601 :ヒナヒナ:2012/02/06(月) 21:28:05
○「放課後」 ―もはや授業風景でもないけどカリフォルニアの裏側―

※鬱話です。注意!


―197×年×月×日 カリフォルニア共和国


午後3時頃、生徒達が校門から出て行く。
ある者はバスに乗り込み、ある者は友達と一緒に校庭に残る。
みな口々に午後の予定を話し合っている。

「デイジー、今日アルの家に行かない?」
「アキラ、市民センター前で遊ぼうぜ。」
「いいなぁ、今日は習い事の日だから遊べないよ。」

「おい、アントニオ。サッカーの人数足りないし、お前も混ざれよ。」
「止せよ、ベン。アイツは路地裏(スラム)だぜ。」
「いや……、俺はいいよ。日が暮れる前に家に帰らないと危ないし。
それに、この子達を送っていかなきゃ。誘ってくれてありがとう。」

バスに向う生徒達とは外れて、徒歩で何処かに向う生徒の一団がいる。
よく見ると身なりが周囲の生徒よりも貧しく、黄色人種が殆どだ。
彼らはメキシカン・スラムから学校に通っている生徒達だ。
彼らが徒歩で危険な地域を行き来しているのは、スクールバスが通らないからだ。

メキシコ系(一部華僑も含む)の彼らは、街のスラムに住んでいる。
マフィア化している者達もいて、スラムは非常に治安が悪い。
常に犯罪行為が行われて、殺人なども日常茶飯事であるが、人口は未だに増えている。
国境を越えてくる難民が居着くからだ。それがスラム内での闘争を一層激しくしていた。
その中でも学校に通える彼らは国籍を有しており、比較的恵まれた家庭の出であった。

彼らがスラム出身だからといって落ちこぼれかというと、決してそんな事はない。
学校に通うような子供は、貧困から抜け出そうと、向学心が高い者が多いのだ。
しかし、彼らメキシコ系生徒はカリフォルニア社会では公共の敵と目の敵にされ、
スラムでも白人に尻尾を振る裏切り者として嫌っている人間も多い。
だから集団で登下校して年長の生徒が年下の生徒を守っている。

北米随一を誇るカリフォルニア共和国の繁栄には表の面と裏の面があるのだ。
伸びる部門と切り捨てる部門の選択を徹底して行った。
カリフォルニア経済に寄与する強者は保護し、負担を掛ける弱者は排除したがった。
ドイツの様な国を挙げての人種的差別では、日本の不興を買う事は必至であったので、
カリフォルニア政府は弱者である難民、メキシコ系人種を無い物として扱った。
廃絶は行わないが、社会の底辺から出られないように蓋をしたのだ。

アントニオらメキシコ系の生徒は市民の冷たい目線を受けながら、
守衛の居るスラムの入り口に着いた。
スラムへは何箇所かある門を通ってしか外部と行き来できない。
犯罪多発地域から市街地を守るためという名目で作られた2m以上もある塀があるからだ。どう見てもスラムが拡大しないように囲っている檻だった。
もちろん、何かあったときにはこの門は閉じられ完全に行き来が出来なくなる。
まあ、下水道から外に出られる道があったり、
人目に付きにくく塀に登れる箇所があったりするのだが、
見つかれば通報され、通行不能にされるため滅多なことじゃ使えない。

アントニオは小さい子から家の前まで送り、
スラムをほぼ一周して陽が落ちかけたころ、自分の家に着いた。
スラムの片隅にある小さなアパートメントだ。(住居があるだけ上等と言える)

「ただいま。今帰ったよ。」
「お帰り。アントニオ。」

鍵が回り、立て付けの悪い扉が大きな音を立てて開いく。
学校から帰ってきたアントニオを玄関先で妹が迎える。

「これ、給食の残りのパン。半分だけどお前らで食え。」

今日も何事も無く終わるだろう。それだけで幸運である。
この地区から学校に通う生徒で、卒業まで残れるのは半数以下なのだ。
それ以外は経済的、もしくは物理的に通えなくなる。
その難関を潜り抜けても、社会にでて偏見という名の障害を越えねばならない。
障害は目には見えないが、スラムを囲う塀よりも、なお高く聳え立っているのだ。


(了)

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最終更新:2012年02月06日 22:35