929: トゥ!ヘァ! :2021/03/20(土) 19:59:26 HOST:FL1-122-133-198-190.kng.mesh.ad.jp
フランス分割世界 WW1後イギリスの歴史


イギリス。それはこの分割世界では数奇な運命をたどった国と言えるであろう。

フランス革命により史実におけるライバルが消えた英国は正に絶頂期と言えた。
その結果作り上げてしまった敵と世界中で戦いながらもWW1で負けるまで勢いが衰えなかったこともそれを示している。

しかしWW1では些細なミスから日西蘭米といった中立勢力の参戦を招き惨敗。
大英帝国はここに命運を絶たれることとなった。


さて。WW1に負けた英国だが勿論世界帝国としては解体された。
大量に作り上げたアフリカ植民地は他の国に持っていかれるか独立させられ、北アイルランドもアイルランドに持っていかれるなど散々である。


そんな英国の戦後の扱いであるが一応本国の独立は維持された。
アメリカなど一部の国が恐慌に解体を主張したが、独墺葡を始めとした主要国の大半はその意見を却下した。
下手に解体してはフランス革命の二の舞が起こるのではないかと危惧したためである。

事実この時期には既にロシア内戦が発生しており、各国はそちらへの対応に手一杯だったのも大きい。


こうしてどうにか本国の解体は免れた英国であったが、敗戦の影響と賠償金支払いによる経済不況は英国重くのしかかっていった。
そのような状況で民衆が大人しくしているわけもなく、政府への不満は日に日に高まっていくこととなる。

それを見逃さなかったのがアメリカ合衆国。南北戦争の際に散々かき回されたせいで、英国に強い恨みを持つ国である。

彼等は英国内の革命主義者や現政府に不満を持つ者達へと秘密裏に接触。現地に送り込んだ工作員も使いこれを扇動。
主要国がロシア内戦に注意が向いている隙に英国でも同様のことが発生することとなる。

イギリス革命の発生だ。
アメリカの当初の予定ではこれにてイギリスは幾つもの地域に四部五裂するはずであり、復讐が一つ達成されるはずであったが、ここで予想外の出来事が起こる。

イギリス本土がまとまったまま革命が成功したのだ。
アメリカの予定ではもっと泥沼の混乱と破壊が英国全土で巻き起こるはずであったが、現地での革命はすんなりと進み政権を掌握。
これといった大きな破壊が起こることもなく革命派たちは政府を全土を掌握した。
現地の労働組合が母体の革命政権が支配するサンディカリスム(労働組合主義)英国として生まれ変わることとなった。

その際に英王族や貴族などはイギリス海峡を挟んだ先にある元ノルマンディー領こと現ノルマンディー共和国に逃亡。
残存していた英国海軍もその半数がノルマンディー側に亡命することとなる。


さてこのアメリカの予想外。
ネタ晴らしをするとイギリスがアメリカの上を行っただけである。
アメリカの工作員と接触した英国の労働組合連合は最初から「怪しいなこいつ」と疑い掛かっており、正体不明の人物たちが各地で英国国民を焚きつけていることを知っていた彼らは軍や政府と共同し、偽りの革命を勃発させることにしたのだ。

結果旧労働組合連合を母体とした英国革命政府が発足。
当初の予定通り海軍の半分と未来の英国に必要とされる幾らかの貴族階級や英王族などは近隣で最も親英感情の強いノルマンディー共和国へと逃がすこととなった。

かつての大帝国は負けて威勢を失おうともアメリカ程度の二流国家の工作に踊らされることなどなく、逆に利用してやったのである。

国家を割った理由も単純でわざとこの状況を利用して両勢力に片割れを与させ確実な生存を図るためであった。

930: トゥ!ヘァ! :2021/03/20(土) 20:00:02 HOST:FL1-122-133-198-190.kng.mesh.ad.jp
事実アメリカは曲がりなりにも革命勢力による統一政権のため無下にすることもできず以降の工作を一旦取りやめることとなる。
英国を憎んでいるのは変わらないが、国内の穏健派とも言える勢力や国民の過半は英国の没落と革命による親米勢力の誕生に「ついにあのいけ好かないイギリスも傘下に収めることに成功した」と胸を空く思いだったのも大きな原因であろう。

まあサンディカ英国はアメリカが引き込んだ北欧の旧デンマーク=ノルウェー諸国とロシア内戦の結果誕生したソ連との間における海路運航に非常に強い影響を及ぼす立地であったのも大きい。
ここで英国が分裂し乱れれば、アメリカはロシアや革命北欧勢との連結が非常に遠回りになるのだ。

幸いサンディカ英国が協力的なのも合わさり、アメリカは理性的な判断を下し、仕方なく同国内での工作活動を取り下げること結果に繋がることとなった。

とは言えやはりアメリカ陣営内における扱いは決して良い物と言えず、ペルシャやオスマンの下どころか、革命中華よりも更に下の扱いがなされ、サンディカ英国軍も度々過酷な戦いに半ば囮として投入されるなど同国は茨の道のりを歩んでいくこととなる。


対して英国貴族や王族を中心とした大量の亡命者を受け入れたノルマンディー共和国は改めてスペインやオランダへの助けを求めた。
彼等が立地的に近しいというのもあるが、独墺葡ほど大戦中のわだかまりがないことも大きい。

これ以上革命勢力の拡大を良しとしなかった西蘭両国はノルマンディー共和国を受け入れることを承諾。
同国には両国による支援の他に幾らかの駐留部隊を置かれることとなり、確実な国防が約束されることとなる。

これに対してノルマンディー共和国側も自前の軍隊を使い、西蘭や日本。更に独墺葡の船団護衛や植民地の治安維持を行い自国が役立つことを宣伝していったのである。


こうして二つに分かたれることとなった英国。サラエボ事件によりWW2が起こるまでの戦間期では各地の主要国植民地などでは主要国側のノルマンディー兵と革命勢力側のサンディカ英国兵による同胞相打つといった状況が度々起こりながらも、国家としての信頼を積み上げることには成功していった。

931: トゥ!ヘァ! :2021/03/20(土) 20:00:43 HOST:FL1-122-133-198-190.kng.mesh.ad.jp
遂にWW2が始まった後でもイギリス海峡を舞台に両国の海軍や空軍がぶつかるなどしていたが、戦争が後半戦に移り始めた際に動きだすこととなる。
デンマークが陥落し、ソ連も戦線が後退。各地の革命主義者やユダヤ教徒の蜂起も鎮圧され、北米での本土決戦も日西連合優位な戦況になり始めると同時にサンディカリスム英国が突如国内に駐留していたアメリカ陣営部隊を攻撃、拘束。

その後ノルマンディー共和国を通して日西蘭などの連合勢と電撃的に講和。
サンディカ英国は改めてノルマンディー共和国と手を組み近隣にアメリカ勢へと攻撃を開始することとなる。

この突然の裏切りは戦間期の頃合いからノルマンディー共和国と話し合い計画していたことであり、英国はチャンスを見て実行に移したのだ。
それは差し詰めWW1にて英国の不利を感じ取って突如宣戦布告したアメリカのように。

無論このことにアメリカは激怒したが北欧戦線が実質決着積みであり、欧州での革命主義者の蜂起も失敗した今となっては本土防衛に帝いっぱいな米軍を改めて欧州に派遣することなどできず結局終戦まで英本土へはろくな報復ができずに終わることとなる。

この際当時のアメリカ大統領は「我々はあの時英国を分断し徹底的に破壊すべきであった!」と叫んだと言われている。


戦後の話をしよう。

戦後の英国は一応戦勝国に分類された。かつて失った植民地などは戻ってこなかったが、国の威信は大きく取り戻せたと言えよう。
戦時中はアメリカの圧政に反旗を翻したカナダや米連などにも積極的に支援と援軍を送ったため、かの国々にも少なからず影響を残すことにも成功している。

戦後になり本土を支配するサンディカ英国と旧フランス領にあるノルマンディー共和国は改めて再統一がなされ統一英国として再誕することとなる。

またその後は他幾つかの国を誘いイギリス連邦を結成。
前大戦及び今大戦における結果他の国々が起こした連邦に入りにくかった国々を目ざとく見つけては引き込んだ結果である。

こうして戦後は改めて主要国の地位に返り咲得た英国。
しかしそんな英国と顔を合わせる他主要国首脳陣は今一納得いかない表情をしていたことをここに記す。

ブリカスは落ちぶれようともやっぱりブリカスであった。

932: トゥ!ヘァ! :2021/03/20(土) 20:01:35 HOST:FL1-122-133-198-190.kng.mesh.ad.jp
  • 説明

  • サンディカリスム英国
通称はサンディカ英とかそこら辺。

アメリカの革命工作に便乗して英国内の労働組合連合が主軸となり立ち上げられた革命国家。
元々敗戦による国民の不満がたまっていたことは事実であるため、アメリカの工作によってバラバラにされるよりはマシということで革命に一定の流れを与える目的で立ち上げられたのがサンディカリスム政府となる。

革命時には事前に軍や王族とも共謀していたため、海軍の半数と主要な貴族や王族の過半がノルマンディー共和国へと逃れている。


設立後はアメリカ寄りの姿勢を示しつつも独自に行動も多く、決して米陣営の奴隷というわけではなかった。
最もその態度が気に食わなかったのか戦間期やWW2中ではサンディカ英軍は度々激戦地に送り込まれることとなる。

戦間期の争いやWW2では派遣先と同じく派遣されてきたノルマンディー軍と相打つことがあり、悲劇として取り扱われることが多い。
しかし、両国はこの派遣先の戦場を利用して戦闘の最中に情報交換などを行っており、これによって米陣営にも、更には日西陣営にも悟られずに後のどんでん返しを成功させている。

WW2後半の米陣営が不利になった時期を見計らって国内に駐留していた同陣営の部隊を撃破、拘束。
ノルマンディー共和国を通して日西連合と電撃的に講和し、そのまま対米戦に突入した。

戦後は改めてノルマンディー政府との統一がなされ統一英国として英連邦を引っ張っていく役割となる。




  • ノルマンディー共和国
フランス分割時にイギリスが手に入れた旧仏国沿岸地域。

以降はイギリス帝国ノルマンディー領として統治されていたが、WW1の敗戦にてノルマンディー共和国として独立した。

WW1の激戦地の一つであるが、戦時中は大陸部への橋頭保ということで特に重要視されていた地域。

戦後は宗主国である英国のことを特別視していたわけではないが、左程嫌っているわけでもなかったため、王族や貴族の亡命を受け入れた。

亡命受け入れの理由としては単純に近年のアメリカの躍動に警戒心を持っていたというのもあるが、英国貴族や王族の亡命受け入れによる戦力の強化と資産の融資などが取り決められていた点が大きいとされる。

亡命受け入れ後は隣国であるスペインやオランダに接近し、反アメリカ陣営の一角となった。
最も旧大英帝国構成国だったという点と亡命英王族や貴族を受け入れている点から独墺葡などの旧協商国からの受けが今一であった。
そのため改めて信用を得るために各地で頻発する革命派やシオニストとの紛争へ積極的に軍を派遣し、その血を持って信用を勝ち取っていくこととなる。


WW2ではサンディカリスム英国の欄で説明した通り以前から通じていた同国と協力しながらサンディカ英内に駐留していたアメリカ陣営軍を撃破。

以降はカナダ・米連領蜂起や米本土上陸戦などに協力していき対米連合内の地位を盤石なものとした。

戦後はサンディカ英国と改めて国を統一。統一英国となり、関係国らと共にイギリス連邦を結成。
主要国の一員に復帰している。



  • 旧英国領土

WW1後の英国は敗戦により多くの植民地や直轄領を失った。
大体は他の国に分捕られたり、独立させられたりでほぼほぼ消滅している。

有名どころだけ上げると、かつてポルトガルから奪ったモザンビークは再び奪い返され、インドは独立する予定が革命主義者による内乱が起きた結果日蘭西が介入し東西に分裂。

カナダはアメリカに合併され、アフリカの植民地の多くも他国に奪われるか、採算が取れないと独立させられるオチとなった。

この新独立国の多くで革命主義者やアメリカの扇動による内乱が発生しており、戦勝国となった独墺葡などの国々も対応に追われている。
この内乱援助や鎮圧任務などへ積極的にノルマンディー共和国やサンディカ英国の兵力が送り込まれ、他国の兵士の代わりに任務をこなして信用を稼いでいるのである。

933: トゥ!ヘァ! :2021/03/20(土) 20:02:59 HOST:FL1-122-133-198-190.kng.mesh.ad.jp
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ブリカス大復活!
老兵は大往生せず、大復活するのみよ…

圧倒的優位に立ったが故に、国内の穏健的な声に耳を傾けた故に足元を掬われる羽目となったアメリカ陣営。
英国を残してしまったのは彼らの未熟故と言うべきでしょうか。

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最終更新:2021年03月20日 20:57