78: ホワイトベアー :2021/07/27(火) 18:45:32 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート番外編
アメリカ市民戦争 第4話
ブルランでの大敗はアメリカ合衆国の政界・財界・マスコミ・世論に大きなショックを与えることになり、特にワシントン市の連邦政府中枢は恐慌状態に陥れた。
当時のワシントン市には約1万5千からなる首都防衛軍と逃げ帰った北東バージニア軍約2万が駐屯しており、数だけならマナサス鉄道ジャンクション付近に展開する南軍を超えるだけの規模を誇っていた。だが北東バージニア軍は小銃を含めた全ての装備を放棄して逃げ帰っており、もしも南軍が攻めてこようものなら弾除け以外の使い道はなく、まともに戦力として使えるのは首都防衛軍1万5千のみしかない。
その首都防衛軍も練度は北東バージニア軍と同等、ブルランの戦いでの大敗北により士気は崩壊寸前でありもし仮にマナサス鉄道ジャンクションに展開する南軍がワシントンむけて進撃を開始した場合、一戦もできずに崩壊する可能性が大きかった。
事実上、首都を守る戦力が存在しないと言う事実は連邦議会内で反共和党・古き良きアメリカの奪還を掲げる北部民主党が対南部強硬派に対しての政争の道具として大々的に喧伝し南部との講和を声高に叫び、日系資本の影響力が少ない新聞各社はこぞって手のひらを返して対南部講和を声高に書きたて、世論もマスメディアや政治屋に煽られ、自らが連邦軍を敗北に誘ったと言う事実を都合よく忘れリンカーン大統領や共和党を攻撃、ホワイトハウスの血圧を上げていった。
幸い、ワシントン市の防衛能力の低下は同盟国たる日本より送られてきた遣米軍の到着と気球を使用した決死の偵察の結果、懸念であったマナサス鉄道ジャンクション近隣に展開する南軍が撤退していた事が判明したことにより一旦解決。
講和に傾き欠けていた世論も日本からの増援の到着と日系資本の影響下にあるマスコミを使い、南部との講和はサムター要塞や第33ヴァージニア連隊など南部の卑劣な奇襲攻撃に屈する事を意味するなどと南部へのネガティブキャンペーンを大々的に行うことで再び武力による連邦回復にかたむけていった。また、議会でも南部よりの北部民主党の議員が南部より資金援助を受けていた事実が発覚、これを武器に共和党が講和派を徹底的に攻撃し黙らせる事に成功した。
79: ホワイトベアー :2021/07/27(火) 18:46:05 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
なんとか国内を取りまとめる事に成功したリンカーン大統領ら共和党および日本は南部よりでの欧州列強の介入を警戒、クリミア戦争での後遺症に悩むフランスやイギリスに対して戦争をちらつかせながらながら黙らせ、対南部攻略戦略としてアナコンダプランと合わせてより積極的な戦略、バージニアルート・テネシー州東部ルート・テネシー州西部ルートの3方向からの南部直接侵攻計画、スリーアローズ計画を構想する
スリーアローズ計画を行うにあたりリンカーン大統領はブルランの戦いで敗北した北東バージニア軍を立て直しを命令する。
連邦陸軍はブルランの戦いでの大敗北以降装備の殆どを喪失していた北東バージニア軍と装備こそ万全であるが戦う前から指揮崩壊半歩前な首都防衛軍を合流・再編させ軍の名前をポトマック流域軍に改名、ブルランの戦いで指揮をとったマクドウェル准将を更迭し指揮官に西バージニアでの作戦に従事していたジョージ・マクレラン准将を任命することで新しい軍の立て直しと練度向上を行わせるなど連邦軍の再編を推し進めた。
さらにブルランの敗北を受けた連邦議会では50万人の追加動員を認める決議案が賛成多数で上下両院で可決され、本格的に各州の民兵隊の動員を開始する事で連邦軍のさらなる拡大が開始される事になり、ポトマック流域軍だけでも8個師団と6個民兵旅団が新規編入される。
追加が許可されたのは人員のみではなく、臨時予算として連邦陸軍が要求していた倍の予算が上下両院の賛同の下に確保された。
追加予算はただちに軍需品の購入に当てられ、日系資本により五大湖周辺に構築されていた工業地帯や北部の造船所ではこれまでとは比べ物にならないレベルでの軍需品の生産および艦艇の建造が実施され始めた。なお、生産されている軍需品のほぼすべてが従来の先込め式小銃や火砲などの装備ではなく、連発型ボトルアクション式小銃や駐退機付の火砲など日本軍で配備されている最先端兵器群のライセンス生産版であり、1つ1つがそれまでの兵器とは比べ物にならないほど凶悪な兵器であった。
また、これら大量生産された軍需品を前線に効率的に輸送する為の組織である輸送・鉄道司令部や南部に対しての情報収集を行う為のインテリジェンス組織である陸軍省情報局、軍事通信の管理を行う陸軍省通信本部、新兵教育を行う教育本部などの連邦軍に不足していた後方支援を増強するための新組織が次々と立ち上げていった。
連邦政府は連邦軍の装備を更新し、後方支援体制を強化するだけではなく、首都でありながら前線になってしまったワシントン市の防衛能力強化も力を入れて行っており、この頃のワシントン市周辺では首都防衛の為に連邦陸軍工兵軍団主導のもと複数の砦、要塞、防塁、砲兵陣地の建築が進められていた。
もともと連邦陸軍は少数の正規軍と多数の民兵が混成している軍隊であり、その戦い方は守勢を重視していた。それは当時のウェストポイントでは後に海軍戦略論を世に広めるA・T・マハンの父親に当たるデニス・ハート・マハン教授などによって防御戦法を中心とした教育がされてれていたことからも示される。
当時の連邦陸軍はドクトリンの要点としてそのターゲットを敵の軍隊ではなく敵領地内の重要ポイントと定めており、敵軍のスキをついてすばやく侵攻し占領。要所に防御陣地を築いた後に奪還にきた敵野戦軍を迎撃することであった。つまり、敵軍のスキをついてすばやく侵攻し、要所に陣地を築いて敵を迎撃する事をドクトリンの基本としていたのだ。
80: ホワイトベアー :2021/07/27(火) 18:46:39 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
それ故に連邦陸軍は何より野戦築城術を重視しており、ウェストポイントの教官は全て連邦工兵軍団出身で固められる程に工兵を重視した軍隊であった。それが守勢に回ったこのタイミングで効果を発揮し、ワシントン周辺の防衛線構築は急ピッチで進められていき、それまで無防備であったワシントンの護りは短時間で南北戦争前とは比べ物にならないほどに強化されていく。
連邦政府は上記したとおり連邦陸軍の強化と同時並行して連邦陸軍を管轄する陸軍省の再編・拡大も同時並行して行っていた。
今では信じられないことであるが、南北戦争前のアメリカ合衆国陸軍省には兵員の募集や作戦の立案、教練、地図制作、補給管理といったさまざまな軍事機能をこなせる本格的な部署が存在せず、それどころか陸軍省専属の事務員がわずか2名しかいないという国家機関と言えないレベルの規模でしかなかった。当然、これで数十万を超える軍隊を管理できうるはずもなく、南北戦争開戦直後の連邦陸軍では軍隊機能はほぼ全てが現場に丸投げされていたのだ。
この現状はブルランでの敗北後に大問題となり、リンカーン大統領は陸軍省の機能および規模の拡大を決断し、同盟国である日本の陸軍省を参考として上記のような新組織を次々と発足させていった。しかし、陸軍省と言う戦争を管理する部門の管理にはある程度の専門性が問われる仕事が多く、信用の高い人間を選択しなければならないことから人材集めに苦労することになり、業を煮やしたリンカーン大統領は副大統領を筆頭とした閣僚や議会の反対を押し切って大日本帝国陸軍遣米軍軍・師団司令部および司令部付隊の人員を上層部を陸軍省の官僚として臨時雇用すると言う最終手段をとるはめになった。
陸軍の戦力の再編と規模拡大と合わせるようにアメリカ海軍の拡張も急ピッチで行われていた。
南北戦争前の連邦海軍も陸軍と同様に戦争の準備はまったくできていなかった。いや、戦力の大半が国内に展開していた陸軍よりも遥かにまずい状況であった。
南北連合が結成された時点でアメリカ合衆国は128隻の艦艇を保有していたが、実動可能な戦闘艦数は僅かな52隻しかおらず、その他の艦艇は予備役として保管されている状態であった。さらに実動可能な戦闘艦でアメリカ東部沿岸付近に展開しているのはわずか12隻しかいおらず、その他の艦艇は奴隷貿易の摘発やシーレーン防衛、捕鯨船警護の為に世界各地に出払っていたのである。
無論、南部連合との緊張悪化を受けたリンカーンと海軍長官ギデオン・ウェルズはただちに全海軍戦闘艦に緊急帰国命令を発するが、例えこれらの艦艇が合衆国東部海岸に集中展開しようとも南部海上封鎖にはまだまだ船の数は足りないことは明白であり、予備役艦の現役復帰は当然として連邦海軍は汽走スループ以下の建造が容易な小型艦艇は自国で大量建造し、建造に期間がかかる中・大型艦艇は日本海軍がモスボールしていた艦艇群を購入する事で一気に不足する艦艇数を補おうとする。
不幸中の幸いであったが、陸軍将校にくらべて海軍将校は北部出身者が多く、南部へと離脱する人間は陸軍と比べて圧倒的少数ですみんでいた。また、退役した人間や予備役の人間の多くも北部諸州か西部諸州に大半が住んでいた為、予備役の動員により艦艇増強による人員的な問題は少なくすむ予定である。
連邦海軍の戦力増強計画は合衆国の造船業の反対を受けることになるが、リンカーンらは南部の反乱を短期間で鎮圧させるために必要だと海軍の方針にゴーサインを出だしており、政治的な問題も抑えられていた。
連邦海軍は艦艇の増強を行うと同時に効率的な海上封鎖を行うべく、東部大西洋封鎖戦隊、西部大西洋封鎖戦隊の2個戦隊からなる大西洋封鎖艦隊、東部メキシコ湾封鎖戦隊、西部メキシコ湾封鎖戦隊の2個戦隊からなるメキシコ湾封鎖艦隊の2個艦隊を新設するなど組織改編も行っていった。
もっとも、この頃では東部メキシコ湾封鎖戦隊、西部メキシコ湾封鎖戦隊は補給拠点がないために書類上の組織でしかなく、実際に動くのは1861年11月、サウスカロライナ州のポートロイヤル占領を待たなければ行けなかったが。
ブルランでの戦いでの敗北はアメリカ合衆国と言う眠れる巨人が目を覚ますには十分な衝撃であり、敗北をもってアメリカ合衆国や連邦陸軍は本格的な“戦争のできる”国家・軍隊として急速にその能力を変化させていき、南軍の反乱軍とは比べ物にならないほどの潤沢かつ充実した補給・人員補充が可能となっていく。
最後にアメリカ合衆国に派遣された大日本帝国軍遣米総軍であるが、その主力たる陸軍遣米軍は到着早々に1個師団を除き、師団規模での作戦活動が困難な状況に追い込まれていた。
81: ホワイトベアー :2021/07/27(火) 18:47:12 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
もともと、ブルランでの大敗北を知った遣米軍は同盟国での反乱を早々に鎮圧するべく独自でリッチモンドへの侵攻を行う計画を経てており、実際にマナサス鉄道ジャンクションに展開する南部連合軍を撃滅する事をリンカーンらアメリカ連邦政府に提案するなどの行動を行っていた。
遣米総軍の要請は純軍事的には正しいものであったが、連邦軍がボロボロな状況での受諾は政治的には失敗以外のなにものでもなく、リンカーンの求心力を完全に失墜させかねない、いやそれどころかアメリカ合衆国の威信や求心力をなどを完全に地に伏させてしまうものであった。そのため、リンカーンは遣米総軍の提案を謝辞し、あくまでも連邦軍を主軸とした反乱の鎮圧と言う当初のプランを崩さなかった。
連邦政府の戦争方針により早期の南部侵攻を行えなくなった遣米軍であるが、とは言ってもポトマック流域軍の建て直し着手し始めたこの頃の東部戦線で唯一まともに戦える連邦側の戦力である事実は変わりなく、首都であるワシントン市の主力防衛戦力として、そしてポトマック流域軍の教育役としてワシントンに駐留する事になった。
これにより事実上、遊び駒となった遣米軍であるが、リンカーンはさらに日本本国の了承を得て上記したように遣米陸軍および首都防衛用の1個師団を除いた師団の司令部要員を不足する陸軍省の役人としてレンタル、このリンカーンの無茶苦茶な要請によって上層部の余裕を失った遣米陸軍はしばらくの間大規模な軍事作戦を実施する事が不可能となってしまった。
対して日本軍将校を大量に引き入れたアメリカ合衆国陸軍省は日本本国の省庁を除いて世界でもっとも先進的な知識を持つ組織となり、彼らの胃や睡眠などの犠牲を払いながら陸軍省主導の下に装備の共通化や組織系統の明確化、さらに野戦医療体制の効率化や帝国軍で採用されている野戦治療マニュアルの採用、野戦医療機関の統一など連邦陸軍の改革は進められ、連邦陸軍は僅かな時間で民兵の寄せ集め集団から組織だけならヨーロッパ列強の正規軍と同様、いやそれを超える軍隊に成長する。
また、遣米軍上層部は遊び駒化していた遣米軍部隊を利用して連邦陸軍の部隊の育成にも着手することで実働部隊の面でも連邦陸軍の再建に貢献していた。
遣米軍をアメリカまで護送した遣米艦隊はその高速性を活かして連邦海軍と協力しての南部海賊船や封鎖突破船撃破、火力を活かした地上部隊の上陸支援など遊撃戦力としてさまざまな洗浄に投入されていき、また給炭艦や補給母艦は南部封鎖を行う連邦海軍に対しての支援活動を実施していくことになる。
82: ホワイトベアー :2021/07/27(火) 18:47:42 HOST:163-139-151-176.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2021年07月28日 20:12