672: yukikaze :2021/01/09(土) 20:32:49 HOST:p574198-ipngn200409kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
へいお待ち。リヴァイアサン世界の最上型出来上がりました。

最上型巡洋艦

全長:203.4メートル
全幅:20.6メートル
喫水:6.5メートル
基準排水量:1万4000トン
満載排水量:1万6800トン
機関:艦本式ロ号缶8基 艦本式タービン4基4軸 15万馬力
速力:34ノット
航続距離:18ノットで8,000カイリ
主砲:60口径15.5センチ砲3連装5基
武装:40口径12.7センチ砲連装5基(両舷2基、後部艦橋と第四砲塔の間に1基)
   ボフォース40ミリ機関砲連装4基
   20ミリ機関砲 単装4基
搭載機:水偵2機
装甲:舷側 弾薬庫部分140ミリ(傾斜20度) 機関室100ミリ(傾斜同じ)
   水平 弾薬庫部分 80ミリ 機関室60ミリ 
   砲塔防盾210ミリ 砲塔天蓋100ミリ

同型艦:「最上」「三隈」「利根」「筑摩」「大淀」「仁淀」
    「加古」「筑後」「吉野」「岩瀬」
    11番艦以降は、改最上型軽巡洋艦である「水無瀬型」に移行

(解説)
1930年代に日本海軍が整備した巡洋艦である。
太平洋戦争中は、その切れ目のない投射量により、アメリカ海軍水雷部隊及びアメリカ陸軍から『鋼鉄の雨』と呼ばれ恐れられるなど、日本海軍の軍馬として働いた艦である。

同艦の誕生の経緯は、第二次ジュットランド沖海戦における日本海軍水雷戦隊の壊滅にまで遡ることになる。
第二次ジュットランド沖海戦において、日本海軍がドイツ大洋艦隊に対して痛撃を浴びせていたものの、第一次ジュットランド沖海戦のイギリス同様、水平装甲を撃ち抜かれ、大被害を被っていた。
この時、遣英艦隊司令部は、これ以上の被害を避けるために、当初の予定を変更して、装甲巡洋艦を主体とした水雷戦を実施するも、既に旧式化し速度的にも速いと言えない装甲巡洋艦の突撃が通用するはずもなく、「単なる射的の的」「犬死」と、生き残りの水雷部隊の面々が酷評するレベルの大損害を受けることになる。

この一件は、日本海軍の水雷戦術を徹底的に委縮させることになり、艦隊決戦時に好機を見て敵艦隊に向けて突撃する行為など「蛮勇」と教科書に記載されるレベルで忌避されることになる。これ以降、日本海軍にとって、水雷戦術とは、あくまで「残敵掃討のための一手段」に留まることになる。
この退嬰的ともいえる行動は、最終的には過酸化水素魚雷及びロケット魚雷の開発によって大分緩和されることになるのだが、その反面、日本海軍において巡洋艦と駆逐艦が「水雷戦術のためのユニット」としてではなく「艦隊防衛のためのユニット」と、汎用艦としての役割が重視されたことは、結果的によかったといえる。

さて、艦隊決戦時における水雷部隊の強襲に否定的になった日本海軍であったが、当然、彼らはそれに代わる新しい戦術を構築していた。
それこそが「中口径砲による弾幕射撃」に他ならなかった。
同戦術を推進していたのが、日本海海戦において「三笠」の砲術長であった安保清種であったが、彼の「例え敵艦を沈めなかったとしても、中口径砲によって艦構造物に損害を与え続け無力化できれば、その艦は死んだも当然である」という理屈は、日清・日露戦争において実績を残していた分、海軍の大半から受け入れられることになる。

以降、日本海軍においては、「重装甲 速射性 高速力」を重視した巡洋艦整備が行われることになるのだが、その第1号こそ、夕張型巡洋艦であった。
アメリカ海軍が建造したオマハ級巡洋艦を圧倒し、重装甲はアメリカ海軍戦艦部隊の副砲相手にも長時間耐え、そしてその高速力で、毎分8~10発もの砲弾を敵戦艦に叩きつける。
アメリカ海軍においても主流派と言って差し支えない大艦巨砲主義者の面々も、この夕張型の戦術を正しく理解し、現状のままだとかなり厄介な存在になりうるという認識で一致するほどであった。
実際には、照準の修正などから、命中率を重視するのならば、電探射撃が実用化するまでは毎分5発程度が精々であったのだが、アメリカ海軍がそんなことを知る由もない。

673: yukikaze :2021/01/09(土) 20:33:49 HOST:p574198-ipngn200409kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
だがここからがアメリカの本領発揮であった。
彼らはペンサコーラ級では勝てないと判断したが、それならば夕張型をも圧倒する艦を作ればよいと主張したのである。
そして彼らは、現中口径砲において、Marks 9 20.3cm(55口径)砲の性能が優秀であったことから、同3連装砲を4基装備し、安定した砲撃ができる船体を用意した艦を『量産』すれば全く問題はないとの主張を行い、そしてそれを実際に実行に移したのである。
後にノーザンプトン級と呼ばれるこの巡洋艦は、15,000tクラスの規模を誇る堅艦となるのだが、大西洋と太平洋それぞれに3個戦隊の配備が求められ、最終的には、条約脱退後の追加措置で32隻もの建造が計画されることになる。
(ここら辺はポピュリストであるロング達が『強いアメリカ』を現出させたいというのと、失業者対策という観点があった。無論、計画通りにいかなかったのは歴史が示すとおりである。)

そしてアメリカのこの野放図な建艦計画に対し、日本海軍は「これだからアメリカ人は・・・」と、心底嘆いたとされるが、これに対する回答はというとまた難問であった。
海軍の中には、ノーザンプトンと同程度の艦を作ればという意見もあったが、費用対効果的に悪いというのと、20センチ砲の発射速度が毎分3発程度なのに対し、15センチ砲は8~10発であり、速射性を考えるならば、20センチ砲を今更ながらに採用するのは、日本海軍の巡洋艦運用のドクトリンからして意味がなかった。
一応、15センチ砲及び20センチ砲の自動砲化の研究は進められていたものの、FCSの新規開発まで絡んでくる問題であることから、現時点における解決策には何の寄与もしなかった。

では、砲撃戦に代わる何かをと言っても、見当たらないのが実情であった。
水雷派からは、開発に成功した酸素魚雷による遠距離からの統制雷撃というプランが出されていたものの、大射程になればなるほど命中率が低下するという根本的問題が解決しない限りどうにもならなかった。
一部の過激な意見としては「回避不可能レベルにまで魚雷を放つ」というのもあったが、絶好の射点に各水雷戦隊がつくことが至難の業であり、机上の空論以外の何物でもなかった。(なおアメリカは力業でそれをやってのけた。)

結果的に日本海軍は、夕張型の砲撃強化でお茶を濁すよりほかはなかった。
無論、ノーザンプトンを相手にした場合、射程と砲弾威力から、撃ち負ける可能性が強かったのだが、1分間当たりの投射量を考えれば、15門艦にすれば、こちらが打撃を受ける前に有効な打撃を与えられるのではないかと考えられたのである。余談だが、この時の日本海軍の焦慮は、電探射撃の開発に異常なまでのレベルで傾倒させることに繋がり(電探開発者から『百発百中の砲撃を実現させる』という言葉に転んだ。)、太平洋戦争において日本海軍の優位性を決定づける要因となる。

以下、同型の性能について解説する。

同型の全体的なシルエットは、史実セントルイス級軽巡洋艦に酷似している。
当初は、史実最上型のような砲塔配置にする予定であったのだが、弾薬庫部分を少しでも減少させるために、山なりの形になっている。
結果的に、弾薬庫部分の装甲重量は節約できたものの、砲弾の散布界があまりよくなく、これについては発砲遅延装置が整備されるまで、艦隊側から設計の不備扱いされている。

主砲については、夕張型と同様、27年式60口径15.5センチ3連装砲を装備している。
余談ではあるが、明治時代までは和暦を用いていたのに対し、大正時代から西暦を利用しだしたのは、ひとえに「兵器を輸出する際に、海外のユーザーから『わかりにくい』というクレームがあったため」であり、この辺も、当時の日本が、『商売』という観点から国政を動かしていたという証拠になっている。
同砲については、約60kgの砲弾を、カタログスペック上は1分間に8~10発撃つことが可能になっている。
とはいえ、電探射撃が実用化されるまでは、修正に時間がかかっており、実用的な射撃レートは5~6発程度となっている。

高角砲については、28年式40口径12.7センチ連装高角砲を5基備えている。
夕張型と比べて1基少なく、防空火力としては弱体化しているものの、排水量の兼ね合いからやむなしとされている。
同高角砲は楊弾機構付きであり、毎分15発~22発撃てる優秀な砲であり、旋回速度も毎秒25度と同時期の高角砲の中ではすぐれていたものの、その代償として重量が50t近く、夕張型よりも船体を大きくしたとはいえ、トップヘビーの傾向は解消されなかったとされている。

674: yukikaze :2021/01/09(土) 20:34:21 HOST:p574198-ipngn200409kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
防御についても夕張型を踏襲しているが、機関室部分については装甲重量を削るなど重量軽減に努めている。
とはいえ、余った重量については、船体の補強に使われるなどしており、夕張型よりも頑丈な船体に仕上がっている。
この船体の強固さと、機関のシフト配置を採用したことにより、非常に打たれ強い艦に仕上がっており、アメリカ海軍の酸素魚雷を受けても、何とか生還した艦も数多い。
アメリカ海軍からは「とにかくしぶとい。こいつを確実に沈めるには、最低でも14インチ砲をぶち込む必要がある」と報告されているが、これによって剣型装甲巡洋艦の対抗馬として計画されていたアラスカ級大型巡洋艦の建造が2転3転する羽目になる。
なお、安定性と水中防御性を考えて、インターナル・アーマー方式を採用、水中防御はそれをはさむ重油層で構成するという複層型液層防御としているが、これは日本海軍巡洋艦のスタンダードとなっている。(史実利根型の垂直防御及び水中防御である。)

速度については、計画では37ノットであったが、上述した船体の安定性及び排水量増から、34ノット程度に収まっている。
これは日本海軍において問題視されていたものの、夕張型がトップヘビー気味になっていて、荒天時での操艦に問題を抱えていたのに対して、同艦では許容範囲であったことなどから、渋々ながら受け入れられている。
なお戦時中においては実用に問題はなく、トップヘビーに苦しんだアメリカ海軍とは好対照になっている。

同型は、東京海軍軍縮条約で割り当てられた巡洋艦枠の内、15万トン分を利用し、太平洋戦争開戦時の日本海軍巡洋艦部隊の主力を務めることになる。(日本海軍の割り当ては27万トン。夕張型で4万トン、最上型で15万トン、阿賀野型で8万トンである。)
ただし本型は、砲戦能力に軸足を置きすぎたために、汎用性という点では問題を抱えており、また電探射撃の実用化や航空主兵への転換、更には護衛戦力の拡充もあって、太平洋戦争直前の艦隊拡張計画においては、廉価版と言っていい改最上型巡洋艦の『水無瀬』型に生産の主軸が移ることになる。(終戦までに24隻就役)

同型は、太平洋戦争開始後、積極的に各戦線で利用され、アメリカ海軍巡洋艦部隊との死闘を繰り広げることになり、傷つきながらも、日本本土で続々と就役する艨艟達が戦力化されるまでの間、必死に戦線を支えることになる。
戦争後半以降は、酷使によって一線で働くのは困難であるとして、主に揚陸部隊の火力支援艦として活躍。
毎分90発もの砲弾が敵陣地に降り注ぐのを見て、陸軍将兵からは「神様 仏様 最上様」「最上大明神」「陸軍の最良の恋人」などと絶大なまでの信頼を持たれることになる。
また、同型最大の見せ場と言ってもよいアイスランド沖海戦においては、陸軍揚陸部隊最後の砦として、同型4隻がアメリカ合衆国戦艦部隊に対し突撃し、アメリカ海軍公刊戦史において「彼らはまるで自らが不沈戦艦であるかの如く、極めて大胆に戦い、狩られるだけの羊達を最後まで守り切った」と、認めるレベルの奮戦を行い、アメリカ海軍の作戦を失敗に追い込んでいる。

太平洋戦争終結時に残存した艦艇は3隻であり、彼女達が戦った戦場の多さを見れば、まさに歴戦の勇者というべき存在であった。太平洋戦争終結後、傷だらけの彼女達は全艦予備役となり静かに解体を待つだけであったが、彼女達のこれまでの奮戦に救われた陸軍将兵達による署名活動や、戦後に沸き起こっていた記念艦保存ブームなどもあって、最も知名度の高かった『大淀』が、故郷である神戸において記念艦として、当時の姿を後世にまで残すことになる。

675: yukikaze :2021/01/09(土) 20:44:18 HOST:p574198-ipngn200409kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。モチーフは文中にあるようにセントルイス級軽巡洋艦。

まあ夕張型が完成されきっている艦ですので、あとはもうこいつの船としての安定性強化と量産性能高めるくらいだったんですが、ひゅうが氏の設定を見て「夕張型を強化する理由」を考えることに。
ぶっちゃけ、この部分が一番多く時間を取っていますw

セントルイス級というある種お手本があるので、あとはもうこいつの対空強化を少しばかりするくらいです。排水量制限が甘々だったのは本当に助かりました。
水中防御も利根型準拠ですんで、大変にしぶとい性能になったのではないでしょうか。
(なお、最上型・利根型で見られた水平装甲部分の傾斜はやっていません。砲戦距離考えるとちょっとデメリットの方が大きいかなあと)

あと、高角砲については、当時の技術力を見て、40口径に変更しています。流石に60口径は費用対効果的に厳しい。
あと、忘れがちですが重量問題でもきついかなあと。

なお廉価版の水無瀬型ですが、こちらは第三砲塔をなくす代わりに、艦橋と第二砲塔の間に高角砲積んでいます。
まあどちらかといえば夕張のリファインでもあるのですが、最上型の設計図を流用しているので、改最上型でよいかなと。砲塔の削減については、アメリカ海軍の巡洋艦戦力の建造が予想よりも低下していたため、12門艦でも
数で押し切れるという判断ですね。

さて・・・次は阿賀野型か。

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最終更新:2021年01月14日 22:35