87: 名無しさん :2021/02/13(土) 10:59:02 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
投稿無し………………ヨシ!!(現場猫)
恐らく、ドイツ飯解説はこれで最後ですね。

日本大陸 無幻世界 支援ネタリスペクト 第一次世界大戦後のドイツ飯 補足編 その3

甘酒(独:Amazake)
みりんと同じく、戦後ドイツにおいて定着した飲料。子どもとお年寄りに絶大な人気を誇り広く愛されるみりんを含めたビックスリーの一つ。発音も同じくアマザケ。
定着した経緯としては、大量の白米や麹を消費するまでは同じであるが、一日もかからず大量に作れる、子どもも食べれる、栄養が高いの三点で、白米はともかく麹は本国に支援が要請されるほどで、子どものだけでなく、固いものが食べにくいお年寄りや病人の食べ物としても大いに活躍したことで定着することになった。

なお、これで白米の価値に気付いた一部フランス人の暴走が後のルール占領に繋がった要因の一つとされている。

88: 名無しさん :2021/02/13(土) 11:00:32 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
カルピス(独:Calpis)
戦後ドイツにおいて定着した飲料であり、ビックスリーを占める最後の一つ。現在でも甘酒派、みりん派との良きライバルにして永遠の友。発音も同じカルピス。

定着した経緯としては非常に特殊であのアドルフ・ヒトラーが大きく関わっている。
1923年に日独友好と商業美術美術家救済事業として行われていた「カルピス」の宣伝用ポスターデザインの公募においてカルピスに興味が湧いたアドルフ・ヒトラーが]気まぐれに取り寄せて飲んでみた所ドハマりし、友人知人に勧めたことで流行したとされる。
また、人物画に才能がないと言われていたヒトラーは帝国ホテルや清水寺などの日本の建築画を友好の意を込めて個人的に日本大使館に送ったところ日本に一定数のファンが出来ることになり、気を良くしたヒトラーが親善訪日を行った際、カルピス社前にて創始者である三島雲海と共に作りたてのカルピスを笑顔で飲む姿が全国にて報道され、日独両国におけるカルピスの爆発的人気を促した。(なお、訪日が切っ掛けでヒトラーは完全に発酵食品にはまり、直々に三島雲海にラブコールを送り、カルピス社支社をドイツに誘致したり、WWⅠを共に戦ったブルガリアからヨーグルトを取り寄せ始めたことでブルガリアも日本の関係を徐々に持つようになり、粉ミルクでは森永乳業に一歩先を越されている明治乳業がブルガリアに目をつけ、海外支社を置くと共に「明治ブルガリアヨーグルト」を販売し始めたことを切っ掛けとしてブルガリアに食品関係を中心に日本企業の進出が相次いだとされる。)

その後、カルピスは「総統閣下の愛した飲料」としてドイツにおける立ち位置を確固たるものにし、今なお多くのドイツ国民に愛される飲料となっている。

89: 名無しさん :2021/02/13(土) 11:01:09 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
以上です。甘酒は今構想中のルール占領でのキーの一つとなる予定。カルピスに関しては史実イベントと伍長を絡めてみました(ついでにブルガリアと明治乳業)。裏話としてはビックスリーの立場にヤクルトが猛追してきているとか、納豆は流石に定着せず乾燥させたものを粉末にしてカプセルにした軍用食品として広まったとかですかね?

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最終更新:2021年02月13日 11:11