631: ホワイトベアー :2021/07/05(月) 19:50:04 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート番外編 アメリカ市民戦争 第2話

「あの戦争に参加した元アメリカ連邦軍軍人は全員理解していた。我々が誤った道を進んでいる事を。我々はみな敗北し、我々の名誉は奪われ、我々の正義も大義も否定され、ただ敗者として、裏切り者としての地位だけが与えられると。
では、なぜ我々はアメリカ連合国についたか。それは我々は誤った道を進む故郷の人間に銃を向け殺すのを良しとしなかったからである。我々は故郷の人々を止められなかった。なら、せめて共に銃をとり、共に戦い、共に地獄に落ちる事を望んだのである」

ーーロバート・エドワード・リー。戦後のリッチモンド軍事裁判でのやりとり。


南軍によるサムター要塞の戦いと言う暴挙を受けたリンカーン大統領はついに我慢の限界に達し、国家非常事態宣言を発令。合衆国に残った全州に国家非常事態宣言法に基づき、南部の独立宣言およびその後の一連の行動を合衆国に対する反乱行為とし、軍事力を持ってこれを鎮圧することを決断する。しかし、当時のアメリカ合衆国の軍備は脆弱の一言に尽きた。アメリカ海軍こそ世界でも有数の装甲艦保有数を誇ったものの、その数はわずか62隻しか保有しておらず、アメリカ陸軍にはわずか32,000名の兵士しかいない上に、その半分以上は西部に分散して配置されていたことから即応性に欠けていた。

こうした理由からリンカーン大統領は反乱鎮圧の為に7万5千名からなる志願兵の召集および州兵の連邦軍への組み込みを含めた軍事的協力を各州に命令した。

しかしこれは連合国を名乗る南部諸州との軍事対決を意味し、このときいまだ合衆国に残っていた奴隷州を強く刺激した。これらの州は連合国と同じような立場にあったために連合国に同情的であり、独立は州の権限として認められていると考えていたのだ。

その結果、正当な州の権利を軍事力で侵害するリンカーン大統領の横暴にいやけがさし、5月までにバージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州までもがアメリカ合衆国からの独立を宣言、アメリカ連合国に合流してしまう。

ただし全ての奴隷州が合衆国からの独立を宣言したわけではなく、立地的問題や経済的・政治的理由からデラウェア州、ケンタッキー州、メリーランド州、ミズーリ州、それにバージニア州の西部(後にバージニア州から「独立」してウェストバージニア州となる)は合衆国に残ることになり、南北戦争は厳密に言えば自由州と奴隷州の戦いから州の独立容認派と州の独立否定派の争いにチェンジされた。

余談であるがバージニア州はアメリカ有数の有力州であり、このとき連合国の首都もモンゴメリーからバージニア州のリッチモンドへと移される。

南北戦争で最初の重要な陸上戦闘は南軍主力と北軍主力がにらみ合う東部ではなく、両軍の注目の薄い西部でおきた。西部戦線で最重要拠点の一つであったミーズリ州を巡る北軍と南軍の争いがそれである。

アメリカ連合国が独立した当時、ミズーリ州の民衆は北部と南部の争いについて中立の立場を望んでいたが、ミズーリ州州知事であるクレイボーン・F・ジャクソン知事は強力な南部の同調者であり、州議会の多くもまた南部の同調者であった。そのため、ミズーリに展開する連邦軍はもしミズーリ州が脱退を決めた場合、ジャクソンが指揮するミズーリ州兵がミズーリの武器庫を占領しようとしているのではないかという疑っており、ミズーリ州駐留連邦軍指揮官ナサニエル・ライアン大佐はミズーリ州にある連邦軍武器庫の防御を固める事を西部方面軍司令官ウィリアム・S・ハーニー准将に打診するが、ミズーリでの緊張を煽りたくないウィリアム・S・ハーニー准将を含めた西部方面軍司令部の上官たちからの反対に遭ったため断念せざるをえなかった。

しかし、ミズーリの武器庫には日本から供与されていたヒラガライフルやM1850を含んだ有力な兵器とそれらを扱うための弾薬が貯蔵されていることから、南軍に抑えられるのはなんとしても防がなければならないと考えたライアンは自らの友人であり、下院議員兼下院軍事対策委員会議長であったフランシス・プレストン・ブレア・ジュニアに頼み、民兵組織である「ワイド・アウェイクス」から1000名の民兵を借り受け、連邦軍第2アメリカ歩兵連隊D中隊とともに武器庫の防衛を担わせた。

南北戦争が勃発すると、エイブラハム・リンカーン大統領はアメリカ連合国を名乗る反乱勢力を軍事力持って鎮圧する為に反乱法および国防法に基づき各州に州兵の派遣を要求し、ミズーリ州には4個連隊を連邦軍に提供する事を命令した。しかし、これを受けたジャクソン知事は連邦政府の命令を拒絶。ミズーリの防衛のために訓練するという既定の目的の下でセントルイス郊外にミズーリ州兵を招集するよう命じた。

632: ホワイトベアー :2021/07/05(月) 19:52:01 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ミズーリ州の明確な反乱とも言える動きを受け、ライアンはワイド・アウェイクに連邦軍武器庫の武器を貸与すると同時に、ミズーリ州兵武器を鹵獲されないように余った武器庫の武器の大半を密かにイリノイ州に移動させた。

その間に南軍がバトンルージュのアメリカ軍武器庫で捕獲した大砲を運び出して、セントルイスのミズーリ州民兵キャンプに密かに移したことが連邦軍西部方面軍により発覚、ウィリアム・S・ハーニー准将は続いてジャクソンがミズーリ州兵のために武器庫を奪おうという計画を掴み、5月10日、ライアンを指揮官にワイド・アウェイクを中核としたミズーリ志願兵連隊と第2アメリカ歩兵連隊をミズーリ州兵キャンプに派遣、このときの州兵は未だに装備が充足しておらず、招集されたばかりで訓練も満足に施されていなかったことからろくな抵抗もできずに降伏せざるをえなかった。

ミズーリ州での州兵の反乱を事前に防いだ連邦軍であったが、捕虜を駐屯地に連行する為に市内を通って行軍させると州兵を開放させようとセントルイス市内で南部の同調者達による暴動が発生。連邦軍に対して武器を持って攻撃を行う。当然連邦軍もこれに反撃し、セントルイス市内で市街地戦が勃発。

最終的に連邦軍兵士2名と民兵3名が殺され、他に負傷した者も多数発生。暴徒側も175人を負傷させ、75人が殺害されると言う大惨事になってしまい、また捕虜を奪還させる事を防ぐために少なくない数のミズーリ州兵捕虜を殺害すると言う後にセントルイスの虐殺と呼ばれる事件がおきてしまう。

しかし、この事件は連邦軍にとって重視されずライアンは反乱の防止と連邦軍施設の防衛の功績から少将に昇進し、ワシントンDCより第16アメリカ歩兵連隊の増援とクレイボーン・F・ジャクソンおよび南部寄りのミズーリ州政府高官の逮捕およびミズーリ州兵の解体の命令を受領することになる。

一方でクレイボーン・F・ジャクソンはミズーリ州軍司令官スターリング・プライス准将とともにミズーリ州州都ジェファーソン市に向けて逃亡しており、さらにライアンの昇進と増援の到着前である6月12日にはジェファーソン市を保持できないと結論付け、残存する州軍部隊と共にブーンビルに向かい撤退を続けていた。

これを追跡せなばならないとライアン少将麾下の北軍部隊は即座にアメリカ陸軍正規兵2個連隊および1個砲兵大隊、総勢約2,000名を蒸気船に乗せミズーリ州州都ジェファーソンに向けて進撃を開始する。北軍の動きは早く6月15日にジェファーソン市に到着する。しかし、すでにジャクソンらミズーリ州政府およびミズーリ州軍主力はジェファーソン市からブーンビルまで撤退しており、北軍は大した抵抗も受けずに同市を占領下におくことに成功するものの作戦は失敗。北軍はジェファーソン市の占領維持を後続のミズーリ志願兵連隊に任せると再び部隊を蒸気船に乗せ追撃を開始した。

北軍はブーンビルの下流約8マイル (13 km)の地点で上陸した。この時、ミズーリ州軍では州軍指揮官であるスターリング・プライス准将が病気の為に後送されたために知事であるジャクソンが指揮をとっており、その指揮下の兵士たちも戦意こそ高いものの旧式のマスケットやショットガンなどで武装しているだけであり、効果的に戦うための十分な訓練も受けていないまさに烏合の衆であり、その数はわずか500名に過ぎなかった。

対する北軍は連発銃ボルトアクションライフルであるヒラガライフルと駐退複座機を搭載するM1850 75ミリ野砲を装備するアメリカ正規軍所属の2個連隊であり、その差は歴然であった。

6月17日の朝、下流約8マイル (13 km)の地点で上陸した北軍はブーンビルに向けてロッシュポート道路を進軍、途中の崖に近付いたところで哨兵に遭遇したが、北軍は騎兵を持ってこれを撃滅する。

その崖の奥にある尾根では、まともな装備も練度もなくただ指揮の高いだけのミズーリ州兵総勢約500名が北軍を今か今かと待ち受けていた。

ミズーリ州軍を確認した北軍は射程に収めるや砲兵隊を展開させ、自慢の75ミリ砲弾による砲撃を開始、大した時間もかけずに民間人の家に陣取っていたミズーリ州軍歩兵部隊を退却に追い込み、砲撃による混乱と南軍の退却に合わせて歩兵部隊をミズーリ州軍防衛線に突入させた。北軍の突撃を受けたミズーリ州軍はろくな抵抗もできず、わずか20分間程度で全面的な敗走を開始していた。途中、北軍の突撃を防ごうとする兵士もいるにはいたが、そうした部隊も砲撃と圧倒的な火力投射速度に破れ、北軍はなんなく州兵背後の宿営地を占領することに成功した。

633: ホワイトベアー :2021/07/05(月) 19:52:47 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
北軍により蹂躙されたミズーリ州軍は散り散りになって敗走を開始、北軍による追撃で少なくない数の犠牲を出しながらもミズーリ州軍はキャンプ・ベイコンやブーンビルの町を通って州南西隅に撤退する知事に合流する為に退却戦を繰り広げていく。余談であるが、この戦いは逃げるミズーリ州軍とそれを追撃する北軍の様子から「ブーンビルの競走」という渾名が付いた。

この戦いによりアメリカ合衆国はミズーリでの政治的・軍事的主導権を握ることに成功し、ミズーリ川で南軍に防御を固められると言う北軍にとっての悪夢を避ける事に成功した。

一方の東部戦線ではチェサピーク湾海上封鎖の一環として複数のアメリカ合衆国海軍と南軍湾岸守備砲台の小競り合いがおきたほか、バージニア州西部でジョージ・マクレラン少将率いオハイオ軍管区部隊がジョージ・ポーターフィールド大佐の指揮する南軍を攻撃し撃破、7月に入ってリッチマウンテンの戦いで勝利したことによりバージニア州西部の確保に成功。その一方でモンロー砦を巡るビッグベセルの戦いではモンロー砦の防衛こそ成功するものの、大きな被害を受けるなど一進一退の戦いが進められていたももの、結局バージニア州からウェストバージニアが独立した以外では特別なことはまだおきなかった。

また、海上では優勢な海軍力有する北軍側がアナコンダ作戦に則った海上封鎖作戦の初動として、アメリカ連合国の港や沿岸砲台に対して辻斬り的に砲撃を実施。南軍にハラスメント攻撃を行っていく。

しかし、実際にはこうした東部や海上での行動は対して戦略に寄与することはなく、北軍がなんの成果もない現状で日本軍の到着が近づいていた。

日本軍到着後にどれだけ勝利しようがそれでは日本軍に頼り切りと言う印象を国内外に与えてしまいかねないと言う懸念を抱いていた北部の政治家や売上を上げたい文屋共達はこうした状態を良しとせず、即座に行動を起こすようホワイトハウスに圧力を掛け、そうした圧力を受けたホワイトハウスは攻勢を決断する。南部の重要な鉄道拠点であるマナサス鉄道ジャンクションにむけて。

634: ホワイトベアー :2021/07/05(月) 19:53:21 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2021年07月08日 08:38