449: ホワイトベアー :2021/06/27(日) 20:25:33 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
アメリカ市民戦争 第1話 《サムター要塞の戦い》
「ついに戦争が始まってしまったか。南部のバカ共め! こちらは無理に奴隷制を撤廃したりしないと何度も説明を尽くしただろうが!」
「大統領閣下・・・。彼らに憤りを覚えるのはわかります。しかし、我々が今すべきことは憤りを発する事ではなく、始まってしまった戦争を終わらせ、再び祖国を1つにすることです」
「・・・わかっているよ。クージョー君。各知事に州兵の提供を呼び掛けてくれ。それと、マサチューセッツ通り2520番地に件の打診を喜んで承けさせて頂くとも伝えてくれ」
「州知事への呼び掛けは承りますが、打診の件は議会に確認をとってからでも遅くはないのでは?」
「あのノロマどもが現実を直視してからでは遅すぎるよ。私が大統領として全責任を負う。やってくれないか」
「了解しました」
ーーサムター要塞から南軍の攻撃を知らされたときのホワイトハウスでのやりとり
サムター要塞、米英戦争時後にサウスカロライナ州チャールストンの港を護るために1827年より築城が開始されたアメリカ陸軍の要塞は、1861年4月12日、同胞であったはずのP・G・T・ボーリガード准将率いるアメリカ連合国暫定軍の攻撃を受けていた。
なぜ、このような事になってしまったのか。それはサウスカロライナ州の独立宣言まで話を戻す必要がある。
1860年12月26日、サウスカロライナ州がアメリカ合衆国からの独立を宣言してから5日後、ワシントンのアメリカ合衆国連邦政府は陸軍にムールトリー要塞に駐屯しているロバート・アンダーソン少佐率いるアメリカ合衆国陸軍第1砲兵隊2個砲兵中隊と第1歩兵旅団所属の1個歩兵中隊をサムター要塞に移動させるように命令した。
これはもともとムールトリー要塞が海上からの攻撃を前提として建築された要塞であり、陸上からの攻撃には大した防御力を期待できず、さらにサムター要塞の完成後、その規模が縮小されており、南軍の攻撃にさらされたが最後、敗北するのが目に見えていたからであった。対してサムター要塞は湾にある小島の上に建築された要塞であり、陸上からの攻撃にも高い防御力を有していた事からムールトリー要塞で籠るよりかも遥かに強固な防衛体制を取れ、サウスカロライナ州の攻撃を躊躇わせることで時間を稼ぐことも期待されていた。
こうしてサムター要塞に籠る合衆国陸軍に対してサウスカロライナ州政府は当初、ワシントンの連邦政府とサムター要塞に籠るロバート・アンダーソン少佐にサムター要塞から立ち退くよう再三勧告を行うに留めていた。しかし、大統領がリンカーンに代わってもワシントンはこのサウスカロライナ州の勧告を無視、アンダーソン少佐はワシントンからの命令が来ていないことを理由にワシントン州の勧告を拒絶する。
これはアメリカ連合国の建国宣言後も変わらず、依然としてサムター要塞はアメリカ合衆国陸軍が籠城していた。
こうしたアメリカ合衆国の対応に痺れをきらしたアメリカ連合国はP・G・T・ボーリガード率いる1,000名の暫定軍(以後南軍)部隊と地元民兵5,000名からなる部隊を持ってチャールストンのサムター要塞以外のアメリカ合衆国の要塞の接収を実施、さらに新規砲兵陣地の構築を行いアメリカ陸軍が立ち退かない場合はサムター要塞に対する実力行使も厭わない姿勢を見せる。
450: ホワイトベアー :2021/06/27(日) 20:26:21 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
南軍の強硬姿勢を受けたアメリカ合衆国はサムター要塞救援の為に援軍を送る事を決定。1861年4月6日にはグスタヴス・V・フォックスを指揮官とし、装甲フリゲート《サウスカロライナ》《ヴァージニア》武装蒸気スループ《ジャーマンタウン》《レバント》の4隻の戦闘艦と陸軍砲兵2個中隊、連邦政府がチャーターし、砲兵部隊と各種物資を載せた汽船《スター・オブ・ザ・ウェスト》《バルティック》の2隻の輸送船、直接サムター要塞に荷揚げをするためのバージからなるサムター要塞救援艦隊が臨時で編成し、サムター要塞のあるチャールストンに派遣する。
この部隊は1861年4月12日にはチャールストン近海に到着しており、同日午前4時20分にはアメリカ合衆国の増援艦隊は一刻も早くサムター要塞に物質と増援を届けるべく、夜を待たずサムター要塞にむけ突入を開始した。
この時、救援艦隊は《スター・オブ・ザ・ウェスト》《バルティック》を中心に戦闘艦である《サウスカロライナ》《ヴァージニア》《ジャーマンタウン》《レバント》で左右を固めており、陸上からの攻撃に備えていた。
合衆国軍の動きに気づいた南軍は同日午前4時30分よりアンダーソンらが放棄したため無血占領していたムールトリー要塞から合衆国艦隊に対して砲撃を開始する。
戦後の調査でこの砲撃は南軍の正式な指揮系統で行われた攻撃ではなく、P・G・T・ボーリガード准将は各部隊に軽率な行動を厳禁する命令を出していたこと、この攻撃は反連邦主義者であったエドムンド・ラッフィンとそのシンパの暴走であったことが明かになるが当時の合衆国側がその事に気づけるはずもなく、この攻撃に対してサムター要塞救援艦隊も当然反撃してサムター要塞の前哨戦として後に知られる《ムールトリーの戦い》と呼ばれる砲撃戦が開始された。
当時(現在でも)、要塞と艦隊の勝負は基本的に要塞側が有利であるとされていた。
これは艦隊側は波などで揺れながら砲撃しているので命中率が低く、かつ岩盤等を利用する要塞比べると艦艇は防御力が低く、さらに強大な威力を誇る要塞砲に対して当時の艦載砲では攻撃力も低いとされているからだ。
だが、この時の南軍砲兵隊は基本的に民兵を中心としたド素人の集まりであり、砲撃の命中率はオブラートに包んでも新兵の砲撃の方がマシというものであった。その命中率は安定した陸地での砲撃でありながらアメリカ海軍を下回るほどであり、肝心の要塞砲も合衆国側はムールトリー要塞を放棄する時に要塞に配備されていた全ての要塞砲を使用不可能にしていたため、運用する事ができなかった。
その為、暫定軍が砲撃に使用した砲は連邦軍のお下がりとして各州に配られた旧式(日帝目線)の青銅製12cm前装填式榴弾野砲がその大半を占めておりサウスカロライナ州に占領された連邦軍武器庫に予備として保管されていた青銅製68ポンド前装填式要塞砲もあるにはあったが、その数が圧倒的に少なかった。それゆえに攻撃力も他の要塞と比べると遥かに劣っているなど南軍は要塞のアドバンテージを全く活かせていなかった。
対するアメリカ海軍は何処かの極東の超大国の影響をモロに受けた結果、当時としては精鋭と言っても過言ではない練度を誇っており、装備面でも艦載砲として後装填式20.3cm単装砲を4門、後装填式17.8cm単装砲を28門搭載、さらに防御の為に137mmの鋼鉄装甲が付与されたアメリカ合衆国海軍最強の《サウスカロライナ》級を2隻投入するなど、兵士の練度・装備の2つは完全に要塞から攻撃を加える南軍砲兵隊よりかも上回っていた。
こうした理由からもあってこの《チャールストンの戦い》は従来の定説では不利とされていた艦隊側が要塞側を圧倒する戦闘が繰り広げられた。しかし要塞側も一方的にやられたわけではなく、午前5時52分にはムールトリー要塞から放たれた砲撃がバージに直撃、サムター要塞への物資や兵員の揚陸を不可能とする大戦果を上げた。
これを受けたグスタヴス・V・フォックスは自らの戦略的敗北を認めざるを得ず。艦隊を一度湾部から外洋に退避させ、バージがないため完全に遊軍となってしまった2隻の汽船にはニューヨークへの帰還を命令する。
そして、戦闘艦のみで戦列を整え直すと少しでもサムター要塞への攻撃開始を引き伸ばす為に《サウスカロライナ》を先頭に単装陣を組みムールトリー要塞に向け突入した。
この時、救援艦隊がムールトリー要塞を攻撃目標とした理由はムールトリー要塞は南軍のチャールストンにおける最大の軍事拠点であり多くの要塞砲と物資が貯められていたため、ここに大きな被害を与えれば時間を稼げると考えたからだ。
救援艦隊は日没までのあいだ南軍に占領させれていたムールトリー要塞に砲撃を加え続け、南軍の火薬庫を吹き飛ばすなど大きな損害を与えたものの、完全に日が沈むとアメリカ海軍艦隊は効果的な攻撃を望めない事から攻撃を中断、一度外洋に離脱し再び日が昇るまで攻撃を待機することになる。
451: ホワイトベアー :2021/06/27(日) 20:27:27 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
サムター要塞救援艦隊の攻撃によりムールトリー要塞に籠る南軍砲兵隊は80名以上の死傷者と18門の砲が撃破され、火薬を吹き飛ばされた為に継戦能力も大きく削がれるという大損害を受けたのに対してアメリカ海軍の被害は死傷者4名のみであり、戦闘ではアメリカ海軍のワンサイドゲームとなった。しかし、アメリカ海軍は戦略目標であったサムター要塞への補給には失敗、戦略的な勝敗は勝敗は大きな被害をだしつつも南軍に軍配が上がったとされる。
ムールトリー要塞を失った南軍はこれ以上の被害が出てサムター要塞を攻撃する戦力が減る前にサムター要塞に対して全面的な攻撃を行う事を決定。夜間でありながらもボーリーガード准将の命令の下、19時16分にチャールストン港にある水上砲台上の64ポンド砲による砲撃を皮切りにサムター要塞に対して計56門の火砲による集中砲火を決行する。
南軍の砲撃は弾薬節約の為に1つの砲につき2分の間隔を開けて行われたがチャールストン港を中心に反時計回りの形で砲撃を加えた為、サムター要塞はおおよそ2秒に一発の割合で砲撃を浴びる事になってしまい要塞守備隊に大きな制限をかける事ができる。
アンダーソン少佐率いるサムター要塞守備隊も当然反撃に出るが、南軍の砲撃の苛烈さから要塞最上部の砲の使用を禁止せざるを得なかった。これは限られた戦力と物資しかない故に高い被害が出ることがほぼ確実な最上部に兵や物資を配置しないことにより無用な被害を避ける為の処置であり、ふたたびアメリカ合衆国支配地域から援軍が送られてくるまで限られた物資や兵力で戦う必要がある以上しかたのない判断であったが、この決断はアンダーソン少佐の予想よりも遥かにサムター要塞守備隊に不利に働いた。
もともとサムター要塞はイギリス艦隊の侵攻を防ぐ目的で設計、建造された要塞であり、それゆえにその城壁や武装の配置も艦隊の攻撃を防ぎ、艦隊に効率的にダメージを与える事を目的として造られ、配置されている要塞であった。そのため、その防壁は欧州列強で運用されている全ての砲弾を防ぐだけの高さと強度を有していた。
しかし、この時の南軍砲兵隊の一部はサムター要塞の防壁を超えて要塞内部に砲撃可能な砲にを有しており、設計上想定されていなかった要塞内部の施設にも砲撃を加える事が可能であった。対してサムター要塞守備隊は使用可能な砲が南軍の砲兵隊陣地に有効な砲撃を加えるのに必要な仰角を得られないため反撃を行う事ができず、大した抵抗もできずに一方的に砲撃を加えられてしまう。
サムター要塞への砲撃は日付が4月13日に変わってからも続いたものの、日が登ると外洋に待機していた合衆国海軍の救援艦隊が再びチャールストン港湾に突入したことにより、南軍は砲撃目標を動かず、ろくな反撃ができないサムター要塞から救援艦隊に変更されたことから砲撃のペースは落ちたが、それまでに南軍砲兵隊は兵舎や弾薬庫など要塞内の木造建築物を目標として、かまどなどを使い砲弾を真っ赤になるまで加熱した焼玉式焼夷弾を容赦なく、盛大に撃ち込んでいた。むろんサムター要塞守備隊も懸命に焼玉式焼夷弾対策を行っていたが、虚しく日付が変わる頃にはサムター要塞のほとんどの木造建築物で火災が発生するか火災に飲まれる寸前になってしまっていた。
それどころか焼玉式焼夷弾のもたらした炎はサムター要塞内の弾薬庫にも迫る事になり、要塞守備隊は火災によって弾薬庫が吹っ飛ぶ前に弾薬庫内にある300バレルの弾薬を安全な場所に弾薬を移動させるようと懸命に動いたものの、予想を上回る火の周りの早さからしばらくするといまだに多くの弾薬が残る弾薬庫に火が回ってしまい、守備隊は弾薬移動はリスクが大きいとして弾薬庫の放棄を決定、安全と思われる防壁内に兵士達を退避せざるを得なかった。そして、退避が完了した直後に弾薬庫は多くの物資や建物を巻き込んで大爆発をおこしてしまう。
この爆発はチャールストン市街地からでも見る事ができる規模であり、これを見たチャールストンの民間人達はしばらく呆けた後に大きな喝采を挙げたと記録されている。
チャールストン市街地でも確認できるほどの爆発がおきたサムター要塞は大きな被害を受けていた。爆発や火災によって保存されていた食料や医療品、砲弾などの籠城に必要な多くの物資を失ってしまったため、戦闘能力は微塵も残っていなかった。それどころか、もはや長く籠城することすら彼らにとっては不可能になっていた。
452: ホワイトベアー :2021/06/27(日) 20:32:34 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
また、要塞を支援していた《サウスカロライナ》を旗艦とする艦隊も長時間の対地砲撃によって弾薬が枯渇しっかかっており、さらに武装スループ2隻が中破してしまっていたことから、同日の正午過ぎには撤退し、アメリカ合衆国軍は南軍に対して有効は対抗手段を喪失する。
対する南軍であるが、洋上の
アメリカ艦隊による艦砲射撃によって少なくない数の損害を出していたが、それでも依然として30門以上の砲が無事であり、さらに目の上のたんこぶであった水上艦隊を退却に追い込んだ事から士気も高まっていた。
この時、南軍には砲撃を継続し、サムター要塞守備隊に確実に被害を与え続ける。要塞への強襲部隊を送り込んで要塞を占領するなどいくつかの選択肢があり、実際にこうした強硬的な意見が南軍全体で広く支持されていた。しかし、南軍を指揮していたボーリーガード准将は勝利が確定した戦場で、これ以上の戦闘は無意味であると判断。元上院議員であり、自らの副官であったルイス・ウィグフォール大佐を降伏勧告の軍使としてサムター要塞に派遣する。
南軍の降伏勧告を受けたサムター要塞守備隊では徹底抗戦派が主流を占めていたものの、要塞守備隊の指揮を採っていたロバート・アンダーソン少佐はこれ以上の抵抗は無駄な被害を生むだけであるとして南軍の黙認の下にサムター要塞の放棄と合衆国勢力圏内までの転進を決断、サムター要塞は南軍の手に落ちることになる。
当時の多くのアメリカ人はこのサムター要塞の戦いを独立派と連邦派の数多い小競り合いの一つとしか考えておらず大した関心を抱かなかった。しかし、この戦いは後にアメリカ史上最悪の戦いと呼ばれるアメリカ南北戦争(市民戦争)の幕を上げる戦いとして歴史に記されることになり、アメリカ合衆国各地で地獄の様相が再現される契機となることは未だ少数の人間しか気付いていなかった。
453: ホワイトベアー :2021/06/27(日) 20:39:51 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2021年06月28日 16:03