406: 名無しさん :2021/01/11(月) 22:18:19 HOST:FL1-133-203-9-209.myg.mesh.ad.jp
前スレ998から議論が進んだので、更新版として設定を2レスほど貼らせていただきます
あくまで戦前の戦車に絞っており、戦争が始まってからどう化けるかについては今後の議論次第でしょうか
※
夢幻会が無い中で限りなく大陸日本軍にバフを掛けた場合の戦前戦車群(仮)改
武装:八九式三糎七戦車砲(45口径37mm戦車砲)×1 / 砲塔
:九〇式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:20mm(最大)
重量:11.5t
速度:40km/h
戦間期の1920年代末に開発された日本陸軍の中戦車(開発当時はイ号軽戦車と呼称)
ドイツとの技術協力によって開発され、登場時期を考えればとてつもなく先進的な戦車である。
現に張鼓峰事件やノモンハン事件では旧式(日本基準)ながらも投入され、ソ連戦車群と五分の戦いを演じている。
見た目は史実瑞製のL-10もしくはStrv.m/31軽戦車に酷似しているが、溶接ではなくリベット打ちである。
なお本戦車が40km/hという快速を誇り、トラックにも問題無く随伴できたがために
史実では八九式中戦車の速度不足への不満から生まれた九五式軽戦車は生まれず、
生産力は全て本車に注がれた。
- 八九式中戦車改甲型、乙型 <チイ改甲>、<チイ改乙>
兵装:九八式三糎七戦車砲(51口径37mm戦車砲)×1(甲型)
:または九七式短五糎七戦車砲(18.4口径57mm戦車砲)×1(乙型) / 砲塔
:九〇式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:20+20mm(最大)
重量:12.9t(甲型) または 12.7t(乙型)
速度:43km
1930年代末に行われた近代化改修による八九式中戦車の能力向上型。
後述する試製中戦車チニの開発中止、及び九七式中戦車チハの改修の影響で余剰もしくは新造した装備を
多数存在した八九式中戦車の改修に充てるべく、流用した経緯が存在する。
対戦車性能強化型とされた甲型は、新型砲塔にチニ用に開発されていた長砲身37mm戦車砲を搭載。
歩兵支援型とされた乙型はチハ用に作られたものの、チハ改への早期移行に伴って
余剰となることが決まった短砲身57mm戦車砲を搭載した。
また共通した改修として発動機の強化と、チハ改に取り付けられた20mm増加装甲の取り付けが実施されている。
小手先の改修ではあったが、合わせて40mmとなった正面装甲は大戦初戦で十分に機能した他、
有用な対戦車兵器を欠いた中国軍相手には大戦を通して通用したとされる。
兵装:九〇式歩兵砲(11口径70mm歩兵砲)×1
:または九〇式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔
:九〇式車載重機関銃(7.7mm機銃)×1 / 車体
装甲:13mm(最大)
重量:5.4t
速度:37km
1930年代前半、史実と同じ経緯で生まれた騎兵部隊向けの豆戦車。
ただしドイツとの技術協力があったため、見た目は数年前倒しで生まれたⅠ号戦車といった仕上がりになった。
なおフランスとの関係性が氷点下を下回る冷え込みであったために史実とは異なり、
ホチキス製13.2mm機銃をライセンス生産などしておらず、
国産の70mm歩兵砲か、7.7mm機銃2挺のどちらかが主武装として選択されている。
兵装:九七式短五糎七戦車砲(18.4口径57mm戦車砲)×1 / 砲塔
:九七式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:30mm(最大)
重量:14.0t
速度:45km
1937年、長らく八九式中戦車で満足していた日本陸軍が新たに採用した中戦車。主砲以外は史実チヘに近い。
主に中国大陸での戦闘を前提に、歩兵支援戦車としての側面が強く出たものとなっている。
しかしドイツとの技術協力の結果、溶接を新たに全面採用するなどして
従来の日本戦車に比べればすっきりした見た目となっている。
しかし正式採用翌年の1938年に発生した張鼓峰事件や1939年に発生したノモンハン事変で
短砲身故の対戦車戦闘能力の不足が指摘され、後述する武装強化型のチハ改に切り替えられた。
407: 名無しさん :2021/01/11(月) 22:18:51 HOST:FL1-133-203-9-209.myg.mesh.ad.jp
兵装:九九式長五糎七戦車砲(48.5口径57mm戦車砲)×1 / 砲塔
:九七式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:30+20mm(最大)
重量:15.4t
速度:41km
1939年初め、張鼓峰事件での戦訓を基に武装と装甲が強化されたチハ。ぶっちゃけ史実チヘ。
長砲身57mm戦車砲を採用し、20mm増加装甲を追加装備したことで
対戦車能力は(当時としては)申し分無くなった。
極少数がノモンハン事変に参加しており、ソ連軍戦車を一方的に痛め付けている。
なお本車の存在に目を輝かせたドイツへの輸出、ライセンス生産が行われたとか行われなかったとか。
兵装:九八式三糎七戦車砲(51口径37mm戦車砲)×1 / 砲塔
:九七式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:25mm(最大)
重量:12.2t
速度:43km
1937年以前、正式採用されたチハと競争試作されていた中戦車。
八九式中戦車の拡大発展させつつ、廉価で生産し易い戦車を目指していたが
主砲の開発の遅れが大きく響き、先んじて完成していたチハが採用され、本車は不採用となった。
ただし本車の開発は無駄ではなく、後に完成した主砲共々、八九式中戦車の近代化改修の糧となった。
兵装:九九式長五糎七戦車砲(48.5口径57mm戦車砲)×1 / 砲塔
:九七式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:55mm(最大)
重量:17.4t
速度:45km
1937年以降、開発が進められていた新型の中戦車。
採用されたばかりのチハを発展させる方向での開発が予定されていたが、
張鼓峰事件以降、急激に変化していく環境に付いていけず、
1940年初め、後述するチヘの開発に合流する形で消滅。
ドイツより購入した高射砲などを参考とした主砲を持つ、新型快速中戦車としてチトの開発が開始された。
なお本車用に開発されていた長砲身57mm戦車砲はチハ改へと流用されている。
兵装:百式七糎半戦車砲(38口径75mm戦車砲)×1 / 砲塔
:九七式車載重機関銃(7.7mm機銃)×2 / 砲塔主砲同軸及び車体
装甲:50mm(最大)
重量:18.8t
速度:40km
冬戦争で出現したKV-1重戦車の情報を入手した日本陸軍がチハを基に突貫開発した中戦車。史実チヌ。
満州方面での日ソ再衝突の懸念からとにかく最速で開発し、生産することが求められ、
車体はチハのもの(ただし装甲は一体化)。主砲は八九式野砲を改造した
戦車砲型の百式七糎半戦車砲が用いられている。
突貫のわりにはそれなりの仕上がりであり、後の二式中戦車までの繋ぎとして十分に働いたとされる。
最終更新:2021年01月19日 19:54