915: yukikaze :2021/01/16(土) 19:35:55 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
やっとできた。リヴァイアサン世界の蒼龍登場です。
蒼龍型航空母艦
全長:277.6メートル
全幅:47.9メートル(アングルド・デッキ含む)
喫水:9.55メートル
基準排水量:3万5千トン(公称。実際は38,000t)
満載排水量:4万4000トン
機関:艦本式ロ号缶18基 艦本式タービン4基4軸 15万馬力
速力:30ノット
航続距離:18ノットで10,000カイリ
武装:40口径12.7センチ砲単装6基(両舷3基づつ)
ボフォース40ミリ機関砲連装8基
20ミリ機関砲 単装10基
装甲:舷側 102ミリ(傾斜角なし)
水平 75ミリ(飛行甲板。+25mmDS鋼板あり)
搭載機数 1943年度で64機
同型艦 蒼龍 飛龍
(解説)
日本海軍が建造した正規空母である。鳳翔が半ば実験艦であったこともあって、本型を、日本海軍初の正規空母とみなされることもある。
同型の建造に密接にかかわっているのが東京海軍軍縮条約である。
同条約は、結果的に見れば、日英側の政治的勝利に繋がるのだが、同条約が結ばれた時点では「
アメリカのごり押しによる世界秩序の形成の象徴」のように思われていた。
何しろ、この時のアメリカは、「海軍建艦競争は第一次大戦の独英のように不要な摩擦を生み出す」と、各国に対して建造の破棄を求めたのだが、問題なのは、既にアメリカ側は自ら計画した戦艦群がほぼ完成しており、このアメリカの宣言は、「他国に一方的に軍縮を強いる」という、非常に恨みを買いかねない代物であった。
このアメリカ側の横暴に対し、日英は怒り心頭であったものの、イギリスは第一次大戦の傷跡が、日本は関東大震災の復興に莫大な予算が必要であったことも事実であり、『海軍軍人は血の涙を流した』と言われながらも建造中の戦艦を破棄する代わりに、巨額の復興支援をアメリカからもぎ取ったのである。
後に『大正の臥薪嘗胆』と呼ばれたこの一件により、日本人は、日露戦争時以上の熱意を以て、打倒アメリカに努力することになるのだが、この時点で日本海軍に許されている主力艦枠が
長門型……2隻(40,000t 16インチ砲9門)
加賀型……2隻(40,000t 16インチ砲9門)
天城型……4隻(45,000t 16インチ砲12門)
紀伊型……2隻(68,000t 18インチ砲9門)
阿蘇型……2隻(70,000t 18インチ砲9門)
※ これに練習戦艦枠の伊勢型2隻と、兵装実験艦である『比叡』があるが、これについては割愛する。
であり、強力なラインナップなのだが、相手があまりにも悪すぎた。
メリーランド級……6隻(45,000t 16インチ砲12門)
サウスダコダ級……6隻(47,000t 16インチ砲12門)
コンステレーション級……6隻(40,000t 16インチ砲12門)
アイオワ級……2隻(75,000t 18インチ12門)
メリーランド級以前の戦艦を退役させてなおこれだけの戦力を有しているのである。
しかも、アメリカ側はメリーランド級以前のテネシー級2隻を練習戦艦としていたが、この2隻は16インチ砲戦艦として再就役することが可能なように計画されているなど、真正面からぶつかったら、叩き潰されるのがオチという状況であった。
だからこそ日本は、条約締結以降、表面上は融和外交を取りつつ、裏ではイギリスとの連携を強めていたのだが(イギリスとしても、パクス・ブリタニカに極めて協力的な日本と、パクス・ブリタニカに正面から喧嘩を売った分家のドラ息子とどちらが好ましいかといえば、自明の理であった。)、この圧倒的な戦力差の前では、小手先の戦術の工夫などでどうにかなるとは、誰も考えてはいなかった。
史実ではここで『漸減作戦』という、机上の空論としては完璧であるが、前提条件の難易度があまりにも高すぎて絵に描いた餅でしかなかったプランを金科玉条の物としてしまうのだが、ジュットランド沖海戦での戦訓を考えれば、大規模夜襲作戦などと言う混乱必至の戦法など日本海軍が採用するはずもなく、最終的には『大艦隊であるが故に、敵の兵站を潰すことによって、敵の自壊を目論む』という方向にシフトすることになる。(もっとも、この戦略について『消極的』と、忌避する海軍士官も一定数おり、これらの問題が解決するのは、第二次大戦時のマリアナ・ショックまで待つ必要がある)
916: yukikaze :2021/01/16(土) 19:36:32 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
そうした流れの中で注目されていたのが『航空母艦』である。
航空母艦については、当時のアメリカはそれほど重視しておらず、日本海軍が廃棄する戦艦の船体を利用して空母を作るプランを出したことなどから「日本を14万トンとして、それを基準として20万トン程度でよかろう」程度にしか考えてはいなかった。
結局、史実以上に大艦巨砲主義を信奉していたアメリカ海軍は、『太平洋と大西洋にそれぞれ4隻配備』という流れのもと、艦隊決戦に最適化した装甲空母『ヨークタウン級』の整備に勤しむことになるのだが、前述したようにアメリカ海軍の兵站ラインを攻撃することを重視することにした日本海軍においては、この新たな艦種をどう使うかで議論が沸騰することになる。
その中で最も大きな勢力であったのが、『数こそ力』であるとして、17,000t級の中型空母を8隻整備するべきというものであった。
彼らにとって航空母艦とは『敵の輸送船団を攻撃するための索敵手段と攻撃手段を持つ兵種』であり、それならば数が多ければ多いほど良いとしたのである。
畢竟、航空母艦とは洋上に浮かぶ飛行場であり、飛行場の数が多ければ多いほど、取り扱える飛行機の数も増えるという彼らの理屈は理にかなっていた。
これが、紀伊型や阿蘇型の船体がほぼ出来上がっていたのならば話は別であったろうが、予算や資材供給の問題、なによりどちらも1番艦と2番艦の建造を最優先させていたことから、まだ3割程度の完成でしかなかったことも、同船体の利用よりも完全な新規設計の方が良いという意見を後押ししていた。
とはいえ、この提案が正式採用されることはなかった。
色々な理由があるが、その中でも一番大きかった理由が「8隻コンスタントに建造する費用がどこにあるよ」という大変に身もふたもない代物であった。
この時期の日本海軍は、巡洋艦整備や潜水艦整備、更には駆逐艦整備と補助艦艇更新が目白押しであり、更にここに空母まで加わった場合、海軍の整備計画を根底から見直さざるを得なくなるのである。
無論、彼らとて状況の変化に対して無策であるつもりはさらさらなかったが、如何せん航空機の性能が、この時期ではまだまだ未成熟であったことを考えれば、費用対効果的に割に合うのかという反論も無視できなかった。
なお、同案が葬られたもう一つの大きな理由はあまり褒められた理由ではなかった。
前述したように、紀伊型戦艦や阿蘇型戦艦の船体は3割程度の完成であり、進水すらしていない状態であった。
当然その資材は他に転用されることになったのだが(有名処としては、東京湾要塞、由良要塞、津島要塞に設置された18インチ砲塔であろう)、問題は機関であった。
紀伊型にしろ阿蘇型にしろ、20万馬力以上の高出力を目指すという、この時代の技術力では到底不可能と言っていい目標を掲げて作られた代物であった。
とはいえ、この時代の技術能力では、どれだけ頑張っても12万~14万馬力クラスが精々であり、しかも不安定。
夕張型が4隻の建造で打ち切られたのも、高馬力エンジンの安定化に自信がなかったことからのツインタービン採用による機関の高騰化によるものであった。
紀伊型や阿蘇型もこうした技術的問題に直面し、天城型のエンジン(15万馬力)に小型のエンジンをつけてツインタ―ビンとすることで、何とか20万馬力をたたき出したものの、問題は、既に廃棄する紀伊型や阿蘇型のエンジンは発注されており、大蔵省から、これらの機関の有効活用を強く求められたのである。
海軍省としても、大蔵省のこの要望を無視することはできず、結果的に「日本海軍が整備する空母は4隻」というのがなし崩しに決まったのである。軍事的合理性もクソもないこの決定は、当然のことながら批判の対象となっており、当時の海軍大臣であった財部彪は、東京海軍軍縮条約の一件もあって失脚。村上格一が辣腕を振るうことになる。
917: yukikaze :2021/01/16(土) 19:37:07 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
かくして日本海軍では4隻の空母を建造することになったのだが、次に議論になったのは「飛行甲板を装甲化するか否か」であった。
飛行甲板を装甲化する以上、低重心化の都合で乾舷を低くする必要があり、結果的にそのしわ寄せが格納庫に来ると考えられていたからであるが(この時期の日本海軍には露天係止という概念はない)、その一方で継戦能力という点では装甲化のメリットもあることから、なかなか答えは出なかった。
結局「装甲空母を2隻建造したのち、運用実績を考えて決める」という、玉虫色な決着をつけることになる。
以下、本型の解説について行う。
本型の最大の特徴は、その装甲化された飛行甲板と斜行式甲板(英名:アングルドデッキ)と呼ばれる斜め甲板の採用である。飛行甲板の装甲については、500kgの急降下爆撃に耐えられるよう75mmの装甲板が、格納庫の広さ(180m×22m)分だけ覆われている状態である。
これは、全ての飛行甲板に装甲を施した場合、排水量が軽く4万トンを超えてしまうためであり、必要最小限として格納庫部分だけを覆うことになったのだが、それ以外については、25mmDS鋼板だけであり、ここに打撃を受けた場合他の非装甲空母と同様、復旧に時間がかかることになる。
斜行式甲板については、イギリス海軍で採用されていた二段式飛行甲板を採用することは事実上不可能であったが、一方で着艦作業と発艦作業を同時に行いたいという要望から生み出されたものである。
これを考えた海軍技官は「航空機の発進と着艦、どっちが難しいと言えば着艦だし、じゃあ着艦をやり直しができるようにするのならば、斜めに着艦用の飛行甲板作るしかないだろ」と、後に語っているが、この採用により、日本海軍機の着艦事故は劇的に下がることになり、これ以降の空母にも積極的に採用されることになる。
(なお、同時発着艦については、当初は発艦距離の短い戦闘機限定であり、全ての機体で利用できるようになるにはカタパルトの採用からになる。)
なお、斜行式甲板と装甲甲板の兼ね合いから、エレベーターについては2基とし、それぞれ艦橋前部の右舷側に1基及び艦後部右舷側に1基備えられている。
これは、英米のように艦の中心線上にエレベーターを置いた場合、エレベーター稼働中に着艦ができないという問題とエレベーターにも装甲が必要になることを忌避したこと、更に言えばアングルド・デッキを備えたことによって、重心バランスが左舷側によっていたのを整えるという要素もあった。
この配置については、海面から飛行甲板までの高さが13m程度であったため、格納庫甲板まで波が被りかねないと敬遠する声もあったが、波対策については、防護シャッターを展開することにしたことや、そもそも猛烈な時化の状況で艦載機を発艦させるなんて不可能ということから、許容範囲とみなしている。
ただ、エレベーターが2基だけであったことは、航空展開能力に支障を来たしたのも事実であり、大改装時に、左舷後部側にエレベーターを設置する予定もあったが、結局実施はされていない。
舷側装甲については、15センチ砲クラスへの防御はともかく、20センチ砲クラスを相手にした場合、対応不可とされている。これについては排水量制限の問題や、そもそも空母が巡洋艦と打ち合うこと自体が本末転倒であるとみなしていたことが大きく、20センチ砲連装砲を2基装備していたヨークタウン級とは真逆の存在であった。
一方で、水中防御については、主要部を3重底とするとともに、液体(重油)層と空気層、及び装甲を組み合わせた5枚4層の合理的な防御構造が導入され、TNT換算で400kgの炸薬をもつ魚雷を防御することが想定された。
とはいえ、アメリカ軍の潜水艦魚雷は、その想定を超える威力を持つ魚雷であり、手痛い被害を受けることになる。
また、水中防御対策として、機関のシフト配置を採用しているが、これが飛龍を助ける要因となる。
918: yukikaze :2021/01/16(土) 19:37:40 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
艦の兵装については、この時期の空母としてはかなりの軽武装である。
これは「どうせ高角砲なんて打っても当たらん」というある種諦めとも、要求通りの重武装にしたら間違いなくトップヘビーになることを嫌われたとも、艦隊の防空はあくまで戦闘機であるという意見が押しとおったともいわれているが本当のところはよくわかっていない。
ただし、戦争中も、高角砲の強化はされなかったものの、機銃の増設はそれなりにされていたことから、個艦防御については幾分不満があったと言える。
同型は1番艦の蒼龍が1928年に、2番艦の飛龍が1929年に相次いで就役し、第一航空戦隊を形成している。
第二次大戦勃発後は、パラオ沖海戦、マリアナ沖海戦に参加し、持ち前の防御構造で最後まで戦線に留まり、マリアナ海戦以降は、武部提督指揮の元、『トラックの干殺し』と呼ばれる輸送船狩りに邁進。
ハルゼー提督との最後の勝負となった『エニウェトク環礁沖海戦』においては、一瞬の隙を突かれ、蒼龍と翔鶴が中破したものの、飛龍と瑞鶴による反撃によって『エンタープライズ』『ワスプ』を撃沈してのけ、ハルゼー提督を戦死させることで、アメリカ海軍の機動防御を崩壊に導いている。
余談ではあるが、瀬戸口藤吉が『エニウェトク環礁沖海戦』での飛龍の奮戦を以て作り上げた『飛龍の反撃』は、彼の最後の作品であるが、その勇壮さから、空母機動艦隊出撃時に必ず演奏される習わしとなっている。
その後も順調に活躍するものの、『第二次ソロモン海戦』において、飛龍が、アメリカ海軍潜水艦ノーチラスの雷撃を受けて長期戦線離脱を余儀なくされる。
残った蒼龍は、その後も順調にスコアを重ねたものの、改装された飛龍と合流する間際の1944年12月に、カリブ海でアメリカ海軍潜水艦カヴァラの音響誘導酸素魚雷によって大破炎上。何とかグアンダナモまで曳航するも、浸水が止まらず同港に着底。アメリカ海軍最後の戦術的勝利と言われた『第三次カリブ海海戦』において、キューバにあった日本
軍航空基地に砲撃を加えていた『アメリカ』の砲撃を受けることで、その命運が尽きることになる。
もっとも、この時の深追いによって、アメリカ級戦艦2隻は、復讐に燃える日本海軍潜水艦伊58の雷撃を受けて損傷。
イギリス海軍のケベック侵攻作戦に間に合うことができなかったことから『蒼龍最後の勝利』ともいわれている。
なお、最愛の姉を失った飛龍の怒りはすさまじく、ニューヨーク沖海戦においては、アメリカ級戦艦2隻に対して、日本海軍では重要視されていなかった急降下爆撃を敢えて敢行。
旗艦アメリカの艦橋部に直撃させたことで、同級の統一射撃を封じ込め、日英連合艦隊の勝利に貢献している。
戦後、生き残った飛龍は、度重なる損傷と、同型艦がいなかったこともあって、予備役に指定。
当初は練習用空母として利用することも考えられたが、大戦中の度重なる酷使から機関に予想以上のダメージを受けていたことなどから、結局、退役となる。
この際、海軍関係者から保存運動が巻き起こるものの、維持費用等がネックとなって断念。解体された同艦の資材によって、東京タワーが建設される。
その為、東京タワーには飛龍の戦績や戦闘旗、精巧な模型、更には錨が飾っているなど、彼女の栄光をしのぶことができるようになっている。
920: yukikaze :2021/01/16(土) 19:51:41 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。ひゅうが氏案の影も形もねえじゃないかというだろうが、無理やで。正直これですら結構甘いというか、速度は間違いなく鯖読んでいる。
この世界、割とヤベエな感があるのが機関の異常なレベルの発達。
大改装時とはいえ、太平洋戦争開始前に28万馬力とか出しているし、天城型はアイオワクラスの機関馬力持っているんで、普通に10年近く進んでいる状況。
史実天城のようなツインエンジン使っても20万いけるかは微妙。
だってこの時代、1920年初頭で一番馬力あるのマイティ・フッドの144,000馬力だし。
なので機関については、当初はツインエンジンで且つ200,000いけるかどうかまで下方修正しました。あとはもう1930年代前半までにホップステップジャンプできることをお祈りします。
防御構造については、大鳳をベースに舷側防御をやや弱体化させたもの。
巡洋艦に撃たれるなんてこと考えなければ、垂直防御ってそこまで気を付ける必要性が薄くなりますし。水中防御は必須ですが。
こいつの欠点は、エレベーターが2基しかないことでしょうねえ。
後部エレベーターが収容、前部エレベーターを発進として、カタパルト運用により出撃が速いとしていますが、それでも収用や発進に時間がかかるのは間違いないですし。
ここら辺が完全に満足いくのは、超大型空母の大鳳からでしょうねえ。
艦これネタの『飛龍の反撃』はどこかでか使ってみたいと思っていたのでここで利用することに。
最終決戦時に急降下爆撃かまして、相手の目を潰す。はいそこ、七色星団の決戦と言わない。
なお、瑞鶴隊は瑞鶴隊で、もう1隻のアメリカ級に果敢に雷撃かまして、注排水しても水平にならないようにしてのけましたけど。(それでも沈まない辺り流石なんだが)
最後は練習用空母にさせようかと思いましたが、瑞鶴の方が維持費用安いので(被害らしい被害がない)
ここでお役御免に。まあ反応動力空母で『蒼龍』型とするんで許してください。
最終更新:2021年01月19日 20:29