936: 弥次郎 :2021/05/26(水) 22:33:56 HOST:softbank126066071234.bbtec.net


日仏ゲート世界SS「英国の異常な愛情 ~または英国は如何にして心配するのをやめて条約の穴をつくようになったのか~」




 さて、偽りと言ってもいいギリシャ-オスマン間の戦争を出汁に日仏を軍縮条約へと引きずり込んだ英国であったが、彼らは条約の穴を突く気満々であった。
 そも、日仏を軍縮条約という罠にはめたのは、真っ向から軍拡競争になれば負けるとの判断からであった。
二つのインフルエンザの蔓延に戦争での被害に賠償金の支払いなど、イギリスにとってのマイナス要素に枚挙に暇はない。
そのくせ、超大国たる日仏は未だに健在であり、戦争後のインターバル後には軍拡などを考えていることは明白。
つまり、そんな競争で戦う前から負けるという事態を回避するためであった。

 さらに、仮に軍縮条約を締結することによって戦力差を一定程度に抑え込んだとしても、未だに存在する質的な差や数的な差を埋めるには至らない。
繰り返しになるが、日仏はどちらも超大国であり、両国の同盟関係は極めて堅牢で、国力は大英帝国をして上回られてしまっている。
 どちらか片方だけならばまだよかったかもしれない。善戦し、勝利を勝ち取れなくとも、いいところまで持ち込むことができるだろう。
 だが、両方を相手にしなければならないのが現実だ。つまり、どう甘く見積もっても自国の二倍の相手と戦うようなものだ。
正攻法で挑めば不利は間違いないし、相手は正攻法を繰り出せば勝ててしまう、というわけである。

 故にこそ、条約の穴を突く、というわけである。
 後年、WW1からWW2の間に英国は技術研究および開発において迷走を経た、とされる。だが、それは日仏に対抗するための手段を求めての必然の模索だったのだ。
史実WW1後に大口径砲の開発を閉ざされたドイツがロケット弾に傾倒し、やがてはミサイルにたどり着いたように。
史実大日本帝国海軍が数的不利を覆すために水雷戦や艦艇の質的な向上に奔走して突き詰めていったように。
この世界の英国は奇しくもそれと同じような道を選んだ、そういうことであった。

 条約に伴い、海軍は保有する艦艇の搭載砲や排水量、その数などで縛りを課せられた。さらには新規建造にもストップがかかることになった。
 だが、艦載する兵器は?艦載砲は確かに制限されたが、それ以外の武装ならば?
 例えば魚雷ならば如何様にもできるのでは?それに日仏が陸上で用いていたロケット兵器を転用できないか?
あるいは航空機を搭載する航空母艦という船も一応の縛りが設けられたが、通常の艦艇に空母の機能を足すことはできないだろうか?
 こうして生まれたものが、重雷装巡洋艦であったり、ロケット砲艦であったり、航空巡洋艦などであったりするのである。

 そして、それらは決して無駄ではなかった。
 重雷装巡洋艦の研究は、魚雷の研究および改良につながり、長じてジャイアントキリングや潜水艦の戦力価値の増大に貢献した。
 ロケット砲艦はロケット弾という物への研究により、対戦車や対陣地など多目的なロケット弾の開発につながり、最後はなんと弾道弾へとたどり着いた。
 航空巡洋艦は英国特有の世界各地に点在している植民地と本国を結ぶ通商路の護衛という場面においてマルチに使うことができた。

 さらに英国は条約の穴を堂々と通過した。
 条約の上では別段制限されていない技術交流をフル活用したのであった。これまた、ナチスドイツがソ連において研究を進めたのと似通っていたのは皮肉か。
ともあれ、英国はアメリカやソ連などの国々に次々と声をかけて回り、技術の吸収と集約を開始したのであった。
それはなにも大国に限らなかった。小国へも、自国の影響下にある国にも、中立と言える国にさえも手を伸ばした。

 彼らは不屈であった。圧倒的な仮想敵国を相手にしても一切ひるむことなく自らの研鑽に突き進んだ。
 だが、やはりというか、迷走したというのも事実である。
 人はこう呼ぶ、英国面の発露、と。

937: 弥次郎 :2021/05/26(水) 22:34:39 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
以上、短いですがwiki転載はご自由に。
英国面からは逃れられなかったよ…
パンジャンドラム、デファイアント、モスキートといったお決まりのもののほかにも色々と…

例えば双胴艦艇「チャリオット」級とかW級ロケット砲モニター潜水艦とか双胴航空管制機「ケルーヴ」とか…
いつかネタにできたらいいなぁって…
ちなみにこの中で生まれた弾道弾が、その技術故に悲劇を生むのですが、それはまた別な話です

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最終更新:2021年05月29日 10:50