159 :ひゅうが:2012/02/03(金) 20:25:58
――皇紀4249(宇宙歴789)年3月3日 銀河系 白鳥腕
日本帝国 帝都宙京 郊外「嶋田邸」
嶋田家は、殿上人の中では比較的新参者に属する家である。
もっとも殿上人という言葉が死語になっている今は公候伯子男の叙爵も名目上のものとなっており、いわゆる「名家」としての名誉のみが残るようになっていた。
明治の御代に制定され昭和になり改訂された華族令は彼らに税制上の優遇を文化的伝統の庇護者とならなければ容赦なくこれを剥脱するように記されているためであった。
現在も続くこうした家は、京都の冷泉家や伊藤公家(歌人や日本画家のパトロンである)などである。
しかしながら、一族でグループ企業を経営する者たちもまた少数ではあるが存在する。
筆頭となるのは岩崎家や坂本家であるが、嶋田家はその中程に位置していた。
というのも、始祖である「大宰相」嶋田繁太郎が宇宙開発の初期から一貫してその方面に資金の提供をしており、20世紀末からはじまった宇宙景気で経営する企業が大企業に踊り出て、紆余曲折を経て現在に至っているからであった。
そしてこうした家の常として嶋田家は帝都の郊外に邸宅を構えているのである。
もっとも、現在まで続くような家はゴテゴテした成金趣味の居宅を持ってはいない。
こじんまりとした西洋風の家一軒と、和風の本邸一軒。それにそれなりの広さの庭。それが基本である。
「まぁ、どうぞ。」
「では、ご厄介になります。」
「准将、硬くなりすぎですよ――失礼します。」
「そりゃヤン中佐が馴染みすぎなのだろう。」
「はっは。こいつは侯爵家といっても根っからの軍人だからな。それに贅沢は見せびらかすものでもない。」
言ったなこいつ、と嶋田は山本を肘でつついた。
山本と嶋田は「貴様」、「私」で呼び合う同期である。
この二人はまるでタイプが違うが、不思議とまとっている空気がよくあう。
私的な招待を受けたレオン・パエッタとヤン・ウェンリーの二人は、どうやら気負いすぎだったらしいと肩をすくめた。
二人がこうしているのは、ヤンの愛書狂ぶりを知った嶋田が「うちの家にある13日戦争以前の書籍の復刻版を持って行くか」と何気なしに言ったことがはじまりである。
一二もなく快諾したヤンだったが、話を聞いていたパエッタが独身女性の家に一人でゆくのもまずかろうと述べ、話をききつけた山本が「そういえばお前の家にもしばらく言っていないな」と言い出して同伴することに相成っていたのだった。
が、家に向かう段になって二人は、この目の前の二人の遠い先祖が「あの」嶋田繁太郎と山本海相であったこと、そして爵位持ちであることを知らされていささか緊張していたのであった。
今や伝説の彼方に過ぎ去った地球時代、史上最大の艦艇が激突した海戦において勝利するためのドクトリン構築と軍備整備を行い、初の核攻撃を指令した男の名はそれだけ大きいものだった。
というよりも、自由惑星同盟においても採用された高度成長を目指した準統制経済を運営した者たちの子孫がここにいるという現実は、何にもまして歴史が続いているということを実感させるのである。
どうもやりにくい。
侯爵という銀河帝国にあてはめれば星系の10や20も所有している地位もそうであるが、ステレオタイプの見方に見合わぬ「軽い」二人に戸惑っていた二人であった。
「ああ、帰った。」
お手伝いを呼んだ嶋田は、いつもの通りの玄関先での問答の末に住み込みの使用人に茶を出すように頼むあたりはそれらしいが、軽口をたたき合う程度には心理的な壁は低いようだった。
二人は、書庫を兼ねる洋館へと通された。
160 :ひゅうが:2012/02/03(金) 20:28:24
「これは・・・」
「ああ、わた――いや嶋田繁太郎の元帥刀になるか。お、あったあった。これだ。太平洋海戦史。初版本は保存処理をしてあるからこちらはデータ化してある印刷情報併用版(PI版)だ。」
「拝見します。」
「こちらは・・・『昭和歳時記』と『兵站戦』か。パエッタ准将に差し上げよう。」
「ほお・・・『あの』嶋田繁太郎の著作か。」
山本がにやりと笑う。
笑うな!とちょっと拗ねる嶋田。
そしてそんな二人を尻目に猛然と本をめくりはじめるヤン。
まったくこいつは。とパエッタは頭を抱えたくなったがやめた。こういうのを一々相手にしていては溜息をつくばかりであると彼は自分の妻を相手にした経験から熟知していたのだった。
それから四人は他愛もない雑談をして過ごす。
嶋田には弟と妹がおり、今日はあえなかったが自分のために苦労させているということと言い出せば、パエッタがのろけ話をはじめ(山本にヤンをだしにからかわれた嶋田が「君もエル・ファシルで若い女性相手に小説のようなシチュエーションで接近遭遇している」と反撃し、ヤンが頭をかいてコーヒーを持ってきた少女の姿を思い出したりもしている)、いつしか話は戦略戦術についての突っ込んだ話になっていった。
「これは嶋田元帥からの言い伝えだが。」
嶋田が顔を少し赤くしながら言う。
その理由を知る山本はいつからかってやろうかと笑っているが、お手伝いの一瞥でまじめくさって背筋を伸ばす。
「『我々が戦わなければならなかったのは、日本海海戦という圧倒的な勝利に幻惑されいたずらに艦隊決戦とその先の夢幻のような大勝利を夢見る者たちだった。
兵を飢えさせず、扱う武器を常に新しく保ち、戦術を常に人の知らぬものにする。その上で敵と味方の違いをよくわきまえ対抗できる戦場を構築する。
軍人なら誰もが知っている簡単なことがその「幻想」によってできなくなってしまうのである。』」
朗々と声が響いた。
まるで「孫子」(これも同盟には断片的にしか残っていなかった)でも暗唱するかのようだった。
「ま、君らは軍人だし、多くの兵の命を預かる身だ。だからこそ、これを渡しておきたかった。」
「かっこつけてるな。」
「言ってろ。」
はっはと山本と嶋田は笑った。
この日、嶋田邸から情報板も含めてもたらされた各種データは自由惑星同盟の戦史研究や戦略研究に貴重な資料を提供する。
もっとも嶋田や
夢幻会にとっては、ここで約束した原作キャラとの糸の方が重要であるのだが。
「それより、なんで家にあまり帰らないのですか?」
「いや――」
帰りしな、ヤンが訊くと、嶋田は微妙な表情になる。
「――この年になって着せ替え人形にされかけるのはどうも・・・そりゃ、似合うと言われるのは悪い気はしないが。」
「ああ・・・」
最終更新:2012年02月03日 22:21