326: yukikaze :2021/01/30(土) 17:18:19 HOST:p151177-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
ようやくできたぞ播磨型。
しかしレッドサン・ブラッククロスの『北の暴風』作戦見ていると、ドイツ海軍の絶望がよくわかる。
フォレスタルやキティ・ホーク相当の艦が分かっているだけでも6隻、これにドイツ側が予想していなかった同型艦4隻の殴り込みだしなあ・・・
播磨型航空母艦
基準排水量 76,000トン
満載排水量 98,500トン
全長 312.0m
水線長 306.2m
最大幅 76.8m(アンクルドデッキ含む。船体の幅は44.5m)
吃水 11.2m
ボイラー 艦本式ハ号缶重油専燃缶12基
主機 艦本式反動タービン・衝動タービン複合8基4軸 33万2000馬力
最大速力 32.0ノット
航続距離 18ノット/15,000海里
乗員 4,500名
兵装 54口径12.7cm単装高角砲8基
装甲
舷側:210mm(20度テーパー)
甲板:飛行甲板:95mm、弾薬庫周辺、機関部周辺:127mm
搭載機数 136機(レシプロ機)
同型艦 播磨 備前
(解説)
日本海軍が第二次大戦中に就役させた空母である。
完成当時世界最大の基準排水量を誇る空母であり、この排水量については、蒼龍型反応動力空母就役時まで破られていない。
戦艦改装空母でありながら、その航空運用能力は破格であり、飛鷹型反応動力空母が就役してもなお、冷戦終結まで第一線を張り続けた歴戦の航空母艦である。
そも、本型の建造については紆余曲折があった。
元々、本型は大和型戦艦の7番艦及び8番艦として、1939年度に策定した緊急海軍整備計画において建造が認められていたのだが、実際に起工されたのは1942年と非常に遅れたものであった。
こうなった原因はイギリスにあった。
この時代のイギリスの装甲板の供給能力はかつてと比べるとかなり低くなっており、英政府としても新規鉄工所を建設するなど努力を重ねていたものの、1930年代の労働党政権の産業政策の失敗もあって、とてもではないが艦隊拡張計画である『V計画』の必要量を満たすことは不可能であった。
その為、イギリスは恥も外聞も捨て去り、チェコ・スロバキア、西ロシア、満州王国、大日本帝国に大量発注することになるのだが、その中でも戦艦クラスの装甲板の生産能力を持つ唯一の国である日本には、相場よりも高い金額で発注をかけていた。
(勿論、納期については非常に厳しく、品質調査については入念に行われていた。)
こうしたことから、日本においてはイギリス向けの装甲板製造を優先的に行う必要があり、必然的に大量の装甲板を必要とする『播磨』と『備前』については起工そのものが後回しになる羽目になった。
日本にしてみれば、イギリスが早期に脱落してしまえば、
アメリカの強大な戦艦群が太平洋を驀進して帝都にまで乗り込みかねない訳で、イギリスの戦力強化の代償に自国の一部艦船の生産が遅れることなど許容範囲内であった。
327: yukikaze :2021/01/30(土) 17:19:32 HOST:p151177-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
こうしたことから、アメリカ合衆国が日英に宣戦を布告した時には、『播磨』と『備前』は、船体の30%しか完成しておらず、海軍省は、この2隻の建造を即刻中止し、建造のために製造・集積されていた各種資材を、様々な艦艇の建造材料や修復のために転用することを決定する。
10年近い臥薪嘗胆の末、1910年代と比べると雲泥の差と言っていい造船能力を保持した日本であったが、完成までに4年近くかかる戦艦をのんびりと作ってやるほど余裕がある訳でもなく、両艦をさっさと解体したうえで、空いたドックで輸送船や駆逐艦を建造した方がはるかに合理的であったからだ。
しかしながらこれに異を唱えたのが海軍艦政本部と航空本部であった。
両組織とも、山本五十六海軍大臣に対して決定の撤回を求めるとともに、同戦艦を超大型航空母艦に改装することを提案。
しかも海軍軍令部や連合艦隊司令部を巻き込んで賛同者を増やすというものであった。
この両組織の行動は、明らかな越権行為であり、事実、山本五十六はかなり腹を立てたのだが(特に古巣である航空本部の行動は『飼い犬に手を噛まれた』とお冠であった)、一方で、両組織の出した空母改装案が魅力的であったのも事実であった。
大鳳型の飛行甲板面積よりも拡大されたことにより、航空機の更なる大型化にも十分に対応できる能力。エレベーターも舷側に4基設置されたことで、これまで悩みの種であった、飛行甲板と格納庫との移動がよりスムーズになり、水面から飛行甲板までの高さも19mと、これまでの日本海軍の空母の中でも最も高く、波浪にも強い構造になっていた。
燃料や弾薬の搭載量も大鳳型がそれぞれ1,300kl、1,800tだったのを、2,800kl、2,600tと大幅に拡大をしていることで、自艦のみならず、他艦の航空機すら普通に運用可能。更に戦艦改装空母であることから、防御力も通常の空母よりも強化されていることで、艦隊にしてみればこれ以上ないほど強力な空母に他ならなかった。
とはいえ、一見すると、航空本部と艦政本部が足を揃えて計画を推進しているように見えるが、実際には全くの逆。
特に艦政本部に至っては、航空本部に対しかつての遺恨を晴らすための意趣返しでしかなかった。
何故か? それは三輪型航空母艦の決定にさかのぼることになる。
良く知られているように、三輪型航空母艦が、戦時急造空母として設計され、大戦中盤以降の日英海軍の制空権確保に大きく寄与した殊勲艦である。
だが、艦政本部の人間にとっては、この艦は屈辱の象徴と言えるものであった。
元々、艦政本部においては、翔鶴型航空母艦を戦時急造仕様として改正した艦を本命と考えていた。
あくまで彼らは、アメリカ海軍との殴り合いに勝つための艦こそ王道であると考え、建造についても、造船所が建造に馴れれば、1年半程度で完成するものと見積もっていた。
だが、航空本部は、艦政本部の考えに異を唱え「航空母艦は洋上の飛行場であり、航空機運用能力以外は余技である」として、航空機運用能力以外を徹底的に切り詰めた半面、1年未満で完成する安価な航空母艦を提案したのである。
当然のことながら、艦政本部は拒否するのだが、彼らにとって不幸なことに、海軍省内においては『戦時急造空母』としてみた場合、改翔鶴型は贅沢に過ぎるという意見の方が圧倒的であったのだ。
これは、改翔鶴型が『主力空母』としてみられていたことも大きいのであるが、建造期間もさることながら、建造費用が圧倒的に安い(何しろ特殊な装甲などどこにもなく、溶接に適した鋼材のみでの建造なのだ。その分、被弾にはひどくもろかったのだが)こと、そして戦時急造空母であるが故に、長期間運用するつもりがなかったことを、艦政本部が割り切っていなかったこと(もっとも生き残った三輪型空母は、維持費用が安かったことで、ヘリ空母や対潜空母、または強襲揚陸艦に改装されたりもしたのだが)が大きかったのだが、最終的に航空本部の主張が採用されてしまったことは、艦政本部のプライドを粉々にするには十分であった。
故に、艦政本部は、三輪型空母の価値を徹底的に貶めるべく、機会を窺っていた。
一番いいのは、三輪型以上に安く、建造期間もなく、航空機搭載数もあり、且つ防御にも優れた艦なのであるが、そんなものを建造するのは無茶無理無謀もいいところである。何より航空本部の掲げるコンセプトで争うなど、艦政本部のプライドが許さなかった。
328: yukikaze :2021/01/30(土) 17:20:17 HOST:p151177-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
そんな中、艦政本部の中で浮かび上がったのが『中継空母』案であった。
三輪型空母の防御力のなさは建造開始前から問題にされており、実際、空母間での航空戦が行われた場合、大被害を受けるのはほぼ確定であった。(実際、何隻もの艦が、潜水艦の雷撃や爆撃によって大破炎上し失われてもいる。)
そうであるならば、三輪型空母は、敵の行動半径内に突っ込ませるのではなく、敵の行動半径外から飛行機を飛ばし、他の空母を中継して攻撃を加えれば、三輪型空母の防御力のなさも問題にならないという提案が出されたのである。
この提案の肝は、もしこの中継空母案が採用された場合、航空戦で最も重要なのは『中継空母の存在』であり、三輪型空母は『中継空母を活用するための添え物』扱いになるということであった。
当初は『中継空母』構想に懐疑的であった艦政本部の上層部も、三輪型空母が『航空戦の主体』から『飛行機を飛ばすだけの脇役』扱いされるという真の目的を聞いてからは積極的に賛同し、大鳳型空母の後継艦という名目で、ひそかに研究を進めていたという曰く付きの代物であった。
戦艦の空母改装プランが即座に提出できたのも当たり前で、何しろ『中継空母』であるが故に、その艦の防御力は必然的に強くなければならず、そう考えた場合、『当時もっとも強固な艦』であった大和型戦艦の船体設計を流用するのは至極当然な帰結であった。
この艦政本部の思惑については、航空本部もうすうすは気づいていたものの、ある意味等閑視していた。
いや、それどころではなかったというのが正解であろう。
倉崎という身内の技術士官によって生み出された『流星』は、確かにこれまでの航空機の攻撃力を地平のかなたに置き去りにするレベルでの強力な攻撃力を有していたのだが、その攻撃力をフル活用しようとした場合、既存の航空母艦では、継戦能力が半減以下になることが明らかになったからである。
何しろこれまでの攻撃機が、500kg爆弾や800㎏爆弾の搭載数が1発だったのに対し、流星は、500kgが最大3発、800kgも最大2発である。無邪気に喜ぶ航空士官とは対照的に、主計士官は顔が真っ青になったとされるが、蒼龍型から三輪型までは航空燃料搭載量や弾薬搭載量を増やすことは不可能であり、大鳳型も搭載機数が多くなることを受けて従来よりも搭載量は多かったものの、逆を言えば、流星をフル活用して対応できるのが大鳳型しかないという状況であったのである。
この問題については、「速吸」型補給艦を始めとして各種補給艦の建造を行うこと等で何とか対応することにしたのだが、それでも今後の航空機の発展を考えるならば、大鳳型ですら能力が不足しかねないのである。
そう考えるならば、航空本部にしてみれば、艦政本部の行動は渡りに船だったと言える。
なお、艦政本部にとっては残念なことに、この中継空母案は、自艦の航空機搭載数が大幅に減少(何しろ他艦の航空機を積極的に運用するのだから、必然的に自艦に所属する航空機は不要ということになる)することが嫌われたことで廃案になるのだが、その破格と言っていい運用能力は山本五十六も認めるところであり、1946年春までに実戦配備させることを条件に改装案を承認。
以降、大型艦において最優先で資材の供給を受け、1945年12月に両艦とも就役することになる。
以下、本型について説明する。
本型のシルエットは、史実キティ・ホーク級のJFKの外観の通りとなっている。
本型によって、日本海軍大型空母の基本シルエットは固まったと言え、このスタイルが崩れるのは、改飛鷹型反応動力空母である飛天型反応動力空母(史実フォード級)を待たなければならない。
航空運用機能の強化に対応できるよう、艦橋構造物が艦尾側に移動されている。また、電探兵装が強化されたことから、ラティス構造の本格的な後檣が設置されている。
航空艤装のレイアウト改正のうち、最も目立つのがエレベーターの配置であった。これまでの空母ではエレベーターは2基~3基であったが、同型では、甲板上での航空機の動線を合理化し、ハンドリングスペースを確保するため、右舷側艦橋前に2基、後方に1基とし、また左舷側のエレベーターを艦尾側に設置している。
エレベーターの大きさは、25.9メートル長×15.8メートル幅であり、これ以降の機体の大型化にも問題なく対応している。
格納庫の床面積は、209.7メートル×幅32.3メートルであり、大鳳型よりも拡大されている。
特筆すべきは格納庫の高さであり、大鳳型が5.3メートルなのに対し、本型は7.62メートルと大きく取られており、第三世代ジェット機の運用も余裕をもって対応できるなど、本型が長期間運用される要因となっている。
329: yukikaze :2021/01/30(土) 17:20:50 HOST:p151177-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
船体については大和型を基調としているが、流石に水密区画については細かすぎるとして1,200にまで減少させている。
もっとも、これですら長門や加賀などと同レベルであり、本型が徹底的に『沈みにくい』艦であることを目標とされたのが見てわかる。
竜骨から水線まで縦通する2個の隔壁が設けられており、また横隔壁はおよそ10メートルおきに設けられている。ただし大鳳型で採用された防御面から機関区画を極端に細分化した配置に対し、本型では機械室と缶室を分離せず、主機と缶3基を1組として4区画に分け、これらを前後に分離して、この間に補機区画を設けている。
これは、高馬力を発揮させるために、ツインタービンエンジンを採用したことで、主機関が大きくなっていたことなども影響しているのだが、この辺は、大鳳型の機関の取り回しが非常に面倒であることへの反省と言えた。
防御構造については、舷側装甲として210ミリの装甲を20度テーパーにして装着。
飛行甲板は大鳳型と同様であるが、舷側装甲上部分と接続している水平甲板の装甲は、127ミリにまで増厚されており、アメリカ海軍のお家芸である急降下爆撃に対しても問題なく対応できる性能を有している。
ただし、舷側装甲は、傾斜装甲であるが故に大鳳型と比べると範囲が狭く、継戦能力という観点から見ると幾分不満が残るものであった。
本型の武装については、大鳳型に比べて高角砲が2門増えただけであり、それほど強化はされていない。
特に前部両舷部分のスポンソンに設置されていた高角砲4門については、荒天時における航洋性への悪影響が指摘されており、大改装時にさっさと撤去されている。
本型の搭載機数は、艦上戦闘機及び艦上攻撃機がそれぞれ64機、偵察機が8機という数字であり、大鳳型と同様圧倒的である。
特に本型は、他艦の航空機も受け入れることを前提に作られていたことから、流星が全力を発揮できる数少ない空母であり、第二次ニューファンドランド沖海戦では、同型と大鳳型併せて6隻の攻撃は、従来の航空機のそれと比較すると、実質的に3倍近い攻撃力を有していたと、日英共同の公刊戦史に書かれることになる。
実際、大西中将率いる第三航空機動艦隊の攻撃は、アメリカ海軍にとって完全な奇襲になったことで、ミッチャー中将率いるアメリカ海軍空母機動艦隊が消滅し、スプルーアンス率いる戦艦部隊も半壊するなど、海戦の勝利を決定づける一打となっている。
こうしたことから、ニューヨーク沖海戦では、大鳳型と並んで最大級の攻撃目標とされ、自爆攻撃も含めた激しい攻撃を受けることになるが、本型の強靭な防御はその猛攻をしのぎ切ることに成功している。
冷戦中は、日本海軍空母機動艦隊の主力として君臨。
70年代以降は飛鷹型反応動力空母に主力を譲るものの、なお空母機動艦隊の一角を占め、同型が退役するのは、冷戦終結後の1990年代となる。
330: yukikaze :2021/01/30(土) 17:32:24 HOST:p151177-ipngn200303kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。
文章に熱意ねえなあと思われるかもしれないが、現行空母の詳細な情報って、あんまりないお陰で、どうしても「なぜこれを作ったんだ」位しかネタないのよなあ。
戦艦を空母に改装するにしても、船体が大方できていれば使い勝手がそんなに良くないし、かと言って殆どできていないんなら一から作った方がマシ。
なので、史実でも構想された『中継空母』という案に、大和型戦艦の船体が参考にされたということで、建造の際のロスを極力なくすことに。
あと、戦艦建造が遅れてしまったネタについては史実イギリスネタを参考に。
この時期のイギリス、装甲板製造能力が飽和してしまっていて、ドイツやチェコにまで鋼材発注かけるという状況。で・・・チェコ侵攻によって向こうから鋼材を得ることが絶望になってしまい、サリー級重巡洋艦がバーストする羽目になります。
ひゅうが氏が流星を1942年の開戦前に進空させてくれたのは本当に助かったとしか。
これによって、航空本部が航空機燃料と航空兵装の艦搭載量の大幅拡充を主張する根拠になりました。
しかしまあ、流星のフル装備状態で500機近い攻撃食らうとか、ミッチャーやスプルーアンスにしてみれば想定外というか、そりゃあ悲惨な目に合うよなあと。
多分、イギリス海軍もこの攻撃力を見て、次期主力空母にこのタイプの空母作るんだと思いますが、その場合は『アルビオンⅡ』とか『アーク・エンジェル』とかになるのかねえ。
最終更新:2021年02月03日 19:31