955: 名無しさん :2021/07/03(土) 10:52:09 HOST:sp49-98-140-48.msd.spmode.ne.jp
日本軍によるロシア侵攻
『背景』
日本による最後通牒の後でも、ロシア政府および軍上層部では「日本による対ロシア大規模攻勢は有り得ない」と考える者が殆どだった。
それは、ロシア本土における日本の占領地域は全てが僻地であり大規模な軍事行動が難しいと考えられた点。
また、日本が占領した地域の中で最も中国の主要都市に近い、遼東半島方面が重要視されているだろうという予想からだった。
とはいえロシア軍もただ待つことはせず、カムチャッカ半島やサハリンの奪還の為、東部軍管区と中央軍管区より多数の戦力を抽出して極東地域へと移動させていた。
開戦直前において、
中央軍管区より派遣された2個軍11個旅団47000人と、東部軍管区で動員された2個軍20個旅団86000人の計133000人、戦車約900両。
空軍戦力はロシア空軍の1/3にも昇る約800機の作戦機が集まっていたものとされ、ロシア軍が決して“油断”していた訳ではなかったと言える。
一方で日本政府と軍は、開戦と同時に中国政府機関と主要軍事拠点、重要インフラを壊滅させて中国を行動不能にし、同時にロシアへの大規模な攻撃によってロシア軍の戦力そのものを直接的に粉砕することによって戦争から脱落させようと考えていた。
この日本軍によるロシア攻撃作戦「韃靼(タタール)作戦」には、
日本陸軍第2、5、7、9、12師団の5個師団45000人と、空軍作戦機約600機。
海軍は、中国沿岸部で行動中の日本近海を担当する第1艦隊に代わり、南太平洋~インド洋を担当する第2艦隊が投入されていた。
『韃靼作戦』
韃靼作戦、別名タタール作戦は日本軍によるロシア本土攻撃作戦で、その主目的はロシアの保有する軍事力の完全破壊である。
この作戦おいてロシア諸都市や地域の占領については主要拠点以外は重要視されず、その代わりに敵野戦軍の撃滅に重点が置かれた極めて攻撃的な計画だった。
956: 名無しさん :2021/07/03(土) 10:54:29 HOST:sp49-98-140-48.msd.spmode.ne.jp
『戦闘の経過』
開戦と同時に行われた日本軍による軌道爆撃と航空攻撃は、ロシア軍の指揮系統は勿論、その戦力にまで多大な損害を与えることとなった。
日本空軍及び宇宙軍によってロシア軍参謀本部や主要地区本部、弾道ミサイル基地、戦略爆撃機部隊が奇襲攻撃を受けてその殆どを破壊され、極東部では陸軍基地や地上戦力に対する直接的な空爆も行われていた。
ウラジオストクに存在していたロシア海軍太平洋艦隊は、港から出て数時間のところで日本海軍の空母航空隊によって一方的に壊滅させられた。
混乱するロシア軍の隙をついた日本軍が鉾部よりタタール海峡最狭部を渡ってラザレフに上陸。
現地に展開していたロシア陸軍2個旅団は瞬く間に殲滅され、霧散することとなった。
アムール川まで到達した日本軍はその後、川に沿ってハバロフスクを目指し進軍。
ロシア軍前線部隊の組織的反撃能力の喪失によって、タタール海峡とハバロフスクの中間に位置するコムソモリスク・ナ・アムーレは開戦2日後にほぼ無血で開場し、日本軍1個師団は郊外の橋からアムール川を渡って西岸へと進出した。
ロシア軍は幾度か、戦車を中心とした部隊によって散発的に反撃を試みたものの全て撃退され、反撃によって戦力を消耗しハバロフスク市内へと後退した。
ハバロフスクにはロシア軍13個旅団56000人が集結しており、モスクワからの通信が途絶し命令を受けられなくなっていた旅団長達の協議によって、日本軍を市内に引き込んで消耗を狙うという方針が固められた。
『ハバロフスク市街戦』
それから4日後、ハバロフスク前面へ到達した日本軍は、市街地突入の準備の為に一旦停止する。
しかし空爆と砲撃は続行され、偵察機の目標指示を受けた攻撃機や榴弾砲から放たれる各種精密誘導兵器によってロシア軍の戦車や装甲車などの主要兵器が破壊されていき、さらには貨物・人員輸送用のトラックや小型車輌までもが攻撃対象となり、ロシア軍の行動能力は加速的に喪失していった。
ロシア空軍の残存戦力は果敢に反撃を試みるものの一方的に撃退され、極東におけるロシア空軍戦力は開戦1週間以内に壊滅することとなった。
1日の停止期間の後、日本軍はハバロフスクに突入。
入念な偵察によって市街地の構造を把握した日本軍の戦車と歩兵が、市内地東側からルート454を通って侵入を始め、ロシア軍との市街戦が始められた。
ロシア軍は厳重に秘匿していたT-90などの戦車を用いて市街地外縁部で日本軍の撃退を図るものの、日本軍の用いる70式戦車はロシア軍戦車と比較して1~1.5世代相当先の性能を持っており、戦闘では極めて不利な立場に置かれることとなった。
歩兵戦闘においても、日本軍は分隊単位でパワーアシストスーツを配備しており、市街地という入り組んだ場所においても柔軟に重火器を運用しロシア軍歩兵を火力で圧倒していた。
さらに、室内まで隈無く探索可能な小型ドローンを歩兵より先行させて斥候に用いた為、ロシア軍の待ち伏せやトラップ等は事前に看過され無力化されていた。
本来、先進国の軍はこのようなドローンに対処する為に各種の電波妨害装置を配備している。
しかし、ロシア軍の持つそれは使用した途端に日本軍に逆探知され、反撃の長距離火力によって全て沈黙していたのだった。
このような日本の技術的・戦術的優越によってハバロフスク市内のロシア軍は急速に瓦解していき、僅か1日足らずで半数以上の旅団の司令部が排除されて組織的戦闘能力が崩壊し、ロシア軍将兵は這う這うの体で霧散していった。
同時に行われたアムール川西側で行われた戦闘においても日本軍が勝利し、ロシア軍2個旅団は戦力の80%を喪失して西へと敗走した。
結果、ハバロフスクは日本軍によって占領され、ロシア軍の極東戦力はその殆どがアムール川以東に閉じ込められることとなった。
957: 名無しさん :2021/07/03(土) 10:56:37 HOST:sp49-98-140-48.msd.spmode.ne.jp
『ウラジオストク侵攻』
残存するロシア軍16個旅団はウラジオストク周辺にて防備を固めると共に、半数の8個旅団がハバロフスクを攻略中の日本軍を横撃しようと前進していた。
しかし、この動きは日本軍によって速やかに察知され、ハバロフスク直近まで誘いこまれた上で日本軍の逆包囲を食らい壊滅した。
日本軍はその後、3個師団でウラジオストクを目指し南下を開始。
4日後、ウスリースク近郊へ到達した日本軍の先行部隊とロシア軍部隊が接触し小規模な戦闘が発生したものの、ロシア軍部隊はすぐにウスリースク市内へと後退した。
日本軍は即座に追撃して市内へと突入。
ロシア軍は待ち伏せを試みていたものの、ハバロフスクでの戦闘と同じように無効化され、ウスリースクに閉じ込められ壊滅した。
その頃ウラジオストク近海には、中国沿岸部への攻撃を終えた日本海軍の沿海域戦闘艦「長門」が到着し、ウラジオストク周辺に展開するロシア軍地上戦力に対して主砲による攻撃を始めていた。
ウラジオストクのロシア軍司令部は極東戦力の75%が消滅し、残りの25%も長距離攻撃によってほぼ崩壊している状況を認識し抗戦を断念。
ウスリースク陥落の2日後に降伏した。
降伏時のロシア軍残存戦力は、実質的に1個自動車化旅団にも満たなかったとされている。
958: 名無しさん :2021/07/03(土) 10:58:03 HOST:sp49-98-140-48.msd.spmode.ne.jp
『結果』
一連の戦闘によって日本軍はアムール川以東を事実上掌握し、ウラジオストクの港湾施設を押さえ確固たる橋頭堡を得た。
ロシア軍は正規兵力の半数近い13万人を喪失。極東に派遣した戦力の殆どを失った東部、中央軍管区には最低限の守備兵力しか残っておらず、ウラル山脈以東は大きな軍事的空白地帯と化したのだった。
この時ハバロフスクの現地住民によって撮影された「ロシア軍装甲車の残骸を押し退けてハバロフスク鉄橋を西へと渡る日本軍戦車」の映像はSNSを通して瞬く間に世界中へと拡散し、大きな反響をもたらした。
『各国の反応』
正規軍が半壊するという事態に驚愕したロシア政府は速やかに軍組織を建て直すように指示。
正規軍の残存兵力を速やかに東へ移動させ始めると共に、国内軍や国境警備軍の動員、予備役の召集を始めた。
また、NATO各国軍の領内通過及び戦闘を許した。
開戦当初に行われたハワイ沖海戦によって太平洋艦隊を壊滅させられた
アメリカは、日本が大陸での地上戦において泥沼に嵌まる事を期待していたが、この結果を受けて
アメリカ本土も安全ではないと考え早急な反撃を考え始めた。
ロシア軍の劣勢は予想外であり、最悪の場合ロシアを踏破した日本軍が欧州へ侵攻する可能性も視野に入った為、NATOの集団的自衛権を発動させることとなった。
ウクライナやコーカサス諸国では、この機に乗じてロシアとの領土係争地に侵攻しようという動きもあったものの、国際情勢の不透明さから実際に動くことはなかった。
政府および軍上層部では、作戦の第一段階を成功と評価し、更なるロシア軍戦力の誘引の為シベリア鉄道沿いにエカテリンブルクへの前進を指示した。
民間では、一部が今回のロシア侵攻を「令和のシベリア出兵」と呼び政府と軍を批判した。
959: 名無しさん :2021/07/03(土) 11:00:11 HOST:sp49-98-140-48.msd.spmode.ne.jp
今回分の投下完了です。
最終更新:2021年07月03日 19:58