34: 弥次郎 :2021/07/25(日) 20:32:01 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
日本大陸SS 漆黒
アメリカルート 「戦時交錯エトセトラ」Case.4 海戦、あるいはリヴァイアサンの饗宴
さて、独仏間の派手な陸戦に目が行きがちなWW1あるいは欧州大戦ではあったが、海戦というのも相応に発生していたことをここに述べておこう。
列強というからには、その国力を誇示するものが必要となる。それは抑止力であると同時に、プレゼンスを発揮する存在である。
そして、当時の列強に名を連ねるフランスおよびドイツ両国は、その国力に相応しい海軍と艦艇をそろえていた。
それは両国が互いを警戒していた、というのもあるが、当時の列強のトップを走る日英同盟の誇る大艦隊に備えての物であった。
言うまでもないが、押しも押されぬ強大な列強---しかも海軍国家同士ともなれば、その海軍の力はほぼ世界の過半を占めていることになる。
その海軍力は、他の列強をすべて敵に回しても余裕で上回るというレベルで隔絶しており、世界各地で影響力を発揮している。
とはいえ、それに対して何もしないままではいいようにしてやられるのがオチであり、自然と他国は勝てはしなくとも戦力をそろえていた。
ある程度の戦力をそろえれば、局所的・大局的な抑止力は成立しうるものであり、カードとなりうる。
完全に勝つことは不可能であろうとしても、いざというときに火の粉を振り払う程度の力は当然持ち合わせなければならない。
それはなぜか?それは偏にそれが列強が列強たる証であったため、だ。むしろ、日英同盟の艦隊というのが、列強を名乗る閾値を高めている節さえある。
殊更、目と鼻の先に英国本土とその本国艦隊が存在している独仏露は気が気ではなかっただろう。
その艦隊の動向は、政治的な意思決定にも大きくかかわるものであり、ひいては国家の指針や動きまでも縛るものとなるからだ。
とまれ、そんな大英帝国+大日本帝国の二大海軍帝国に対抗する海軍をそろえていた仏独両国は、自然とその艦隊をぶつけ合うこととなった。
とはいえ、陸戦の方が先に勃発し、戦争の盤面を大きく決定づけたために、海軍が動き出すのは双方が遅かった。
ドイツにしてみれば電撃戦ドクトリンによる文字通り電撃的な侵攻で攻撃を仕掛けることに注力していたため、海軍の動きはフランスへのブラフ程度であった。
ドイツ海軍の仮想敵にはバルト海の向こう、たびたびぶつかってきたロシア帝国海軍というのもいたのは確かだった。
しかし、そのロシア帝国海軍は先の日露戦争においてほぼパーフェクトゲームで敗北しており、その再建の最中ということもあって脅威たりえなかった。
フランスも、トゥーロンやブレストは立地の関係から無事だったものの、まともに行動に移す前に陸戦で痛い目を見たために海軍の動きはどうしても鈍った。
結果として、双方の海軍は戦争勃発からしばらくは開店休業に近い状態を余儀なくされたのであった。
35: 弥次郎 :2021/07/25(日) 20:32:49 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
しかし、緒戦が終われば、双方も冷静さを通り戻すことになった。
即ち、フランスは地上の不利を海で取り戻すという選択を選び、ドイツはそれに備えて海軍を動かした、ということである。
双方の思惑は一致した。
フランスの戦略目標はドイツの兵站の破壊、すなわち制海権の奪取による通商の断絶。
戦術目標としてドイツ海軍の撃滅、可能であるならば本拠点たるヴィルヘルムスハーフェン軍港の破壊乃至封鎖を定めた。
付随して、ドイツが資源を輸入するために利用する湾港都市の破壊というのも目標として定められた。
対するドイツは、戦略目標としてフランスの戦力の撃滅による制海権の堅守。そして、戦術目標として攻め入ってくる仏艦隊の撃滅とした。
ここで、ドイツ海軍は陸軍に負けぬ戦果を期待されていた。
もとよりドイツという国家は、その祖たる国々の例に倣い、陸軍国家であった。海軍というのは立場が弱い。
それに加え、緒戦での陸軍はパリの制圧という大成果を上げることに成功しており、威信は天井知らずといったところだった。
うまくいけば、このまま講和に持ち込んで勝利を確実の物とできるかもしれない、というわけである。
そんな状況で海軍がそれを指をくわえて見ているわけがなかった。何かしらの働きをしなくては、という対抗意識が湧いたのだ。
それこそ、パリ占拠に並ぶような大きな戦果を、センセーショナルで、大局にまで影響を及ぼせる何かを。
斯くして、ドイツ海軍は攻めてくるであろうフランス海軍を艦隊決戦により撃滅する方針を定めた。
これは、日露戦争時の比州沖海戦と同じ構図だ。制海権をめぐっての、通商路をどちらが握るかの一大決戦。
そして、ドイツ海軍はこれに合わせ、米合より輸入されていた新戦力を惜しみなく投入するという大きな一手に出ることになったのである。
即ち、艦隊決戦に先んじて敵艦隊を補足して主力艦隊を誘導、尚且つ、決戦時にはその補助を行うという「艦隊決戦型潜水艦」の戦術投入である。
ヨーロッパの海は、広いようで狭い。殊更に、独仏両国間を結ぶラインを結べば、自然と艦隊のかち合う位置は絞り込める。
特に、ヴィルヘルムスハーフェン軍港やその周辺の湾港都市を狙うというのであれば、猶更に動きは予測可能となる。
結果だけを述べるならば、フランス海軍は陸戦の失態を補うべく追い立てられるように出撃し、見事にドイツ海軍の哨戒網に引っかかった。
そして艦隊はドイツ主力艦隊の狙った位置に誘い込まれてしまったのである。即ち、艦隊決戦型潜水艦---Uボートによるキルゾーンに、である。
斯くして、予想もしなかった魚雷攻撃の嵐を受けて損傷を重ねたフランス艦隊は、不利な状況でドイツ主力艦隊と激突。
多少の奮戦をすることはできたものの、その戦力の大多数を北海に沈めることと相成ったのである。
36: 弥次郎 :2021/07/25(日) 20:33:35 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
だが、フランス海軍が必死の抵抗をしたのは、決して無駄ではなかった。
制海権の維持に成功したドイツ艦隊であったが、フランス艦隊との海戦により損傷した艦艇の修復に終われたのである。
それは、イケイケ押せ押せになったドイツ海軍をして、冷静さを取り戻さなければならない相手が出張ってきたからである。
即ち、日英同盟の、フランス側に立っての参戦であった。
当初の計画ではフランス北部にある海軍の拠点、欲を言えば、ブレスト軍港までを制圧したいと考えていたのであるが、それが叶わなくなったのだ。
英国海軍の本国艦隊が立ちふさがっているために、ドイツは世界有数の海軍によって攻めこまれることを考えなくてはならなくなったわけである。
それこそ、日英の参戦の前に戦争の帰結を決め、講和に持ち込めなかったことを介軍上層部がなじったほどには、絶望的なものだった。
そう、ここにドイツ帝国の見積もりの甘さがあった。
彼らは、勝利を得る方法に関しては算段を立てていた。だが、戦争を終わらせるという観点で欠如していた、と言わざるを得なかったのである。
確かに、西部戦線ではフランスの首都を制圧、東部戦線ではロシア陸軍を野戦撃滅し、各主要都市の制圧を成し遂げた。
誇るべき戦果ではあるだろう。さりとて、それは軍事的な目標であり、手段ではあるが目的ではない。
それらを行うのは相手国を追い詰め、交渉の席に引きずり出すための手段でしかない。好きな時にお前の息の根を止められるぞ、と示すことが重要なのだ。
だが、結果は違った。軍は勝利に酔い、政府もまた、勝利に浮かれる国民の声を受けて戦争を継続したのだ。
結論から言えばそれは最終的にドイツを救うことにつながるのであるが、しかして、戦争という外交上では大失敗だったことは否めない。
斯くして、ドイツ海軍は日英との戦いの最前線に赴くことと相成ったのである。
ドイツ海軍が選んだのは、潜水艦を用いた通商破壊作戦であった。
主力艦艇が修繕の最中ということもあったし、反攻作戦に備えて物資を満載にしてやってくることで船舶を狙うことで陸軍の援護をするためでもあった。
潜水艦というのは、古くはタートル号という可潜ポットというべき乗り物に端を発して進化を遂げたものだ。
加えて、この時代ではまだ技術的な問題により「潜航することができる水上艦艇」というレベルにとどまっていた。
さりとて、この潜航できるというだけで、既存の艦艇の攻撃と索敵から逃れることができるというのが強みであった。
通常の艦艇による通商破壊ももちろん実行に移されていたのは言うまでもないが、日英陣営の制海権を握っている領域で安全に活動できるのは潜水艦だったのだ。
加えて、少ない排水量の艦艇で多くの戦果を挙げられるというのが期待されたことであった。
海軍も結局はお役所であり、コスト高騰は懸念するものであり、その点潜水艦は期待されていた、というわけであった。
37: 弥次郎 :2021/07/25(日) 20:34:21 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
だが、ドイツ海軍の快進撃はフランス戦で終わりとなったようであった。
当初こそ潜水艦という神出鬼没の艦艇による通商破壊はうまくいった。が、すぐさまに複数の船舶と護衛艦による護衛船団方式がとられ、効果が激減。
さらにはドイツさえも実用化していない対潜攻撃兵器である爆雷投射機の実用化と実践投入、さらには水上機や足の長い航空機による偵察などを実施した。
此処には誕生したばかりの航空母艦(正確には水上機母艦)という新兵器までも惜しみなく投入され、爆雷と合わせた積極的な攻撃にまで打って出るまでになった。
それらは、まさに海軍国家の実力というものを見せつける適応力と国力に任せた暴力であった。
斯くしてドイツは、対フランス戦で活躍した自慢の潜水艦艦隊を櫛の歯が欠けていくようにその戦力を漸減されて行くこととなった。
そして、日英は万難を排してフランスに陸軍戦力---歩兵、重砲、戦車、その他物資を揚陸に成功。
たちまちのうちに進撃態勢を整えて、多くの戦力がフランス各所の解放に向けて動き出すこととなった。
最大の目標は、フランスの熱烈な、悪く言えばしつこいまでの我儘により、パリと定められた。
しかして、ドイツも黙ってやられるわけでもなかった。潜水艦による通商破壊の間に修復された主力艦隊は未だに健在であったからだ。
ドイツ帝国上層部はフランス海軍を破ったのだから、と攻勢に出るようにせっついたのだが、とうの海軍は及び腰であった。
もとより、独仏関係が緊張状態にあるという段階を経ており、その際に極東の大日本帝国は英国への派遣艦隊を用意していたのだ。
あくまでもその艦隊は友好を示すための艦隊である、と対外的には公表されていたが、それを譜面通りにとらえる国はいなかった。
どうあがいても緊張状態にある欧州諸国をけん制するための、日英同盟の間での戦力の融通であった。
そして、その艦隊は今もなお駐留しており、有事の際には英国のために活動するようにと指示がなされていた。
つまり、譜面上の戦力でも日英仏の艦隊はドイツを上回っていたのだ。ここで選ぶべきは艦隊保全であり、抑止力として動かすべきと声が出た。
しかし、ドイツが艦隊保全を図ろうが何をしようが、日英は海軍も叩きのめすことは織り込み済みであった。
何しろ日英陣営が持つアドバンテージの一つが海軍であり海運能力。それを活かさないわけがなかった。
そして、狙われたのは戦略物資や資源の輸入を担う通商路であり、その制海権を担う海軍戦力。それがへし折られれば、徐々に不利を強いられるのは確定だ。
だからこそ、日英陣営は快速の巡洋戦艦を主とし、空母という目も付けた艦隊による通商破壊作戦を決行。力と数でごり押した。
陣頭指揮にあたったデイヴィッド・リチャード・ビーティー提督から「ビーティータイフーン」と呼ばれたこの暴風は、ドイツの体力をゴリゴリと削っていく。
そして、これに対処しなければならないドイツ海軍は、不利を、いや敗北さえも承知で赴かねばならなかった。
斯くして、これの対処のためにドイツ主力艦隊は出撃を余儀なくされ、そして、予定調和の如く、すりつぶされる形と相成った。
海上で開催された人工のリヴァイアサンたちの宴は、それはそれは盛大なものとなった。
結果、最後に海の女神が微笑んだのは、日英連合艦隊であり、敗北したドイツ海軍は逼塞を強いられることとなった。
それは、この戦争の帰結を暗示しているかのようであり、二大海上帝国の力を見せつけるものであった。
しかし、これで戦争がすべて終わったわけではない。盤石な制海権の元、次々と陸軍戦力を揃えた日英は、その主戦場を陸上へと移したのだった。
蛇足になるが、最後の日英陣営とドイツ陣営の海戦となったドッガーバンク海戦の後、フランス海軍の残存勢力が独断で出撃したことをここに記す。
今ならばドイツ海軍おそるるに足らず、という判断と楽観の下での、いわば点数稼ぎと戦功を狙ったものであった。
が、これはドイツ艦隊の残存による決死の抵抗により叩きのめされ、這う這うの体で逃げることになったことを付け加えておく。
38: 弥次郎 :2021/07/25(日) 20:35:03 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
以上、wiki転載はご自由に。
久しぶりに漆黒世界の観測を。
クロススレの方に集中していたので随分と久しぶりですわ…
最終更新:2021年07月28日 20:14