばれるはずであったものを、わざわざ名付け変え始める程度には
それゆえ、24隻を建造したのちには峯風型駆逐艦や神風型駆逐艦の代替艦としてさらに建造を続行
既に他国も運用実績からして追随をはじめていることから、当初の試験建造の予定は無視された。
こうして誕生したのが、特改型こと初春型駆逐艦である
当時開発された酸素魚雷の運用を前提として5連装化し2基搭載する傍ら、電源喪失時の運用限界を考慮し口径を53センチに縮めた本級には賛否両論があったものの、新型弾頭炸薬の完成によって威力の維持ができたことから沙汰やみとなる一幕もあった
ただし、満載排水量は2600トンに達しさらにトップヘビー気味であったことから船体の改設計がなされた。
なお本級の建造中に発生した「臨機調事件」は、当時主力をつとめていた艦艇の機関の大きな見直しの機会となったうえ、本級ではやや余裕がなかった機関構成を改めた特改二型への移行の契機となった。そのため建造数は10隻と姉妹の中で最少である
続いて建造されたのは、特改二型こと白露型である。満載排水量は2700トンと大型化し、さらには魚雷戦が可能な駆逐艦群の整備が一段落したことから対潜用装備として噴進弾型の爆雷投射砲を搭載し、艦内のパッシブおよびアクティブソナーも大幅に強化されている
そのかわり魚雷発射管は6連装2基と減少したものの、それでも睦月型以前の駆逐艦なみを達成し、戦時には迅速に6連装3基への換装も可能(結局は行われなかった)とされたことで用兵側も矛をおさめている。
特型の掉尾を飾るのが、特改三型こと朝潮型である。
とはいっても本級では完全な全面溶接に均質圧延鋼を採用するなどの新機軸に加え、線図も大幅に描きなおされるなどまるで別物といっていいくらいの改良が施されていた
(外観は船主楼型など差異が少ないが全体的に大型化した)
結果、満載排水量は3050トン(常備2750トン)とはじめて3000トン台に到達し、さらには前後に新開発された91式GFCSを搭載。魚雷発射管はついに7連装2基にまで拡大された
この頃になると、遠距離からの隠密雷撃戦は断念されたかわりに威力が非常に大きな新型炸薬(通称TOPEX)とともに過酸化水素動力機関が実用化され、魚雷にも搭載されるようになる
加えて速力の50ノット近くまでの増大による命中率重視、そして磁気信管の採用による威力のさらなる増大から7連装2基14門を有する魚雷発射管で妥協が示されることになった
のちには、魚雷発射管1基をおろすことでその部分に導入され始めたばかりのボフォース40ミリ機関砲が搭載されるなど対空重視の艦も出始めている
本級は、演習海域に台風が直撃する中で半ば偶然にも1隻が取り残されたもののその優れた設計から無事生還し、さらにその修理過程で船体工学上多くの知見をもたらしたことで海軍技術史にその名が刻まれることになる
537: ひゅうが :2021/01/07(木) 11:01:00 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
こうして特型駆逐艦は実に58隻が建造され艦隊に配備されていったが、1934年、ヒューイ・ロング政権の大軍拡がはじまったことから様相は一変
1930年に続いて開催されたロンドン海軍軍縮会議が決裂し1934年に実質的な軍拡条約となる第2次東京海軍協定が成立し、各国ともに大量建造が開始されている
大日本帝国海軍も、のちの大和型戦艦や三輪型航空母艦の大量建造を開始する傍らで特改三型の知見をもとにした新しい甲型駆逐艦の建造を画策。
こうして誕生したのが陽炎型駆逐艦である
主砲こそ、従来の52口径12.7センチ砲であるものの、当時開発されたばかりのトランジスタ式電子計算機を全面採用した新GFCS、94式射撃指揮装置を各砲塔に搭載したうえで大出力の新機関、艦本式ハ号缶と改良型艦本式タービンから絞り出される大電力を前提とした砲塔複合動力化によって当時としては異次元の射撃能力を身に着けていた
相も変わらず魚雷発射管は7連装2基であったものの、これらの結果船体は常備2850トン、満載3200トンにも達した
もはや一昔前の防護巡洋艦のそれであるが、この時点で4000万トンに達する商船隊を作り上げていた日本にとっては内海でよく見かける程度の小型艦であった
この陽炎型はその性能で海軍当局を満足させたものの、建造期間が1年半ほどであることが彼らを心配させた
三輪型航空母艦の建造にあたって考慮された戦時における急速建造において、陽炎型はまだ工数削減が半端であると考えられたのだ
しかし海軍の艦隊側としては、攻撃力を一定以上に維持した大型駆逐艦を要望していた
ことに近接魚雷戦、いわば滅茶苦茶な殴り合いで無上の価値を持つであろう新兵器、スーパーキャビデーション魚雷(というよりは水中ロケット)の開発が佳境に入っている中では
そこで彼らは2種類の「ハイローミックス」で対処しようとした
この種の知恵は、日本政府および軍と民間が出資する総合研究機関であるところの「総研」およびその背後にいる秘密結社の得意なところである
それに彼らは特型の建造や扶桑型以降の戦艦建造でも口を出しうまくプロジェクトを構成してのけた実績があった
かくて、陽炎型の改良型である夕雲型が建造される。
速力のある程度の低下を甘受しつつ直線を多用した船体とし、さらには魚雷発射管を7連装1基にする傍ら対空能力や対潜能力を増したバリエーションを用意することで様々な戦場にも対応可能な汎用駆逐艦であった
結果は最大速力こそ陽炎型駆逐艦の39ノットに対して38ノットとやや低下したものの、量産性の高い艦に仕上がったことから評判は上々
ことに空母護衛部隊や戦艦護衛部隊からはさらなる追加建造が要望されたことから、海軍当局は後述する島風型駆逐艦の建造数を大幅に削減する傍ら、本級ならびに最初から護衛用として対空番長とも呼ばれた太刀風型の建造を大きく伸ばすことになるのである
なお、夕雲型はその整備数実に68隻
建造期間が1年程度にまで短縮されていることを考えても破格の数である
538: ひゅうが :2021/01/07(木) 11:01:51 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
この夕雲型の「ロー」に対し、「ハイ」として建造されたのが島風型駆逐艦である
彼女は常備排水量3200トン、満載排水量3600トンに達する大型駆逐艦であり、さらには前述の7連装魚雷発射管を実に3基搭載
主砲は新開発の速射両用砲の54口径12.7センチ砲を(軽量自己緊縛砲身)単装4基搭載するという日本海軍が作り出した最強の水上戦用駆逐艦であった
さらには速力も42ノットを実現
こと水上戦闘においては無類の強さを誇ることになった
というのも、魚雷発射管が多数にのぼることから切り札としてスーパーキャビデーション魚雷が第2撃用に搭載され、これが命中すれば戦艦すら単艦で屠り得るほどの攻撃力がその身に秘められているためである
さらには速射砲化された軽量12.7センチ砲は毎分30発(装填機構2基を搭載し交互装填)の射撃速度を誇る
これは弾薬投射量において単装にも関わらずそれまでの1.5倍近い射撃能力を有することを意味していた
いわば、対空・対水上において新たな特型駆逐艦が出現したようなものであった
だが、本級の建造は欧州における戦火の発生によって大きく揺らぐ
フランス共産主義政権が行ったドイツ侵攻とそれをレンドリースにて援助する
アメリカといういわゆる「悪の枢軸」が誕生したことから開戦が間近に迫ったと判断されたためである
こうして予定64隻のところ16隻が建造されたところで建造は打ち切られ、本級の対空強化と船体拡大バージョンであるところの太刀風型量産駆逐艦の建造に舵がきられることになる
太刀風型駆逐艦は、島風型の線図を参考にした防空駆逐艦である
島風型駆逐艦の主砲が大きな満足を得たことからこれを単装5基搭載
さらには当初はボフォース40ミリ機関砲、のちに76ミリ速射砲を搭載したうえで、申し訳程度に7連装魚雷発射管を1基搭載している
ただし魚雷発射管はのちに撤去されてさらに砲塔1基追加がされるなどの努力がはらわれており、名実ともに対空駆逐艦ともなっていた
本級は空母機動部隊随伴艦は、直衛艦の秋月型では取りこぼす雷撃機対策のため多連装噴進砲を搭載。
水上砲戦部隊随伴艦は主砲塔増設を実施するなどのバリエーションが豊かであることが知られている
また、島風型よりもはるかに多数の合計80隻が建造されており、戦後には連合国側各国へ貸与あるいは供与されたことから、現在でも数隻が現役であるとされる
満載排水量はついに3800トンにまで達しており、すでに退役した巡洋艦天龍型にも匹敵していたが、当時の日本の工業力はこの大量建造を可能とした
そのために米海軍は本級をして「デイリーデストロイヤー(日刊駆逐艦)」「カレンダーフリート(月刊艦隊)」と呼んで恐れたという
以上の艦種をもって、大日本帝国海軍は太平洋戦争を戦うことになる
539: ひゅうが :2021/01/07(木) 11:02:51 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
【あとがき】――難産でした。今はこれが精一杯
540: ひゅうが :2021/01/07(木) 11:05:19 HOST:p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp
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×建造期間が2年半ほど→〇建造期間が1年半ほど
878: ひゅうが :2021/01/14(木) 22:47:20 HOST:p279123-ipngn200204kouchi.kochi.ocn.ne.jp
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夕雲型の建造期間を1年に、夕張型の排水量は1万2860トンとしておいてくださいませ
最終更新:2021年01月14日 22:58