493 :ヒナヒナ:2012/02/03(金) 21:17:49
○「外国語」 ―授業風景から見た日本語―
―197×年×月×日 カリフォルニア共和国
「こんにちは、皆さん。いいお天気ですね。第一外国語の時間です。」
「「「「コンニチハ、サイトー先生。オ願イシマス」」」」
まだ若い日系人の教師が日本語でゆっくり挨拶すると、
発音が微妙ながらも日本語で挨拶を返す生徒達。
カリフォルニア共和国の教育では、外国語の授業として日本語を充てている。
戦後20年以上は日本と親密にならざるを得ないことを見越したカリフォルニア政府が、
第二次大戦終結後すぐに日本語教育を取り入れたのだ。
もちろん戦後すぐに子供全員がまともな教育が受けられた訳ではないが、
すでに戦後教育の第一世代は社会に飛立ち、片言ながら日本語を扱う彼らは、
経済、外交、日本との友好ムードの維持と言った様々な面で活躍していた。
「テキストのP.26を開いてください。
……今日の勉強は、第2章1節“日本語で好きな物を言ってみましょう”です。
では隣の人と何がすきか聞き合ってみましょう。」
サイトウは英語がペラペラなのだが、教室内ではほとんど日本語しか話さない。
生徒達はサイトウの言うことを必死に聞きとって、会話をする。
暫く、教室は騒がしくなっていたが、大体真面目に日本語会話をしていることを
確認したサイトウは切り上げて、数名の生徒を指名していく。
「ボブ、あなたは何が好きですか?」
「私は、映画が好キです」
「よろしい。エリック、君は?」
「私ハ、baseballをスルコトが好キデス。」
「エリック、baseballは日本語で“野球”と言います。では次アレックス、君は?」
「私ハ、ベリーパイ、ガ、好キデス。」
「先生ー。アレックスが好きなのはベリーパイではなクて、隣のクラスのレイラでース。」
たどたどしく話すアレックスに他の子が日本語で茶化す。
(日本人とのハーフの子供は日本語を話せることが多い)
意味を理解した生徒達からはやし立てる歓声が挙がる。
アレックスは少し経ってから意味を理解して真っ赤になって、顔を伏せた。
もちろんサイトウは生徒を嗜めるのだが、生徒は盛り上がったままだ。
何時の世でも誰それが誰を好きというのは格好の話題なのだ。
ようやっと収拾が付いた頃に別の子が尋ねた。
「先生、日本語デ“I love you”ハ“私はあなたを愛します”デスカ?」
「文法はだいたい正しいです。でも日本語ではあまり直接的な言い方をしません。
日本人にとって“愛しています”という言葉は……その、とても攻撃的にも感じます。」
「日本語デハ“I love you”ヲ、ナニト言ウノデスカ?」
494 :ヒナヒナ:2012/02/03(金) 21:18:22
サイトウは考え込んだ。
親同士で決められた結婚であったので、サイトウは告白をしたことが無かったのだ。
周囲の日系コミュニティは大体同じくお見合いとかだし、
恋愛結婚でもそんな事をおおっぴらに言う奴は居なかった。
それでも知識を総ざらいして、やっと物の本で読んだその語彙を探し当てた。
「そうですね……“月が綺麗ですね”で伝わります。」
サイトウは日系人だが、少々常識が古かった。
彼の一族は戦前の早い頃に北米に入植したので、
明治期のまだ奥ゆかしい日本(
夢幻会的文化に染まりきっていない)
の常識を持っていたのだった。
流石に教育の現場に、生粋の日本人を投入するのは多くの人が難色を示したため、
ハーフであるとか、米国籍を持つ日系人を教師として充てていた。
特に日系移民は欧州各国の支配地域で保護され、
(さしものドイツも強大な武力が背景にある日本人・日系人を迫害する事はなかった)
その一部は治安などの関係から、移民先を離れてカリフォルニアに渡ってきており、
相当数がカリフォルニア共和国に国籍を持つ事となった。
日本語を話すことのでき、比較的教養のある日系人の中にはサイトウの様に
日本語の教師となったものも多数いたのだった。
こうして、本家日本人より妙に奥ゆかしい知識、言葉を扱うカリフォルニア人
というものが一部の教育現場でできあがった。
後年、そのクラスの卒業生が本土から来た日本人女性に、「月が綺麗ですね」と告白し、
「はぁ、そうですね」と普通に返されるという勘違いが起きる原因となった。
(了)
最終更新:2012年02月03日 22:08