790: yukikaze :2021/03/28(日) 20:14:02 HOST:p622155-ipngn200313kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
取り合えずカッとなって海神世界の烈風作ってみた。
44式艦上戦闘機 『烈風』
全長:11.2m
全幅:13.6m(折り畳み時4.93m)
全高:4.39m
翼面積:29.6㎡
エンジン:ロールス・ロイスグリフォン65(離昇2,050馬力)
空虚重量:4,200kg
戦闘重量:5,500kg
翼面加重:185.8kg/㎡
機体内燃料:920リットル
最高速度:640km(高度6,500m)
上昇力:高度6,000mまで6分
実用上昇限度:11,000m
航続距離:フェリー時(落下増槽タンク2本込み)に2,600km
戦闘時(落下増槽タンク1本込み)に2,000km
武装:38年式20mm二号機銃4挺
空対空及び空対地ロケット弾8発
(解説)
三菱が、傑作と言われた40式艦上戦闘機(通称『ゼロ戦』)の後継機として開発した機体である。
アメリカ海軍のコルセア伝説を終わらせるとともに、イギリス海軍がシーフューリーを就役させて以降も連合国海軍の主力艦上戦闘機として活躍するなど、海軍航空隊を支えた機体である。
本機体の開発が始まったのは、昭和15年末に海軍から提示された『十六試艦上戦闘機』である。
この時の要求項目については、概ね以下の内容となっている。
最高速度:高度6,000mにおいて345ノット(638.9km/h)以上
上昇力:高度6,000mまで6分以内
航続力:全力30分+250ノット(463.0km/h)巡航5.0時間(過荷重)
離陸滑走距離:合成風速12m/s時80m以内(過荷重)
降着速度:67ノット(124.1km/h)
武装:38年式20mm二号機銃2挺、36年式12.7mm機銃2挺(史実ホ103)
その他:零式艦上戦闘機に劣らない空戦性能を確保すること
一言で言えば、40式艦上戦闘機の上位互換と言っていい内容であった。
史実零戦五二型甲というべき性能を有していた、40式艦上戦闘機は、当時列強が保有する如何なる艦上戦闘機が相手であっても完勝できるだけの能力を有していた。
だからこそ、40式艦上戦闘機の上位互換機種を狙うというのはまあ間違いではなかった。
40式艦上戦闘機を開発した堀越技師も『総花的』と評価しつつも、そのコンセプト自体には理解を示していた。
とはいえ、この機体の開発には巨大な問題が横たわっていた。
戦闘機開発の肝である搭載発動機の目途が立たなかったという事実である。
要求性能を達成するには最低でも2,000馬力級の発動機が必要と考えられ、候補としては中島飛行機が海軍と協力して開発を進めていたNK9が本命視されたのだが、あまりにも小型化に拘り過ぎてしまった結果、試作エンジンが実験中に爆発を起こしてしまい、実験に参加していた中島や空技廠の技官達が負傷するという事件を引き起こしてしまう。
中島や空技廠にとって不運だったのは、NK9に関しては、当初の担当官であった倉崎技官が問題点を指摘し、最終的にはエンジンの大型化をバーターとしてのエンジンの安定化を目的とした改善点を上げたものの、エンジンの小型化に固執した中島と空技廠によって却下されたことが、事故調査の席上明らかになってしまい(これはエンジン部門で独占体制を取りたい三菱の影がちらついていた)、空技廠の半ば保身によってNK9については、もはや絶望視されることになる。(事実、社運をかけた発動機開発失敗により、中島は発動機部門から完全に手を引くことになる)
これに対して三菱側は、自社製エンジンであるMK9の採用を目論んだものの、MK9自体はまだペーパープランであり、何より三菱は、爆撃機用主力エンジンである火星エンジンの更なる強化に人手が投入されていた(ブリストルと技術提携を結んでいた)のもあって、それこそ絵に描いた餅でしかなかった。
この時期の日本の航空行政の弱点である高馬力発動機の欠如がモロに祟ったと言えるのであるが、この状況に殴り込みをかけたのが、ロールスロイスであり、ヴィッカーズ・アームストロング社であった。
史実同様、スーパーマリン社を買収していたヴィッカーズ・アームストロング社は、明治以来の日本海軍との関係から、積極的にスピットファイアを売り込み、局地戦闘機を欲していた日本海軍への採用を勝ち取ることに成功(この後、日本陸軍に対しても売り込みに成功し、中島はキ44の不採用且つスピットファイアのライセンス生産で糊口をしのぐという屈辱を味わうことになる)した彼らは、日本陸海軍に対して、新型エンジンを装備したスピットファイアの導入を運動することになる。
791: yukikaze :2021/03/28(日) 20:20:56 HOST:p622155-ipngn200313kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
無論、彼らとて単に「親日的」だからこのような行動を取っていたわけではない。
この時期、イギリス空軍は、スピットファイアの後継機種として、ホーカー社に開発を命じていたのだがこの機体のエンジンとして選ばれたのは、ネピア社のセイヴァーエンジンであった。
この辺は、ロールスロイスが次期主力エンジンとして開発していたヴァルチャーエンジンが、欠陥品と呼んでも差し支えない出来であり、イギリス空軍の信頼を失っていたことが大きかったのだが、ロールスロイスにしろヴィッカーズ・アームストロング社にしろ、現状はともかく、将来的には利益が頭打ちになってしまうことが確定であり、だからこそ設備投資回収のためにも、日本陸海軍に売り込んだというのが真相であった。
勿論、日本陸海軍もこの絡繰りについてはある程度理解していたのだが、グリフォンエンジンが、日本陸海軍が喉から手が出るほど欲しがった「高馬力且つ信頼性のある」エンジンであったことは事実であるし更に言えば、同エンジンに換装したスピットファイアの性能が凄まじかったのも事実(何しろ1万メートルまで約8分。水平速度で640kmである)であったことから、中島の発動機部門を吸収した石川島重工業にグリフォンエンジンのライセンス生産を認める代わりに、グリフォンエンジン搭載のスピットファイアの導入も併せて決定することになる。
なお、「なぜこれほどまでに素晴らしいエンジンと機体を、イギリス空軍は大々的に採用しなかったのか?」という疑問を抱いていた面々は一定数おり、そして彼らは、グリフォンエンジンが、性能も信頼性もよいが燃費が悪いという事実に頭を抱えることになるのだが、既に後の祭りであった。
せめてもの救いは、グリフォンエンジン搭載のスピットファイアが史実Mk. XX系統への設計変更が進められており、最低限の航続距離は確保できたことと、迎撃戦闘機としては破格の性能を持っていたということであろう。
そして、このエンジンの獲得に狂喜乱舞したのが堀越であった。
元々、マーリンエンジンを高く評価していた堀越にとって、このグリフォンエンジンは、次期主力戦闘機の心臓として十分にふさわしい性能を持っていると判断した。
彼がどれほどグリフォンエンジンを評価していたかというと、同エンジンのライセンス生産が認められた次の日には、同エンジンを積んだ新型戦闘機の概念図を書き上げ、三菱及び海軍に提出していたことからも明らかであろう。
海軍側も、40式艦上戦闘機の優秀さから、堀越に対して全幅の信頼をおいていたことから、最終的には堀越の要望を受け入れることになる。
以下、本機の特徴について説明する。
全金属製のセミモノコック構造で製造された主胴体部は、防火壁後方から尾翼部を除く部分までで、鋼管フレームで構成された発動機架部分が防火壁にボルトで取り付けられていた。
本機の発動機及びプロペラの推力線は、胴体基準線に対して3度下向きとなっているが、これは日本海軍において病的なレベルで主張される前方視界の向上のためである。
なお、上記取り扱いにより、着艦進入時の低速飛行の際の機首上げ角を抑えることができたため、前下方視界も良好であった。
本機は胴体高が高く余積があることから、無線機やバッテリー、酸素システムや油圧システムなどの各種機構は、概ね発動機後方から操縦席後方に装備された防弾板の後方部に集約して装備され、胴体後部はほぼ空きスペースとなっている。
一応後期型においては、空きスペースに防弾仕様の燃料タンクを増設することも計画されていたものの、防御面及び重量増を嫌い、計画のみに終わっている。
これにより、エンジン以外の主要区画は防御装甲で守られていることになり、エンジンに被弾しない限り本機がしぶとく戦える要因となっている。
792: yukikaze :2021/03/28(日) 20:21:28 HOST:p622155-ipngn200313kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
エンジンについては、前述のとおり「ロールス・ロイスグリフォン65」を採用している。
同エンジンは、マーリンを元に爆撃機用として開発されたが、出力が向上したのに対し、寸法も重量もさほど増加しなかったため、大戦後期における戦闘機用主力エンジンとして重宝されることになる。
もっとも、燃料消費が想定よりも多かったことから、燃料搭載に余裕のあった『飛燕』はともかく、本機や迅雷改においては大問題とされ、本機では前述したような燃料タンクの追加案がでたり、迅雷においては、翼内構造の新規設計による燃料タンクを増加した機体『迅雷改二』が誕生することになる。
なお、ラジエータ配置については、オーソドックスに機首下面となっているが、これは胴体後部下面にした場合、海上に不時着した場合、開口部から海水が流入し、すぐに水没してしまうことや、主翼下面にするのも、特徴的な折り畳み機構に干渉してしまうためである。
堀越としては、スピットファイアを参考に、主翼下面方式に未練があったとされるが、オイルクーラーを前に出して別に配置することで、開口部面積を小さくすることに成功している。
主翼については、やや低めの中翼単葉であり、胴体を貫通して設けられた中央翼と外翼部で形成されている。
中央翼は2桁構造であり、後部の桁が軽構造となっている。
中程を境に内翼側は水平、外翼側に6.9度の上反角がつけられている。翼型は内翼が層流翼、外翼は外側にいくにつれて通常翼型になる半層流翼となっている。
高揚力装置はスラット式の親フラップに空戦フラップを兼ねるスプリット式の子フラップを組み合わせた親子式フラップを装備している。
なお三菱は、後期型において、加速度感知を空盒によっておこない、空戦時に機体速度と機体荷重(G)に応じて自動展開される「自動空戦フラップ」機構を装備し、大戦末期においては、
アメリカ陸海軍航空隊の練度の低下もあって「サム相手に格闘戦を挑むのは自殺行為」と真っ先に教育されるほど、圧倒的なまでの戦果をたたき出すことになる。
主翼の折り畳み機構については、主桁に設けられた回転部を接点にして、胴体に沿って捻りつつ、後方に回転させるという仕組みで、回転部は中央翼の前方主桁部分に設けられている。
動作機構は油圧式であり、自動で翼の展開ができるが、機体の油圧機構が作動しない場合でも、操縦席の手動式油圧ポンプを使うことで、人力で展開することができる。
射撃装備については、日本軍の標準的装備と言っていい38年式20mm二号機銃のうち、発射速度を高め、且つ給弾方式を金属ベルトに変えた4型(史実99式20ミリ2号機銃5型)を左右2挺づつ備えている。
機銃の発射方式は電気式であり、装填機構は油圧式、補助機構として手動式ポンプがついていた。
なお、後期型においては、翼に余裕があったことから、45年式30㎜機銃への換装も考えられ、実際に試作機も作られたものの、使用実績はよくなく、結果的に立ち消えになっている。
防弾性能については、当初7.7mm機銃対応とされていたが、アメリカ陸海軍の12.7mm機銃の弾幕射撃の凄まじさが過大に伝わったことにより、主に操縦席部分において12.7mm機銃に抗堪できるように設計が変更されることになる。
とはいえ、この重量増について、割を食ったのが燃料タンクであり、自動漏洩防止機構を組み込んだこともあいまって、当初予定の980リットルから50リットル減少させることになる。
これにグリフォンエンジンの燃費の悪さもあって、航続距離は、当初予定の2,000kmから1,600km(機内燃料のみ)、戦闘時においても2,000kmが精々であり、戦闘行動半径は、甘く見積もっても600kmあれば御の字といった状況であった。
当然、この航続距離の減少は問題となったのだが、その一方で、この時期においては、アウトレンジ戦法が搭乗員への負担が大きすぎる(搭乗員が環境になじむための飛行が必要であり、航続距離一杯だと攻撃も窮屈になり、回収できる帰還機も回収できず、搭乗員への負担も大きく心理的にも悪影響を及ぼすことから、飛行距離は150海里から250海里が妥当であるという横須賀航空隊からのレポート)ことが明らかになっており、長時間のCAPも、レーダー管制によりそこまで重要視されなくなったこともあって、最終的には許容範囲とされている。
793: yukikaze :2021/03/28(日) 20:23:34 HOST:p622155-ipngn200313kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
なお、本機体は液冷エンジンを導入したことで、日本海軍の母艦航空隊は、液冷機と空冷機それぞれ運用する羽目になり、空母の整備兵達にとっては、悪夢と言っていい負担を負うことになる。
その為、石川島は「小学校の子供でも分かるレベルのマニュアル」作成に血道を上げることになり、これに
夢幻会の一部も悪ノリしたことによって、「これもうマニュアルという名前を借りたエロ本だろ」と、後世多くの人間が天を見上げるレベルの代物ができることになる。
流石にこれについては、ロールスロイスや石川島の重役達が激怒し、普通のお堅いマニュアルが改めて作成されるのだが、如何せん最初に作られたマニュアルが『非常にわかりやすく且つエロい』ため、多くの若い整備兵達(これは日英問わず)から教典のごとく扱われ、無断でコピーされる事件が多発。
結果的に「会社非公認ではあるが、同エンジンに対してもっとも有名なマニュアル」として歴史に名を残すことになる。
本機は1944年3月に44式艦上戦闘機『烈風』として正式採用され、ただちに空母航空団に配備されることになる。この時期においては、徐々にラバウル方面に戦火が及ぼうとしていたことから、一時期は同機体を基地航空部隊に使おうかという意見も出されたが、前述の航続距離の問題と、川崎が、長距離戦闘機として開発していた飛燕改(飛燕にマーリンエンジン66型を積んだ型)が十分に性能を満たしていたことから、海軍も基地航空部隊用に採用したことで立ち消えとなっている。
この一連のソロモンキャンペーンにおいて、アメリカ陸海軍は、大西洋戦線で猛威を振るっていたコルセアを投入することで、航空撃滅戦を有利に進めようとしたものの、全高度においてコルセアよりも格闘戦闘が高い烈風相手に完敗を喫してしまい(ただし、近年の研究では、無茶な長距離侵攻と、爆撃機部隊への護衛という任務から、コルセア部隊はスピットファイアと烈風の2機種を相手にせざるを得ず、パイロットへの負担が予想以上に大きかったことが、コルセア部隊の不振につながったとされている)、大西洋で無敵をほしいままにしていたコルセアの伝説が地に落ちることになる。(太平洋戦線では、アメリカが日本を舐め切っており、F4Fを主体としていたため、日本側が優勢であった。)
このコルセアの敗北は、アメリカ海軍においても大問題となり、航空局長であり、キングとは犬猿の仲のタワーズ中将が更迭される(最終的に彼は、ハワイ要塞防衛司令官に任命されるが、文字通りの捨て石扱いであり、これが日本への独断の降伏に繋がる。)要因となるのだが、アメリカ陸軍が「決戦航空機」としてロールアウトしたP-40Q『アドバンスドホーク』相手でも、格闘戦に持ち込めばまず負けることはなく唯一降下速度が800kmの制限がかかっていたことで、後ろにつかれたら、躊躇わずに高速力で急降下できるか否かが生きて帰れるポイントであると言われるほどであった。
とはいえ、烈風が無敵の機体であったかというと、操縦席周りの防御はしっかりしていたものの、液冷エンジンの特性上、エンジン部分の被弾に弱く、コルセアやアドバンスドホークなどが正面から撃ちまくった場合、脆い部分もあった。
その為か、アメリカ陸海軍では「とにかくサムやトニー(飛燕)を見たら、ビビらずに真正面から突っ込んで乱射しろ」と、ルーキーのパイロットに教え込むことになり、結果的に、その稚拙な戦術から、日本陸海軍航空隊のカモになることが続出することになっている。
後年、『大空のサムライ』として名高い坂井三郎(最終階級:大佐。撃墜数126機)は、「飛燕も烈風もどの速度域でも自由にぶん回せ、大変良い機体だったのですが、エンジンの被弾に弱すぎたのだけは欠点でした」と、述懐することになるが、この問題点だけは最後まで解決せず、皮肉にも烈風や飛燕が戦争終了後に早期退役をするのに対し、愛知の『流星』が、改良を重ねたとはいえ、1970年代までアフリカや南アメリカでは現役であったのとは好対照であった。
こうしたことから『シーフューリーこそが最強の艦上戦闘機』と言われることもあるが、同機体は改修に手間取り、実戦配備できたのはようやく1946年2月であり、あまりにも遅すぎた機体であった。
だからこそ、本機に対しては『第二次大戦最優の艦上戦闘機』という称号が送られることになる。
794: yukikaze :2021/03/28(日) 20:35:11 HOST:p622155-ipngn200313kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。堀越さんに液冷エンジンの機体を作らせてあげたかった。以上。
この海神世界、航空機の開発スピードが史実と比べてもそれほど大きくはないのですが
その最大の原因が「倉崎の爺様が会社やってなくて空技廠の職員のため、影響力が限定的」なため。まあ対処療法で史実より時計の針が進んでいる(特に航空艤装)のもあるのですがジェットまではいかないという状況。
中島が徹底的に貧乏くじ引いていますが、誉が上手くいっていれば、間違いなく誉押されますからねえ。
石油化学産業の発展で、オクタン価100のハイオクタンガソリンの安定供給はできるでしょうが、それでも誉エンジンはコンパクトに作り過ぎた結果、無理を重ねたエンジンでもある訳で。
1,800馬力級と考えればまだ何とかなるんですが・・・
堀越設計の特徴である紡錘体形状に可能な限り近づけようとしましたが、できたものはF6Fに烈風の翼を組み合わせたようなゲテモノ機体に。
なお、防御を集中するために、胴体燃料配置をF6Fと同等にしたおかげで、車輪もF6Fのような格納方法にせざるを得ず、これも翼内に燃料タンクが碌に置けない要因となっています。
格闘性能とかも色々と書こうと思っていたのですが、仕事の引継ぎやら何やらもあったりするんでかなり割愛することに。世傑も引っ越しのために大分売ったのが痛い・・・
なお何気に勝ち組になった川崎に対して、暗黒期に突入している中島ですが、この後中島は大社長が土下座して倉崎を会社に引っ張り立て直しを図ることになります。
最終更新:2021年03月31日 10:20