955: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:46:38 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
フランス分割世界 概要
文字通りフランスが分割された世界である。
切っ掛けはフランス革命。何かの掛け違いか史実では曲がりなりにも活躍していた偉人たちが死んでしまったことから始まる。
暴動に巻き込まれ、鎮圧に巻き込まれ、チンピラに殺され、義憤に駆られたものに暗殺され、特に意味もなくギロチンに掛けられ…
史実では活躍していたフランスの偉人たちはその殆どが死んだ。
結果混乱を収める者のいなくなったフランスは更なる混沌に陥ることとなる。
それを危惧した周辺諸国が結託。同時多方向から侵攻を開始し、フランスを分割してしまったのがこの世界となる。
このためイギリスは数世紀ぶりにノルマンディー公領が復活したり、スペインが復活に成功したり、プロイセンとオーストリアがフランス領を領土に加えたりなど様々な変化が起こっている。
更に言えばこの世界ではイタリア統一がなされておらず、スペイン勢力やオーストリア帝国の手により分割されている。
ナポレオン戦争がなかったため、デンマーク=ノルウェー二重王国は健在。
また同戦争にことを発するロシアとスウェーデンの戦争もないため、スウェーデンがフィンランド領を有したバルト帝国のままである。
ポーランドは残念ながら史実通りプロイセン、オーストリア、ロシアにより三分割されたので存在していない。
神聖ローマはナポレオン戦争が存在しないため健在であったが、元々形骸化していたこととオーストリアとプロイセンの躍進により自然消滅した。
そして無軌道な革命によってフランスという大国が崩壊する様を見た欧州諸国は革命を恐れた。
このためこの世界では中南米などで起きた独立戦争の多くが苛烈な鎮圧により失敗している。
なおフランス革命期にフランスが死んだため、この世界ではメートル法は存在していない。
ヤード・ポンド法大勝利な世界である。
イギリスが調子乗りまくった結果敵ばっかりなったり、スペインが復活成功したはいいが中南米領の安定化に数十年単位で忙殺されたり、なんとポルトガルが英葡永久同盟を破棄してオーストリアと手を組んだり、日蘭西が手を組んで太平洋経済圏を設立するなどびっくり歴史の連続。
その後色々あってイギリス、ロシア、デンマークの陣営とオーストリア、ドイツ、ポルトガルの陣営に別れWW1発生。
史実WW1張りの泥沼の消耗戦を繰り広げていたが、誤って日西の船を沈めた結果日蘭西が独墺葡側で参戦。
更に様子見していたアメリカ合衆国も参戦した結果イギリス側のボロ負けに終わる。
戦後はフランスを崩壊せしめた共和主義と共産主義の悪魔合体である革命主義が戦争の被害と賠償金支払いに苦しむ敗戦国や旧植民地を中心蔓延。
更に戦勝国になったはずの
アメリカが実質ナチ化したりなど、戦後に余力を残していた日蘭西を悩ましている。
そんな史実とは大分違った世界のお話。
956: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:47:24 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇スペイン
まず最も史実から変化したのがスペイン。
実はスペイン継承戦争後の国なので王室はスペイン・ブルボン朝だったりする。
本家フランス・ブルボン朝は滅びたが、その血筋はスペインにしっかり息づいているのだ。
フランスの瓦解によるフランス南部の幾つか(史実におけるオクシタニー地域圏とヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の大多数)を入れた以外にも、史実では四苦八苦していた北米南米のスペイン植民地の維持に成功した。
これはフランス崩壊のどさくさ紛れに旧フランス領などから接収した資産を用いてカルロス三世時代からの改革を推し進めた結果と言われている。
無論この旧フランス資産の接収はスペインのみならず、分割に参加した国々が多かれ少なかれやっていることであった。
史実ではカルロス四世が父であるカルロス三世の行った改革を台無しにしたが、ここでは不幸にもカルロス三世が病気で死亡。
代わりに史実では両シチリア王であったフェルディナンド一世が継ぐこととなる。
彼自身は左程優秀な人間ではなかったが、善良(尚且つ身体も頑丈)な人物であり、その妻も史実と同じマリア・カロリーナである。
彼女は史実ではその辣腕を持って両シチリア王国の軍事改革を進めた才女であり(最も両シチリアの兵士が弱かったため失敗に終わる)、その辣腕はこの世界ではスペイン帝国の再建に向けられることとなった。
更には史実では早世してしまったカルロス三世の四男ガブリエルがこの世界では早世してしまった兄カルロス四世とは真逆にすこぶる健康であったため、史実では思慮深く、働き者で優秀と言われた彼は父の後を継いだフェルディナンド一世を良く支え、改革を手助けしていくこととなる。
なおフェルディナンドの代わりにイタリアに存在する両シチリア王国はカルロス三世の五男であるアントニオが継ぐこととなる。
スペイン帝国はその後安定。アフリカにも領土を広げていき、1800年代後半にはスペイン帝国は再び太陽の沈まぬ帝国として復活した。
欧州では本土以外ではスペイン帝国領フランスとイタリア南部を支配する両シチリア王国を勢力圏として組み込んでおり、アフリカではモロッコを中心に西サハラやモーリタニア、セネガルなど西部地域を植民地として組み込んでいった。
アルジェリアなどの地中海に面するアフリカ諸国よりも西アフリカを優先したのは中南米領との連結を強めるために大西洋における港を求めたためである。
そんなスペインの心臓とも言われているのがスペイン帝国領
アメリカである。
これ史実におけるメキシコや中米領域を中心にフランス崩壊のどさくさに利権を確保したハイチ含むカリブ海の島々の過半とテキサスを含む史実の米南西部(テキサス、オクラホマ、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア、ネバダ、ユタ)のほぼ全てとフランスが潰れたことによりなし崩し的に保有し続けることとなったルイジアナとイギリスから返還された西フロリダとなる。
中南米やカリブの島々から取られる砂糖を始め、後に起こる北米南西部でのゴールドラッシュはスペインの懐を大いに潤した。
これは未来の話になるがテキサスなどでも大規模な油田が発見され、中米ではパナマ運河が開口するなど時代が進んでからもスペイン帝国の心臓であり続けた。
また南米の独立戦争の殆ども失敗に終わったため、南米の副王量の殆どもスペイン領土のままで続いており、南米で採られる作物や獣皮、商業的の中心となった各都市は中米領に負けず劣らずスペイン帝国を潤したことを記す。
957: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:48:15 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
アジアではフィリピンを始めとした元々有していた領土のみであり、積極的には入植は行わなかった。
これは史実と違い、独立を阻止した中米や南米領土の開発や入植を優先していたためである。
またイギリスとの間で中南米はスペインのもの、インド洋はイギリスのものと暗黙の了解が存在していたのが大きい。
何よりスペインは新たに得たフランス領や西アフリカ領。そして
アメリカ領の統治と国の立て直しに注力していたというのが最も大きな理由である。
このように大復活したスペイン。一応は史実よりずっとまとまっているが、完全に安定化させるには時間がかかっており、数十年単位のスパンで徐々にスペイン国民としての同胞意識や政治改革を進めている。
将来は史実のイギリスのように植民地は独立させ、連邦化していくことになると思われる。
日本との関係はスペインが
アジア進出に積極的ではないことから悪くはない。
また北米における米西海岸の南北分割も平和な形で決着がついたため話の通じる相手との認識を持っている。
特に太平洋を実質支配する日本は中南米の太平洋側を網羅するスペインにとっては遥々大洋を乗り越えてまで商品を買いに来てくれるお得意様のため、スペイン帝国の経済を回す上では手放せない顧客の一人となった。
欧州がイギリス陣営とオーストリア陣営に別れた後はオランダと共に中立を宣言。
欧州で火花が散っている時期には日本、オランダと共に太平洋経済圏の構築やパナマ運河開発に尽力した。
WW1では自国の船がイギリスによって沈められたことから日本やオランダと共に参戦。
敵対国となったイギリスやロシアを百数十年かけて開発しまくった国力でぶん殴り粉砕した。
戦後は嫌々ながらも日蘭と共に国際秩序を保つ大国として活動している。
最近復活してきた革命主義者たちと勝ったはずなのに疲弊しすぎた独墺葡と暴走しだしている
アメリカグループたち。
これらについて日夜日蘭と共に頭を悩ましている。
958: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:48:46 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇イギリス
我らがブリカス。スペインやオーストリアほどではないが、フランス分割によって史実と変った歴史を歩んでいるのは変わらない。
まずフランス分割によってイギリスが得たのは主にイギリス海峡に面する地域。
史実で言うところのブルターニュ地域圏、ノルマンディー地域圏、オー=ド=フランス地域圏とビスケー湾に面するペオ・ド・ラ・ロワール地域圏となる。
イギリスはフランス分割による欧州諸国のイギリス海峡への到達を恐れたと言っていい。
その後のイギリスの動きだが、この時点で既にインド洋やアラビア湾地域においてはイギリスの独壇場であった。
元々七年戦争の結果フランスを北米やインドから追い出すことに成功していたイギリスは、革命によりフランスが崩れ去る以前から他国より一歩先んじていた状況であった。
フランス崩壊によりカナダのサンピエール島・ミクロン島などの旧フランス領も取り込んでおり、仏革命以前に
アメリカが独立したことを除けば北米(この世界ではカナダとアメリカ合衆国、日本領アメリカを示す)情勢に関しては独り勝ち状態と言える。
イギリスは他国が自国の再興や取り込んだフランス領の安定化に勤しんでいる隙にカナダの安定化とインドの取り込みに万進していた。
更に史実同様発生した産業革命により工業力も他国をリードすることとなる。
最も史実と異なる部分も出てきた。
フランスが崩壊したことにより仏東部(及びその間にあったイタリア諸国領)を領有したプロイセンとオーストリアがアフリカ進出を進めてきたのである。
フランス分割のどさくさに北部イタリアを中心にスペイン勢力圏である両シチリア王国以外のイタリア圏を併合。
更にフランスから分捕ったコルシカ島を足場にサルデーニャ王国も傘下に加えたオーストリアはアフリカのチュニジアとアルジェリアに進出。
チュニジアやフサイン朝やアルジェリアのオスマン軍人府などは宗主国であるオスマン帝国に救援を求めたが近年ロシアに打ち負かされたばかりのオスマン帝国にはこれに応えるだけの余力はなかった。
このためあっさり両地域確保したオーストリアは同時にバルカン半島諸国にも勢力を伸ばしていき、アフリカと欧州からオスマンを挟撃するつもりであった。
このことに焦ったのはイギリスである。
イギリスはインドやカナダで儲けを出しているが、だからと言ってアフリカが完全に他国に渡ることを到底許すことはできなかったのである。
急遽ジブラルタルに艦隊を送ったイギリスはそのまま前時代の遺物であったマルタ島の聖ヨハネ騎士団を粉砕。そのままマルタ島を占領。
このマルタ島を拠点としてリビアに侵攻。この沿岸部を制圧することに成功した。
インド洋を自らの海としているイギリスとしてはこのままオーストリアが紅海沿岸まで到達することを防ぎたかったのである。
無論オーストリアもただでは転ばず、先に占領したチュニジアやアルジェリアでの実効支配を進ませて、イギリスとの対決姿勢を露わにしていく。
こうして北アフリカの地で起こった国境紛争が英墺戦争である。チュニジアとリビアの国境での衝突と地中海における両国の艦隊の衝突は両者の痛み分けに終わる。
海軍力ではイギリスが勝っていたが、コルシカ、サルデーニャを拠点として旧北部イタリア諸国とフランスの地中海艦隊を吸収した新生オーストリア艦隊は中々の強敵であった。
またスペイン王国の度重なる嫌がらせも重なり艦隊の補給が滞りがちであったため、イギリス艦隊は全力を出せない状態でオーストリア海軍と戦うはめになったのが大きい。
こうして膠着状態となった英墺であるが、そこに横やりが入った。オスマン帝国からの攻撃である。
思い出してほしい。アルジェリアもチュニジアもリビアもこの時代ではまだオスマン帝国の領土なのだ。
というわけで流石にオスマンがキレた。そしてイギリス、オーストリアの占領地域へと軍隊を差し向ける。
これと先んじて衝突したのがマルタ島とリビアを拠点とするイギリスであった。
英土戦争の開幕である。
959: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:49:19 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
イギリスはすぐさまオーストリアと和睦し、戦力をオスマン側へと振り分けることに成功。
オスマンを撃退し、更に元々対オーストリア向けに送っていた援軍が現地に到着したため、イギリスは逆侵攻を開始。
エジプトのオスマン軍を打ち破り、現地を占領することに成功する。
オスマン側もロシア軍との戦いの傷が癒えていなかったのも大きな要因であろう。
しかし流石のイギリス軍もここで進撃は停止。オーストリア軍からの連戦のため被害と消耗が蓄積していたためであった。
この後オスマンは正式にイギリスとの間にリビア、エジプトを譲り渡す講和条約を締結し、史実よりも速くアフリカ領土を喪失することになる。
なおオーストリアがイギリスとの和睦に賛成したのは、痛み分けだったとはいえ増強していたはずの艦隊が大きな打撃を受けており、制海権を維持できるか怪しかった点が大きい。
またイギリスへ正式にアルジェリアとチュニジアの支配を確約させることに成功している。
また欧州大陸の方で英墺の軍隊がぶつからなかった理由は簡単で未だ革命の傷から不安定な情勢の続く旧フランス領土内での戦いを両国とも嫌がったためである。
こうしてオスマンがイギリスに敗北することにより史実よりも速くバルカン半島の国々のナショナリズムが点火。
更に英墺以外の国々のアフリカ進出も早まることになる。
史実より早めのアフリカ分割開始である。
さて。イギリスの動きであるがリビアとエジプトをオスマンより奪った後は軍の回復もまだながらすぐさま動き出した。
紅海に沿うように南下を開始。
史実で言うところスーダン、エルトリア、エチオピア、ソマリア、ケニア、タンザニアなどを数十年のうちに次々と併合。
紅海及びインド洋に面する広大なアフリカ植民地を築き上げることに成功する。
これはイギリスがインド洋利権を完全に独占するため他国の進出拠点となりえる土地を抑える目的であった。
タンザニアを併合し、遂にポルトガルのモザンビーク領付近まで到達。
しかしここで問題が発生する。
ポルトガルは英葡永久同盟における友好国なのである。
だがこの頃になるとイギリス資本を中心としたスエズ運河開発が始まり、イギリスは益々持って紅海及びインド洋の利権を独占したい欲望に駆られていた。
またポルトガルはこの頃史実で言うジンバブエとザンビアを占有することによって東部のモザンビークと西部のアンゴラを連結させる計画を立てていたのである。
イギリスも議会でどう対応を取るか紛糾したが、結局インド洋利権独占の誘惑には勝てず、ポルトガルへ政治的な圧力を開始。
ポルトガルも当初はこの圧力に抵抗していたがマダガスカルのメリナ王国がイギリスによって電撃的に落とされると、強まった軍事圧力により泣く泣くモザンビークを明け渡すこととなる。
こうしてイギリスは更なる東アフリカ領を獲得。マダガスカルと合わせて益々インド洋利権を盤石のものとしていた。
次は南アフリカのオランダ勢力圏だと考えていたが、ここで衝撃が走る。
ポルトガルの英葡永久同盟の破棄と、新たにオーストリアとの同盟である。
話をまとめよう。
ここのイギリスはフランスというライバルを失ったことで海軍力では随一の存在となった。
対抗馬であるスペインも中南米植民地の安定化と本国の再建で忙しく、更に暗黙の了解で住み分けも完了していた。
このため東アフリカ・インド洋方面ではクッソ調子乗っていたのだが、考えてみてほしい。
ここのイギリス元々敵が多いのだ。
元々スペインとはフランスと同じくらい不倶戴天の敵であるし、ついこの間はオーストリアと北アフリカを巡って衝突したばかり。
オスマンがキレて殴ってきたので殴り返して静かにさせ、更には元々友好国であったポルトガルにすら土を付ける始末。
オランダとも歴史的な経緯から特別仲がいいわけではなく、
アメリカとは独立戦争の件から感情は最悪。
良くも悪くもないのは精々ロシアとプロイセンくらいである。
960: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:50:03 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
つまりこいつほぼ全方位に喧嘩売っているのだ。
そりゃこうもなる。
ポルトガルはジンバブエ、ザンビアの占有をオーストリアを確約し、代わりに宙に浮かんでいたコンゴの利権をそっくりそのままオーストリアに渡した。
オーストリアもイギリスの横やりで北アフリカでの拡張を邪魔され、伸び悩んでいたため渡りに船であった。
オーストリアはポルトガルから譲り受けた(なお現地人の意見は欠片も効いていない)コンゴを中心に史実で言うところのガボンや赤道ギニア、カメルーンや中央アフリカなどのギニア湾沿いと中央アフリカの地域を併合。
ここに巨大なオーストリア帝国中央アフリカ領が誕生することになる。
更にポルトガルとオーストリアは他の欧州諸国にも手を貸し始める。
フランス領土を得たはいいが植民地獲得競争に出遅れがちなプロイセンに接近。
ギニア湾沿いの地域…史実で言うところのナイジェリアやベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボワールなどの諸地域にプロイセン植民地を設立。
更に更にポルトガルが間にたち、オーストリアとプロイセンの間で問題となっていたドイツ諸邦の問題に関する和解がなされた。
プロイセンは改めて残りのドイツ地域と北欧、ポーランド方面に。代わりにオーストリアのバルカン半島と同半島寄りの東欧(ルーマニアなど)への進出を邪魔しないこと。
そして同国のアフリカ領を承認すること。不可侵条約を互いに結ぶことなどを承諾させた。
こうして歴史的な和解と譲歩を条件にプロイセンを半ば無理矢理イギリスとのアフリカ争奪戦に参加させることに成功した。
つまりオーストリアはイギリスに対抗するために中欧帝国の野望を捨てたのだ。
もっともこの時のオーストリアはポルトガルとの取り組みで得られたアフリカのコンゴ領やギニア湾沿いの植民地からの上りで十分黒字を得ており、更にイギリスがオスマンを弱らせてくれたおかげでバルカン半島への進出も進んでいるなど、新たにドナウ帝国の野望を秘め始めていたのだが。
現状のオーストリアからすれば抵抗の激しく、軍備も整っているプロイセンを無理に押さえつけて消耗するくらいなら、アフリカで植民地を獲得し、気に食わないイギリスの邪魔をしてやろうという魂胆だった。
更にポルトガルとオーストリアはポルトガルが確保したナミビアの土地とオーストリア領ネーデルラントをオランダへ売却。
アフリカ南部兼ベネルクス地域というイギリスとの戦いに大きく影響しそうな地域を墺葡側に引き込もうと画策した。
最もオランダはこれらの領土に両国が示した値段以上の価値を叩きつけて買い取ったが、代わりに両国やプロイセンに過度に肩入れすることもなかった。
無論気に食わないイギリスに肩入れすることもない中立を表明した。最もこのオランダの中立宣言も“イギリス以外”寄りの中立であるが。
(つまりイギリスが嫌がることなら値段次第で手を貸すこともやぶさかではない)
こうしてイギリスはポルトガル、オーストリア、プロイセンの同盟と半ば敵対することなり、アフリカでの小競り合いが続くこととなる。
961: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:51:33 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
しかし腐っても世界帝国。中々根を上げない。
インド植民地とスエズ運河の利益を最大限に活かしながら、ロシアと組んでオスマンを更に虐め、実質英露の傘下にして黒海やエーゲ海の利権と安全な交易路を確保。
更におまけでペルシャを叩き潰しペルシャ湾も完全制圧。
その後は北アメリカに勃発した南北戦争でアメリカ連合国に大きくテコ入れし独立を維持させ、親イギリス国家を北米に作り上げることに成功させるなどなどブリカスここまでやるぅ?といった状況を作りまくっていった。
その中で最大の成果と言えば東欧やバルカンに勢力を伸ばし、度々オーストリアと衝突していたロシアとデンマーク地域でのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争を切っ掛けとするデンマークとプロイセンの衝突を利用して、デンマーク=ノルウェー二重王国をイギリス側の味方に付けたことである。
これにより欧州はイギリス・ロシア・デンマーク陣営とオーストリア・プロイセン・ポルトガル陣営の対立構造が構築されることとなる。
なお他の勢力であるスペインとオランダは中立を表明しながらも墺葡普側寄りである。
イギリスが嫌いだからだ。
北米ではアメリカ合衆国が墺葡普寄り。アメリカ連合国が英露丁寄り。
アジアにおいても日本がロシアとの国境紛争やオーストラリア植民を巡るイギリスとの関係悪化により中立でありながらも墺葡普寄りの態度となっている。
WW1時には遂にプロイセン改めドイツやオーストリア、ポルトガルの陣営と衝突。
泥沼の戦いを繰り広げたが、途中誤ってスペインの船を沈めてしまいスペインとまた日蘭も参戦。
更にチャンスだと思ったアメリカ合衆国まで参戦するなどでボコボコにされ敗戦。
因果応報ここに極まる。
イギリスの植民地は全て解体。戦勝国に改めて譲られるか、独立国として再出発することとなった。
戦後はボロボロの国土を引きずりながらも多額の賠償金で苦しんでおり、国内では再び息を吹き返してきた革命主義者達が勢力を増してきている。
962: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:52:15 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇オーストリア
オーストリアはフランス分割によって得られた地域は史実で言うところのプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏とオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏のみである。
しかしその過程で北イタリアの諸勢力の多くを勢力化にすることに成功。
このためフランス分割で得られた利益以上のものを手に入れている。
特に北イタリア諸国とフランスの地中海における海軍戦力を新たに手に入れており、またフランス分割の際にもらったコルシカ島と新艦隊をちらつかせ、サルデーニャ王国を傘下に。
こうして北アフリカまでの道を作ったオーストリアはアルジェリアとチュニジアに上陸。
現地の勢力を蹴散らし、アフリカ植民地を手に入れることに成功する。
アフリカに向かった理由は単純明快。バルカン半島側の攻略が詰まったのだ。
オスマンはロシアに叩かれた結果かつての強さを失っているが、だからと言ってまだまだ強い影響力をバルカン諸国に有していた。
ということでバルカン半島攻略を兼ねてオスマンのアフリカ領土を奪って動揺させるのが目的であった。
実際のところはどうなのか。
簡単に言うと近年下がり気味のオーストリアの威信をオスマンに勝って取り戻したいという思惑が強かった。
しかしバルカン半島で戦うと被害が大きくなりそうだし、ロシアの介入も怖い。
なのであっさり勝てそうな北アフリカを選んだというのが真相である。
ということで攻略したアルジェリアとチュニジア。
あとはリビアとエジプトのオスマン軍が来るところを新生艦隊と現地部隊で叩けばいいと待ち受けようとしたときにそれは起った。
イギリスのリビア襲撃である。
え、なんでとなったオーストリアであったが、すぐさまリビアとチュニジアの境界線付近で小規模な衝突が起こり始め、アフリカと地中海を舞台にした英墺戦争が始まってしまった。
イギリスが突然リビアに来た理由はイギリスの説明で話したが、オーストリア側からすると突然やってきて自分達の計画を邪魔して殴ってきたのがイギリスなのである。
そりゃ怒るし嫌う。
結果は痛み分け。理由はイギリスの欄でも説明した通り、スペインによる陰ながらの嫌がらせとイギリスの突貫動員が原因であった。
そしてキレたオスマンの参戦と返す刃でオスマンをボコるイギリスという図の英土戦争が発生し、なし崩し的に英墺は停戦、講和した。
オーストリアからしてもイギリス艦隊相手に引き分けたとは言え、せっかく増強した新艦隊がボロボロである。
まあ元々大したものが配備されていなかった旧フランス地中海部隊と中小国の集まりであった北イタリア諸国の船舶と元々海は左程ではないオーストリアの艦隊を合わせた急造艦隊で、イギリス艦隊相手に引き分けただけでも奇跡なのだが。
とは言えオーストリアの威信は上がった。何故かと言えば一応オスマンに一撃食らわせたし、あのイギリス艦隊相手に最近良い活躍のなかったオーストリアが引き分けに持っていけたという事実は良い国威発揚となった。
またイギリスがオスマンボコったことによりバルカン半島へのオスマンの影響力が低下。
悩んでいたバルカン方面への進出にも目途がつくなど海軍の被害以外は良いこと尽くめであった。
それはそれとしていきなり殴ってきたイギリスは許さんが。
こうして地味に威信が少し回復したり、北アフリカに植民地を持つようになったオーストリア。
その後はプロイセンと仲がギスギスしながらもバルカン方面に食い込めたりで、そこそこ順風満帆であるところにポルトガルが声をかけてきた。
イギリスに一泡吹かせないかと。
バルカン方面に食い込め始めたとは言え、それ以外では大概拡張に手詰まりが見えてきていたオーストリアはこれに乗った。
更に言えばインド洋を実質自分の海にし、更に紅海沿いの東アフリカ地域を速攻で手にしたイギリスの拡張速度に危機感を持っていたというのも大きい。
あとイギリスの嫌いだし。
963: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:53:54 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
というわけでイギリスの欄でも説明した通りポルトガルと手を組みアフリカのコンゴとギニア湾沿いに巨大な植民地を形成。
それから後もポルトガルの仲介でプロイセンと和解。
ドイツ諸邦、北欧方面、ポーランドやバルト三国はプロイセンに一任し、オーストリアは東欧とバルカン方面に注力するなどの取り決めを決定。
あとお互いのアフリカ植民地領有の承認や両国不可侵条約の締結なども。
バルカン及びアフリカに集中させることに成功し、更にプロイセンをアフリカ争奪戦に巻き込み、更に更にオランダに中立を約束させることに成功するなど一躍国威が回復しまくった。
その後はアフリカでポルトガルやプロイセンと組みながらイギリスの躍進を邪魔したり、欧州本土でイギリスの邪魔したり、アフリカ植民地を経営したり、途中イギリスがロシアと組んでオスマンをボコったので更にバルカン半島に進出したりなど忙しい毎日を送っている。
なお一応はこんなんでも墺葡普陣営の盟主である。
(後にプロイセンはオーストリアのお墨付きの下でドイツ諸邦を統一したためドイツ帝国に国名を変更している。このため独墺葡同盟となっている)
因みにオーストリアのアフリカ領コンゴであるが、現地人は時代相応の扱いだが、史実でのベルギー領コンゴよりは大分マシな扱いである。
最もそれを虐げられている現地人たちは知る由もないが…
(まあこの時代の植民地人なんてどこの国も似たり寄ったりな扱いである)
実は筆者もなんでオーストリアがこんなに躍進したのかわかっていないところがある。
オーストリアはドナウ帝国の夢を見るか…
WWは勝ったはいいが手酷い被害が残っており、史実の戦後英仏のようになっている。
日蘭西からの復興支援もあるが、戦争での被害もあり国民は意気消沈ムード。
結果勝ったのに生活が苦しいのは敗戦国の奴らが悪いんだとか、既得権益層が不当に財を貪っているんだとかの変な思想が増え始めている。
964: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:54:35 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇ポルトガル
ここのポルトガルも史実とは大分違った動きをしている。
フランス分割と他様々な要因があってスペイン帝国が復活したことが分岐点となる。
当初ポルトガルは英葡永久同盟により基本はイギリス寄りの国家であった。
そのためイギリスと色々因縁を持つ復活スペインに強い恐怖感を持った。
イギリスとの一件があるとは言え、スペインとは同君連合を組んでいた時期もあれば、スペイン帝国を支える宰相ガブリエルの元へ王女を嫁がせているなど関係性は悪くなかった。
それはそれとしてもイギリスとの同盟関係を考えれば中南米の覇者となったスペインに恐怖を抱かずにはいられなかった。
そしてイギリスがリビアに進出した際に、スペインがあの手この手で艦隊の補給を邪魔していた光景を見て真実味を増してしまう。
結果何が起こったかと言えばポルトガルは当時領有していたブラジルに首都を遷都したのである。
詳しく言えば本国機能は相変わらずポルトガル本国に残り、王も本国で政務を行うが、もしもの場合を考えブラジルにも本国に劣らない整備を行い、常に王族の幾人かを常駐させることにしたのである。
史実でも似たようなことをしたが、情勢が落ち着いたため本国に戻ったら、ブラジルに残していた王族が現地人に唆されて独立してブラジルを失うのだが、こっちでは割とがっつり逃げる計画を築いてきた。
最もブラジルに逃げても結局スペイン帝国からは逃れられないということを知るのは、南米にあるスペインの副王領のほぼ全てをスペイン本国が完全に取り込むことに成功した際の話である。
話を戻してその後のポルトガルはブラジルと本国の連結を強化するためにギニア、リベリア、シエラレオネなどを占領するなど西アフリカに幾つか新たな植民地を築くなどして内政に打ち込んでいった
とは言え王族がいざという時に本国を捨てて逃げるための政策というのが流石に批判も多く、国威が下がりっぱなしであった。
そこで下がった国威を回復させるために打ち出したのがポルトガルのアフリカ植民地であるモザンビークとアンゴラの連結である。
これは内陸部にあるザンビアやジンバブエを領有し、東西のアフリカ植民地を連結させるという計画でバラ色計画と名付けられた(史実でも大体似たようなことしている)
これを持って下がったポルトガル王家への威信を取り戻そうとしたのであった。
しかしこの計画は失敗に終わる。イギリスによる横やりである。
インド洋を独占したいからお前らの植民地であるモザンビークを寄越せと一方的に圧力をかけてきたのだ。
同盟国であるはずなのにこれはないだろうとイギリスへ抗議したのだが、スエズ運河の開発とインド洋利権の独占に目が眩んだイギリスに話は通じず、近場のマダガスカルもイギリスの手に落ちたことによる軍事的圧力も増加。
ポルトガルはなくなるモザンビークを手放すこととなる。
なお史実でもイギリスは似たようなことをしており、史実でもポルトガルが計画していた同じような連結計画をおじゃんにしている。
これが原因でポルトガル王家の評判下がり、後々の起こる共和革命の遠因になったと言われている。
この世界ではフランスがあんなことになったため、革命シンパはどこの国でも徹底的に弾圧されているため革命の原因にはならなかったが、代わりにイギリスの圧力に屈したということでポルトガル王家とポルトガルという国の威信が非常に低下した。
何より長年一緒にやってきた同盟国なのにあんまりだとポルトガル人自身のプライドが非常に傷ついた。
様々な感情が胸の中を支配したポルトガルは長年の同盟を捨ててでも報復することを選んだ。
965: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:55:12 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
英葡永久同盟の破棄。そしてオーストリアとの新同盟の締結。
プロイセンとオーストリアの和解。オランダやスペインの中立宣言の確定。
長年イギリスを見てきたポルトガルは彼らの外交手腕をこれでもかと学んでいた。その成果である。
これによりポルトガル王家とポルトガルという国家の傷つけられたプライドと威信は回復した。
ここのポルトガルは史実のような小国ではなく、南米やアフリカにも巨大な植民地を持ち(一応
アジアにも少領であるが租借地や植民地がある)外交にも優れ、海路を繋げるためにしっかりとした海軍を持つ立派な大国の一つであった。
こうしたポルトガルの報復と躍進に慌てふためくイギリスを見てポルトガル人は思うのである。
俺達を散々利用した挙句に見捨てるからだと…
余談であるがこの世界ではアイルランドとポルトガルとアメリカ合衆国がイギリス嫌いのスリートップとして有名である。
また徹底的にイギリスを敵視するポルトガルの防諜により、史実とは違いイギリスはブラジルからゴムの苗を手に入れることに失敗し、後のゴム生産に苦しむことになる。
966: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:55:51 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇プロイセン
オーストリアと共にフランス分割に参加し、史実で言うところのグラン・テスト地域圏、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏、イル=ド=フランス地域圏、サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏を獲得している。
フランス分割に参加した国の中では最も多くの土地を手に入れた国家であった。
これは分割事業の際に最も多くの兵力を出したのがプロイセンだからである。
もっと言うと各国が面倒だなぁっと思える地域を押し付けたに過ぎない。
特にパリが含まれているイル=ド=フランス地域圏は特に大きな混沌に見舞われている地域であり、誰もパリ周辺を取りたがらなかったというのが実情である。
パリを取ったという政治的パフォーマンスは特点が高いのだが、その実態は過去の面影など微塵もなくなり荒廃した花の都でしかなかった。
既にパリは燃えてしまっているのだ。
そんな中で貧乏くじを引かされたとも思わず、この時期のヴィルヘルム一世が倹約に倹約を重ね、更にヴォルヘルム二世が続けて立て直したプロイセン軍は精鋭の名にふさわしく、少なくない被害を出したながらも最も多くの地域の制圧に成功したのである。
軍事的に大きな成果を挙げたが、報酬の中身はマイナスもいいところというのはこの時期に王位を継いだばかりのヴィルヘルム三世に似合いの成果だったのかもしれない。
(史実のフリードリヒ・ヴィルヘルム三世は暗愚のへなちょことして有名)
このへなちょこヴィルヘルム三世。史実通り優柔不断のポンコツなのだが、これまた史実通り奥方のルイーゼ王妃が出来た人でこんなポンコツを良く支えた。
またこれも史実通りシャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツなど超有能人材が集まっており、彼らの尽力により重荷を抱えたプロイセンはどうにかこうにか赤字であった旧フランス領を立て直し、黒字にすることに成功した。
彼らが負債であるフランス領を手放さなかったのは単純にこのフランス遠征がヴィルヘルム三世が王位を継いで初めて建てた成果であったからだ。
ここで旧フランス領を手放してはこの新米王の成果を否定することになり、プロイセン王の威信を傷つけ、国内に混乱を呼び込むことになるのが目に見えていた。
とは言え良くも悪くも史実ナポレオン戦争の被害がなかったため、旧フランス領を立て直す余力があったのも大きい。
また史実ではフランスに征服された経験がドイツ人に民族意識を持たせ、更にプロイセンにドイツ統一の旗頭となる動きを生み出したのだが、ここではナポレオン戦争もないためそんなこともなかった。
代わりに旧フランス領を取り込むにあたりルイーゼ妃や有能三人組は如何に占領下のフランス人たちに同胞意識を植え付けるかで苦労する羽目となる。
この時期のフランス人は地域によって言語も考えも別々であったため、これらを改めてプロイセンの施政下に入れるのに多大なる労力が必要であった。
幸いなのがこの時期のプロイセンには他国の亡命者や移民を受け入れる文化が存在してことだろう。
このため新たに同胞となった旧フランス人たちに隔意は余り存在していなかったそうな。
こうして使う言語も地域ごとでバラバラな旧フランス人を時間と根気を掛けて同朋意識を持たせプロイセンに取り込んでいったノウハウは後に国内を団結させ、ドイツ人としての自覚を生み出すことに利用されるようになる。
逆に言えば彼らの意識は史実と違い民族としてのドイツ人というよりも同じ国に住む同胞としてのドイツ人という意味の意識が強いと言えよう。
同じ国旗と王を仰げば誰も彼もドイツ人なのだ。
この自国の人間として取り込み、同朋意識を持たせるノウハウは後々のプロイセン拡大で大いに役立つこととなる。
ということで旧フランス領の人間を取り込む作業に忙殺されてプロイセンは他国よりも海外進出が遅れてしまった。
それに困っていた時期にポルトガルに誘われた。アフリカに植民地を持ってみないかと。
プロイセンは飛びついた。なんせまだ植民地なんてものは持っていなかったのだ。
欧州で大国と称するからは植民地を持っていないと笑われてしまうのである。
えー?マジー?大国自称しているのにろくな植民地も持ってないのー? イギリスかオランダあたりが言いそうな気がする。
967: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:56:38 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
ということでまたもや疑いもせずに目の前の餌に食いついたプロイセン。
二度目はどうよと思うが、ポルトガルの仲介で仲がギスギスしていたオーストリアとの和解とドイツ諸邦と北欧、ポーランド方面なら好きにしていいよ!という取り決めがなされたことにより当初持っていた疑いは吹き飛んでしまったのが実情であった。
こうしてオーストリアからのお墨付きを得たプロイセンは武力や外交を用いて周辺のドイツ諸邦を併合していき、大プロイセンとして中欧に名を轟かせることとなる。
だがこの取り決めの中に入っている北欧も好きにしていいという文面。
これが後にデンマーク=ノルウェー二重王国との間に史実とは違った形の戦争を起こすこととなる。
なおナポレオン戦争がないため神聖ローマ帝国は健在であった(過去形)が、オーストリアとプロイセンの躍進により自然消滅している。
こうしてドイツ諸邦を史実よりいち早く統一したプロイセンは名前をドイツ帝国と変えることとなる。
ポルトガルの協力もありアフリカのギニア湾沿いにもそこそこ広い植民地を得たプロイセンことドイツは改めて世界に名だたる大国と言えるようになったのだ。
そんな中で起きたのがデンマークとのシュレーヴィヒ及びホルシュタインの帰属問題である。
発端は新たにデンマーク王になったフレデリク七世が史実のようにシュレーヴィヒ=ホルシュタインはウチの領土!正式に併合する!と言い出したことだ。
それに対してプロイセンことドイツは、いやいやここドイツ系多いやん。それにうちオーストリアさんから北欧は好きにしていいってお墨付きもらってるし。
という主張を繰り出した。
ぶっちゃけドイツ諸邦を取り込み、アフリカにも植民地を持った元プロイセン、現ドイツ帝国は調子に乗っていた。
軍隊も伝統的に強いのでなんなら戦争でもする?といった具合に。
無論デンマーク側は、は?北欧好きにしていいとかなんでオーストリアやドイツが決めるねん。なんならやるか?
と買い言葉に売り言葉の応酬となった。
そして史実とは多少違う形で起きたのがシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争である。
ここでオーストリアは兼ねてからの約定通りにドイツの行動を支持。
対してオーストリアと敵対するイギリスはデンマークの言動を支持するなど、ドイツとデンマークは見事に英墺の対立構造に組み込まれることとなる。
これを見越して北欧も好きにしたらといったやつがイベリア半島にいるらしいんですよ…
これに対してドイツを支持する墺葡陣営とデンマークを支持する英露陣営に別れて代理戦争開始。
ドイツと陸地で接しているデンマーク領内ではドイツ有利に動くか、制海権を取れないためノルウェー側に上陸できないという膠着状態となった。
デンマーク本土はプロイセンの手の中にあるが、英露に支援されたデンマークの海軍力を超えられない独墺と海軍力では優越しているが、陸軍力で劣るために決定打に欠けるデンマーク、海軍の支援はするが本格的な衝突はしたくない英露の思惑などが絡み、膠着は長く続くこととなる。
デンマーク側による三度目の上陸作戦が失敗に終わったところで両陣営は様子見をしていたスウェーデンに仲介を依頼。
スウェーデンの仲介の結果デンマーク本土を返還する代わりに、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン地域はドイツに渡すという実質ドイツの勝利に終わった。
史実とは違い一度の戦争で終わったのである。
これに対してデンマークはまだ戦える、負けていない!と憤慨するが、元々デンマーク=ノルウェーの力が削げた方がありがたいスウェーデンは幾度も本土奪還作戦が失敗している現実を理由に実質デンマークの負けであることを言うのみであった。
流石にまだ全面戦争はできない英露両国は準備が整った将来には必ず与力し、同地域をデンマークに返還させるという密約を交わし、どうにか同国を説得させることに成功した。
968: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:57:19 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
実際のところ英露はデンマーク=ノルウェーという味方を欲しているための芝居である。
同国が英露陣営に来ればバルト海や北海の制海権は確実になり、イギリスはアイスランドやグリーランドという後背を気にすることなく、全力で独墺葡と戦える状況を作れる。
バルト海の制海権を確実なものにできるのなら海軍力で劣るロシアからしても悪くない話であった。
そして今回の戦いを仲介したスウェーデンは必要以上に英独の思惑に乗る気はないが、デンマークの力が削げ、更に敵意はプロイセンの方に行くのは都合が良いと両国の策謀をわざと見逃していた。
何より海軍力で劣る独墺側がバルト海や海峡を越えて北欧に攻めてくることはできないという確信があってのことである。
そんなことをしようものならイギリス本土の前を艦隊が通る必要があり、必然全面戦争となるためであった。
そして英露の思惑通りに結果に納得のいかないデンマークは将来のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン地域奪還のため英露陣営に近づくこととなる。
対してドイツは純粋に喜んでいた。また一つ国を打ち破り、ドイツの強大さを示せたと。
実際この戦いにおいてドイツ国内の人間はドイツ国民意識の完全なる形成に成功したと言っていい。
だが同時にドイツとオーストリアは結局バルト海の制海権を取り切れないことを強く認識することとなる。
これに対して湾岸砲台の創設やバルト海方面の艦隊増設などで対応していくのだが、焼け石に水なことは認識できていた。
そうして悩む両国が目を付けたのがこの時期に試験に成功していた飛行船であった。
これを切っ掛けとして独墺両国は史実よりも速い飛行船の実用化と空中艦隊の創設を行うのだが、それはもう少し先の話である。
969: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:58:02 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇オランダ
大陸スレのアイドル国家。
この世界では割かし普通であったが、日本と関わったせいでやはり史実とは違う形となってしまった。
この世界ではナポレオン戦争が起きていないためネーデルラント連邦共和国のままである。
そのため東南アジア植民地や南アフリカ植民地ことケープ植民地もイギリスに奪われずに済んでいる。
南アメリカのオランダ領(ガイアナ、スリナム、ギアナ)もそのままである。
詳しく言えばイギリスはポルトガルからモザンビークを奪い取った後で次は南アフリカやセイロン島を持つオランダに狙いを定めていたが、その前にポルトガルとオーストリアによるどんでん返しが起こり、それどころではなくなった。
このためイギリスとの間にボーア戦争も起っていない。
さて。このオランダは鉄血でもなければ、王国でもない。
実際にはオラニア=ナッサウ家がオランダ総督の地位の殆どを独占しているので実質王族みたいなものだったが、取りあえずは連邦共和国のままであった。
フランス分割時は仏本土との間にオーストリア領ネーデルラント(今でいうベルギー)があったため殆ど介入できずに終わる。
しかし戦国の時代から日本と関わってしまっている。なのでこの世界でも史実とはまた違う在り方となっている。
主に
アジアの方の話であるが、ここの日本は戦国時代の終わりから積極的に対外進出を行っている。
その一環として東南アジアでもニューギニア島を丸々占有しており、近場の史実で言うビスマルク諸島やソロモン諸島、ニューカレドニアなども有している。
そしてニューギニアを持っているということは勿論日本もオーストラリア大陸へと開拓地を築いている。
その協力を行ったのが何を隠そうオランダであった。
詳しく言うと開拓のための物資運搬の一部をオランダに依頼し、植民地開発の安定化を行ったのだ。
結果日本はオーストラリア北部に上陸。そこから徐々に開拓を始めていくこととなる。
詳しい経緯は日本の説明欄で書き記すため、ここでは省くが最終的にオーストラリアのほぼ全てを手中にした日本は同じく発見したニュージーランドを開拓費用や物資を引き換えにオランダに売り込んだ。
オランダもそこまで高い買い物でないからとニュージーランドを買い取ることとなった。
当時の日本はオセアニアだけではなく、カムチャツカからアリューシャン列島を通りアラスカ湾ルートで米西海岸に進出したり、太平洋を横断してはハワイに行きついたりなど非常に手広く開拓をしていたため、何かと付けた金と物資に不足していたのが原因である。
こうしてオランダは史実では得なかったオランダ領ニュージーランドを手にすることとなった。
この地は早くから開拓が進み、史実のように羊の王国となって東南アジアのゴムや砂糖と共にオランダの重要な輸出品となる羊毛を産出するようになるのだが、それはもう少し先の話である。
話を戻してオランダの東南アジア植民地に戻る。
日本の開拓支援の対価としてニュージーランドを得た以外はそこまで史実と差のないオランダであったが、オランダ東インド会社が放漫経営で史実のように経営が悪化している点も同じであった。
むしろ史実よりも早くに経営が悪化したのだから、史実より酷くなってる。
ボーア戦争もない、ナポレオン戦争による被害もないくせに放漫経営のみで史実と同じに陥るというのは流石と言えようか。
もしくは史実よりも余力があったからこそ慢心が酷くなったか。
とにかく史実より早く経営が悪化したオランダ東インド会社であったが、史実ではこれが解散された後はフランスが建てたオランダに建てた衛星国バタヴィア共和国に業務や負債が引き継がれるのだが、ここではナポレオン戦争なんてないためオランダ連邦共和国自身が負債を引き継ぐこととなった。
無論史実より良い経営状態なのに史実より酷い負債を抱えているのだから、その額も凄まじいものであった。
970: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:58:34 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
最近再びオランダの
アジア植民地を狙う動きを見せているイギリスに対しての備えも必要な中でオランダ東インド会社の再建は無理すれば出来るが、無理したくない現状という構図に陥っていた。
そんなオランダに救いの手を差し伸べたのがかつてからの顧客である日本であった。
植民地拡大と開発が一段落した日本は余力があり、その余力を持って同社に投資するというのだ。
代わりに日本からの経営指導を受けること。つまり経営権の譲渡が条件である。
流石のオランダもこれには躊躇したが、あくまで経営指導であって、会社の経営権を完全に譲渡するわけではない。
得られた儲けや利権の殆ども今まで通りオランダに必ず渡すなどの日本側からの寛大な譲歩もあり、オランダは一時的に日本からの経営指導を受けいれることを受諾した。
オランダからしてもメインの交易はバルト海貿易と地中海貿易のため、最悪
アジア貿易を失ってもどうとでもなるという考えがあったことも記す。
結果日本はオランダの
アジア植民地を割かし好き勝手できる権利を手に入れたのだった。
そして日本は現地の残ることを了承した幾人のオランダ人を神輿に祭り上げながらも本格的な改革を進めていくこととなる。
ご近所が独立騒ぎだ、革命だ言い出すと日本の東南アジア及びオセアニア植民地運営に悪影響が出るのだ…
こうして経営指導という名の実質経営権を日本に牛耳られたオランダの
アジア植民地は急激に業績を改善していく。
今までのやり方を完全に変え、現地人を迎合する形にし、彼らすら経済に取り込んでいくその経営方法は現地に残ったオランダ人経営陣には今まで感じたことのないカルチャーショックをもたらした。
初期投資こそ多大な額が必要だが、現地人が協力的でいて更に今までと比べ物にならない利益を出す日本の方法は基本的に如何に上手く搾取するかのみの欧米式植民地運営方法とは根本的に別物であった。
特に現地人を労働力だけではなく、金の使い方を覚えさせ、経済に組み込むという方法は協力していたオランダ人官僚や政治家にとっては正にただの石が黄金に代わる錬金術であった。
また現地人を教育し、高度に組織化させるこの方法は一歩間違えば反乱や独立に繋がる危うさも内包していたが、そもそも現地人に金の使い方を覚えさせた関係上既にオランダの経済圏に取り込まれており、現地人単独では今の暮らしを維持できない状態に変化してしまっている関係上、早々簡単に宗主国との繋がりは切れないという点もポイントが高かった。
初期投資も必要なら、物理的な貨幣の流通量も増やす必要であり、現地人を教育する手間暇や独立される危険性が上がるという欠点も多々あるが使い潰すだけだった労働力を経済力も生み出す存在に変えるこの方法は他の植民地でも多かれ少なかれ流用できることは目ざといオランダ人商人や官僚ならすぐに理解していた。
こうしてオランダの東南アジア植民地は根本的な経営方法の改善と現地支配体制の変更により資源があるだけの赤字部門からオランダの貿易量の1/3を占める巨大な経済圏へと生まれ変わった。
元々がバルト海貿易が2/3、地中海貿易が1/3を占めていたのを。バルト海1/3、地中海1/3、東南アジア1/3にまで変えたのだからその凄まじさがわかる。
特に現地の作物や植物を使った一風変わった酒類は本国や欧米でその珍しさと味から飛ぶように売れており、オランダの新たな目玉商品として定着するほどである。
こうして赤字部門から一転して超黒字部門に変わった東南アジア植民地。
日本はちゃっかり現地に自国の権益を幾つか残しながらも役目は終わったとばかりマニュアルごと経営権をオランダに投げ返していった。
オランダは日本が単なる金持ちというだけではなく、凄まじい経済モンスターであることをその身で学んだのである。
同時に日本が本気を出せば武力的にも経済的にも一瞬で東南アジア領が陥落するであろうことも理解した。
同時にそんな存在が友好的だったのを神に感謝した。
武力もあれば金もあり、頭も回る遠い植民地の傍の大国と敵対するなど百害あって一利なしだからだ。
971: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:59:04 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
そういうことでオランダは以前よりも日本との仲を深める方針を再確認した。
警戒こそ必要だが、日本との関係は儲かると理解したためである。
元々戦争で儲けてきたオランダだからこそリスクのない儲け話はないと言わんばかりにのめり込んでいくこととなる。
因みにオランダ領ニュージーランドが羊の楽園に変わったのも日本が色々弄っていったここら辺からである。
その後の話をしよう。
赤字だった東南アジア植民地が十数年程度で黒字部門に化けたからか以前よりも手ぬるい(ブリカス比)統治に変更していたオランダであったが、同時に金の匂いを嗅ぎつけたイギリスもその手を伸ばしてきた。
実際イギリス領インドのみならず、ビルマ(ミャンマー)もイギリスの手に落ちたことを見てオランダは東南アジア領の防衛力強化を決定。
東南アジア領内の良港を選定、開発。海軍戦力の増強を図った。
同時にイギリスがちょっかいを出すようになった東南アジア諸国にも接近。
元々がオランダの庭だったのだからイギリスに取られるのは癪だと言わんばかりに外交攻勢を開始した。
事実現地の東南アジア諸国(史実で言うところのベトナム、ラオス、カンボジア、タイなど)はビルマがあっけなく陥落したのと、特に何もしてくれない清の態度に不安を感じており、オランダの話に乗ることを承諾。
ここにオランダ保護領ベトナム及びラオスが誕生することとなる。
オランダはこの話に日本も巻き込んでおり、日本保護領カンボジアとタイも誕生することとなる。
イギリスはこのオランダの動きに歯がゆい思いを感じながらも次の獲物に目を付けていた。
当時はまだ眠れる龍との評価を得ていた
アジアの大国の一つ。大清帝国である。
イギリスはアヘン問題を逆手にとって清とアヘン戦争を開始。更にイギリスと同盟を組んでいるロシアも清との戦いに参加し、清国は瞬く間に両国に制圧された。
この様子をまじかで見ていたオランダは改めて英露の脅威を認識。
日本のみならず中南米の覇者であるスペインにも改めて接近を開始。
同じ太平洋グループということで日西と共に相互の防衛条約を締結することとなる。
WW1時には日西同様自国艦船をイギリス陣営に誤って沈められたことからオーストリア陣営側に参加。
日西と協力しながら中華民国や極東ロシア軍、更にイギリスのインド駐留軍を粉砕。
スエズも確保。オランダ本国の方ではイギリス本土やデンマークなどに積極的に攻撃開始。
攻めこまれたら本土が持たないというわけでスペイン本国軍と共に無限攻勢を仕掛けて見事イギリス本土やデンマークのノルウェー領を陥落させることに成功した。
戦後は日西と共に最近復活気味の革命主義者や暴走の酷い
アメリカに頭を悩ましている。
972: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 16:59:47 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇日本
我らが主人公。フランスが消えたり、スペインが復活したり、イギリスのブリカス度が急上昇しているこの世界でも変わらずゴーイングマイウェイを貫く国。
ここの日本は戦国時代が終わった後に対外進出を開始。
北はカムチャツカ、南はニューギニア島、東はウェークやミッドウェー、西は台湾と大きく領地を拡大。
これには当時の転生者集団が大きく関わっているのだが、その話は割愛する。
その後領地の拡大、開発、安定化が進み、東はハワイまで到達。北はアリューシャン列島沿いにアラスカに到達。
その後はアラスカ湾沿いに史実ではユーコンテリトリーやブリテッシュコロンビアと呼ばれる地域を先んじてかすめ取り、米西海岸に到達。
西海岸到達後は史実においてワシントン、オレゴン、アイダホと呼ばれた地域を確保。
アラスカやブリテッシュコロンビアと合わせ日本北アメリカ領が誕生することとなる。
同時に同じく西海岸を探検していた当時のスペイン勢と接触。
その後こんな辺鄙なところで戦うのも馬鹿らしいと両者の本国合意の上で西海岸を南北で分かち合う条約を締結。
オレゴンやアイダホより北は日本領土。カリフォルニアやネバダより南はスペイン領土と互いに承認した。
同時期南方方面ではニューギニア島を拠点にオーストラリアにも進出を開始。
途中イギリスの入植者と出会い幾度が衝突に発展する。
以降何度かの衝突の後に大まかに北部は日本、南部はイギリスが領有することに決定されるのだが、それが決まるまで幾度も恣意的に攻撃が行われたことから日本はイギリスへの不信感を抱くこととなる。
その後当面は両者ともこれといった衝突は起きず、南北で開拓を続けていたが、ある時イギリス入植領にてラム酒の反乱が発生。
史実より大分早く起きたこの反乱はイギリス本国が同時に東アフリカ平定に力を入れて史実ほどオーストラリア入植に力を入れずおざなりにした結果発生した反乱であった。
当時のイギリスは突然のポルトガルの離反(原因はイギリスの強欲)とオーストリアのグレートプレイヤーデビューに慌てふためいており、この小規模な反乱は無視された。
(史実でも2年ほど放っておかれている)
このことに現地で反乱を起こした軍人たちは喜んだが、それは時を進めていくうちに不安に変わった。
史実よりもずっと長く放置が続いたのである。しかも本国からの支援も応答もなしに。
こうして反乱を起こした軍人たちは徐々にだが立ち枯れていくこととなる。
そのことを見ていた北部の日本が彼らを不憫に思い…という建前で南東部を取り込むチャンスとばかりに各種支援の取引を開始。
イギリスがようやく豪州の反乱に目を向けた時には南東部の植民地はすっかり日本に取り込まれていた。
開拓の進んでいる豪州北部やニューギニア島などから南東部へと生活に必要な殆どの物資を届けており、現地は既に日本に生命線を握られていた。
そこにニュージーランドを日本から譲られたオランダやフィリピンのスペインも商談に参加。
完全にオーストラリアのイギリス植民地を日蘭西の経済圏に取り込まれることとなった。
流石のイギリスもこれには嫌味と抗議を向けたが、表面上は未だイギリス領のままであり、本国の支援がない中で一致団結して植民地運営と開拓をしていただけと言われては全く持ってその通りであったため何も言えずにいた。
事実現地で挙げられた利益はきちんと本国に届けられていたからである。
未だアフリカ情勢や欧州情勢が安定化していないイギリスは仕方なく豪州を損切り。
代わりにインドを通じてビルマに干渉。
上手くビルマを嵌め、彼等から攻撃させることにより逆にビルマ本国攻撃の大義名分を得て、同国を手中に収めることに成功した。
以降イギリスはオーストラリア植民から事実上撤退することとなる。
日本はこうして入植初期における借りを返したことに成功した。
それからのオーストラリアは日本が豪州西部にも進出。そこを開拓地としたところで南東部のイギリス()植民地も正式に日本の領土として合流することとなった。
973: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:00:28 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
まとめると日本は大分広く手を付けている。
西は台湾を領有した程度であるが、南方ではニューギニア島やその周辺諸島を粗方自国領に。
また豪州の完全併合も達成している。
東方ではウェークやミッドウェーなどの島々の発見。最終的にはハワイを発見し、ここと友好関係を築くことに成功する。
ハワイは後に世界情勢を見て日本への正式併合を打診することとなる。
最も大掛かりだったのが北方開拓。
北海道、樺太の占有は勿論のことロシアの探検隊より早くカムチャツカの領有に成功している。
そのままカムチャツカを拠点にアリューシャン列島へ進出。アリューシャンの島々を徐々に探索していきながらアラスカに到達。
ここも正式に占領。以降はアラスカ湾沿いに南下していきり、史実でのユーコンテリトリーやブリテッシュコロンビアも領土に加えながら南下。
ワシントンやオレゴンといった米西部海岸に辿り着き、南下作業の最中にスペインと接触。
話し合いの結果西海岸は日西で穏便に南北に分けることで落ち着いた。
このため北はカムチャツカやアラスカ、東は米西海岸、南はオーストラリア、西は台湾はかなり手広い帝国となっている。
同じ太平洋で利権を持つオランダやスペインからは太平洋帝国の別名で呼ばれている。
現在は欧州の争いから実質身を引いているオランダやスペインと共に太平洋において巨大な経済圏を構築。
欧米の争いをしり目に安定した成長を続けている。
またイギリスが徐々にインド以東にも進出を開始。
史実通り貿易関連を中心に大清帝国へちょっかいをかけ始めている。
同時にイギリスは豪州から追い出された件から内心では日本を将来的な敵とし認定している。
対する清は内部腐敗が酷いためこれといった反応はせず。朝鮮はここの世界線でも日中激突からのリング扱いはごめんだと適当なものに祈っている。
ロシアはシベリア探検で幾度か日本の調査隊と接触。史実と違いアラスカもカムチャツカも得られておらず、初期の国境線制定の際に幾度か小規模な武力衝突が起きている。
WW1は英露の属国であった中華民国の船が誤って日本船を撃沈したことから独墺葡の協商陣営に参加。
同じように船を沈められた蘭西と協力しながら英露その他を粉砕した。
戦後は余力のある蘭西と協力しながら再び世界に蔓延り出した革命主義者への対応や、最近暴走の酷い
アメリカグループの監視にと仕事だらけである。
974: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:01:00 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇ロシア帝国
フランスが消滅したこの世界でも元気。
しかしフランス革命の最後を恐れて史実以上に共和主義者や共産主義者への弾圧が顕著に行われている。
ポーランド分割までは大体史実だが、ナポレオン戦争がないことにより焦土戦が発生しておらず、同時期の史実と比べて幾分余力がある。
また同戦争がないためスウェーデンとも戦争が勃発しておらず、フィンランド地域を獲得していない。
東欧、バルカン、コーカサス地域へ進出を狙っており、度々オーストリアやオスマンを衝突している。
このため彼等との仲の悪さを見たイギリスが同盟を持ちかけた結果作られたのが英露同盟である。
その後すぐにデンマークも加盟し、英露丁同盟の三国同盟となる。
同盟後は最初の標的とされたオスマンとの戦争であるクリミア戦争が開幕。
グレートプレイヤー同士のタッグは非常に強力でオスマンは瞬く間にズタボロとなり、史実よりも大分早く領土の殆どを失陥。
更に戦後の英露との条約で実質属国状態に。
ペルシャも別口でイギリスにボコられ、おまけにロシア帝国にも領土の幾ばくかを奪われた挙句条約により属国状態に。
その後はバルカン半島やオスマン領で欧州諸国と小競り合いしながらも極東に進出。
大清帝国とイギリスとの間で勃発したアヘン戦争ではイギリス側で参戦。
実質清国を英露で切り分けることとなった。
清国から満州と沿岸州、山東半島や天津が面する黄海一帯の領土を奪い取り、次の目標を日本と定めたロシアは速攻日本と戦争を開幕。
朝鮮や極東ロシア地域を舞台に日露戦争が勃発する。
しかし転生者inの日本がそのことを読んでいないわけもなく、史実よりも巨大化した日本+戦国時代の終わりから続けられた拡張政策により得られた国力+転生知識という三重のバフがかかった日本に極東ロシア軍や中華民国駐留軍が真正面から粉砕されるオチに。
更にはイギリスやデンマークの支援の下でほぼ完璧な状態で向かったはずのバルチック艦隊も真正面から粉砕された結果日露戦争はロシアの惨敗で終わる。
独墺葡陣営との決戦を前に痛手を負ったロシアであったが、イギリスとデンマークの支援と持ち前の国力を活かして短期間で復活。
その後は英露丁陣営こと連合側から独墺葡陣営こと協商側へ先制攻撃を仕掛ける形でWW1が始まる。
WW1の経過に関しては内容を省くが日蘭西の参戦やアメリカ合衆国の奇襲により連合側が敗北。
戦後は幾つかの領土を他国に奪われ、政治体制を変えられながらも一応の存続が果たされた。
最も今度は戦時中に侵攻、戦後の治安維持のために一時期駐留した米軍から過激な革命思想が国内に伝播したことにより、史実とは違った形のロシア内戦が起こるのだが…
975: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:01:30 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇アメリカ合衆国
この世界ではほぼ唯一と言っていい宗主国から武力で独立を勝ち取った近代国家となる。
最もテキサスを始めとする南西部の殆どをメキシコに抑えられ、西海岸も日西が先んじて確保して分割しているため領有していない。
このため西部と南西部を中心に大きく領土が削れており、アメリカ合衆国領は東部と中央部。そしてフロリダなどの一部の南部のみである。
独立後は史実のように幾度かスペインに戦争を仕掛けている。
二度仕掛けた米西戦争はスペインに惨敗している。そしてスペイン帝国はその度に新たに全てを打ち負かし、逆に今の
アメリカとの国境線を承認させている。
そして出来上がったのが現在の南西部がスペイン領となった今の形となる。
フランス革命が不発どころかフランスという大国を崩壊せしめる原因となったこの世界では欧州や南米では共和革命や独立を目指した勢力の殆どは弾圧されこの世から消えた。
共和主義者は基本白い目で見られ共産主義なんて以ての外である。
現在この世界での主流は皮肉にもイギリス式の立憲君主制となっている。
穏健派の共和主義者の多くは立憲君主制支持者であり、それに迎合しないものは大抵ろくな目に合わない。
そのため
アメリカには全世界から共和主義者や共産主義者が終結している。
イギリスという世界に名だたる大国から戦争の末に独立せしめた
アメリカは彼等にとっては最後の希望の星なのだ。
そのため以外にも史実には流石に劣るが相当数の移民が
アメリカに集まっている。
アメリカからしても史実ほどの領土は持っていないため丁度いい流入数だと思われる。
そんな
アメリカは欧州の戦いには一歩身を引きながらも各種商品を売買で利益を上げていた。
特に増加する各種植民地への投資は一種のブームとなっており、スペインに負け意気消沈していた
アメリカの経済を一気に回復せしめるまでとなる。
その後はほのぼの経済ゲームに勤しんでいた
アメリカであるが、ここで一つの転換期を迎えることとなる。
南北戦争の勃発。
大方史実と同じような原因と過程で起こったこの戦争は北米南西部の多くがスペイン領になっている関係から南部のアメリカ連合国領土は史実よりもずっと少ない状況で始まった。
それに対して北部は大まかには史実と左程変わらない領土で推移している。
このため両軍は史実以上の国力差が開いており、内戦の行方は火を見るより明らかだと世界各国から思われていた。
しかし、そこに手を入れたのがイギリスであった。
イギリスは欧州にてオーストリアとポルトガルを中心とした対英陣営発足により、味方を求めていた。
ロシアやデンマークを引き込み、無理矢理オスマンやペルシャを従わせている状況は作ったが、中立を表明しているオランダとスペインは元々イギリス嫌いで有名であり、
アジアの大国の片割れである日本とも関係は不安定であった。
そのためイギリスは更なる味方を求めていた。
具体的には欧州やアフリカからは離れているが、イギリスを支援しやすい位置にいて、それなりの工業力か将来性のある国が望ましい。
そう考えていた時に
アメリカで南北戦争が勃発した。もしもこの時に南北戦争が起きずにいれば、イギリスはあの手この手で
アメリカを自陣営に引き込もうとしただろうが、タイミングが悪かった。
イギリスの目線は滅亡必須と見られていたアメリカ連合国に向いたのである。
結果米連合にはイギリスから大量の支援と義勇兵が到着。
国力で圧倒するはずのアメリカ合衆国と互角に渡り合うまでの急軍拡を遂げた。
無論アメリカ合衆国もイギリスに全力で抗議したが、なしのつぶて状態であり、これは不利なアメリカ連合国を助けようとする市民たちの自発的な義勇行動であるの一点張りであった。
厄介だったのはアメリカ合衆国国内でもこのイギリスの表明を支持する人間が一定数存在したことであった。
北部ことアメリカ合衆国市民や上流階級の大多数はまだ戦況は優位に運べると楽観視していたのである。
だが、そのお気楽な考えはすぐさま粉砕されることとなった。
976: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:02:13 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
元々士気の高かった南軍側に武器と物資と義勇兵の援軍である。鬼に金棒と言っていいこの組み合わせは瞬く間に攻め寄せた北軍を駆逐。
逆に北部州への逆撃を開始した。
これに慌てたのが北軍やアメリカ合衆国市民であった。彼らはようやく認識することとなる。
吹けば飛ぶような反乱勢力であったアメリカ連合国には世界最強の海軍力を誇るイギリス帝国がバックについたのだと。
初期の大敗以降北軍は死に物狂いに戦闘を開始。史実の南北戦争以上の惨劇がそこら中で起こることとなる。
北軍は途中から反撃を開始したが、その反撃攻勢の殆どはイギリス義勇軍の活躍により失敗に終わる。
イギリスは様々な兵器を北米に持ち込んでおり、実質新兵器の実験場としても扱っていたのだ。
途中からこれは不味いと思った独墺葡陣営もアメリカ合衆国に多数の物資援助や義勇兵の派遣を行ったが、海軍力で上を行くイギリスに邪魔されたり、供給量に差が出たりなどした結果北軍の勝利へとは繋がらなかった。
結果だけ言えばアメリカ合衆国はアメリカ連合国の離脱を阻止できなかった。
南軍を攻めきれず、市民の厭戦感情が先に我慢の限界に達したのである。
こうして史実以上の血に塗られた南北戦争はアメリカ連合国の独立という北軍の敗北に終わった。
イギリスも少なくない被害が出た戦争であったが、北米南東部に新たに親イギリス国家と言えるアメリカ連合国を得ることができた。
また史実では特殊事例と切って捨てられた機関銃を用いた防衛線や塹壕戦のノウハウもきちんと学習したイギリスは後の独墺葡陣営との戦いにそれを活かすこととなる。
実質負けたアメリカ合衆国だがリメンバーシビルウォーとはならなかった。
元々厭戦感情による停戦、独立承認と独立戦争以降はこれと言って勝てた戦争がないためすっかり意気消沈してしまったのだ。
このためアメリカ合衆国は当初の独墺葡陣営の予想に反して左程協力的な態度ではなかった。
しかし、アメリカ人の心の奥底ではイギリスと裏切者のアメリカ連合国への憎しみがくすぶり続けることとなる。
少し未来の話をしよう。
この世界のWWⅠは史実とは大分違った形で起こる。
大まかには遂に独墺葡陣営の協商と英露丁陣営の連合での全面戦争が起こるのだ。
戦況は五分と五分で推移し、泥沼の戦いを見せていたが当時連合側に属していた
アジアのとある国が日本に対してやらかしてしまう。
その結果日本が協商側で参戦。蘭西も日本と締結していた相互防衛条約に基づき連合陣営に宣戦布告し、情勢が一気に変動することになる。
どう見ても連合側不利に見えるこの状況は北米においてイギリスへの憎しみを燻りさせ続けていたアメリカ合衆国の心に火つけた。燃え盛ったどころか大火事状態である。
イギリスがアメリカ連合国を助ける余裕がないことを見るに半ば奇襲気味に宣戦布告。
瞬く間にアメリカ連合国を叩き潰し、再併合してしまう。
そして返す刃でカナダにも侵攻。カナダは果敢に抵抗したが元々戦力を欧州に派遣していた関係上復讐に燃える米軍に対抗しきれず陥落してしまう。
その後はグリーンランド、アイスランド、そして英本土に米軍の魔の手が伸びて結局は英露丁連合の敗北に終わるのだが、ここからが不味かった。
アメリカ合衆国は南北戦争での恨みを忘れておらずイギリスに多大な賠償金を求めた。
アメリカ連合国やカナダなどはそのまま併合し、現地の人間は裏切者の子孫や卑怯者の召使いとしてアメリカ合衆国において下層階級に落とされてしまう。
そして何よりアメリカ軍が軍を派遣した英本土やロシア、デンマークといった敵対国家地域や味方として訪れた独墺葡の地域にはとある者達が潜り込んでいた。
アメリカ合衆国に逃げ込んでいた共和主義者や共産主義者たちである。
既にアメリカ合衆国に逃げ込み半世紀以上。共和主義者と共産主義者が悪魔合体をしていることは想像に難くなく、戦時中、戦後の進駐において多数の過激な革命思想が敗戦で気落ちする人々や勝ったはずなのに苦しい生活を強いられる人々に忍び寄ることになる。
977: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:02:45 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
戦勝に湧く協商こと独墺葡陣営や欧州から遠く離れた日蘭西はこのことに気づくはずもなく、敗戦した国々を中心に瞬く間に革命思想は伝播していった。
こうして戦後に残されたのは勝ったは良いが大きなダメージを負った独墺葡陣営と革命思想渦巻く敗戦国たち、そして史実のナチスかソ連かと見間違わんばかりの特定人種差別国家と化し、独立以降の始めての大勝に浮かれるアメリカ合衆国であった。
そして百数十年振りに自信をつけた
アメリカが次に狙う国…それは自国をかつて二度も負かせた隣国。
本来ならば神より賜ったはずのフロンティアを奪い去ったイギリス以前の怨敵。
その名をスペイン帝国という。
アメリカは準備を始める。まずにっくきイギリスから解放されたオスマンやペルシャといった同じ境遇だった同胞たち。
彼等に戦後になり余り始めた
アメリカの各種物資を送り付け、経済的に取り込むことから始める。
今こそかつて我々を虐げた者達に復讐しよう。そして今なお富を貪っている連中からも奪い取ろう。それが我々が本来持つ正当な権利であると囁きながら…
978: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:03:18 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇その他の国々
フランス分割の時点で衰退した大国となっていたオスマン。英露の被害者その1。
史実通りロシアにぶん殴られたと思ったら、オーストリアとイギリスが自国の領土で好き勝手始めたのでキレたら逆ギレかまされたボコボコにされた。
挙句にバルカン方面では史実より強大になったオーストリアにボコされ、コーカサス方面でもロシアにボコされ、最終的にクリミア戦争という名の英露によるリンチにより瀕死の大国から死なせてもらえない死人にクラスチェンジした。
その後は実質的に英露の属国としてWW1に臨むこととなる。
内心は勿論絶対英露殺すマンと化していた。WW1中は日蘭西の参戦によりペルシャ、中国と共にいち早く脱落。
戦後は幾らか領土が戻されて独立復帰となった。
しかし散々足蹴にしてくれた英露への恨みは未だに続いている。
そのためイギリス絶対許さないマンの
アメリカと手を組み史実ナチス張りの差別国家に転身。
スラヴ人やイギリス人を収容所送りにするような国家として復活した。
同じく復活したペルシャと共に内戦中のロシアにちょっかいかけて黒海周辺や中央アジアの過半を奪い取ったり、
アメリカやペルシャと組んで旧イギリス領のインドや東アフリカに手を出したりなど割とやりたい放題している。
英露の被害者その2。
オスマンがボコされるついででボコされ、オスマン同様英露の属国に落とされた。
その後はこれまたオスマン同様無理矢理WW1に参加させられ独墺葡の協商陣営と戦わされたが、日蘭西と
アメリカの参戦で戦況は急転。
同じ属国仲間であるオスマンや中華民国と共に真っ先に脱落することとなる。
戦後はある程度領地回復がなされ、独立復帰に。
しかし英露への憎しみは消えず、その点を
アメリカに焚きつけられた結果オスマンと仲良く史実ナチスのような強権国家に生まれ変わる羽目となった。
ロシア内戦に首を突っ込んで中央アジアの殆どを分捕った挙句に、インドにも手を出してパキスタン地域を分捕っている。
ここでは元々大清帝国こと清であったがアヘン戦争により英露により分割される。
満州や天津あたりはロシアに奪われ、海南島を始めとする南部や福建などはイギリスに奪われることとなる。
残った地域は両国に都合の良い属国の中華民国として残された。
日露戦争の際には参戦ことしなかったがロシアに義勇軍を送るなどして日本のスコアを底上げさせていた。
その後のWW1では他の属国仲間と共に連合側として参戦。
しかしやっぱり根が中国だったためなのか、敵である協商陣営の商船と間違え撃沈。
本来なら謝罪するところなのに、無駄に維持張ってしまい日本との仲が拗れることに。
更に駄目押しとばかりにイギリスの船がオランダとスペインの船まで沈めてしまい日蘭西三カ国が参戦する切っ掛けとなってしまった。
これは当時の連合陣営が陸上国家である独墺葡の本国を干殺しにするための無制限通商破壊を行っていたためと、長引く戦争のため海軍も人員不足気味になっており、船員たちの練度が低下していたため起こった事件だと言われている。
そう。日本の参戦を招いた
アジアの連合国とは中華民国のことだったのだ。
というわけで参戦した日本とオランダによって中華民国軍と極東ロシア軍は日露戦争の焼き増しと言わんばかりに粉砕。
戦争から脱落した。
戦後は一応領土の回復と独立復帰が許されたが、日本に対してやらかしたことからチベット、ウイグル、満州、雲南は中華民国とは別に独立。
更に内蒙古をモンゴルに譲渡させられるなど属国グループの中では一際厳しい措置がなされた。
これは日本が丁度いいから中国分断して脅威をなくすべとしたためである。
無論このことに中華民国は抗議したが、真っ先にやらかした敗戦国の声など誰も聞いてくれず、戦後になっても不満を貯めていた。
そこに新たにスペイン帝国を新たな仮想敵国とした
アメリカが接近。
君の気持はわかる。不当に奪われた領土を取り戻そうと唆しながら支援。こちらもチャイニーズナチスと化していった。
ロシア内戦時はどさくさ紛れにシベリアの幾つかの領土を分捕ることに成功している。
979: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:04:06 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
南北戦争で独立した国。スペイン帝国健在のおかげで史実より少ない領土=低い国力で頑張る羽目となった。
幸い自称足長おじさんことイギリスからの手厚い支援によりどうにか独立に成功。
その後はイギリスの支援を受け続けるため、実質英露陣営に参加した。
実は内心あんまりイギリスのことは信用していなかったのだが、独立を維持するためにも致し方ないと割り切っていた。
WW1は英露こと連合陣営として参加。
主に航空戦や海戦で活躍した。
しかし英中のやらかしで日蘭英が協商側で参戦したため戦況が一変し、更にアメリカ合衆国が奇襲気味に宣戦布告。
殆どの戦力を欧州に派遣していたアメリカ連合国はスペイン帝国とアメリカ合衆国に挟まれ瞬く間消滅した。
戦後は独立復帰も許されず合衆国に併合されている。
しかし元アメリカ連合国国民の扱いは良いとはいえず、合衆国内では裏切者と差別され、南部に作られたゲットーの中に押し込められるなど非常に悪い待遇が続いている。
このため旧アメリカ連合国領土内ではアメリカ合衆国への不満が蓄積しており、近年では共和主義と共産主義の悪魔合体である革命主義が浸透して始めている。
そのため元より不安定な治安が更に悪化し、それをアメリカ合衆国が武力で弾圧するなどして更に治安が悪化するなど負のループが続いている。
イギリスの植民地。フランスが消滅したこの世界では史実で固持されていた近隣のフランス領土も併合しているため、史実よりちょっぴり領土が増えている。
大体史実通りであるが、フランスが消滅しているのでケベック問題などは史実よりも幾分大人しい。
WW1後はアメリカ合衆国に全土を併合される。
アメリカ合衆国内では卑怯者やイギリスのコバンザメとして差別されており、元アメリカ連合国国民と同じように不満を貯め込んでいる。
そこに改めて旧フランス系人民問題に火が付き、それらが革命主義者などと悪魔合体し、フランスの亡霊のようなものがのさばり始めているのが現状である。
無論アメリカ合衆国は武力をもってこれを容赦なく鎮圧している。
980: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:04:38 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
通称バルト帝国。この世界ではナポレオン戦争がないためロシアと戦争をしておらず、フィンランドを失っていない。
このためある程度勢力をとどめたまま北欧に影響力を発揮している。
スペインやオランダと同じく欧米の狂騒から一歩引いた中立勢。
しかしデンマークとドイツの仲裁の時にはドイツ有利の交渉を持ちだすなど、同じ北欧勢であるデンマークにはあたりが強い。
それでいて英露の思惑に気付きながらスルーするなど良くも悪くも中立国をしている。
またドイツとオーストリアの北欧自由宣言にもまともに対応していない。
これは両国の海軍力ではバルト海を制圧することは無理だと悟っているからである。
WW1の際には最後まで中立を貫き通した。
戦後は泥沼の殴り合いをしていた協商陣営で敗戦した連合陣営よりもマシな余力を維持している。
しかし戦後はデンマーク・ノルウェーやロシアから流れこむ革命主義者に四苦八苦しているなど新たな問題に頭を悩ましている。
ナポレオン戦争がないため二重王国のまま存続しているデンマークとノルウェー。
しかし史実と同じくプロイセン改めてドイツとシュレーヴィヒ=ホルシュタイン地域を巡る戦争が起こり、史実よりも速くドイツに敗戦して同地域を取られてしまう。
結果恨み骨髄となったデンマークは英露陣営に参加。上述の地域奪還を目指し国力増強を進めることとなる。
そして遂に訪れたWW1。真っ先にドイツに殴りかかりシュレーヴィヒ=ホルシュタイン地域を奪還。
その勢いのままドイツ本土に流れ込み泥沼の戦いを繰り広げた。
途中同盟国のやらかしで日蘭西米参戦したため結局敗戦。
シュレーヴィヒ=ホルシュタインは結局ドイツに取られたままになってしまった。
それどころかデンマーク海上帝国は解体され、本国のデンマーク以外にノルウェーは独自の国家として独立。
アイスランドやグリーンランドも同様の措置となった。
結局奪われた土地は取り返せず、国土もバラバラにされたデンマークでは特に戦後の情勢に強い憤りを感じている人々が多く、革命主義勢力が最も勢力を伸ばしている地域となっている。
このためデンマークを経由してスウェーデンやドイツへの革命主義勢力の拡大が起きている。
981: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:05:13 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇用語説明
史実よりもフランス革命が過激化したことによりナポレオンを始めとする史実のフランス偉人がほぼ全員死亡。
結果革命の混乱を収める人物がおらず、フランスは自壊した。
流石にこれは不味いと思った周辺諸国がフランス本土へ侵攻。それぞれの領土として分割された。
WW1はイギリスが持っていた旧フランス領土が改めてノルマンディー共和国として独立している。
革命と言いながらも無軌道に暴れる者達、もしくは革命を大義名分として混乱をもたらす者達を総称。
史実と違いフランス革命が残念な結果に終わったため、各国で同じような革命勢力や独立勢力が徹底的に弾圧された。
そんな彼らが逃れたのが彼等に希望の星と思われていたアメリカ合衆国。
そこで数十年の雌伏の時を過ごした共和主義者、共産主義者、民族主義者などが悪魔合体して誕生したのがこの革命主義者である。
広義にはフランスを滅ぼした乱痴気騒ぎも革命主義者たちによりものだと言われている。
一時期は下火になっていたが、
アメリカが勢いを取り戻すと同時に無意識に欧州に再リリース。
結果WW1での敗戦国や圧政に喘ぐ植民地などを中心に再び勢いを増している。
プロイセンがオーストリアのお墨付きを得てドイツ諸邦を併合した姿。
ドイツ地域を統一したのでドイツ帝国に名前を変えた。このため史実より大分早く誕生している。
第一次世界大戦のこと。ここでは史実のようなグダグダ連鎖は起らない代わりに、連合によって史実ナチスドイツのような計画的な侵攻から始まった。
イギリス、ロシア、デンマークを中心とした同盟勢力。
独墺葡に対抗することを目的として結成されており、WW1を始めたのもこいつら。
独墺葡陣営を倒したのちには日蘭西陣営とも対決する腹積もりだった。
戦後は敗戦国となったため、革命主義勢力の浸食が激しい。
ドイツ、オーストリア、ポルトガルによる対英同盟。
文字通り対イギリスを想定して発足された。
勢力的には新興勢力が多い陣営で、実は国力的には英露丁の連合に劣っている。
そこを策略と勢いと精鋭で押し切っていたのが協商であった。
連合のやらかしにより運用WW1には勝てたが、どこもかしこも国内がボロボロのため史実の英仏のように勝ったのに生活が苦しいと安定度がだだ下がりになっている。
ここではイタリアとして統一されておらず、北部はオーストリア領、南部はスペインの両シチリア王国領となっている。
ナポレオン戦争がなかったためか、それとも共和主義者や革命家が弾圧されまくったせいなんかはわからないが現状統一される気配はない。
ガルバルディは多分弾圧されて死んでる。
因みに我らがドゥーチェことムッソリーニは北部生まれなので多分オーストリア人。
つまりちょび髭伍長と同じ国の人間として生を受けていると思われる。
更に言えばユーゴスラビアのチトーも元々オーストリア=ハンガリー帝国のクロアチア=スラヴィニア王国生まれなので、上記の二人と同じ国の人間となる。
982: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:05:51 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
〇国家への印象
主人公。割と手広く領土を広げた方だと思う。他の世界線の日本よりも少し腹黒いのが特徴。
しかし大陸日本特有のパンチ力は健在のため戦争となると相手が粉々になる。
大陸スレでは初めてとなる復活したスペイン帝国。
一度ブイブイ言わせた後で没落。ブルボン王朝が変わってからようやく復興した。
一時期大変な目にあったため、昔と違って冷静さや思慮深さを手に入れている。
このため割と日本と仲良くできた。日本のストッパーに回り勝ち。
鉄血でもないし、特に優しいわけでもない。銭ゲバ優先の史実寄りのメンタリティに近いオランダ。
日蘭西の中では多分一番の腹黒だが儲け話には目がない。
日本との付き合いが長いので日本が暴走しだしたら止めようともしない。
何故かブリカス度が上がってしまった可哀想な存在。
でも半分くらいは史実でもやってることなのでやっぱり可哀想でもない。
ここではラスボスになると思いきや中ボスになってしまった。
合衆国の方。日本の理想的な中堅国家で大人しい
アメリカだった。
しかし途中でハッチャけて戦後はナチムーブやりだすなどラスボス候補になってしまった。
何故かわからないが大躍進した子。
史実のオーストリアよりかなり広い領土を持つようになった。
しかしWW1後は史実の英仏が味わった苦しみを同じように味わっており、ここがドナウ帝国としてやっていけるか、史実のように無惨に崩壊してしまうかの分岐点となっている。
アホの子。でも力は強い。
ポルトガルの策略によりオーストリアからドイツ諸邦刈り取り許可免状をもらったため、史実よりも速くドイツを統一してドイツ帝国になった。
長年仲良くしていたイギリス君に手酷く捨てられたため暗黒面に落ちた子。
実はこんな世界になった原因の半分くらいはこの子が躍動した結果。つまりそんな目に合わせたイギリスが悪い。
史実よりも大分良い感じのルート歩んでいるはずなのに結局ロシア内戦になってしまった子。どうして…
周辺国もバンバン介入しているので史実のようなソ連が誕生するかもわからない。
まだノルウェーと二重王国していた頃のデンマーク。アイスランドやグリーランドも持っているので結構領土は広かった。
ここではドイツへの恨みからスーパーデンマークに覚醒した。
戦後は恨みを抱えたままバラバラになった挙句に革命で燃え上がりそうな不憫な子。
作中特に不憫な子二号。ロシアに殴られ、イギリスに殴られ、オーストリアに殴られとズタボロ。
世界大戦後はメンヘラ気味にナチスっぽいのをキメている。
不憫な子三号。おまけで英露にボコられた可哀想な子。
こちらも世界大戦後はメンヘラ気味にナチスっぽいのキメている。
中国。史実みたいなアヘン戦争が開幕したと思ったらイギリスが本気でぶん殴ってきて、更に後ろからロシアがぶん殴ってきてボコされた。
アヘン戦争後は英露に領土を持っていかれて、WW1後は日本の陰謀でバラバラにされるなど割りと不憫な子。
しかしデンマークやオスマンと比べてあんまり可哀想な気がしないのはなぜだろうか。
彼の願いは届かずロシアと日本のリングにされてしまったよ…
戦後は日本の支援で国土を復興させている。
983: トゥ!ヘァ! :2021/02/25(木) 17:07:13 HOST:FLH1Adu131.kng.mesh.ad.jp
投下終了
調子に乗ったせいで大分書き込んでしまった(小並感)
フランスが革命で自壊したせいでかなり歴史が変わった世界です。
やっぱナポレオン戦争って色々影響デカかったんだなっと。
因みにナポさん自身は運が良ければコルシカ島に帰っているかもしれないので、オーストリア陸軍元帥とかになっているかもしれない…
最終更新:2023年10月26日 13:25