159: yukikaze :2021/01/24(日) 18:46:26 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
ではこちらも大鳳型航空母艦を投下。翔鶴型はまたいずれ。
大鳳型航空母艦
基準排水量 53,600トン
満載排水量 69,500トン
全長 300.0m
水線長 282.2m
最大幅 64.0m(アンクルドデッキ含む。船体の幅は40m)
吃水 10.5m
ボイラー 艦本式ロ号缶12基
主機 艦本式タービン4基4軸 24万馬力
最大速力 31.0ノット
航続距離 16ノット/12,000海里
乗員 4,000名
兵装 54口径12.7cm単装高角砲6基
装甲
舷側:178mm
甲板:飛行甲板:95mm、弾薬庫周辺:90mm、機関部周辺:55mm
搭載機数 136機(レシプロ機)
同型艦 大鳳 祥鳳 瑞鳳 龍鳳
(解説)
日本海軍が1939年度に策定した緊急海軍整備計画において建造をした空母である。
完成当時、最初から空母として設計された艦としては、世界最大の空母であり、大和型戦艦から改装された『播磨型』航空母艦とともに第二次大戦後半において、航空機動艦隊主力として活躍。
大戦終結後は、『飛鷹型』航空母艦が戦列に加わるまでの間、日本海運の中核として、冷戦の最前線に身を置くことになる。
1930年代前半、日本海軍は翔鶴型2隻の就役により、念願の正規空母4隻体制に移行する。
すぐさま、4隻の正規空母を運用することによって、空母運用のノウハウを積み重ねていくことになるのだが、この時、艦隊側において支持の大きかったのは翔鶴型であった。
確かに蒼龍型の飛行甲板の防御は、継戦能力という点では優れていたものの、35,000tという排水量の割に、搭載機数が64機と少なく5,000tも排水量が少ないのに、排水量が100機近い翔鶴型を好むのは、ある意味無理のないことであった。
しかも、蒼龍型の装甲飛行甲板にしても、実験の結果、500kgの徹甲爆弾を使われた場合、急降下爆撃だと高度450m以上、水平爆撃では
高度1,200m以上から投下された場合、飛行甲板を貫通して、格納庫に大被害を与えることが判明し、海軍内部においては、飛行甲板の装甲化について無用論が出る始末であった。(蒼龍型が、排水量の都合上、エレベーターが2基しかなく、航空運用に不便だったのも蒼龍型の不評を後押しした。)
こうした動きから、海軍においては、今後の空母戦力の拡充としては、翔鶴型空母を量産するのが適当であるという意見が支配的となっていた。奇しくも、海軍としては『新八八艦隊計画』において、今後、大量の装甲板が消費されることを考えるならば、効果が限定的と見られていた装甲空母よりも、従来型空母の方が戦力的にも予算的にもマシと思われたからである。
この流れに待ったをかけたのが、第一航空戦隊を指揮していた嶋田少将である。
山本五十六と並んで「海軍航空の生みの親」と呼ばれる彼は、同一排水量において、装甲空母の搭載機数の少なさを認めるも、その一方で「徹甲爆弾の威力は分かるが、だからと言って「では飛行甲板の防御は不要」と唱えるのも乱暴。陸用爆弾一発で飛行甲板が使い物にならなくなる可能性を考えれば、排水量の制限がない場合は、可能な限り装甲化を進める方が、空母を指揮する側からすれば、より柔軟に且つ大胆に行動することができる」と、反対の論陣を張ったのである。
無論、嶋田にしても「航空母艦にとって重要なのは運用する航空機の数と、搭載機の全力を発揮できるだけの体制」として、排水量の制限があれば非装甲でもやむを得ないと明言しているのだが、海軍航空の第一人者の発言は、それなりに重く、結果的に装甲空母の研究は、頓挫されることなく続けられることになる。
とはいえ、海軍側にとっての本命は、あくまで翔鶴型であり、一朝有事の際は、翔鶴型の設計を幾分簡略化した空母を、1年8ヶ月で起工から完成まで至るように整えることを計画していた。
実際、艦政本部における人員も、改翔鶴型の設計に人数が多く取られており、装甲空母の設計については、あくまで研究のための最低人数しか配属されていなかった状況を見れば、海軍の装甲空母の熱意がどの程度であったかを見て取ることができる。
そうした状況が一変するのは、1936年の
アメリカによる東京海軍軍縮条約の事実上の形骸化を待つ必要がある。
160: yukikaze :2021/01/24(日) 18:47:40 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
1930年代の
アメリカは、転落の道を転げ落ちていた。
世界最大の経済大国にのし上がったまではよかったが、悪い意味で自国の利益に忠実でありすぎたために、列強各国から侮蔑と憎悪の視線を一身に纏う羽目になっていた。
アメリカにとって不幸だったのは、彼らは世界各国から孤立しつつあるという現状に対して、「相応しい地位についていない」不満以外持っていなかったということであろう。
実際には、これまでのアメリカ外交の稚拙さと、世界恐慌を引き起こしておきながら、日英からの早期解決プランを拒絶したことの積み重ねが、列強諸国から見切りを付けられただけなのだが、問題は没落の道に入ってなお、世界有数の経済力と軍事力を保持していたことであろう。特に20隻保有している『ダニエルズ・チルドレン』の戦艦群は、各国海軍にとっては脅威の的であり、アメリカ国民にとっては、自国の強さと偉大さの象徴であった。
そしてポピュリストであるが故にこれらの空気を最大限に利用したのがロングであった。
彼は、この強力な海軍を更に強化すれば、
アメリカを侮っている列強もたちどころに
アメリカに頭を垂れ、失業者も造船や鉄鋼、更には拡張された海軍に吸収され、そしてロングは「合衆国を救い、新世界を導くリーダー」として称賛されると、彼とそのブレーンは算盤を弾いたのである。
徹頭徹尾、自国の都合でしかなく、他国の反発必至なのであるが、外交素養のないポピュリストや、それに煽られる大衆にその辺の配慮を気にすることなどあろうはずもなく、警鐘を鳴らした一部の人間は『非国民』として断罪されるなど、自由民主主義ではなく、国家社会主義への道をひた走ることになる。
1937年にアメリカ政府が発表した海軍拡張計画はまさにその現われであっただろう。
今後5年間の内に、ルイジアナ級戦艦6隻、ヨークタウン級空母4隻、ノーザンプトン級巡洋艦4隻、駆逐艦64隻を整備するという発表は、ルイジアナ級戦艦を除けば、一応は総排水量の枠組み以内に収まる計画ではあったものの、
アメリカの行動を受けて、列強各国がエスカレーター条項を決定して以降は「条約違反」として、総排水量規制を半ば無視するような形で(一応
アメリカは、「各国がエスカレーター条項を撤廃し、
アメリカが「適正である」と判断するレベルで自主的に軍事力を削減するのが確認できた場合、
アメリカも、総排水量規制に従い、海軍戦備を見直す」と宣言したものの、「適正」の基準も碌に示さなかった時点で、その目論見は御察しであった。)、更なる海軍拡張を進めていくことになる。(1939年に議会を通過した、
アメリカ級戦艦4隻、フィリピンズ級大型装甲巡洋艦6隻、インディペンデンス級軽空母8隻、改ノーザンプトン級12隻、アトランタ級12隻、駆逐艦多数のアレン・プランのこと)
この流れで日本も、大和型戦艦8隻、既存戦艦8隻の大規模改修を軸にした『新八八艦隊計画』を遂行することにする。
1938年時の日本海軍の計画は、大和型戦艦6隻、阿賀野型巡洋艦6隻、陽炎型駆逐艦16隻と、こちらも軍縮条約の総量を守りつつ、ルイジアナ級戦艦に対する牽制を主にしていたわけだが、1939年のアレン・プランを受けて、更なる戦力の拡充を決意することになる。
この時、海軍軍令部次長に就任していたのが嶋田繁太郎中将であったのだが、彼は、アレン・プランが未だに大艦巨砲主義のままであることに着目し、以下の方針を固めることにする。
- 以後、海軍の戦備を航空機主体とする。
- 原則、水上艦艇の建造については、航空母艦、護衛用の巡洋艦及び駆逐艦を主体とする。
- 航空母艦については、以後30年は使える艦艇と、戦時に1年強でできる戦時急造空母とに分類する。
- 潜水艦については、水中高速潜水艦を主力とする。
この決定に戦艦派は激怒したのだが、それも嶋田の「大和型以上の化け物をそんなにホイホイ量産できると思うか? 維持費だけで死ぬぞ?仮に
アメリカが20~30万トンの戦艦作っても、今の
アメリカの国力じゃあ、逆に持て余すだろ」という、総研から出されたデータを基にしての説明によってぐうの音も出ないことになる。(それでも、大和型7番艦と8番艦の予算化だけはバーターとして確約させた。)
実際、嶋田のこのプランがあったおかげで、日英は1940年以降加速度的に悪化する国際情勢を乗り切れるだけの戦力確保に成功しているのだから、嶋田の先見の明が光る決定であったと言える。
161: yukikaze :2021/01/24(日) 18:48:50 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
これにより最上型巡洋艦や阿賀野型巡洋艦の廉価版と言っていい『水無瀬』型や『球磨』型が、1940年代以降続々と建造されることになるのだが、その嶋田が主力空母として指定したのが、当時細々と計画されていた、45,000t級装甲空母であった。
口さがない者からは「嶋田が自分の好みの艦を指定した」などと評される決定であるが、嶋田にしてみたら「排水量制限が緩和され、船体も大型化できるんだったら、わざわざ無防備にする必要はない」「航空戦は数であり、同排水量においては、非装甲空母の方が効率的とあるが航空機の運用を考えるに、一空母が運用できる数は最大でも100機程度。そう考えると、コスト的に翔鶴型が有利と一見見えるが、航空機の更なる大型化を考えた場合、航空母艦の大型化は避けられない。そうなると翔鶴型は、今はともかく今後は小さすぎて使いにくい艦となる。
航空機の運用数に制限がある以上、排水量の拡大は防御に回すのが合理的。無論、非装甲甲板にして個艦排水量を減少させるという方法もあるだろうが、大型空母がたった一発の被弾で長期間戦線離脱するという危険性を無視することはできない」という理由からの判断であり、大鳳型とほぼ同じ排水量の『イーグル』級航空母艦(史実マルタ級航空母艦)が、沈みこそしなかったものの、被弾に弱く長期的に離脱しがちだったことを考えれば、彼の言が正しかったと言えるであろう。
以下、本型について解説する。
本型のシルエットは、史実ミッドウェイの最終改装の姿に準じた代物になっている。
元々、日本海軍の空母の基本形は翔鶴型によって完成されていたところであるが、本型では飛行甲板での利用の増加を図るために、舷側エレベーターの張り出しが、翔鶴型よりも大きくなっている。
これにより、70年代まで大掛かりな改装の必要もなく、現役を全うすることになるのだが、バランス的には聊か悪かったのも事実であり、水面から飛行甲板までの高さが、トップヘビー防止のために15mとなっていたことから、蒼龍型空母よりはましとはいえ、荒天時における波浪の影響を受けやすいのは欠点とされていた。(トップヘビーの心配がない翔鶴型は17m)
また、GM値がやや大きかったことから動揺周期が短くなり、飛行作業に面倒が生じたことも、本型の欠点とされていた。
防御構造については、播磨級空母を除くと、日本海軍でも最大の防御力を誇っている。
舷側装甲については178mmと、播磨級と比べると薄かったものの、播磨級の装甲が傾斜装甲であったために、3.3mの高さしかなかったのに対し、本型の装甲適用範囲部の高さが5.5mにまで拡大をしており、被弾による艦内の損害箇所の局限化を計ることができている。
飛行甲板については、蒼龍型を超える95mmの装甲を飛行甲板全面に張っており、500kg通常爆弾及び250kg徹甲爆弾による全高度からの水平爆撃及び800kg爆弾による低高度からの急降下爆撃にも耐えられるようにしている。
おの防御性能によって、アメリカ軍から幾度となく狙われながらも、一度も膝を屈することなく航空攻撃を加え続けたことから、アメリカ軍から酷く嫌われる存在になる。(なお最も嫌われたのは、最初から最後まで無傷で戦果を挙げ続けた『瑞鶴』と、何度も撃沈判定を下しながらも
その都度蘇っては痛打を与え続けた『翔鶴』の『アバズレ姉妹』(アメリカ海軍命名)である。)
なお、飛行甲板だけに目がとらわれがちであるが、弾薬庫及び機関室上面にも相応の防御装甲が張られており、仮に飛行甲板を貫いても、弾薬庫や機関室は無事であるようにしている。
本型最大の特徴は水中防御であり、これは阿蘇型の防御構造の発展型になっている。
水線化の水中防御は、翔鶴型と同様衝撃吸収層を持つ多層式防御となっているが、翔鶴型の4層に対して本型では6層となっており、更に各層の幅は、翔鶴型の1.35mに対して、本型では1.5m。隔壁の厚みも、翔鶴型の1.5倍から2倍程度にまで増厚されることになる。
これだけでも抗堪性が強化されていることが分かるが、同型では両舷各6基の汽缶を単独の汽缶室に分けるとともに、両舷に並んだ汽缶室の内側に内軸用と外軸用の機関室を前後にスペースを分けて配置していることで、仮に機関室部分で被雷しても、各舷側の個々の汽缶室で被害が局限できるようになるなど、艦隊側からも好評を受けている
162: yukikaze :2021/01/24(日) 18:49:22 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
事実、祥鳳が被雷したときは、汽缶にこそダメージを受けたものの、航行には全く支障がなく、作戦行動を続行していたことからも、同型の水中防御の優秀さを見て取れるのだが、その反面、機関の取り回しが非常に面倒になり、本型以降には採用されていない。
また、艦内の区画が細分化されたことなどから、艦内は巨艦の割には狭苦しく、居住性は、翔鶴型や播磨型よりも良いとはいえず、搭乗員は、播磨型ではなく本型に配属されるのを嫌がったともされる。(播磨型が『播磨ホテル』と呼ばれるレベルで居住性が良かったのもあるのだが)
本型の兵装については、排水量の割にかなり軽武装となっている。
これはトップヘビーを嫌ったが故の措置とされているが、流石に単装砲6門だけというのは『個艦防御すらできない』として、艦隊側から機関砲等の追加装備要求が出されることになる。
とはいえ、すでに護衛艦艇も充実していたことから、追加装備がされることはなく、1960年代の大改装時に、艦対空ミサイル発射機やCIWSが取り付けられた程度になっている。(その際12.7cm砲は撤去さえている)
本型の搭載機数は、艦上戦闘機及び艦上攻撃機がそれぞれ64機、偵察機が8機という数字であり、圧倒的というべき航空打撃力を有している。
それを如実に示したのが、第二次ニューファンドランド沖海戦であり、日本から播磨型航空母艦とともに増援に赴いた大西空母機動艦隊によって
アメリカ艦隊は大被害をこうむり、堪らず引き返そうとしたところに、フィリップス艦隊の突撃により、トラファルガー以来のワンサイドゲームを獲得することに成功する。
アメリカ海軍にとっては、播磨型と本型が参戦するなど欠片も予想しておらず(基本的に就役は1年後と見ており、播磨に至っては大和型戦艦として建造されていると判断されていた)、本海戦での敗因の一つとなっている。
本型は、第二次大戦中最後の海戦である『ニューヨーク沖海戦』においても、
アメリカ陸海軍航空隊の攻勢(自爆機含む)を凌ぎながら、
アメリカ艦隊に対して航空攻撃を継続し、海戦の勝利に尽力することになる。
冷戦中も、播磨型と組んで、東ロシア帝国やアメリカ合衆国(東アメリカ)との睨みあいを続けるものの、格納庫の高さが5.3mしかなかったことが祟って、第三世代ジェット機の運用に支障を来たし始めたことや、日本海軍の艦艇が原子力化やガスタービン化に移ったこともあって、70年後半以降から順次、反応動力空母である『飛鷹型』へと代替されることになる。
163: yukikaze :2021/01/24(日) 18:57:43 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
これにて投下終了。
史実ミッドウェイの最終改装形態をベースに策定してみました。
文中にある大型装甲空母不要論。これ史実アメリカ海軍で実際にあったもの。
アメリカ海軍自身はエセックス級で満足しており、この大型空母建造については「エセックス建造の邪魔になる」として否定的でした。
ぶっちゃけルーズベルトが「大型装甲空母作れや」と、再三勧告しなかったら流れていただろうなと。(FDRはインディペンデンス級でも同じことしており、海軍は「また横やり入れやがった」と、うんざりしていたようですが)
史実キティみたいなの作らなかったのは、播磨型に取っていたため。
まあただでさえ、3万トン級の翔鶴型で満足している艦隊に、キティクラスの大きさの空母提案しても「翔鶴型4隻よこせ」と怒鳴られるでしょうし。
なおこいつの恐ろしさは、三輪型空母の建造を優先していたこともあって、1942年になってようやく起工したけど、1945年には実戦配備できたという建造スピード。
造船大国日本の本気を示す証拠でもあります。被害者のミッチャーとスプルーアンスは本気で泣いていいと思う。
なお、最初の段階で史実ミッドウェイの最終形態に近いシルエットですんで、大改装費用がそれほどかからず、運用にかかる費用は大分安くなっえいます。
これが冷戦時代の日本海軍の艦艇整備に役立っているという裏事情があったりします。
164: ひゅうが :2021/01/24(日) 18:58:09 HOST:p279123-ipngn200204kouchi.kochi.ocn.ne.jp
159-162
乙です
もはや通常の戦艦以上の大きさを誇る空母。しかも装甲済み
素敵ですね
あとどこかからか「アバズレですって?!冗談じゃないわ!」と怒りの声がw
(それと、24万馬力の方でよろしいのですよね?)
165: yukikaze :2021/01/24(日) 19:19:59 HOST:p149168-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
164
24万馬力でお願いします。(修正し忘れた)
最終更新:2021年01月25日 00:46