47: 影真似 :2021/02/26(金) 16:14:16 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
次はフランス分割世界。考えるだけで夢幻世界以上にカオスな世界です。

フランス分割世界 小ネタ 「WWⅠ後の世界情勢断片集」

「ユダヤ教世界体制計画」

「これで我々の野望にまた一歩近づいた」
「あのスペインと日本を下すにはまだ時間がいるが大いなる一歩になるだろう」
―オスマン・ペルシャを味方につけ、中央アジアを勢力圏にすると共にインドへその指を伸ばし始めたことに活気づく、アメリカのユダヤ系集会

フランス革命の影響なきこの世界では、同じ王を仰げば皆国民であると言う同胞国家論が主流となっていたが、そうであるがゆえに過激な民族思想も危険なものとして弾圧されていた。そのためアメリカは共和主義、共産主義を始め欧州各地における危険思想の掃きだめのようになり、その思想は時代が進むにつれ過激さを増していった。その内の一つがシオニスト過激派であり、欧州からたたき出された彼らはアメリカにおいて共和主義、共産主義と混ざり合わせて変化させていき、世界宗教としてのユダヤ教による体制の確立を狙っていた。彼らは、キリスト教福音派を事実上の傘下に置き、福音派によって国内の他派キリスト教徒、ユダヤ教原理主義の排除、オスマン・ペルシャにおいて福音派以外のキリスト教、ユダヤ教原理主義弾圧許可などからオスマン世界への浸透を始め、かつてのようにエルサレムへの礼拝が行われ始めるなど、福音派とイスラム教を世界宗教としてのユダヤ教に徐々に同化させ新生したユダヤ教による他宗教との同化や多神教を許容する日本とスペインを打ち破る気でいた。なお、オランダとはインドとの小競り合いを起こしていたがそれだけであると認識していた。
彼らにとって、オランダは所詮日西の付属品であるという認識であった。
(なお、WWⅡでその認識を覆されることとなる)

48: 影真似 :2021/02/26(金) 16:15:16 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
「鉄のカーテン演説」

「デリーからマドゥライまで、インドを横切る鉄のカーテンが降ろされている。そしてこの鉄はインドに流れ続けた血によって造られている。」
―オランダ首相による「鉄のカーテン」演説

WWⅠ後インドは英国の支配から解放されたものの、英国によって分断されていたヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シク教徒の対立、貧困層と富裕層の格差が表面化し、瞬く間に混乱状態と化した上、アメリカの革命主義者の流入によって一気に各地で小競り合いが発生することとなった。ケープとインドネシアを結ぶ中間地点として、セイロン島を保有したオランダは反革命主義及び融和派勢力に救援を求められ、要請にこたえると共に支援を開始。日西も後に支援を表明し、インドにおいてアメリカ、オスマン、ペルシャ義勇軍及び現地革命主義勢力と、日本、オランダ、スペイン義勇軍及び反革命主義者が激突することとなった。義勇軍はお互いあくまで後方支援がメインであったが、現地勢力は激しくぶつかり合い最終的にデリーからマドゥライにかけての停滞した戦線には空白が生まれ、お互いが睨み合う不可視の巨大な壁となった。後に「インド危機」と言われるこの出来事は「民族自決」の概念を世界に広めるきっかけとなり、同胞国家論を掲げる融和派と民族自決を掲げる過激派が世界各地で衝突することとなる。
また、世界各地の革命主義者の拡大や、「民族自決」聞いたスペイン首相は「今更フランスの亡霊が復讐しにでも来たというのか」とこぼしたとされる。

49: 影真似 :2021/02/26(金) 16:15:46 HOST:M014013212160.v4.enabler.ne.jp
以上です。インドは民族自決拡散のための犠牲になってもらいました。アメリカは他にもヤバイ思想の持主沢山おるんやろうなぁ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2021年02月28日 21:50