709: yukikaze :2021/02/10(水) 22:34:19 HOST:p594037-ipngn200411kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
翔鶴型航空母艦完成したよ。

翔鶴型航空母艦

全長:277.6メートル
全幅:47.9メートル(アングルド・デッキ含む)
喫水:9.55メートル
基準排水量:3万トン(公称。実際は3万4千トン)
満載排水量:4万3000トン
機関:艦本式ロ号缶18基 艦本式タービン4基4軸 15万馬力
速力:30ノット
航続距離:18ノットで10,000カイリ
武装:ボフォース40ミリ機関砲4連装12基
   20ミリ機関砲 連装20基
装甲:舷側 102ミリ(傾斜角なし)
   水平 64ミリ(格納庫甲板。このほかに主甲板に38ミリ)
搭載機数 1943年度で100機
同型艦 翔鶴 瑞鶴

(解説)
日本海軍が蒼龍型に続いて建造した正規空母である。
蒼龍型とは対照的に、飛行甲板に装甲を貼らない非装甲空母として誕生し、その航空機搭載能力と運用能力は、完成当時世界最大の空母であった。
第二次大戦時においても、その航空運用能力から多大な戦果を挙げ続けており、退役時に満場一致で記念艦に指定されるなど、日本海軍でも有数の武勲と栄光を勝ち取った艦である。

同艦の計画が始動したのは、蒼龍型が就役した1920年代末からである。
同艦の飛行甲板を非装甲化することについては、蒼龍型建造前に決まっていたことではあるのだが、この時期の日本空母は『鳳翔』『蒼龍』『飛龍』の3隻のみであり、大型空母の運用ノウハウについてはまるで蓄積されていない状況であった。
そのため海軍としては、『蒼龍』型の運用実績をある程度積み重ねたうえで、新型空母に反映させようとしたのである。(なお、この時、運用実績の蓄積に貢献したのが山本五十六であった。)

そして1年近い猛訓練の末、以下のような点が浮かび上がっていた。

1 アングルドデッキ
  何度でも発着艦のやり直しがきくために、着艦時の事故が大幅に減っている。
  着艦誘導灯により、艦の進行方向とは斜めに着艦するのも可能となっているが、艦の進行方向上に着艦するよりは困難である。着艦を判断する士官の育成が急務である。
  発着艦の同時並行作業については、現状では現実的とは言えない。発艦補助装置が必要である。

2 舷側エレベーター
  側面に開口部があることで、被弾時等において換気がしやすい。
  また、舷側にエレベーターがあることで、航空機の搭載と発着艦が同時並行で行うことが可能。
  ただし、エレベーターが2基と少なく、舷側を低く抑えざるを得なかったことから、時化の時に飛行甲板や格納庫甲板に波が入り込むことになる。

3 揚弾エレベーターの問題
  弾薬の装填や補給作業を格納庫で行うために揚弾エレベーターは格納庫に繋がっているが、飛行甲板を破られた際に、大爆発を起こす危険性がある。
  ダメコンの観点から、揚弾エレベーターは飛行甲板直通で、補給や弾薬装填も飛行甲板で行うよう改正を執り行うべき。

4 ガソリンタンクへの防御
  気化ガス対策のため、タンク周辺の空所を海水で満たすようになっているが、水は衝撃は緩和するものの圧力はそのまま伝播させるため、魚雷等の攻撃による外圧をガソリンタンクを伝えてしまい、タンクを歪ませてしまう欠点が発生する。
  タンク内での気化ガス発生を抑えるため、使用して減ったガソリンの分だけ、タンク内に海水を充填して常に空所ができないようにし、更にはタンク周辺や使用していない配管内に二酸化炭素を充填することで、気化ガスの漏洩と引火を防ぐことが肝要。

710: yukikaze :2021/02/10(水) 22:34:59 HOST:p594037-ipngn200411kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
5 ギャラリーデッキ
  発着艦時にやかましいという点を除けば、通気性が良いことから概ね好評である。
  ただし、飛行要員の待機室は、防御を考慮してギャラリー・デッキから格納庫甲板下層に移し、待機室から飛行甲板までに長大なエスカレーターを設置するように希望する。

6 艦橋
  トップヘビーを避けるためとはいえ、戦隊司令部としての機能はやや手狭であり、艦隊を指揮するの
  ならば能力が不足している。艦隊規模の指揮を行うのならば、少なくとも艦内部に戦闘指揮所の設置は必須となる。

7 防空火器
  個艦防御レベルにおいても最低限と酷評。
  特に高角砲についてはFCSが高性能にならない限り、デッドウェイトでしかないとまで言い切られている。
  一方で、ボフォース40ミリ機関砲は、敵の雷撃機や爆撃機には有効であり、多数の装備が必要。

現場からこの問題点を突きつけられた艦政本部は、文字通りへこむことになる。
1、2、6、7については、艦政本部でも理解はされていた。3についても問題視はされていたものの、飛行甲板が装甲化されていることで大丈夫であろうと、海軍省や軍令部からも認められていたことから、まだ言い訳はたっていた。
だが、4と5については完全に盲点であった。
特に4については、基本的に直接防御を重視していた艦政本部主流派においては、ほとんど等閑視されていたものであり、頑固で有名な平賀譲ですら「僕の過ち」と、一切の弁明もせずに陳謝する程であった。

こうした改善点を受けて、新型航空母艦の設計については急ピッチに進められ、アメリカ海軍のヨークタウン級やイギリス海軍のアークロイヤル級の就役を横目に、1934年度予算において2隻の建造が承認されることになる。

以下、同型について解説する。

同型について一言で述べれば、蒼龍型を非装甲空母にしつつ、その問題点を解消した艦と言える。
その為、非公式的にであるが「改蒼龍型」とも呼ばれたりもしている。

同型と蒼龍型の違いの一つは、何度も言うように飛行甲板の非装甲化であるのだが、その代わりに格納庫甲板に64ミリ、更に機関室及び弾薬庫部分直上の第四甲板に38ミリの装甲が貼られており、仮に格納庫甲板を貫かれても弾薬庫と機関室は守るように防御されている。
また、舷側エレベーターも2基から3基に増やすことによって、航空機と格納庫との移動効率を上げると同時に開口部が増えることによって、被弾時の爆風を効率的に逃せるように工夫されている。

また、飛行甲板が装甲化されていないため、水面から飛行甲板までの高さを蒼龍型の13mから17mにまで思い切って上げている。これにより、蒼龍型においては格納庫甲板に波がかかるような状況でも、翔鶴型においてはかからない場面が増えるなど、航空機運用能力が容易になりやすいようにしている。

直接防御及び水中防御については蒼龍型と変わりはない。
ただし、航空機のガソリンタンクについては、提言通り使用して減ったガソリンの分だけ、タンク内に海水を充填して常に空所ができないようにし、更にはタンク周辺や使用していない配管内に二酸化炭素を充填することで、気化ガスの漏洩と引火を防ぐようにする他、ガソリン配管などもできるだけ艦内を通さず、舷外から飛行甲板に上げるように改正されている。(これは蒼龍型でも改装時に実施)
航空兵装の揚弾についても、飛行甲板直通とする反面、揚弾エレベーターを通じて弾薬庫にまで火災が来ないよう防火シャッターを2重3重に備えている。
なお、魚雷についてはアメリカ軍の魚雷威力が想定以上にたかったことから、戦時改修時に、外付けバルジをつけて強化を図っている。
これにより速度が29ノット程度にまで低下することになるのだが、海軍は許容範囲と判断している。

712: yukikaze :2021/02/10(水) 22:35:38 HOST:p594037-ipngn200411kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
火力については、効果の薄い高角砲搭載を諦め、機関砲と機銃のみとしている。
これは艦政本部を中心に異論が出たものの、山本五十六の「エリアディフェンスは戦闘機と防空巡洋艦に任せ、空母は接近する航空機の攻撃の妨害に徹した方がまだマシ」という意見と、片舷3~4門程度の高角砲で、有効な防空ができるのかという点から受け入れられることになる。
特筆すべきは、その管制システムであり、翔鶴型のそれは、蒼龍型では機関砲に直接取り付けられていた照準器を方位盤に取り付けて遠隔管制することとしていたのだが、照準器もさらに改良がくわえられ、風力修正装置も付加されると同時に、後日装備となったが、測距レーダーを装備し、照準器の弾道修正機能を改良するところまで計画されていた。
大戦中盤以降に日本海軍の防空火力が飛躍的に増大したのは、この改良版と本格的なレーダーGFCSである44式砲射撃指揮装置(史実Mk.63 砲射撃指揮装置)の採用によるところであるのだが、これらの鉄壁の防空網により、アメリカ海軍の航空攻撃はほぼ自殺行為とみなされてしまい(唯一マシだったのがロケット弾攻撃である)、戦局が絶望的になった1946年後半以降に、統率の外道ともいえる攻撃手段を取らせることになる。

航空機搭載能力については、格納庫が広く取れたということと、露天係止を大々的に進めたことから、戦闘機、爆撃機、攻撃機がそれぞれ36機づつ、合計108機という搭載機数を誇っている。
無論、この数字は限界レベルにまで搭載した場合のみであり、実用上では爆撃機と攻撃機を24機づつにした84機+αといったところであるのだが、蒼龍型やヨークタウン級をはるかに超える搭載機数であるのは事実で、日本海軍においては、翔鶴型を主力空母として量産する声がかなり根強く残ることになる。

艦橋については、蒼龍型の反省も踏まえて、史実エセックスに近い艦橋構成となっている。
それでも艦隊指揮という点ではやや不満が残る大きさではあったのだが、蒼龍型よりは使いやすく、また後述する瑞鶴の幸運ぶりにあやかり、戦争中盤以降は第一航空機動艦隊旗艦として使われることが多くなる。

同型は1番艦の翔鶴が1938年に、2番艦の瑞鶴が1939年に就役し、第二航空戦隊を編制。
ここで日本海軍の悲願であった正規空母4隻体制を達成することになる。
これを受けて、当時海軍軍令部次長であった嶋田繁太郎は、空母4隻を主体とする第一航空機動艦隊の編制に着手。
第一及び第二艦隊からの抗議に対しては、戦時急造空母として建造が予定されていた三輪型の何隻かを配備させることを確約することなどをバーターに受け入れさせることに成功している。(初代司令長官は古賀峯一)

なお、この時古賀は通信設備が整っている翔鶴型を旗艦として選ぶ予定であったのだが、練度として不十分であることと、蒼龍型が第一次改装により艦橋機能を強化したことから、同艦隊旗艦は蒼龍のままとなっている。
ただし、マリアナ沖海戦において、半ば惰性で旗艦が蒼龍のままであったことは、通信の受信に幾度が失敗したことが同海戦における日本の戦術的敗北につながった要因の一つであり、同海戦における消極的な指揮ぶりもあって井上提督が更迭される要因となっている。(ただし、井上が蒼龍を旗艦として選んだのは、飛行甲板の防御が強いことから最後まで指揮ができる点を評価していたことが理由であり、蒼龍を旗艦とした判断をもって、井上を指揮官として不適とするのは乱暴という意見もある。なお、マリアナ沖海戦では、その前のパラオ沖海戦で翔鶴が被弾し、戦列から離れていたことも、空母部隊の不振の要因となっている。)

マリアナ沖海戦後は、第三艦隊司令長官となった武部提督の元、積極的な通商破壊作戦に従事する。
『エニウェトク環礁沖海戦』において、蒼龍と翔鶴が中破するものの、その前に放っていた航空部隊によって、『エンタープライズ』と『ワスプ』を沈めており、中部太平洋における制空権の確保に尽力し、アメリカ太平洋艦隊のトラック諸島撤退及び戦艦6隻の自沈という結果を導いている。
一部には、この時アメリカ海軍の残存艦艇を追撃すれば、後のソロモンキャンペーンではさらに楽ができたのではという意見も出されていたが、当時の第一航空機動艦隊がオーバーワーク気味であることを考えれば、現実を無視した批判であると言える。

713: yukikaze :2021/02/10(水) 22:37:39 HOST:p594037-ipngn200411kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
日本に戻って修理及び休息をした後、奪還したトラック島に進出。
第二次ソロモン海海戦においては、『エセックス』を沈め、アメリカ海軍のガタルカナル島からの撤退を決断させ、ガタルカナル島に完成した重爆撃機部隊の飛行場を潰すために出撃したアメリカ艦隊との間に起きた第三次ソロモン海戦では、海戦終盤に、翔鶴が潜水艦による雷撃で中破したものの、アメリカ海軍の侵攻を頓挫させるとともに、三輪型とともに、ニューカレドニア及びサモアへの通商破壊作戦を強め、1944年秋の降伏に繋がることになる。

ソロモンキャンペーン終了後、半年かけて改装することになり、魚雷防御のためのバルジをつけるとともに、電子機器の一新を図ることになる。
ただし、この改装が予想よりも長引いたことで、当初予定された遣欧派遣艦隊には参加せず、1945年夏に行われたパナマ運河攻略作戦にギリギリではあるが参加することになる。
この時、バルジによる水中抵抗から運動性に変化があったことに足を引っ張られ、翔鶴がロケット弾攻撃で甲板に被弾するという被害は受けたものの、格納庫甲板以下は損傷軽微であり、トラック諸島で応急修理を受けることになる。

この頃になると、翔鶴が戦果を挙げるもののその都度被害を被るのに対し、瑞鶴は戦果を挙げると同時に一度も被弾をしていないことが面白おかしく対比されていくのだが、当の二航戦では、二航戦司令官になっていた有馬正文少将の尽力の元、お互いが喧嘩することなく、むしろ翔鶴を揶揄した面々に瑞鶴乗組員が殴り込むことも起きている。
また、被害を受けるたびに、アメリカ海軍が「今度こそ撃沈確実」と言わんばかりに、撃沈の発表を行うため、あまりの多さに(累計で12回。なお、実際に中破クラスの被弾や魚雷を受けたのは5回で、それ以外は至近弾や、酷い時には出撃すらしていなかった)、翔鶴乗組員から「俺達は一体海底から何度蘇ればいいんだ?」と、半ば真剣に悩み始めトウキョウローズからは「アメリカ海軍は撃沈艦の名前をダーツで決めている」と、揶揄され、当のアメリカ海軍軍人が「もう賭けの対象にもならんぞ。なんで沈まないんだよ、あのアバズレどもは」と、罵るなどという事態にまで発展していた。

カリブ海を巡る戦いにおいては、キューバの航空基地の支援として、アメリカ南部地域を荒らしまわったものの、第一航空機動艦隊司令長官の山口提督の積極性が裏目に出てしまい、アメリカ海軍潜水艦部隊の索敵線に引っかかり、蒼龍が大破(後、着底)、翔鶴もバルジに被弾し中破。瑞鶴一隻になってしまったことで、航空戦力に穴が開いてしまい、アメリカ海軍の乾坤一擲の作戦である第三次カリブ海海戦において、日本海軍の敗北を生み出す要因となってしまう。
カリブ海の戦いが集結し、アメリカ海軍が東部に籠った1946年4月には、復旧なったグアンダナモに再び進出し、再編された空母機動艦隊の一員として活躍することになる。
この時の日本海軍は、蒼龍型1隻、翔鶴型2隻、大鳳型4隻、播磨型2隻、三輪型18隻という、もはや隔絶したレベルの空母戦力を有しておりアメリカ海軍の最後を飾るニューヨーク沖海戦においても、空母艦載機による波状攻撃によって、出撃したアメリカ海軍は、日英戦艦部隊にたどり着く前に半壊することになるのだが、その中でもカリブ海で戦没した姉の復讐を目論む飛龍と、翔鶴型2隻の攻撃により、アメリカ級2隻に海戦の勝利を決定づける一撃を加えられたのは、流石に格の違いを見せつけたと言えるであろう。

とはいえ、戦争終結後、両艦が一緒に任務を行うことはなくなった。
機関は聊かくたびれていたとはいえ、1発も攻撃を受けなかった瑞鶴は、60年代までは日本海軍主力として前線で活躍していたのに対し、幾たびもダメージを受けていた翔鶴は、前線で戦うにはダメージを負いすぎており、練習空母としての任務に就くことになる。
もっとも、内地の穏やかな海面での練習任務も、翔鶴の傷ついた体では年々厳しくなっており、50年代後半には予備艦指定され、60年代初めには退役が決定されることになる。
この時「不屈の空母である翔鶴を残そう」というキャンペーンにより、翔鶴は記念艦として長崎で余生を過ごすことになったのだが、瑞鶴は主力として外れた以降も、練習空母として更に荒鷲達を育てる任につき、彼女が無事に退役を迎えたのは、なんと90年代に入ってからという状況であった。
当然のことながら、海軍艦艇でも最年長であった彼女の退役においては、海軍全体が「何が何でも瑞鶴は残そう」と一致団結しており、好景気で気が大きくなった国民も、一度も被弾することなく戦果を挙げ続けたこの希代の幸運空母を残すことに異論はなく、横浜の地で第二の人生を送ることになる。

715: yukikaze :2021/02/10(水) 22:44:18 HOST:p594037-ipngn200411kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。和製エセックスともいうべき翔鶴型完成。

モチーフは戦後に改装されたエセックス級。
まあ、あのエレベーター配置では使いづらいので、最初からすべて舷側エレベーターにしてはいますし、凌浪性のためにハリケーンバウとしていますが。

高角砲全廃して40ミリのみとしていますが、まあ高角砲を効率的に載せる場所もないし載せても単装砲止まりなら、機関砲だけで割り切ってもいいかなと。
基本、防空は戦闘機に任せていますし。

瑞鶴は至近弾すら当たらず、一方で翔鶴は主要海戦に参加し戦果を挙げるけど損害も多いと。
普通なら翔鶴乗組員と瑞鶴乗組員との間で感情的な反発起きるでしょうし、当初はこれを軸にしてカリブで蒼龍が失われ、蒼龍への詫びのために最後の海戦で活躍なんてストーリーも考えたのですが長くなりすぎたので没。有馬提督に頑張ってもらいました。

なお余談ですが、両艦とも記念艦になったので、実質海軍では使うことができないことに。
新型反応動力空母で蒼龍や飛龍の名前が復活しても鶴姉妹の名前が出てこない理由はこういうことです。

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最終更新:2021年02月13日 11:22