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日米枢軸ルート番外編 アメリカ市民戦争 第3話 《第一次ブルランの戦い》

南北戦争の勃発を受けたリンカーンは直ちに連邦軍総司令官であるウィンフィールド・スコット中将に南部の反乱鎮圧プランの策定を命令する。

スコット中将は当時75歳と言う高齢で、さらに肥満体型も合わさり馬に乗ることができず野戦の前線指揮を取ることは不可能であったが、その軍才と経験は合衆国でもトップクラスのものであり、文字通り当時の合衆国最高の戦略家の一人でもあった。

そんな彼は連邦軍の数的主力たる民兵隊の練度不足や当時の合衆国陸軍のドクトリンが防御重視であったことから短期間での南部の反乱鎮圧は不可能と判断。南部の経済がヨーロッパとの輸出入に依存している事に付け込み、南部の継戦能力を締め上げる為に圧倒的な優位にある海軍力を用いた海上封鎖作戦、具体的には大西洋沿岸・メキシコ湾岸・ミンシッピ流域に陸海軍を展開させ、南部諸州分断するとともに南部のシーレーンを遮断することを骨子とした計画を立案する。

この作戦は極めて有効かつ少ない犠牲での勝利をもたらすものであったが、しかし、かつてのナポレオン戦争のように華やかな決戦の下に南部を屈服させる事を望んでいた新聞各社はこの計画をアナコンダ作戦と比喩し、それに煽られた民意もこの作戦を冷淡に見ていた。そして新聞各社は「リッチモンドへ進軍を!!」と盛んに連邦軍の出征を煽り、さらに日本からの10万近い増援が迫っていた。

連邦軍としては緊急徴募した民兵隊(シロウト)を戦力化するには短すぎる期間であり、その練度の低さから攻勢に出るには早すぎると言うのが正直な意見であったが、同盟国たる日本から送られてきた遣米軍および遣米艦隊の到着が近づくなか、戦争の主導権を確固たるものにしたい議会や過激な意見により部数を上げたいマスコミに煽られた市民は早急な戦果をホワイトハウスに迫っており、ホワイトハウスのオーナーたるリンカーンは決断を下してしまったのだ。南軍の最重要鉄道拠点であるマナサス鉄道ジャンクションにむけての攻勢を。

そして、ワシントンに集結していた3万7千からなる連邦軍は首都防衛用戦力として1万5千を除いた全軍を財務長官の推薦を受けたアービン・マクダウェル准将を指揮官とした北東バージニア軍に組み込み、ポトマック川を渡りバージニア州への陸上での進撃を開始する。これは本来なら避けるべきものであった。当時の連邦軍や連邦政府としてはワシントンで北東バージニア軍を輸送船団に載せ、圧倒的な優位のある海軍の護衛の下にチェサピーク湾を渡りリッチモンド玄関口であるバージニア半島に軍を上陸させてリッチモンドを包囲する作戦を望んでいた。

772: ホワイトベアー :2021/07/10(土) 17:19:26 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
しかし、議会や世論は華やかかつ栄光ある大決戦の下に一撃で反乱を鎮圧する事を望み、リンカーンは世論や議会からの圧力の下に陸路からの進撃以外の選択を失った状態で決断を迫られた。

そして、1861年7月21日、アメリカ合衆国軍とアメリカ連合国軍はマナサス鉄道ジャンクションの近くであるブルフラン川において衝突、後に第一次ブルランの戦いと呼ばれる戦いが勃発する。

南軍でも新規徴募した兵士の戦力化は万全ではなく、兵士の練度の面では北軍と同レベル。いや連邦軍がいないので北軍よりもさらに一段落低かった。装備の質に関しては連邦軍がスプリングフィールドM1831(M1861)や1853年型12cm榴弾野砲、パロット砲、制服など統一した装備で完全に充足しているのに対して南軍は装備品の不足から大半の兵士が私物で装備を整えている始末であり、戦力的には連邦軍が圧倒的な優位を保っていた。

しかし、南軍はそれらを補えるにたる圧倒的な優位を持っていた。それは彼らを指揮する将軍である。

連邦軍司令官であるアービン・マクダウェル准将はこの戦いが初めて自ら指揮をとる戦いであったのに対して、マナサス鉄道ジャンクションに展開する南軍2万の軍勢にはP・G・T・ボーリガードを総司令官としてジェイムズ・ロングストリート、トーマス・ジョナサン・ジャクソン、J・E・B・スチュアートなど後に南軍の顔となる勇将名将が揃い踏み、さらにブルーリッジ山脈シェナンドー渓谷から鉄道を使いジョセフ・ジョンストン率いる1万2千が急行していた。

1861年7月16日にワシントンDCを出発した北東バージニア軍は2日後の7月18日にはブル・ラン川南にあるフェアファックス群役所に到達。同地で主力を休息させると同時にダニエル・タイラー准将率いる第1師団を威力偵察の為にブル・ラン川に送り込む。この部隊は昼頃にがブル・ラン川にあるブラックバーンフォードに接近、ブル・ラン川の渡河を目論む。

しかし、この行動はブラックバーンフォードの湾岸に展開するジェームズ・ロングストリート准将率いる部隊の激しい砲火を浴びせられ撤退。予想より東側の防衛が圧いことを把握したマクダウェル准将はセオドア・ラニオン准将率いる5千をフェアファクスの守備に残すと南軍の左翼を攻撃するべくセンタービルまで進軍、兵士に休息を取らせた後に西側に周り込もうと進撃を開始する。

773: ホワイトベアー :2021/07/10(土) 17:20:01 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
同時に陽動の為に西部の守備についていたリチャードソン旅団に川を挟んで展開していた南軍に砲撃を開始。これを受けたボーリガードは連邦軍に先手を取られたことを把握し、主導権を取り戻す為に連邦軍本営のあるセンタービルへの侵攻を命令する。しかし、この命令は伝達ミスにより前線部隊には伝わらず失敗。東部では約8千からなる第1師団にウォレントン街道を西進させ、ブル・ランにかかる石橋から南軍に攻撃を行い、そのすきをついて第2師団および第3師団かたなる1万2千からなる連邦軍主力が敵に察知されないように森の中で大きな迂回行動を取りながらサドリー・スプリング浅瀬での渡河を行った。

しかし、連邦軍主力は訓練不足が祟りゆっくりとした行進しかできず、さらに案内人が道を間違えたことからブル・ランを渡河し、攻撃位置につくのに約2時間遅れてしまう。

この遅れは連邦軍の渡河を掴んだ南軍に守備を固める時間を与えてしまいました、マシュー・ヒルと言う連邦軍渡河地点の全面にそびえ立つ丘に石橋の防衛に当たっていた部隊からネイサン・エバンス大佐率いる9百からなるエバンス旅団が急行、守りを固めていた。

先に渡河に成功した第2師団はセンター・ヒルに籠もるエバンス旅団に対して攻撃を開始。連邦軍の大軍を相手にしながらエバンス旅団は奮闘を繰り広げ、ビー旅団、バート旅団の到着まで時間を稼ぎ、最終的には約3千まで守備隊は拡大するものの、後続である第3師団が第2師団に合流、さらに第1師団の別働隊であるシャーマン旅団による右翼からの奇襲を受けマシュー・ヒル防衛線は崩壊。南軍はヘンリーハウスヒル向かって敗走する。

マシュー・ヒルの戦いで勢いついた連邦軍は直ちにヘンリーハウスヒルまで進撃、残存する南軍を壊滅せんとした。無論、南軍も黙ってはおらず、トーマス・ジョナサン・ジャクソン将軍率いるジャクソン旅団を援軍とし送り込んでいた。

ジャクソン旅団はヘンリーハウスヒルの裏側の斜面、頂上付近に13門の12ポンド砲と4門の6ポンド砲からなる砲兵隊を展開させ、砲撃戦を仕掛けた。

これは射撃の反動を活かすことで砲を裏斜面に下げ、連邦軍の射線を遮った状態で装填するという連邦軍にとってはたまったものではない運用法であった。

ジャクソン将軍を含めた南軍司令官たちの指揮により、南軍はなんとかヘンリーハウスヒルでの防衛戦を戦えていたが、それでも南軍の兵士の士気は崩壊寸前であり、総崩れまで秒読み状態であった。そんな中でバーナード・E・ビー准将は砲弾の降り注ぐ中で微動だにせずに馬上で防衛戦の指揮をとるジャクソン将軍を指差し、

「見ろ!ジャクソンが石壁のように立っている!死に場所をここに決めよう。そして勝利を掴もう。バージニア人よ集結せよ!!」と兵士たちを鼓舞。総崩れ寸前であった南軍兵士たちもジャクソンの勇姿に士気を取り戻し、ヘンリーハウスヒルを中心とした防衛線の構築に成功する。

774: ホワイトベアー :2021/07/10(土) 17:20:33 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ヘンリーハウスヒルを巡る戦いは正午を通しても続いており、連邦軍は午後1時半より丘を登ろうと総攻撃を開始。押し寄せる連邦軍とそれを撃退する南軍による戦いは激しさを増していった。

しかし、午後2時頃、この激しいヘンリーハウスヒルを巡る戦いにターニングポイントが訪れた。

反撃の為に連邦軍に突撃した南軍第33ヴァージニア連隊が連邦軍の砲兵陣地を強襲に成功したのだ。これは南軍第33ヴァージニア連隊の制服が連邦軍の制服と同じ青色であったことで連邦軍が友軍と間違えたことが原因であり、後に大問題となるのだが、ともかくとして砲台を奪われた連邦軍には混乱が生じてしまい、ジャクソンはその隙を見逃さす戦力を投入。

連邦軍も予備戦力であった15個連隊を投入して主導権を握り返そうと攻勢を仕掛け続けるもそのたびに撃退され続け、さらに南軍に3個旅団規模の増援が到着。戦線の後方を守っていた連邦軍ハワード旅団が敗走したことにより連邦軍主力は半包囲され、マクダウェル准将は撤退を決断する。

当初こそ秩序だって撤退してい連邦軍であったが、スチュアート騎兵旅団を含めた南軍の優秀な騎兵戦力によって多くの捕虜を出しながら全面的な潰走になり、最終的には装備すら放棄してセンタービル逃げ帰ることになる。

その後、北軍は無傷のセオドア・ラニオン准将指揮下のライアン旅団を後詰にワシントンDCへの撤退を開始。マナサス鉄道ジャンクションを巡る戦いは南軍の勝利に終わった。

この戦いはワシントンDCの近くで行われた戦いであったため、連邦軍の勝利を革新していた北部の政治家やマスコミ、さらにはワシントンDCの市民などが観光気分で観戦していたこともあり、連邦軍の敗走は即座にワシントンDC全市に知れ渡ることになった。

そして、ボロボロの状態で逃げ帰ってきた北東バージニア軍の姿は多くの人々に大きなショックを与えることになった。連邦政府にとっては幸いな事に7月24日に約10万の戦力と20隻の戦闘艦、多数の補助艦艇からな大日本帝国海軍遣米艦隊と海軍海兵隊遣米軍が到着し、1個歩兵師団がワシントン防衛の為に展開することになるが、それまでの間はマナサス鉄道ジャンクション付近に依然として3万近い南軍が駐留を続けている事と言う情報も合わさり、南軍の進撃を止められる戦力が存在しないことに連邦軍や連邦政府、さらにワシントンDCの市民は南軍の進撃に怯える日々を過ごすこととなった。

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最終更新:2021年07月28日 20:08