753: 影真似 :2021/05/09(日) 12:55:54 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
超巨大反転大陸日本(仮) 小ネタ「世界宗教の概要+α」
テングリ思想。史実においてチンギス・ハーンを始めモンゴル人に侵攻されていた概念はここでは大きな役割を果たしていた。
始まりは、13世紀におけるモンゴル帝国のユーラシア大陸征服である。かつて誰もなしえなかったこの偉業裏では、ヨーロッパ諸国やモンゴル帝国アッバース朝が滅亡・崩壊したことで既存の一神教の権威は落ち切っていたのである。そうして勢力を拡大したのが、神道、景教、回教の世界三大宗教の内の後者二つである。
まずは、景教から見ていくと、大きな分岐点はヨーロッパ全土を支配したことが挙げられる。実は、史実でもチンギス・ハーン一族や諸族の中には景教の熱心な信者が存在していて、イスラームとトルコ系言語の影響やチベット仏教の影響で消滅したが、ここでは復活を遂げていた。モンゴル帝国はネストリウス派のアッシリア東方教会をキリスト教の総本山とし、景教、ネストリウス派を主流としたこの流れは、モンゴル帝国の蹂躙によってカトリックの権威が崩壊していたことからヨーロッパに順当に拡大していった。更に、モンゴル帝国は更なる基盤のためにジプシーやユダヤ、カゴと言った被差別民や少数民族の救済を積極的に行っていたため、既存欧州勢力の立場は狭くなる一方であり、モンゴルがアフリカ北西部のムワッヒド朝を滅ぼせたのなら存在を許容すると契約したことで、抵抗勢力連合に死に物狂いでムワッヒド朝を滅ぼさせ、「カルタゴ」というモンゴル帝国の属邦として存在することを許容した。
また、ネストリウス派を許容できないカトリック勢力はイングランドへ逃亡し、後の「ブリテン革命」を引き起こすきっかけとなる。
754: 影真似 :2021/05/09(日) 12:57:22 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
次に回教であるが、本来はイスラームの中華文明圏における名称が定着したのは、モンゴル帝国がイスラム帝国アッバース朝を始めとした既存イスラーム勢力を完全に撃破したことが挙げられる。モンゴル帝国では昔からイスラム教徒の商人や技術者が協力していたが、自分たちがなしえなかった欧州の完全制覇やイスラム帝国の撃破を身近で見ていたために、次第に、テングリ思想の天とアッラーは同一のものであるという考えが浸透していった。このような動きは、キリスト教の唯一神においても同じことが起こっていたが、イスラム教徒はモンゴル帝国の強大さを実感していたことや、既存のイスラム教による帝国の崩壊がこの動きに拍車をかけ、回教が本当の意味で確立することとなった。当然、この動きに反発するイスラム教徒も多く存在し、彼らはモンゴル帝国と対立していたインドのデリー・スルターン朝に亡命し、技術や知識を伝えたことでスルターン朝の強化に貢献したことで、モンゴル帝国内で結果的に、既存イスラム教よりも回教を保護する動きや回教に改宗するイスラム教徒の動きが加速する結果となった。また、国内の亡命せずに反発する既存イスラム教勢力に対しては、属邦であるマルムーク朝に集中させ、カルタゴと互いに黒人・白人を奴隷にしていた経緯からアフリカで競わせることで、徐々に回教への不満を減少させた。その後は、モンゴル帝国が1299年の進攻でイスラーム朝のハルジー朝を滅ぼしたことでインド北部にも浸透し、インド南部のヒンドゥー王朝を滅ぼしていた所に日本帝国勢力の傭兵団が介入したことで、一気に南北境界線まで押し戻したが、ヒンドゥー教徒のタミル人と仏教徒のシンハラ人の内ゲバが勃発したことで停止し、以後はインドは代理戦争地となった。また、15世紀に生まれたグル・ナーナクによる改革によって、改めてジハードや苦行文化、他宗教・人種差別などの否定が主流となり、一気に神道の亜種のような形となった。
これにより、インドにおけるヒンドゥー教の教徒が宗教改革によって、インド神話の神々などを組み込んでいた回教に吸収されるなどのバタフライエフェクトが発生した。
他にも、チベット仏教、ゾロアスター教を含め、世界五大宗教とすることもある。
チベット仏教はユーラシア大陸の覇者となったモンゴル帝国の中で、中華思想による「中国」による統一からテングリ思想による「モンゴル」による統一が重視され始め、それにヨーロッパ進攻で多大な犠牲を出していた漢民族が「モンゴルは所詮外夷であった」と中華思想的判断を行い暴動が多発したことで、モンゴル帝国は中華思想を今後の帝国に対する不穏分子と判断。その後は、中華思想に汚染された一部モンゴル人と共に漢民族をインド進攻や代理戦争地の先兵としたり、会昌の廃仏の如く道教や儒教、元凶である中華思想を徹底的に排除する教育を密かに日本から学んで実行したりしたことで、チベット仏教が東方圏に浸透した。また、ゾロアスター教も中央アジアや中東、ウイグルなどで復活を遂げ、一部はテングリ思想や仏教と融合した。
755: 影真似 :2021/05/09(日) 12:57:58 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
16世紀において、日本がかつて取り込んだヴィンランド勢力や現地のゲール人・アイルランド貴族を支援した後、日本帝国所属となったアイルランド王国と欧州対岸のモンゴルに抑圧されながらもブリテン島のイングランド・スコットランド諸国は紛争地帯に騎士団(傭兵)を平等に派兵することや緩衝地帯としての役割以外、何も変わらないことにカトリック信者であったルターがキリスト教原理主義である「プロテスタント」を作り、カトリック総本山であったカンタベリー大聖堂を焼き討ちし、カトリックを虐殺。更に、スコットランドでも日本の立憲君主制や民主主義などの導入を求める「ピューリタン」が活動を激化させ、ブリテン島全土を巻き込んだ騒動となった。最終的に日本の介入によってスコットランドの議会派が排除され、モンゴルの介入によってプロテスタント残存勢力がアルマダ海戦によって掃討された。それと同時に、イングランド・スコットランド両国は生き残るために統合し、立憲君主制を導入した永世中立国「ブリテン王国」としての建国を宣言。完全な中立地帯が出来ることにメリットを見出した、日本・モンゴル両国の思惑もあり、見事生き残ることが出来た。
756: 影真似 :2021/05/09(日) 12:58:45 HOST:121-87-49-188f1.hyg2.eonet.ne.jp
以上です。
………………書いてて自分でなんだこの滅茶苦茶さはと何度も思いました。
最終更新:2021年05月09日 19:44