87: ham ◆sneo5SWWRw :2021/07/17(土) 19:08:43 HOST:sp1-72-6-16.msc.spmode.ne.jp
戦後夢幻会ネタ ham世界線 マレー沖夜戦 長すぎた槍


第7戦隊がレパルスと交戦している頃、第9戦隊は北側から密かにレパルスへと接近していた。
英駆逐艦隊を由良、鬼怒、第3水雷戦隊と共に早々に蹴散らした2隻は、残る英艦の対処を3水戦に任せると、第9戦隊と由良、鬼怒に分かれてそれぞれレパルスとPOWへと向かった。
既にレパルスを発見しており、その距離は18,000mを切っていた。
現在2隻は西南西に針路を取っており、北西に針路を取るレパルスとお互いの進路上で交差する形となっていた。
そんな雷撃には理想的な位置取りをしつつある状況で、第9戦隊司令官の岸福治少将は、ある決断をした。

「直ちに戦隊全艦で一斉雷撃を開始する」

史実のスラバヤ沖海戦の顛末を知る小沢は、遠距離での魚雷の航走時間から来る問題を理由に『1万m以下でなければ発射してはならない』と各艦に徹底していた。
しかし、それを知らない非転生者の水雷科出身者たち、特に重雷装艦を配備された第9戦隊の岸少将以下戦隊司令部と艦長、水雷長、水雷員たちは不満たらたらだった。
そのため岸司令官は、絶好の位置取りを取れた現状で遠距離雷撃を命中させることで、小沢を見返してやろうと考えたのだ。
岸司令官の決断に小沢の命令を反故することへの懸念の声もあったが、それ以上に艦長や水雷長らの賛成の声が高かったため、第9戦隊は一斉雷撃を決定した。
戦隊は取舵を取り、右舷側の発射管全てで雷撃を開始。
1隻当たり20本、合計40本93式酸素魚雷が放たれた。


一方、夜間航空雷撃を退けた第7戦隊は、戦死した栗田司令官に替わって、先任参謀の鈴木正金中佐が指揮を引き継ぎ、砲撃戦を続けていた。
幸い被雷はなく、英軍機も引き上げ、指揮系統の混乱も少なく済んだため、隊列の変更を完了させ、レパルスへの砲撃を強めていた。
レパルスも応射するが、砲の速射と門数という数の暴力で不利になっていた。
最上との衝突で23ノットに落ちた影響から、離れることも出来ず、レパルスももうすぐと言う時、レパルスの右舷側で大きな水柱がいくつも上がった。

第9戦隊の魚雷が早爆したのである。

まだ戦訓もできていないことから、第9戦隊の水雷員たちは不発を恐れ、信管を過敏にし過ぎたのだ。
水中爆発での衝撃波で他の魚雷を次々と爆発していき、最終的には9割近くが早爆してしまった。
この爆発を見たレパルスは右舷の10,000m以内に水上艦が確認できないことから、潜水艦が居ると判断。
第7戦隊への接近を覚悟で取舵を切って避けることした。


一方、第7戦隊はレパルスが取舵を取ったことを受け、現時点で戦隊が30ノット以上を維持していることから、増速して先回りし、丁字戦法に入ることを決断。
34.7ノットの最大戦速で向かう中、突如、先頭の熊野の艦首右舷側で水柱が上がった。

第9戦隊の魚雷が命中してしまったのだ。

命中して爆発したのは1本だが、艦尾側でも不発魚雷が1本突き刺さった。
この不発魚雷が原因で海戦後に大騒動となるのだが、それは後に語るとしよう。
ともあれ、熊野はこの被雷で速力を12ノットに落とし、戦隊から脱落。
後ろに続いていた三隈が急いで面舵に転舵。
その後ろの鈴谷も続き、戦闘は同航戦から反航戦に移った。


以上です。
まぁ、戦訓を知らない人間からしたら、反発もやむなしですからね。
拙作世界線では、この海戦が大きな戦訓となります。

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最終更新:2021年07月18日 13:15