380: 影真似 :2021/04/25(日) 11:26:50 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
投稿無し確認。
以前の改訂版+αです。
夢幻会無き史実ルートに置ける主要各国の概要(暫定) 陣龍氏リスペクト(改訂)
オスマン・トルコ(立憲君+連邦制)……『大戦』にて敗北した後、WW1に参加していた日本が戦後の協定にて日本への偏見と対抗心が相まって、執拗に帝国の解体や民主主義を強調し、アルメニア共和国の建国を主張したことに対し、イギリスの判断で派遣され善意から現在進行形で一部の人間が起こしていたポントゥス人、アッシリア人の虐殺を行っていた兵士を粉砕し虐殺を食い止め、WW1中に虐殺が起きていたアルメニアとオスマン帝国の仲介をしていた日本は、内心フランスの植民地での所業を棚上げする主張に呆れ、日本がエルトゥールル号に続き、虐殺を止め、善意で仲介に奔走する姿にオスマン帝国内で民族、身分関係なく人気が爆発中の日本に便乗することを決めたイギリスは、融和政策による実験の一部としてオスマン帝国に日本を介して支援することを決めた。結果、1918年10月30日に結ばれたムドロス休戦協定では、イスタンブールの占領が日英によって行われ、風見鶏を決め込んでいたイタリアは不満の声を上げただけであったが、フランスは猛反発して同じくオスマン帝国への領土割譲を叫んでいたギリシャに急接近することとなった。そこから、オスマン帝国内で緩衝材として動く日本軍の動きが本国に伝わり、ドイツの同盟国であったことやエルトゥールル号での接点があったことが取り上げられたことで、ドイツには劣るものの多くのお人よし達による善意による膨大な支援によって国内のさらなる平穏に繋がってた。だが、フランスの支援を秘密裏に受けていたギリシャが侵攻し1919年5月に希土戦争が起こり、イスタンブールを占領していた日英が一転してオスマン帝国側に回りギリシャ軍を粉砕し、ギリシャは休戦協定にて得た領土を全て損失。フランスは、全ての元凶と断ずる日本とサイクス・ピコ協定を白紙にしたイギリスへの敵意を増大させていった。この勝利によって、日本がイギリスとの友好的な経済関係を築いていたことや、日本式の融和同化政策を吸収していたことで、バックアップによるオスマン帝国政府とオスマン帝国の改革を主張していたトルコ大国民会議の和解、及びムスタファ・ケマルを筆頭に新旧政府メンバーが混じった新体制政府、オスマン・トルコ連邦帝国を1920年8月10日に確立することになった。
381: 影真似 :2021/04/25(日) 11:29:19 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
これに反発したのが史実におけるイスラム原理主義の先駆けとされるワッハ―ブ派のイブン・サウード率いるナジュド及びハッサ王国であり、同国は1921年にイギリスの支援でアラビア半島西部に建国されたものの、イギリスの手のひら返しに怒ったヒジャーズ王国と手を組み、手始めにジャバル・シャンマル王国を滅ぼすも、亡命したラシード家がオスマン・トルコ連邦帝国に救援を求め、1926年にオスマンとの戦争を起こすが日英の支援を受けたオスマンに敗北し、結果的にオスマンが史実サウジアラビアを手中に収める結果となった。(無論イギリスも善意のただ働きはせず、アラビア半島における油田開発の優先権を日本の譲歩によって多く獲得していた。一方でこの戦争の前後でオスマン・トルコ連邦帝国に反対する民族主義たちが
アメリカに多数渡ったことで、アメリカの民族主義の目覚めを促す要因の一つとなった。)
更に、1930年にはアシール首長国とイエメン王国(北イエメン)がオスマン帝国連邦に帰属し(史実南イエメンのイギリス領アデンからのイギリスの根回し)これにて、アラビア半島での基盤を盤石なものにすることに成功した。
なお、エルトゥールル号から続く日本の貢献に出来事がオスマン帝国国民の親日度を市民から政府上層部まで限界突破させることになり、アルメニア虐殺やアラブ反乱における対応、独立出来なかったことに不満を持つ人々も、「言いたいことはいろいろあるが国が混乱すると日本が困るから大人しくしておいてやる」という心境であった。
しかし、史実ならばセーヴル条約にて共にオスマン帝国を分割していたフランスとは決定的な亀裂が生まれ、イギリスが徐々に融和政策に移行するとは対照的に、植民地に行ける搾取と弾圧を強化していったことが、後の共産主義勢力蜂起においてフランス植民地が飛びぬけて甚大な被害を生み出した原因とされている。
WWⅡでは、ソ連、アフリカ、バルカン方面と手広く活躍し、戦後はバルカン諸国と中央アジア地域の一部を得ている。その後は、融和政策が実ったこともあって宗教問題も起こることなく日英と共に反映している。
382: 影真似 :2021/04/25(日) 11:29:50 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
ブルガリア………WW1後にドイツやオスマン帝国と同じ同盟国であったことや、日本食にドハマりしたドイツ(主に総統閣下)が乳製品を求めた結果、経済活動が爆発的に上昇したまさかの勝ち組。WW2まではフランスで発生したユダヤ人排斥運動の受け入れも行っていたが、徐々に周辺の東欧・バルカン諸国にトロツキー派の浸透が始まり、亡命してくる人々の対応に追われた挙句、最終的にソ連・フランス戦の裏で対東欧・バルカン諸国を黙々と行い続けた縁の下の力持ち。最終的には勝手に大ブルガリアが完成していたので逆に混乱していた。
383: 影真似 :2021/04/25(日) 11:31:07 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
以上です。
ブルガリア君はドイツ飯で登場させてたので加えました。
地味にめんどくさいトロツキー派勢力に対処していたので影のMVPと言えます。
最終更新:2021年04月30日 10:31