600: yukikaze :2021/03/14(日) 16:59:43 HOST:p454250-ipngn200309kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
リヴァイアサン世界、アメリカの末期兵器が出来上がったんだけど、流石に胸糞案件も入っているんで、wiki掲載するかは皆さんの判断に任せますね。

特殊攻撃機 オネスト・ジョン

全長  7.2m
全幅  5.8m
全高  1.5m
自重  650kg
全重量  3000kg
速度  800km/h(急降下突撃状態の速度)
     983km/h(急降下時の最高速度)
     600km/h(水平時最大速度)
航続距離  37km
主武装  1500kg徹甲爆弾
エンジン 固体ロケットエンジン
出力  推力1000kg×3(ただし各本の稼働時間は10秒)
乗員  1名

(解説)
第二次大戦末期にアメリカ軍によって運用された特殊攻撃機。
その正体は、機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空自爆兵器であり、その運用の実態と合わせてアメリカ合衆国の非道と狂気を表す兵器として悪名が鳴り響くことになる。

本兵器の着想は、記録によれば1944年末に陸軍統計管理局が出した「無人誘導爆弾」が発端とされている。

既にこの時期においては、アメリカの退潮が可視化されており、1945年終盤以降は、アメリカ西海岸及び東海岸に戦禍が及びかねないことが、軍の上層部においても認識化されていた。
その場合、矢面に立つのは海軍及び陸軍航空隊であったわけだが、海軍にしろ陸軍航空隊にしろ、敵の艦船に対して有効な武器はといえば、両軍において採用されていた急降下爆撃機のドーンドレス位であり更に言えば、同機体は性能の旧式化が目立っており、戦果を挙げるどころか、生き延びるだけでも精一杯という状況であった。

無論、陸海軍共に現状を良しとしていたわけではなく、特に初戦における空地立体攻撃の戦果に歓喜した陸軍上層部はドーンドレスの後継機開発を後押ししていたのだが、開発を担当していたカーチス社がP-40の生産と改良に手を取られてしまい、更に海軍が戦闘爆撃機としても使えるコルセアに艦上機を一本化してしまったこともあって、開発が頓挫するという状況に陥っていた。

つまり、この時期の陸海軍には、水上艦艇や潜水艦以外に敵艦隊に有効打を与えるだけの攻撃手段はなく陸軍航空隊の爆撃機閥にとっては、文字通り部隊の存続の危機という状況であった。
何しろ海軍のボスと言っていい、キング海軍作戦部長が「もはや航空機は制空権を保持する戦闘機こそを最優先で配備すべきであり、そして海軍だけでなく陸軍も協力すべきである」と、大っぴらに公言し、取得コスト等に注目したロング総帥の取り巻き達もそれに賛同していたからだ。

故に、陸軍航空隊の爆撃機閥は、自分達の有効性をとにかくアピールする必要があり、そしてその回答こそが、「無人誘導爆弾」であった。

当該兵器は、成程、アメリカらしい合理的な思考の元開発された兵器であった。
高翼形式に木製の直線翼を備えており、胴体は円形金属製の骨組みにトタン板を張って製造された。胴体の前寄りに主翼を配し、胴体後尾に双尾翼式に垂直尾翼と噴射ノズルを備えるなど、使い捨てのために機体構造はかなりの簡易化が図られていた。
誘導方式は手動指令照準線一致誘導方式で、動力には固体ロケットを複数装備。
誘導の制御は母機から誘導電波を出してサーボシステムを操作し、また一軸ジャイロを用いることとしていた。
爆弾の威力としては、海軍の14インチもしくは16インチ砲弾を改良したものを利用し、母機は目標から10kmから11km離れた地点まで進出し、投下高度700mから1,000mで本誘導弾を投下する。
誘導弾は0.5秒後に安全装置を解除、さらに1.5秒後にエンジンに点火し、ロケット推進によって飛行する。
投下時の母機の速度は360km/h、誘導弾の激突時の最終速度は550km/hとし、母機は無線誘導のため目標から4,000mの距離まで接近することとしていた。

601: yukikaze :2021/03/14(日) 17:00:32 HOST:p454250-ipngn200309kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
この時までは、陸軍の発想は健全であったと言える。
だが、いくつかの問題が、この健全な発想を歪めることになる。

まず1番目の問題は、誘導装置の開発の難航であった。
無線によって遠隔操作するという方策であったことから、親機からの誘導に対し、誘導弾が確実に司令電波を受信する必要があるのだが、1930年代以降の政治的・社会的混乱から、先端技術に関してアメリカは英日の後塵を拝する状況になっており、部品の小型化・安定化において躓きを見せていた。

2番目の問題としては、誘導方法である。
人間が誘導弾をリモコン操縦するという性質上、使いこなすにはかなりの訓練を積む必要があり、命中精度は射手の技量によって大きく左右されていた。
また、相手の反撃で射手がひるんだ場合には誘導弾を見失って無駄弾になることも多くなることが予想された。航空機からの投下時には着弾まで誘導弾の後部から操縦しなければならず、投下後すぐに有効な回避行動をとる事ができないのも問題で、しかも、投下する航空機が高速化すると着弾まで誘導を継続する事も困難だった。

3番目の問題は、威力であった。
確かに同機材は、中型爆撃機用として14インチ砲弾を、大型爆撃機用として16インチ砲弾を利用することで、機材の共通化を計るとともに、どの機体でも使えるように計画されていた。
しかしながら、これらの砲弾は、巡洋艦以下の艦艇には十分な威力を発揮できるものの、条約以降に建造された艦艇相手には威力が過少であった。
コスト低減を考えているとしながらも、通常の対艦用爆弾と比べれば高価であり、費用対効果的に割に合うのか(それ以前に、未だ航空攻撃で戦艦が沈んでいないことから、戦艦相手に航空攻撃で沈むのかという懐疑の声が強かった)という否定的な声も無視できなかった。

後世の視点で見ると、3番目については難癖に近い意見であるのだが(事実、陸軍航空隊は威力面への批判については「14インチ砲弾使用のb型は、小型艦艇を主としており、戦艦撃沈用ではないと明記しているのになんで戦艦に対する攻撃力だけで判定しているんだ」と、海軍側に対して猛烈に反論している。)、1と2については問題であり(陸軍側は、2については「B-17とB-25が母機であり、ちっとやそっとの被弾では問題ない」としていたものの、欧州方面で急カーブで損害率が上がった結果の前には説得力がなく、1については、解決の目途が立たなかった)、同案は構想のまま消えようとしていた。

だが、1945年春の連合艦隊主力による遣欧派遣艦隊の出撃、更には6月のパナマ運河失陥という2つの凶報が葬り去られようとしたプランを復活させることになる。
「日本は必ずハワイを狙ってくる」と予想し、徹底的に時間稼ぎをするべく要塞化されたハワイは、日本側のパナマ攻略によって完全に遊兵化されてしまっただけではなく、西海岸における迎撃プランそのものすら無意味にされてしまったアメリカ軍上層部の混乱はすさまじいものであったが(事実、ロングと折り合いが悪かったキング作戦部長は「病気療養」を理由に事実上更迭され、後任にはスタークとなっている)、それ以上に混乱したのがロングとその取り巻きであり、彼らは聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせたのち、押し寄せてくる敵主力艦隊を撃滅する新兵器開発を厳命することになる。

この時、ロングから出された命令は非常に単純明快であり

  •  開発から実戦配備まで半年
  •  敵の新鋭戦艦も撃沈できるだけの威力
  •  確実に作動する兵器であること
  •  これ以外の問題については一切考慮しない

と、「言いたいことは分かるが、もはや無茶を通り越して無謀」といって良いレベルの代物であった。

そして、この大統領の厳命と、戦局が悪化し続けるのと比例するように、権限と横暴が強くなっていく『合衆国秩序維持隊』の圧力、そして近い将来必ず来襲する日英連合艦隊の恐怖に、陸軍の航空兵器開発局の担当者達は、禁断の扉を開くことになる。
彼らが取りまとめた計画書の内容を列挙すると以下のようになる。

  •  無線誘導を廃し、有人による操縦とする。
  •  頭部の爆弾は全備重量の約80パーセントとする。
  •  爆弾は徹甲弾とし信管に100パーセントの信頼性を持たせる。
  •  極力高速とする。
  •  航続距離は最低限とし、敵艦隊の防空火力圏外から射出できれば可とする。
  •  目標を照準するに足る程度の安定性、操縦性を持たせる。
  •  極力小型として組み立て、分解が容易く狭隘な地下壕等にも多数格納しうるようにする。
  •  構成材料には比較的入手容易な木材や鋼材を用いる。

602: yukikaze :2021/03/14(日) 17:01:07 HOST:p454250-ipngn200309kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
最後に「当該機体は高速であるため、従来のような脱出は不可である。よって射出座席を装備する」と記載しているのは、この計画書をまとめた面々の良心と見るべきか、これ以降の結末を見て「単なるアリバイ工作」と見るべきか、未だに論議されているところではあるものの、この計画書が提出され、モックアップが完成するまでにかかった時間が1月ということを見れば、当時のアメリカ合衆国の上層部の心理状況がどのようなものであったかが見て取れる。

以下、同兵器の構造について解説する。

機材の構成部品については、尾部と垂直尾翼部にはジュラルミンを使用しているものの、それ以外については胴体部分は主に鋼材、翼部分は木材を利用しており、『町工場や大工でも作れる』機材に仕上がっている。
操縦席には速度計、高度計、前後傾斜計の三つ。操縦桿には火薬ロケットの起動ボタン、これを運ぶ母機との連絡用の伝声管と簡易通信機を取り付けられている。
機材前部には、海軍の18インチ徹甲弾を改良した弾体を取り付け、尾部には、推力1,000kgの火薬ロケットを付け敵戦闘機の迎撃を振り切る際及び敵艦への突入時の加速用として備え付けられている。

多くの人間曰く「爆弾に翼が生えたもの」でしかないのだが、その一方で、垂直尾翼を当初の1枚から安定性確保及び母機への搭載を容易にするため、双尾翼にしたことや、翼が木材ということで、火薬ロケットによる高加速からへし折れないように、最適解の形状を計算したことから、高度な操縦技術がなくても十分に操縦できる性能に仕上がっている。(これが後の悲劇を助長させることになるのだが)
なお、前述した射出装置については、火薬ロケットの起動ボタンを押したときに作動するように『計画は』されていた。

同機材の貫徹力については、18インチ徹甲弾を基にしているため、少なくともキング・ジョージ5世級までの艦ならば有効な打撃を与えられる能力を付与されている。
対20インチ防御の大和型やヴィクトリア級相手だとヴァイタルパートこそ貫けないが、それ以外の区域に関しては十分にダメージを与えることができ、飽和攻撃を与えることによって、後の主力艦隊決戦で有利になると主張されている。(実際には、サウスダコダ級位しか18インチ砲弾を使う艦がなく、在庫が余っている中で一番威力のあった砲弾を利用しただけではあったのだが)
また、不発を防ぐため、突入時に弾頭が確実に起爆するように信管を弾頭に1つ、弾底に4つ装備されていたが弾底部分の信管調整に甘さがあり、想定よりも早く起爆する欠点を有していた。
防御の薄い艦艇に大打撃を与えた半面、本来目的としていた重装甲艦相手には、船体にそれほどダメージが与えられなかった原因となる。

同機材が本格的に量産体制に入ったのは、1945年の冬であり、この時期には、カリブにあった日本海軍の戦略爆撃基地こそ無力化(ただし1946年2月には再稼働している)できたものの、第二次ニューファンドランド沖海戦において、イギリス海軍に大敗北を喫したことで、カナダ失陥が決定的になっていた。
その為、同機材は『救国兵器』としてクローズアップされ、大増産を命じられることになるのだが、ここでアメリカ陸軍が先送りにした問題が頭をもたげることになる。

そう。同機材を運用するパイロットの存在である。
確かに同機材は、突入するときにパイロットが脱出できるよう射出座席を装備することが『計画』されていた。
故に「同機材はそもそも航空自爆兵器ではない」というのが、アメリカ政府や軍、更には開発者達の言い分となっているし、パイロットに対しても射出座席が装備されていると伝えられていた。

が・・・同機材に乗るよう命令されたパイロット達(主に艦爆乗りや軽爆撃機乗りであった)の反発は、当然のことながら凄まじいものであった。
当たり前だ。何しろ、戦場に到達するまではB-17やB-24任せであり、戦場に到着したら敵艦に向けて碌に回避も取れずに突っ込む。
これが艦爆や軽爆撃機なら、まだ自分の腕次第で生き残る可能性はあるが、この機材ではそういった要素がどこにもないのである。
「お前達は俺達を馬鹿にしているのか」「事実上の自殺兵器なんぞに乗るなどごめんこうむる」と、けんもほろろの対応であり、志願者などまるでいないという状況であった。

こうした状況において、同機材が「高度な操縦技術がなくても十分に操縦できる」という特性が悲劇を生むことになる。

603: yukikaze :2021/03/14(日) 17:01:42 HOST:p454250-ipngn200309kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
「中間練習機を操縦できる程度の腕前があれば運用できるんなら、そいつらを使えばいい」

例によって、この発案を誰が行い、そして誰が主導的に決定したかは不明である。
冷戦中は『病死した』ロング総帥と失脚した取り巻き達の責任とされていたが、冷戦終了後に再統一されたアメリカ合衆国において開示された公文書等において、ロング達そっちのけで決定していることが判明し、以降、各勢力がそれぞれに責任を擦り付け合っているのが現状である。
だが、一つだけ言えるのは、同機材を運用するパイロットとして集められたのが、日系、ユダヤ系、華人系、そして黒人系であり、所謂WASPは、爆撃機パイロットとしてはいても、同機材のパイロットには一人もいないということであった。
同機材の名称が「オネスト・ジョン」と決まったのもこの頃であるが、この機材の性格を考えると、非常に示唆的な命名であったと言える。(当初は「パトリオット」とされていた。誰が改名したかは不明)

同機材が大々的に運用されたのは、1946年3月に行われたニューヨークへの空襲を目論む日英空母機動艦隊への迎撃戦である。
この時参加したのは、B-17Gが36機、B-24L型24機で、彼らは日本海軍の空母機動艦隊(三輪型4隻、剣型1隻を主力とする任務部隊)に対して飽和攻撃を敢行。空母3隻を撃沈、剣型を大破(後、自沈)という大戦果を上げることに成功する。

久しぶりの大勝利に、アメリカ国内は沸き立ち、ジャックナイフのように折れて沈んでいく空母(アメリカ側は『翔鶴』と宣伝した。なお、これで通算11回目の『撃沈』である。)の写真を片手に、ロングは「これが日英の帝国主義者たちの末路だ」と、獅子吼することになる。
当然、この作戦に参加した爆撃機クルーたちは大々的に表彰され、同機材を設計した面々にも褒賞を与えられることになるのだが、結果的にこの勝利は、後世こう評価されることになる。

「アメリカ合衆国が永遠に原罪を背負うことになった日」と。

同海戦から一週間後。全世界は日英両政府から冷や水を浴びせられることになる。
彼らは海戦において受けた被害を率直に認めたが、同時に同海戦において記録した音声データを公開したのである。それは、新型兵器として大々的に宣伝された機体に乗った男たちの悲痛な叫びであり、恨みであり、怨嗟の声であった。
その誰もが「射出座席が反応しない」「説明されたことと違う」「家族を人質にしたクソ政府が」などという代物であり、一部には何とか助かろうとパニックになって操縦桿を操作し、失速して海面に叩きつけられたことを示すものも記録されていた。

「かつてアメリカは国を割ってまで、肌の色の違いによって差別することは正しいのかと真剣に向き合い、その答えを出した。だが残念ながら、その子孫たちは、祖先のそんな思いを受け継ぐことなく、自国民を誘導兵器として使うまでになった。もはやあの国は完全に狂った。古き良きアメリカは死んだ」

という、日英両政府の宣伝に対し、アメリカ政府は真っ向から「謀略放送」と反論したものの、ヴァチカンやロシア正教会、更にはイスラム教からもアメリカに対する批判の声が沸き起こり、「アメリカ=邪悪なる帝国」という図式が決定的にされることになる。

1946年4月末に行われたニューヨーク沖海戦においても、同機材は使われることになるが、パイロットについては『志願』という名の強制であり、逆らった場合は収容所(対外的には「思想矯正所」とされていたが、その劣悪な環境から『絶滅収容所』と呼ばれていた。対象となったのは日系や華僑といった面々であり、戦後解放され、そして日本や大陸に戻った彼らの証言は、両国の反米感情を増大させることになる。)にいる家族や親類の安全の保障がないことから無理やり乗せられた面々であった。

当然のことながらパイロットの士気は、面にこそ出さなかったものの最低と言ってよかったのだが、それはパイロットだけにとどまらず、機材を整備する整備兵達や、機材を運ぶ爆撃機クルーにとっても同様であった。
この頃には、同機材には射出座席など備えてもいないことなど公然の秘密と化しており、整備兵達は「解っていてパイロットを騙した卑怯者」と蔑まれ、爆撃機クルーも「自分達は一切手を汚さず功績だけむさぼったクズ野郎」という視線を向けられていた。
その結果、整備兵と爆撃機クルーとの間で、酒場で乱闘騒ぎなどと言うのは日常茶飯事となり、しかも基地の上層部が責任逃れの発言をしたことなども相まって、誰もかれもが信用できないという悪循環に陥っていた。
(例えば、爆撃機部隊のパイロットとして勲章を貰ったジョセフ・P・ケネディ・ジュニア大尉は、事実を知らされた後、酒浸りの生活となり、停戦前に自殺をしている。)

604: yukikaze :2021/03/14(日) 17:02:14 HOST:p454250-ipngn200309kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
そうであるが故に、決戦兵力としてかき集められた重爆撃機各種合計300機近い出撃は、勇壮とは程遠く、まるで葬式か何かの雰囲気に近い出撃という異様な光景であり、基地司令の空虚な演説に対しても、まともに聞いているものがゼロという有様であった。(基地司令達もクルーを見送らず、そそくさと司令部に逃げている。)

こうした状況であることから、爆撃機の動きも緩慢であり、整然としたコンバットボックスを組むことなど夢のまた夢であった(ただしこれは、ガソリンの供給問題から、爆撃機の大規模な訓練が制限されていたのが大きい)のだが、彼らにとって不幸だったのは、既に日英側は、空対地及び空対艦誘導弾の実戦配備に成功しており、この手の兵器を何とかするには「射程外で母機を撃墜する」という対応策を知っていたことであった。

後に「ニューヨーク沖の七面鳥撃ち」と呼ばれることによる、日英空母機動艦隊戦闘機部隊による一方的な虐殺は、この時のために急遽搬入された空対空ロケット弾の運用だけでなく、42式大抵複数による航空管制や、ピケット艦による爆撃機の早期発見など、完璧なまでに対応策をとられており、アメリカ側の勝利の可能性は無きに等しいものであった。
それでも10機程度が強引に突破し、戦艦群に攻撃を仕掛けたものの、40㎜機関砲の代わりに戦時改装で導入された76mm自動砲で迎撃を受け、辛うじて2発が大和型とKGV級1隻に命中したものの、爆発の規模の割には損害は警備であり、以降、これ以上の大規模攻撃が行われることはなかった。

ニューヨーク沖海戦でアメリカ海軍が事実上消滅して以降も、同機材を運用しようとする面々と、戦争終結を見据えてやめさせようとする面々との間で対立が起き、結果、同機材は、アメリカ合衆国が一方的に停戦を宣言するまでの間、最終的に運用開始から500発近く発射されることになる。
主に駆逐艦や輸送船が被害を受けることになるが、もはや戦争の趨勢を変えるような戦果ではなく、半ば惰性によって行われる愚行でしかなかった。(作戦失敗により更迭された基地司令の後任は、ロングの熱狂的な支持者ではあったが、軍事的才能はゼロという男であった。)

停戦後、同機材は真っ先に兵器リストから抹消されることになるが、これは合衆国政府側においても、同機材が自国の汚点とみなしていた所以であり、忘れ去りたい記憶であったことが見て取れる。
もっとも、停戦を知らされた際の、同機材のパイロット達の合衆国に対する怒りはすさまじく、基地で武装を強奪した彼らは、基地司令や参謀、爆撃機クルーや整備兵達を虐殺してのけ、付近の陸軍部隊によって鎮圧される3日間の間、全周波数を使って、全世界にこれまでの顛末を暴露し、世界のアメリカに対する不信と軽蔑は回復できないところにまで焼き付けられることになる。

同機材のパイロット達に対してアメリカ合衆国政府が公式に謝罪するのは1948年であったが、遺族達の大半が、政府から渡された勲章や弔慰金を地面に叩きつけるなど、一切の謝罪を拒絶される状況であった。
彼らパイロットを祀っているのが、主に日本や大陸であり、内戦により東西に分かれたアメリカのうち、西アメリカの大使などが慰霊に赴いても、未だに立ち入りが許されないなど、解決には目途が立たないところである。

605: yukikaze :2021/03/14(日) 17:12:31 HOST:p454250-ipngn200309kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。

戦局が劣勢になれば、戦果のために非人道的な兵器に手を伸ばすし、ましてや人種差別が助長している国ならなおさらやらかすよね、という代物。

空対艦攻撃が碌にないアメリカにしてみれば、空対艦誘導弾は一つの回答だしそれに活路を見出そうとするのも当然なんだけど、技術的にどうにもならないので禁断の手段に手を出してしまい全てを失う羽目に。

これ何がきついって、史実日本の場合だとまだ士官が特攻で散っていっているという事実があるのですが、この世界のアメリカで死んでいるのは、日系や華僑、ユダヤや黒人といった、敵性民族や二級民族扱いされた面々のみ。
そりゃあ荒れる。白人優越主義者ですら、内心「ここまで露骨にするバカがいるか」という反応示すくらいにドン引きしている。

結果的に、1950年代のアメリカ内戦において、日本と中央共同体が「あんなクズ国家なんざ永久に争っていろ」と、早期介入を拒絶しただけでなく、分断を決定的にしてしまうことにつながったりしています。(イギリスも「カナダの復興で忙しいからなあ」と等閑視)

核投下と違うアメリカの原罪扱いですねえ。これ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2021年03月16日 11:14