157: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:01:59 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
投下します。

夢幻世界 ルール占領「事件」 ―道化達は踊る、されど世界は動かず、火種は積もる―

―始まりは何だったのだろうか?

そう、想起するのは何処にでもいるフランス新兵。花の都パリで血と硝煙をまき散らしながら怒りの表情を浮かべながら憎悪の言葉を浮かべるフランス人が、腫れ物を見る目で同じフランス人の兵士が弾圧する光景をみて彼は呆然とその場に立ち尽くすことしか出来なかった。


WWⅠにおけるフランスの立場は「地味」、この二文字で片づけられることが非常に多い。
連合国においても単体ではドイツに優勢と言える結果を作れず、連合国との作戦においては他国に便乗するかのような戦果で何をしていたのか分からない。等々、非常に不名誉な事実ばかりを強調される始末であった。
無論、フランス軍を戦場、あるいは部隊ごとに見てみれば優秀な判断を下せるものや、勝利に貢献したものなどが見られるのだが、ここでは史実では断念されていた日本の欧州軍派遣がイギリスとの友好関係や新兵器、戦術などの戦訓を得るために小規模ながら(大陸日本基準)行われており、アメリカに劣らず一部は凌駕するほどの活躍によって連合国の勝利に貢献したため、ロシアを打ち破り、欧州にてその名を世界に知らしめた「極東の勇者」というインパクトにフランスの活躍は完全に隠れてしまったのである。

これだけならば、まだフランスも何とか我慢できたかもしれない。しかし、戦後自分たちを上回る膨大な支援がドイツに行われ、今だ戦後から立ち直っていない自国と対照的に急速に復興していく様子をまざまざと見れられた彼らの心には次第に暗い欲望が生まれていった。弁明をするならば、日本は同じ連合国のよしみとしてフランスの「度重なる要請」に真摯に応え小麦を中心とした支援物資を送っていたし、民間の支援団体も少なからず存在していた。
しかし、ドイツにおいては日本国民が個人から企業、半官半民の実質的な政府機関が私的に善意によって支援を行っていたため、フランスの目には不公平に見えたと考えられる。
(付け加えるなら、「ものを頼む態度」という基本的な礼節が大きな理由とされる。)

158: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:03:43 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
皮肉にも、日本が欧州軍を派遣したことがフランスに僅かな余裕を生み、余裕は現状への不満を生むと言うサイクルが国内で作り出され、何か切っ掛けさえあれば即座に爆発しそうな空気が漂う中、フランスに善意で来ていた日本の支援団体のメンバーがぽろっと、「ドイツで日本の酒を造るための新鮮な真水をたんまり乗せた民間船がわんさか向かっているとさ。」
と他のメンバーと話した。話してしまった。
普段の飲料水をくむための川は、戦後死体や火薬、工業廃水によって汚染され、他国から買うにしても決して安くないことから聞き耳を立ててその後の話を聞いていたフランス人からその内容は特に東北部において瞬く間に広がり、その後日本の民間船がフランス人「匪賊」に襲われることが少なからず発生することになった。
幸いにも、わざわざドイツにまで善意で物資を送りに行くため屈強な体型をしていたものが多かったのか死者及び重傷者「は」出ることが無かったが、事態を把握した『さるお方』が『善意によって欧州の友を助けようとする臣民に対する行動としては誠に遺憾である』と苦言を呈す事態となったため、日本政府は「治安の悪化が見られるため、今後民間にて支援物資を輸送する者に対しては護衛をつけると共に、在独邦人の身の安全を確保するために治安維持部隊を派遣する。」と、実質的な派遣軍の実施を宣言。
WWⅠの記憶が真新しい欧州では蜂の巣をつついたような騒ぎになり、特にイギリスでは日本の支持及びフランスへの強い抗議を行ったものの、議会では最悪の場合WWⅠの再来が考えられる今後の対応についての論争が白熱化し怒号が飛び交う状態であった。

159: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:06:09 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
ここまで事態が加速したのはフランス政府の配給ミスともいえるものであった。WWⅠにおいて甚大な被害が出た東北部とは裏腹に南西部は皆無ではないが少ない戦火で済んだのだがフランスの根幹であるフランス革命での人権宣言に基づいた平等な配給によって東北部と南西部でギャップが生まれてしまったのである。さらに、このギャップは日本の軍派遣によって強まり、フランス国内での対立が引き起こされるかと言った事態になってしまった。しかし、東北部の一部フランス人たちは味を占めたのかドイツにおける日本の情報収取を行い、小麦によって重視して無かった白米から、甘酒という栄養価の高い飲料が一日もかからず大量に精製できると知り、「ドイツ野郎は俺たちを見下しながら贅沢な生活をしている」と劣等感と偏見が大いに込められた情報を精力的に広めた。
他人のうわ言を聞く余裕が無いほど目の前の生活が苦しいか、聞き流せるほど余裕があったのならば話は別だったかもしれないが、日本の派兵が中途半端な余裕を生みだしてしまったことで、東北部を中心に多くのフランス人が「今の生活が苦しいのは全てドイツのせいだ」と全ての不満をドイツに押し付けるようになっていった。

そこからは、やれ日本は他にもみりんやカルピコと言った飲み物を配っている、やれパンやシチューを毎日のようにたらふく食べているなどと事実から盛大に尾ひれのついた願望のような話まで飛び交い、次第に「我々への賠償金の支払いを滞り、贅沢な生活をしているドイツに対して懲罰を行え!」という声になっていった。(史実より良好な状態であったドイツは賠償金支払いも順当に行っていたが、都合の良いことにしか反応しない彼らには「いまだに賠償金の支払いを完了していない」ということしか目に入らなかった)
フランス政府も始めはイギリスの強い抗議に対して日和る人々が少数居た者の、国民はドイツに関しては完全に対独強硬派一色であり、政府上層部もイギリスはおろかドイツ、あまつさえ「極東の黄色い猿」にも見下されている事実(という偏見と妄想)によって対独強硬派に染まっていき、「ドイツとそれに媚びうる猿に対して懲罰を行うことでフランス国内の対立を解消し、ジョンブル共に欧州の覇者は誰なのか知らしめる」という日英上層部が聞けば吹き出しそうな内容がまかり通っていた。

大義名分を盾に自らの欲望を果たそうと。

160: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:08:32 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
そして、1923年1月11日、フランス・ベルギー軍によるルール占領が行われ、正当化された略奪が行われた。全面的なストライキによって抵抗運動を行う労働者は徹底的に弾圧されていき、配給されていた日本の支援物資は優先的に狙われることとなった。例を挙げれば、占領軍から日本人を守ろうとしたドイツ人労働者が抵抗したことを口実にリンチされる、病院食として導入されていた甘酒を赤十字関係者や看護師の懇願も関係なく容赦なく奪い去る、日本人が炊きだした牛乳シチューや日本パンを奪いその場で見せつけるかのように踏み
にじる・咀嚼する、等々箇条書きにすれば数えきれない蛮行が行われた。しかし、事態を把握した現地日本治安維持部隊によって即座にカウンターが行われ、ドイツ国防軍も加わり一部で偶発的な戦闘が開始。ラインラントを中心にルール地方が東西に分割され、「ラインラントの壁」と呼ばれる膠着状態が発生。国際緊張が一気に跳ね上がる事態となった。
イギリスでは事前に事態を把握できなかった諜報部に国王陛下の特大の雷が降り注ぎ、議会はフランスへの最終通告を出す形で進められていった。さらに日本は焦った占領軍が2月8日にクルップ社の社長や幹部を不服従の罪で追訴したことで日本が発注していた商品が届かないことに完全にブチ切れ、大規模な欧州軍派遣と一か月後に事態の改善が見られない場合はしかるべき処置をとると最終通告が行われた。
(追放され職を失った大量の労働者に対しては、芋煮や焼きおにぎりなどを始めとする温かい食事が無償で提供された。)

161: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:10:06 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
イギリスもこのままでは自国に対する賠償金の支払いが正常に行われなくなるとして日本に追従して最終通告をすることになった。最終的に日英独による最終通告において要約したものとしては、

  • ルール地方における損害の補償に対して以下の条件を受け入れる
1.フランス・ベルギーは即座に不当な占領を取り止め全軍を撤退させる。
2.ライン川左岸50㎞の地域の地域における駐屯・動員の禁止の破棄
3.ザール地方の炭鉱所有権の破棄
4.ドイツの再軍備を認める
5.フランス・ベルギーに対する石炭納入及び石炭関連製品の最低価格での売却を破棄
6.フランス・ベルギーへの賠償金の支払いを破棄
7.ドイツは日本、イギリス監視下の元、フランス・ベルギーとの十五年の不可侵条約を結ぶ
8.フランス・ベルギーはドイツの国際連盟加盟を支持する
  • これらの条件が3月8日までに承認されない場合、日英独による宣戦布告を行う。
(秘密条約としてドイツが日英に対する賠償金の支払いを優先的に行い、相互の経済関係の深化を行うなどもあった)

という内容であった。(領土関連に関しては「今退けてもいずれ向こうから突っかかってくる」と悟っていたことやフランスを見限った日英の助言から資源と軍備に関することのみに注力した。
軍備に関しては、国際連盟加盟が条件であったことがヴェルサイユ条約で定められていたため日本、イギリスが真っ先に支持し、アメリカもさすがにフランスを擁護できず消極的賛成、他国もフランスの所業でドン引きしていたのか賛成したことで後に国際連盟加盟が決定し再軍備を堂々と行えるようになった。)フランス政府からすればどうしてこうなったと議会が紛糾する事態に発展。国民も狂乱し目まぐるしく上層部の首がすげ変わった結果、強硬派でも現実的な一派が「屈辱的だが受け入れるほか無い。何より日英がバックに居ながら領土の割譲を要求してこなかっただけましだ。」と議会に問いかけ、腰巾着と化していたベルギー政府が、「日本がオランダやスペインとの関係を持っていることから、最悪の場合便乗してくることやわざわざ日英監視下において十五年もの不可侵条約を行うのだからその間に軍備の拡張を強固に行えばいい。ドイツは自ら破滅する機会を我々に与えたようなものだ」と助言したことでフランス政府はいずれドイツを殲滅することを改めて誓い、3月8日にロンドンにて条件の受託をした(ロンドン条約締結)。

162: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:11:22 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
当然ながらフランス国民は爆発した。しかし、国民が暴走することなど分かっていた政府は国営放送などでプロパガンダやフェイクニュースのゴリ押しによってクーデターを回避し
とある人々を切り捨てることにしていた。そう東北部の人間である。そもそもの発端としては東北部のフランス人の暴走であるのは紛れもない事実であり、ここに東北部と南西部の対立は決定的となった。始めは政府へのデモが多発していたにも関わらず、次第に南西部の人間が東北部の人間を「フランスの恥」と罵るようになり集団でリンチすることも珍しくなかった。
そうした事態を回避するために東北部では自らを守るためドイツを襲撃していた人間の密告が相次ぎ、お互いに疑心暗鬼になる状況が続いたため一部が耐え切れず政府へのデモを行い
次第に増加していったのだが、デモを行う東北部の人間を同じ東北部の人間が弾圧する連鎖が続き、最終的にはフランスのデモ隊が集結しパリにてフランス軍と衝突するWWⅡ前における最大にして最後のデモが発生した。フランス兵士は容赦なく銃を突きつけ抵抗するものがいれば即座に発砲。逃げ出すデモ隊がいれば兵士どころか周囲にいる武装した市民によるリンチが行われ、兵士もそれに対して何も言わない。降伏しても刑務所で徹底的にしごかれた後で、メディアにてデモ隊に参加していた人物として報道されるため社会的にも死亡。

まさに地獄絵図であった。

163: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:14:17 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
―始まりは何だったのだろうか?

そう、パリにて過去への想起を行っていた新兵はふとリンチされているデモ隊の一人と目が合った。
「助けて」という口の動きを見た途端叫びながら取り囲む市民に銃を突きつけデモ隊を逃がしていた。

「何故奴らを庇う!」

そう、彼の上官が尋ねる。新兵は言った。

―同じ国民同士で殺しあうこの惨状がおかしいとは思わないのか」

次の瞬間、新兵は殴られ意識を失った。

その後、新兵は背信行為を行ったとして軍を除隊。家族もいない彼は日雇いの肉体労働で日々を過ごしながら常にこう思っていた。

―何故同じ国民同士で殺しあう?

―何故、昨日まで笑いあっていた人間を嘲笑いながら殺せる?

―始まりは何だったのだろうか?

そう自問自答している日々が続く中、かつて助けたデモ隊が接触してくる。彼は今デモ隊の生き残りやデモ隊に参加しなったがひそかに協力してくれる人々が集まったレジスタンスに
所属しているらしい。勧誘をされた元新兵は今の生活よりもいい環境があると知り、勧誘に乗った。そこからである、本来ならただの兵士で終わるはずだった彼には扇動者としてのカリスマが眠っており、組織内で徐々にその才能を開花させていった。そうして、元新兵は現状に不満を抱くものを次々に『同士』にしていき、やがて組織のリーダーとなった彼は決して迂闊な行動をとらないよう決起する機会を粛々と狙っていた。

そうした生活を送っていた彼はふとフランス政府とそれを追従する「無知な愚民」がドイツと異なりやけに日英に偏執ともいえる劣等感を抱いている理由に気付き、嘲笑った。

―フランス革命を神聖化する人々は王族たちを殺し、立憲君主制への道を閉ざした自国に対して立憲君主制を維持し世界有数の繁栄を遂げている二国を恐れている。いや、更に言えば「フランス革命」は神聖なものどころか無意味だったのではないかという事実を無意識に恐れている。

―はっ。今更そんなことを考えているのか。いや、今のような現状だからこそフランスのアイデンティティに向き合い図らずも気付いてしまったと言うわけか。

―結局フランス革命で自分たちの王様を殺した時からこの国は狂ってしまったのか。

そう考えるも、殺した王族は蘇らないし現状が変わるわけでもない。そう自虐しながら彼は組織の集会で演説を始める。

―革命によって作られた秩序を破壊するにはそれを焼き尽くす最大にして最後の革命の火種が必要だ。必要でなければならないのだ。革命によって革命の醜さと恐ろしさを学ぶことで、最後に万人への救済をもたらす、そうしなければこの国は永遠に代わらないのだ。

そう語る元新兵男の手には銃の代わりの一冊の本が握られていた。







本の名は「世界革命論」。革命をもって革命を否定する矛盾した男はもう止まることは無い。

164: 名無しさん :2021/02/13(土) 22:15:05 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
以上です。フランス人である限り「革命」から逃れることは不可能だと思います。

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最終更新:2021年02月18日 22:33