845: モントゴメリー :2021/04/11(日) 23:28:46 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
漆黒の合衆国強化プラン④ ——T-34/M4中戦車——

重量:28t
全長(車体):5.92m
全幅:3m
全高:2.6m
エンジン:液冷ディーゼル(500馬力)
懸架装置:トーションバー式
武装:41.5口径76.2㎜砲×1
   7.62㎜機関銃×2
   14.5㎜重機関銃×1
装甲:50㎜(車体前面及び砲塔全周)
   40㎜(側面及び後面)
乗員:5名

合衆国陣営で開発された中戦車。ソ連で製作された試作車両を合衆国の技術で洗練させた。
火力・機動力・防御力の各要素が高い水準でまとまっており、ソ連・合衆国双方で採用された。
ブラジルやバルカン連邦にも輸出(後にライセンス生産)され、合衆国陣営の標準戦車としての地位を確立した。
開戦時には既に旧式となっていたため、ソ連・合衆国では退役が進められていた。
が、他の地域では当時でも多数現役であり終戦まで改良を重ねつつ世界各地の戦場で使用され続けた。

1920年代初頭、ソ連の主力戦車は英国の輸出用戦車であるヴィッカース6t戦車を基にしたT-26であり
それに騎兵戦車として合衆国より導入したクリスティー式懸架装置を採用したBT快速戦車が加わっている。
これらはウクライナ戦役でドイツ軍(正確には民間警備会社の「帝国警備」)が投入した軽戦車に対して互角以上の性能を有しており
日英同盟陣営と比較しても遜色ないものであった(と、ソ連上層部は認識していた)。

ソ連軍は自らの戦車たちに対してことさら不満を持っている訳ではなかった。
上記した通り世界水準を満たしていると判断していたし、ソ連軍の基本ドクトリンは防衛戦であったからである。
防衛戦において、敵戦車の相手をするのは対戦車砲である(と当時は信じられていた)。
実際、フランス内戦では各陣営の37㎜速射砲が相手のルノーFTやヴィッカース6t戦車を多数撃破している。
37㎜砲で撃破できるならば、ソ連軍の45㎜砲ならばより確実に撃破できる。
こうして自らの防備に自信を深めるソ連軍であったが、ここで彼らは気が付いた。

——こちらが攻勢に転じたら、敵戦車の末路をこちらの戦車がなぞるのではないか?

いくら基本ドクトリンが防御といっても、勝利を目指すならば最終的には反転攻勢に移らなければならない。
その攻勢の先頭に立つのはT-26やBT戦車であるが、その装甲は37㎜級速射砲に耐えられない。
それではこちらの攻勢は頓挫し、その先にあるのは敗北による亡国である。
そのような未来は受け入れられない。
1926年.ソ連は新型戦車の開発をスタートさせた。

846: モントゴメリー :2021/04/11(日) 23:29:50 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
開発時に設定された項目は主に3つである。

  • 構造はBT戦車を踏襲する
  • 「傾斜装甲」を導入し、37㎜級速射砲の直撃に耐えられる防御力とする
  • 37㎜級速射砲をアウトレンジできる主砲を搭載する

この条件を基に試作されたのがA-32である。
主砲に短砲身ながら76.2㎜砲を採用。装甲も厚さは25㎜ながら60度の傾斜をとっている。
懸架装置はクリスティー式であるが、転輪走行機能は除外された。
ソ連軍はこのA-32の性能に満足し、量産化の指示を下そうとしたがそれに待ったをかける者たちがいた。
合衆国より派遣されてきた技術顧問団である。
彼らは大口径主砲と傾斜装甲の採用は正に「革命的」であるとある賞賛したが、それ以外の要素について問題があると申し立てた。
要約するならば「人間工学的」な観点と「機械的信頼性」が欠如しているということだ。
彼らの助言により、A-32は姿を大きく変えることになる。

大きな変更点として、砲塔は2人用からより大型化した3人用に拡大された。さらに「砲塔バスケット」も導入した。
これにより車長は指揮と周囲の状況観察に専念できることになり運用性が格段に向上している。
また、懸架装置はクリスティー式からトーションバー式に変更。これにより容積をより有効に活用できるだけでなく、整備性が大幅に向上した。
変速機も合衆国企業が設計したものが採用され、操作性が向上するのみならず故障率が劇的に低下している。
主砲は、30.5口径から41.5口径に強化された。
装甲も強化され、最終的には倍の50㎜となった。
(ただし、車体側面は垂直装甲に変更されている)
ソ連軍上層部はこの改良に狂喜し、「T-34」と制式採用することとなる。
それとほぼ同時に合衆国でも「M4中戦車」として採用された。

ソ連ではこれほど複雑で大きな戦車を製造した経験が皆無であったため、生産体制の立ち上げには大いに苦労した。
しかし、合衆国からの技術支援により初期以降は改善された。
特に、本場よりフォード式生産システムを導入したことで生産性は大幅に向上している。
さらに、ソ連と合衆国では後にGM社のスローン式生産システムに更新したことにより新型モデルへの生産ライン転換も比較的容易に可能となった。
(ブラジルやバルカンではこのシステム更新が遅延していたため、新型戦車への生産切り替えが遅れてしまった)

本車両は前述した通り合衆国陣営での初の標準主力戦車と認識され、開戦から終戦まで戦争を戦い抜いた。

847: モントゴメリー :2021/04/11(日) 23:30:29 HOST:116-64-111-22.rev.home.ne.jp
以上です。
ウィキ掲載は自由です。
漆黒合衆国陣営の標準戦車でございます。簡単に言えば
「T-34の性能とM4の機械的信頼性を融合したもの」
となります。
まあ、本文中で記載した改良案のほとんどは史実でも考えられており
「T-34M」
として1941年秋には生産開始になる予定だったのですが、独ソ戦開始により中止となりました。

特に効果的なのは変速機の改善かな?
これでもうギアを入れるのにハンマーを使う必要はないぞ!!
あと、史実ではこの変速機の故障で数割にのぼるT-34が戦場にたどり着けなかったと言われておりますが
この世界ではその生産数がそのまま前線に現れるでしょう。

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最終更新:2021年04月14日 19:50