824: 影真似 :2021/04/11(日) 20:47:04 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
投下無し確認。これで最後です。
日本大陸 日仏ゲート世界 小ネタ 「WW1後の世界断片集」
「『朱』に交われば『赤く』なる」
「やめろ!我々は漢民族の団結と決起のために………」
「うるせぇ!お前を引き渡せばうまい飯が食えるんだよ!!」
―中華民国で見られたよくある光景
WWⅠの中華民国では、ソ連の影響もあってか共産主義と中華思想を合体させた赤い思想に救いを求める人間が急増し、暴動や放火などの行動を激化させていった。しかし、チャイナ総督府は、共産主義にかぶれたとされる人間を連れて来れば金と食料、大勢捉えれば特権を与えると発令した。ここでいう特権とは、主に英領チャイナへの移住のことである。中華民国と英領チャイナに分断されてからというもの、イギリスは徹底的に分割統治を行い、チャイナの人間を比較的優遇することで(無論チャイナ間での格差も複雑に決められていた)今では南北の人間の間には深い溝が存在していた。しかし、同時にチャイナでの暮らしには深く憧れており、特に飛び地である天津市の周辺にはスラム街が形成されいつかそびえたつ摩天楼の住民になることを夢見ていた。そこに共産主義者を捉えれば入れると言うのだから中華民国の人間は血眼になりながら共産主義者を探し始めた。イギリスによって漢民族はすでに一つの民族とは言えないほど憎悪が絡み合っており、漢民族の団結を掲げる共産主義は彼らの前ではただの獲物でしかなかった。また、評価は下がるが増えすぎた人口を減らす死体でも構わなかった為、中華民国には赤く染まった死体が作られ続けることになる。冤罪や欲望のために作られる死体を糧に回り続ける経済によって、最終的に歪んだ形であれ中華の再興を願う者たちは、明日の生活を求める民に殺される末路を辿った。
825: 影真似 :2021/04/11(日) 20:47:46 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
「陸軍としては海軍の提案に反対である」
「貴様らのマネーゲームで最初に代償を払うのは兵士なんだぞ!!」
―第二次太平洋戦争後のパットンのセリフ
1930年に集結した第二次太平洋戦争とは裏腹に1921年から中南米とポルトガルを煽り、戦争経済によって富を稼いだ
アメリカとイギリスでは、戦争によって金稼ぎをする経済界と軍部の対立が深まっていた。イギリスでは陸軍は完全にお通夜であり、海軍は半分諦めながらも、フォークランド諸島の軍備増強を行っていた。其れよりもひどいのが
アメリカであり、海軍はカリブ海と大西洋がフランスのバスタブと化したことに絶望したが、陸軍はアカディア大公国に加え、パナマ大公国とアラウカニア・パタゴニア大公国の三か国が侵攻してくることを想定しなければならなくなったことに発狂した。何せ、これに加えてアカディア大公国からゲートを通して送られてくるであろう、日本大陸、アフリカ・フランセーズ、アラビア・フランセーズ、インドシナ・フランセーズの援軍も想定に居れるので無茶振りとしか言いようがない。故に、
アメリカでは経済界と軍部の対立に加えて海軍と陸軍の対立が激化。「大西洋の主導権を完全に失うことは絶対に避けるべきだ!!」と主張する海軍に対し、「貴様らが馬鹿でかいおもちゃで遊んでいる間に最低でもフランスに属する三か国の侵攻から国民を守るのは陸軍なんだぞ!!」と、陸軍の意見が優勢であるもの、平行線であることには変わらず、ただ時間だけが過ぎていった。
そして、政府は禁断の手段に手を伸ばすことになる。
826: 影真似 :2021/04/11(日) 20:49:11 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
「帝国の墓場」
「あなた方は統治する人間の方針も分割しているのですか?」
―コーカンド国外交官、イギリス外交官に対して
ガージャール朝。WWⅠ時には史実のようにオスマン帝国に侵攻されることは無かったのものの、1840年からイギリスの浸透が進み、1878年にイギリスにそそのかれ、第二次アフガン戦争を起こすも容易く撃退され、アフガニスタン侵攻に失敗したことで(コーカンドからすれば「今は内政で忙しいから後で殺す」という心境)王朝の国威は失墜し、イギリスの植民地であるイギリス領イランとなっていた。更に、1901年に石油が発見されると、イギリスにとっての重要度は跳ね上がり、国民は不満を募らせていった。
そんな、イランに転機が訪れたのはWWⅠ後の1921年に起きたバルーチスターンの反乱であった。この反乱はイランと史実パキスタン地域にまたがるバルーチスターン地方(パキスタンのバローチスターン州、イランのスィースターン・バルーチェスターン州)のバローチ人が、コーカンドへの帰属を求めたことに始まる。彼らはイギリスの終わりの見えない支配と何も助けてくれない祖国にうんざりし、バルーチスターン解放軍を結成。
WW1で流出した旧式兵器を裏ルートで大量に仕入れ、一斉蜂起したのである。これに対し、イギリスは丁度1921年から南米の戦争経済に介入していたことと、バルーチスターン地方を失うことを天秤にかけたが、その際様子を見ることを選択したインド総督に対して、石油を発見して以降は何も得ることが無く疫病で悩まされた時に今回の事件があったことで、コーカンドの介入があったと『断定』したイラン総督がイラン植民地軍を動員してアフガンに侵攻し、第三次アフガン戦争が勃発した。これにはコーカンドも動き、植民地軍を粉砕するとバルーチスターン地方に逆侵攻、現地住民の協力により速やかに行われた電撃戦によってバルーチスターン地方全土は制圧され、イギリスとの話し合いの場がイランの首都テヘランにて設けられた。
827: 影真似 :2021/04/11(日) 20:51:06 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
その場では、イラン総督とインド総督が激しく罵り合い、意識の統一が全くできていないことやこの時期にやらかしたことにイギリス本国からの外交官が頭を抱えながら呆然とし、コーカンド外交官は呆れた顔をして上記のセリフを放ったのである。
最終的にはコーカンドがバルーチスターン地方とカスピ海の完全な領有権をイギリスが認めることが1922年の条約で決められ、その際賠償金は不要とコーカンド側が言ったことや(実際は期待できないことから)イギリスの外交官にフランスを通じて手に入れたインドシナ・フランセーズ、キャンディ領(セイロン島)産の最高級ティーパックと日本の最高級洋菓子を添えながら、「国王陛下と女王陛下に『よろしく』伝えておいてくれ」と言い。イギリス外交官は、「気遣いに深く感謝する」と言うことしか出来なかった。(この一件で大恥をかいたイギリスではバッキンガム宮殿に雷が落ち、イラン総督を始め関係者は徹底的に更迭された)
―これで我が国はまた難しいかじ取りを強いられる」
そうこぼすのはコーカンドからのお土産を持ったイギリスの外交官。彼が脳裏に浮かべるのは現在のイギリスを取り巻く状況であった。
―チャイナに関しては徹底的な分割統治を敷いているが近年は暴動や放火などの不穏分子が絶えず、経済を回復するために中南米とポルトガルをフランスに差し出すことを計画中だ。更に今回の一件でイランはコーカンド帰属派が増加し、インドではインドシナ帰属派の増加が確認されている。
おまけにこれらは日仏やコーカンドが自分から関与しておらず自然と連鎖して起こっていることだ。
何かに呪われてるんじゃないのか?
そう思った彼は「呪い」という考えでアフガニスタンの別名を思い出す。
―………「帝国の墓場」か。いや、あれはアフガニスタンを領有した帝国が滅びるのであって、その理屈で行けば、コーカンドやそれに与する日仏に滅びがもたらされる。ならば、良いことではないか。
我が大英帝国には何も関係ない、関係ない。………………少し横になろう。こんな与太話を真面目に信じてるなんて疲れてるんだ。
そう思い彼は横になる。しかし、彼は一つある事を見落としていた。確かに、今までアフガニスタンの平和を乱し、領有した帝国は次々と滅んでいった。だが、コーカンドに関してはアフガニスタンが自ら帰属することを願い、共栄する道を選んだのである。
ならば、アフガニスタンが自らの意思で一部となったコーカンドやその盟友である日仏に幾度となく策を
仕掛け、平和を乱そうとする大英帝国の行く末は………………。
828: 影真似 :2021/04/11(日) 20:54:55 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
以上です。
ジンクスが裏返ったァッッ!!復活ッッ!!コーカンド復活ッッ!!
最終更新:2021年04月14日 20:11