206: 影真似 :2021/04/18(日) 13:35:31 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
投下無し確認。行きます。
夢幻世界 小ネタ 「激怒、茫然自失、絶望、再起」
「……………最低でも八桁は殺すぞ。」
―『暗黒王』として覚醒したジョージ六世のセリフ
1942年2月25日。後世では「相模湾奇襲」「横須賀奇襲」とも呼ばれるアメリカ軍の奇襲によって、旧式とは言え日本の戦艦四隻を撃墜され、あろうことかイギリス戦艦が搭乗していたケント公諸共撃沈されたという情報は在日英大使館を通じてすぐさま本国に報告された。この奇襲攻撃は、ポピュリズムの台頭で大混乱が起きていたアメリカにおいてヒューマンエラーと独断が合わさって発生した出来事であったが、ジョージ六世からすれば、ルール占領事件から始まり、狂ったフランスとトロツキーの思想に汚染された東欧諸国・ソ連のドイツ・ポーランドへの侵攻、それに続く東欧と同じく汚染されたバルカン諸国とフランス植民地軍・ソ連のオスマン帝国への侵攻、上海虐殺、これらを想定外と察知出来なかった軍部、諜報部、外交官は今まで何をしていたのかという心境であった。そこに今回の事件が起きたのだからジョージ六世は関係者に激怒し、その後は日英同盟の再締結とアメリカ諸国への宣戦布告を行うように命じたのである。
しかし、「イギリス史上最悪の三日間」と呼ばれた初日の2月25日の翌日の2月26日、オーストラリアで大規模なクーデターが発生し、「イギリスからの解放」として、加速するイギリス離れを阻止するため史実よりも早くオーストラリア総督に就任していたケント公の兄であったグロスター侯爵ヘンリー王子とアリス夫人が殺害。オーストラリアはその後英連邦脱退を宣言した。更に2月27日にはオーストラリアの脱退に混乱するイギリスを好機とみて南アフリカ連邦が在英勢力を排除し、南アフリカ連邦総督に就任しジョージ五世の従兄弟かつ義理の兄弟であったアレクサンダー王子を殺害後、英連邦脱退を宣言した。
これにはさすがのジョージ六世も茫然自失となり「何かの聞き間違いではないのか」と何度も尋ねたと言う。既にWW2に参戦していた日本もこのことは把握しておりケント公を守れなかった負い目もあって「宣戦布告は3月1日になさって下さい」とイギリス全体の衝撃とジョージ六世の心労をいたわる一日の休息を提言した。特に心神喪失状態となっていた母メアリー王太后の状態もあってジョージ六世は感謝の言葉を述べたのち、2月28日イギリス全体が無くなった王族たちに黙祷を捧げていたが、午後にカナダの白人至上主義者とフランス系住民がアメリカ軍を手引きし、カナダ侵攻が起こったため、急遽宣戦布告を行った。(これに対し日本は勿論、イギリス世論は怒りの頂点に達した。)
207: 影真似 :2021/04/18(日) 13:36:38 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
更に、ジョージ六世にとっての試練は続く、
アメリカは3月1日に国際連盟に代わる新たな世界秩序組織として国際連合の設立を宣言し、ソ連、フランス、中華民国、オーストラリア、南アフリカ連邦、中南米諸国、東欧諸国、バルカン諸国が参加(ジョージ六世は「エイプリルフールには一か月早いぞ」とこぼした)。3月2日にアメリカがアイスランドを占領し、3月5日にはアメリカとのバトル・オブ・ブリテンが勃発。その内にアメリカはポルトガル本土を侵攻し、対イギリス軍事設備の建設に取り掛かっていた。
苦境に立たされるイギリスであったが、彼らを支えていたのは日本の大活躍であった。3月9日にはジャワ島で蘭印・日本軍によって豪米軍約10万が殲滅され、オーストラリア方面も包囲網を形成しつつあり、3月12日にはフィリピンを脱出しようとしたマッカーサーを捉えフィリピン米陸軍は降伏(というアメリカの士気を下げるための情報。実際は、アメリカの国際連合設立あたりで祖国の破滅を悟り自ら降伏した)。その後はオーストラリア海軍をニュージーランドと共に殲滅し包囲網を完成され、メキシコやアルゼンチンへの比重を増やしたことで中年米でも徐々に優勢と化していたのである。
しかし、三月末にイギリス全土が震撼した。アメリカによって占領されていたカナダにおいて、現在はウィンザー公であるエドワード8世が水面下でアメリカ政府と交渉を行った結果、カナダにエドワード8世を国王、ウォリスを王妃にし、国王を国の「象徴」とした民主主義国家、新生イギリス王国の設立をアメリカ政府とエドワード8世が発表したのである。元々人種差別志向のあったエドワード8世はウォリス夫人との出会いやイギリスの融和政策への反発によって人種差別志向は強さを増していき、アメリカでポピュリズムに目覚めたことで、彼を利用できると考えたアメリカ政府と急接近したのである。(新生イギリス王国となったカナダでは逆らうものは反民主主義的不穏分子として徹底的に弾圧される、民主主義や平等という言葉で取り繕った全体主義社会であった。)また、この新生イギリス王国は成立後即座に国際連合に参加し、連合国からは祝福の言葉を受けた。
208: 影真似 :2021/04/18(日) 13:38:42 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
これに対して、ジョージ六世は一時体調を酷く崩し、軍部、諜報部、外交官が大量に病院送りになる事態が発生、母メアリー王太后の状態は悪化しエリザベス王妃が付きっ切りで励ますことで最悪の状況を逃れている状態であった。
そしてジョージ六世は絶望に陥る中でかつての兄弟たちと暮らしていた日々の走馬灯が流れる中、悟った。
「………………そうか。私は一片の慈悲すら与えるべきではなかったのか。」
こうして、後世で『暗黒王』と呼ばれるジョージ六世の再起が始まった。
ジョージ六世はタバコや酒など健康を害するモノを完全に断ち、まずはオーストラリアのブリスベン、メルボルン、シドニー、キャンベラ、パースなどの海岸の諸都市を徹底的に爆撃することをニュージーランド軍に命令し、日本軍にも協力を求めた。
オーストラリアは一瞬で国としての機能を崩壊させ、多数の死傷者と300万人以上の難民が発生。更に日英の支援で武装したアボリジニの一斉蜂起によって海岸部では今までの恨みが爆発した大虐殺が発生。その後は、オーストラリア全土が機雷で完全封鎖され、難民が砂漠地帯に僅かに存在するアボリジニの住居から食料や水の調達を求め砂漠を
進む通称パターン死の行進が発生。おびただしい数の餓死者を積み上げて僅かな人数がたどり着くも、疲労困憊の彼らの目に映ったのは航空機から支援を受けて武装していたアボリジニたちの銃口であった。
一方、南アフリカ連邦では徐々に優勢になるイギリス軍に徐々に徐々に来たからローラーで挽かれるように軍がすりつぶされており、降伏する者も「裏切り者」として即射殺されていた。最終的には、沿岸部まで追い詰められた南アフリカ連邦の人員を海と陸と空からの破壊の嵐によって徹底的に殲滅されていった。
WW2末期にはアメリカ攻略と共に新生イギリス王国侵攻が実施され、反抗したカナダ国民の死体が乱雑に処理されている光景に怒り狂ったイギリス軍が裏切り者たちを慈悲の欠片も無く殲滅していった。WW2戦後にはエドワード8世とウォリス王妃はイギリスにて処刑され、その際にはジョージ六世は顔を合わせることは一切なかった。こうして、宣言通り八桁の死体を積み上げ、最後には兄弟の死体を積み上げたジョージ六世は敬意と畏怖、そして恐怖から『暗黒王』と呼ばれるようになる。
209: 影真似 :2021/04/18(日) 13:40:11 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
その後、エドワード8世が死んだことに母親としてショックを受けたことがトドメとなり、メアリー王太后は崩御。
その後1965年に妹のメアリーが心臓発作で無くなっても、最新の医療技術による臓器移植手術や医師の助言による健康的な生活によって自分の体を鞭打ち、新生された英連邦にてかつての過ちを繰り返さないよう、イギリスへの忠誠を高める意識改革やかつての分割統治の負の遺産であるでたらめな国境や民族ごとに分けられた生活などの清算として融和政策の推進などを精力的に行い続け、21世紀に至る頃には見事にかつてのイギリスが作り出してきた因果の清算という偉業を成し遂げた。
(その際、フランス、ベルギーで生き残った者を態々元植民地の現地人たちに一任させ、テロの発生後は精力的に弾圧したことから、英連邦の結束のために利用したのではないかという陰謀論が根強い)
最後は2002年にエリザベス王妃が無くなると、遺書に助言を書き残し、同年肩の荷が下りたように107歳の人生に幕を閉じた。こうして、ジョージ六世は『暗黒王』と呼ばれながらも、最後には「イギリス史上、最も冷酷で最も慈悲深く、最も偉大な君主」として歴史に刻まれることになったのである。
210: 影真似 :2021/04/18(日) 13:42:40 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
以上です。
親兄弟が完全にいなくなった後は、もう完全に執念で生き続け、最後には妻の後を追うように安らかに眠りました。
最終更新:2021年04月19日 09:50