610: 弥次郎 :2021/03/11(木) 22:26:22 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
〇交戦規定α
漆黒世界において日英同盟および後の人類同盟軍において用いられる作戦規定。
友軍を尊厳ある状態で人間として終わらせよ、という趣旨の命令である。
端的に言えば、友軍への攻撃を許可する、あるいは人質となっている人員を見捨てろ、というモノ。
米合やその後継者などは平然と人質や肉盾などを行っており、マンハンターたちもその手の行為を平然と行っていた。
結果として、対処する側も救えないと判断した対象に対しては慈悲をかけてやるしかない、という理論が一定程度普及することになった。
この規定は米合本土での戦闘においてもたびたび発せられており、人間牧場や研究施設などへの「処理」で主に見られた。
無論、積極的な殺害を推奨するものではなく、救命のために力を注いで、それでもというときに行うことが義務付けられている。
しかし、これを進めるにあたり非殺傷兵器の開発と普及、そしてバイオロイドという戦力の開発が推し進められることになった。
《適用例1》WWW時 アメリカ合衆国 某所
WWWにおける米合本土の本土戦におけるとある作戦。
諜報活動により特定した米合の研究施設---あるいは生産施設の破壊を行うために特命部隊が地下施設を強襲した。
機密に指定されていることゆえに内部の状況については明らかにされていないが、少なくとも生存者がいたことは確かである。
最も、即座に交戦規定αが発令されたことを鑑みるに、想像を絶する光景であったことは言うまでもないことであろう。
生きていたのか、生かされていたのか。いずれにせよ、回収や保護を諦めざるを得なかったといえる。
《適用例2》1952年4月12日 イギリス アイルランド島ダブリン県 フィンガル事件
大英帝国のおひざ元ともいえるアイルランドのダブリンにおいて、IRAの武装グループがフィンガルの学校を占拠した事件。
同グループは前年に逮捕されていたIRA過激派リーダーおよび幹部の解放を要求した。
人質になった生徒および教員を拷問しながら要求を突きつけるという手段ゆえに即刻の解放が望まれ、交戦規定αが適用された。
事態の打開のため、招集された警察の特殊部隊が狙撃を敢行。人質になっていた教員の急所を避けて打ち抜き、その隙をつくという戦術がとられた。
また、生徒に対しても血糊をまき散らす特殊な非殺傷弾を撃ち込むことで対応した。
これによりIRA過激派は人質を失い混乱、即座にその場にいた全員が射殺された。のちにこのIRA過激派は米合の支援を密かに受けていたことが判明した。
この事件はWWW終戦後時間が過ぎ去り、安全地帯だと油断していた各国の国民の意識を変える一因となった。
さらに、マークスマンライフルや非殺傷弾などの各種装備の有用性を証明する一助となり、さらなる開発と普及が進められた。
〇交戦規定β
漆黒世界において日英同盟および後の人類同盟軍において用いられる作戦規定。
こちらは端的に言えば、民間人と兵士の見分けがつかない状況下における殲滅戦を許可する合図となる。
民兵やPMCという形である種軍事力が民間にも普及していた米合およびその陣営においては、往々にして国際条約における戦時協定が守れない状況があった。
その対策案として考案されたのが、この交戦規定βである。一応は国際法の無視にあたるので、乱発は避けるように配慮がされた。
無論、米合も同じ理屈を平然と並べて民間人への意図的な攻撃を行い続けたことは言うまでもない。
まあ、国際連盟の件といい、ハーグ条約といい、米合はルール破りを武田家並に平然と行うのはわかり切っていたので、日英陣営としては織り込み済みというべきか。
WWWが史上最悪の戦争と呼ばれるのも、このように民間へ無差別攻撃を行い、世界規模で行われた民族浄化戦争という側面を持つことにも由来する。
611: 弥次郎 :2021/03/11(木) 22:27:19 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
米合において開発された兵器「M1ガーランド」「M1バズーカ」「トンプソン・サブマシンガン」「フォードM1スタンダード」シリーズをさす言葉。
腐っても大国である米合の技術と生産能力などの国力を生かして開発され普及したこれらは、WWWにおいて日英陣営を大いに苦しめた。
また、いずれも国外に積極的に輸出されたことや戦後に技術者などが国外へ逃亡するなどしたため、各地に拡散。
結果として、戦後はブラックマーケットや紛争地域や裏社会などにおいて使われることとなり、米合の技術者たちの存在もあって改良されて今日に至る。
これらがなければ世界の流血の最低でも3割は減っていたとまで評されるほどに猛威を振るっており、そういう意味でワーストM1シリーズとまとめられている。
史実より前倒しで開発・普及が進んだセミオートマチックライフル。
欧州大戦に日英陣営が一部において投入したそれの情報を基に開発がすすめられ、WWW前には量産と前線配備をしてのけたというまさに米合な一品。
同時期の列強の多くが半自動小銃の開発に四苦八苦し、運用に苦慮していたことを考えれば日英に次いで普及に成功させた偉業を成している。
とはいえ、それなりにコストがかさむことや整備性の観点から「人間」向けが主軸であり、そういう意味での前線配備と言えた。
備品向けにはもっぱら後述のトンプソン・サブマシンガンやその派生型、あるいは従来通りボルトアクションライフルが配備された模様。
悪名高いものではバルカン連邦においてM7グレネードランチャーに類似した擲弾発射機と適合したマイナーチェンジバージョンであろう。
ここまでならばただの半自動小銃で終わりであるが、ここからが本番であった。
国外へもモンキーモデルの輸出がされていたことにより、WWWにおいては少なからず米合陣営の歩兵の火力増強を担った。
さらに、戦後には戦中に開発されたフルオート化する改造キットが流出したことや、ある程度の工業力があれば真似られるという設計ゆえにコピー品が各地で誕生。
紛争地域や発展途上国などで史実AKよろしくよく見かけることになる。
史実同様に米合において誕生したサブマシンガン。トミーガンとかシカゴタイプライターとか呼ばれるアレ。
史実においては民間に使われたが、簡易な構造や調達コストの安さおよび整備性などから備品向けの装備として普及した。
量産コストを下げるために史実同様にプレス加工に適した設計へ変更されたり、各種オプションの開発も進められた。
こちらもM1ガーランド同様に各国にばらまかれ、製造しやすく、拳銃と同じ弾丸が使えることなどの強みから普及。
使用する弾丸を変えたりマイナーチェンジを繰り返して延命し、長らく使われ続けることになる。
史実において開発された対戦車兵器。史実においては1940年に入ってからの開発であるが、欧州大戦において日英陣営が類似品を用いたことで米合もそれに追従。
時間こそかかったものの、WWW前には装甲車両に対する有効な兵器として1935年に開発、その後実戦テストを経て2年後に正式採用された。
その後も改良型の開発が進められていったのであるが、備品向けや輸出用として生産は続けられ、米合陣営各国に普及した。
初期型やその派生形では徐々に効果は薄くなっていったのであるが、それでも対歩兵や対建造物といったものでは活躍した。
結果、終戦まで長らく使い続けられることとなり、成果を出し続けた。
戦後には当然の如く国外に主軸を移して普及。RPGよろしく戦場でよく見かけるものとなる。
フォードが開発した軍用車両。キューベルワーゲンみたいなものと考えてもらえばよい。
スタンダードの名の通り、設計をいたってシンプルにすることで固定火器の追加であるとか装甲化などをしやすくし、荒い扱いにも耐えうるようになっている。
外貨獲得の手段としてフォードの車両と共に積極的に国外へ輸出され、一部ではばらまかれたことにより紛争や武装組織などの足として普及した。
まあ、このM1スタンダードに限ったことではないのだが、フォードの車両は国内外でコピー品も含めて未だに現役のようである。
612: 弥次郎 :2021/03/11(木) 22:28:03 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
以上、wiki転載はご自由に。
WWWって考えれば考えるほど最悪のその先を行く戦争だったんだなって…
でも実際、民族浄化官僚の数歩手前まで米合は追い詰めないといけないので、こうなるのもやむなし
622: 名無しさん :2021/03/11(木) 23:04:24 HOST:221x115x113x217.ap221.ftth.ucom.ne.jp
乙です。誤字報告です。
609
米合やその後継者などは平然と人質や肉盾などを行っており、マンハンターたちもその手の厚意を平然と行っていた。
→ 米合やその後継者などは平然と人質や肉盾などを行っており、マンハンターたちもその手の行為を平然と行っていた。
623: 弥次郎 :2021/03/11(木) 23:07:38 HOST:p1537109-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
転載時に誤字修正お願いします
609
×マンハンターたちもその手の厚意を平然と行っていた。
〇マンハンターたちもその手の行為を平然と行っていた。
最終更新:2021年03月15日 19:11