575 :ヒナヒナ:2012/02/05(日) 23:24:05
○「給食」 ―授業風景から見たカリフォルニア食料事情―


―197×年×月×日 カリフォルニア共和国


午前の授業終了のチャイムが鳴り響く。
近くの教会の正午の鐘も小さく聞こえる。
生徒たちがそわそわしてそれぞれのホームルームに帰っていく。
給食の時間だ。

給食制度自体は旧アメリカ合衆国では1936年から始まっていたが、
これは諸外国に売るほどの農産物を、自国内で消費拡大しようと始められた。
しかし、大津波の影響で輸送ラインがぼろぼろになり、物資統制もまともにできず、
学校給食なるものは無くなった。そもそも教育さえも疎かになりかけていた。
もちろん合衆国の崩壊により、1946年に制定されるはずの学校給食法も無くなった。

「皆さん、それぞれの神様にお祈りして下さい。」
「……では、食べましょう。」
「「「「いただきます!」」」」

この学校において「いただきます」は宗教的な意味は全くなく、
日系生徒のみが行っていたのだが、周囲の生徒が真似して、
(小さい子というのはとりあえず真似をしたがるものだ)
いつの間にか定着してしまったものだった。
教員は各人の宗教に配慮してそれぞれに好きに祈る(祈らずとも可)様に言うだけだ。
さて、食事中の様子はというと……

「あーアメリア、またサラダ残してる。」
「残すんじゃないもん、まだ食べてないだけだもん。」
「ジョー、これ嫌いなんだ。お前にやるよ。」
「これだって肉は肉だぞ。お前ん家は、いいもん食べてるから良いよな。」
「こら、ちゃんと食べなさい。」

給食?ファストフードの間違いだろ(笑)
というような、史実アメリカのような事もなく、ちゃんとした食事であった。
史実日本の70年代の給食の様なアルマイト製の食器に、
パンと主菜、汁物と牛乳というようなものであった。

ちなみに、史実日本昭和期の給食といえばクジラと脱脂粉乳であるが、
カリフォルニア共和国では事情が違う。それぞれ、牛肉と牛乳であった。
これはカリフォルニアがもともとアメリカ随一の酪農州であったからだ。
ただし、給食用の牛肉は、牛肉といっても年老いて乳の出なくなった乳牛や、
雄牛の肉であるので、臭みが強く、非常に硬かった。
そのためthe sole(靴底)と呼ばれて嫌われる事も多かった。

「東部では食べられない人もたくさんいるのですから、好き嫌いしてはいけませんよ。
では、食べ終わったら、片付けて休みにしていいですよ。」
「「「「ごちそうさま。」」」」

食器を戻すと生徒たちは外へと飛び出していった。


カロリー摂取のみを考えて作られた給食ではなく、
栄養管理士が付いてちゃんとバランスの考えられた食事となっている。
この給食システムは日本からの指導によって作られた事を知る人は少ない。
その裏には、どうせ同盟国ならアメリカ人=デブという方程式ではなく、
スレンダーなアメリカ人女性を育てることで、
大和撫子の内面的な美しさを引き立てんとする夢幻会の野望があったりなかったり。


(了)

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最終更新:2012年02月06日 07:27