676: 加賀 :2021/08/05(木) 12:31:37 HOST:om126194085063.10.openmobile.ne.jp
「あれが七試艦上戦闘機の試作機ですか……」
「えぇ。九試単座戦闘機ではありませんのであしからず……」
「美しい飛行機ですね……」
1933年2月、堀越が設計した七試艦上戦闘機が各務原の空を飛んだ。その姿は史実では九試単座戦闘機と呼ばれる機体ソックリである。
「まさか嫁の名前って菜緒子じゃあ……」
「ハハハ、それは映画の話ですよ」
橋本の言葉に苦笑する堀越である。その上空では七試艦上戦闘機が思いっきり空を飛行するのであった。
「堀越さんの九六式が早くに採用されましたね」
「堀越さん達の血と涙のおかげだよ。技術力の向上も上げるよう発破はかけてある」
「予科練とかの航空兵の募集も増強させましたからね」
「戦闘機無用論は死んだしな」
「一時的かもしれませんが……警戒はする必要はあります」
「これで弾みが付けば良いがな……」
更に同年7月、七試艦上戦闘機として開発された試作機(史実九六式艦上戦闘機)は横須賀海軍航空隊でも初飛行が行われていたが海軍が予想していた以上の高性能を発揮、海軍を喜ばせた。
「単葉機でありながら複葉機並の空戦性能を持つ」
飛行したパイロット達から絶賛の声が止むことなく響き、海軍は翌年の1934年に九四式艦上戦闘機として採用される事になる。またこの戦闘機は元よりパイロット拡充のために予科練での募集人数が大幅に増える事になる。(乙種5期生の採用が220名から850名に変更する等々)
翌年の1934年1月、8日に京都駅で跨線橋転倒事故が史実に発生するがその事を覚えていた近藤らは予め新兵が着隊する日をずらしたりする事で事故を防止する事に成功。女優原静枝も犠牲者になる事はなくその後も女優を続ける事になる。
1月26日、ドイツとポーランドによる不可侵条約が締結される。3月1日には満州国にて帝政が実施され、執政溥儀が皇帝となる。
3月12日、『友鶴事件』が発生する。なお、藤本少将は自ら責任を取る形として謹慎処分となるも翌年には復帰した。(死亡フラグも回避)
そして5月30日、
夢幻会を途中からではあるが色々と支援をしていた東郷平八郎が死去した。
「トーゴー、今までご苦労だった。あの世でネルソンがいれば私は今暫く現世にいると伝えてくれ」
「……しかと承りましたネルソン殿」
死去する数分前、見舞いに訪れたネルソンは東郷にそう語りかけ東郷も笑みを浮かべての死去であった。なお、東郷神社の建設が全国から上がったが宮様が東郷からの遺言として建設しないでほしいと発表した事で沈静化する。
「閣下のためにも……日本のためにも私は君達に何でも協力する。何でも言ってくれ」
「ありがとうございます殿下」
宮様は予めて夢幻会に支援する事を伝え、古賀達は頭を下げるのである。その一方で夢幻会も技術力の向上に務めていた。何と言っても八木・宇田アンテナであろう。
1933年には八木・宇田アンテナを陸海軍とも量産態勢に移行する事に成功。その後の研究で某空襲の影響で開戦時までには13号対空電探が巡洋艦以上の艦艇に搭載されるのである。
そして12月29日、日本は
アメリカに対しワシントン軍縮条約の単独破棄を通告するのであった。
677: 加賀 :2021/08/05(木) 12:37:31 HOST:om126194085063.10.openmobile.ne.jp
空に憧れて~空を駆けて往く~
- 九試単座戦闘機、七試艦上戦闘機として完成。リベット等史実で採用された物ふんだんに使用。
- 堀越の嫁は菜緒子ではない模様
- 東郷神社の建設は回避された模様
- ワシントン軍縮条約単独破棄へ
試作機は寿ですが量産型は瑞星かも。妙高が召喚出来る機体の中に零観とかあるので発動機はそこから
679: 加賀 :2021/08/05(木) 13:37:43 HOST:om126194085063.10.openmobile.ne.jp
九四式艦上戦闘機11型
全長 7.71m
全幅 11m
全高 3.20m
翼面積 18.00㎡
自重 1200kg
正規自重 1700kg
発動機 『瑞星11型』850馬力
最高速度 493km/h
航続距離 1600km
武装 機首7.7ミリ機銃×2
主翼13.2ミリ機銃×2(改良型で搭載)
30キロ爆弾×2
【概要】
三菱の堀越次郎が設計開発した日本海軍初の単葉低翼の艦上戦闘機である。その出来は後に開発する零式艦上戦闘機より会心の出来であると言われている。当初は複葉戦闘機を押す派閥(源田)がいたが性能テストをしてからは掌返しで七試艦上戦闘機を支持した程である。その後、採用された九四式艦戦は大陸戦線で活躍する。ノモンハン事件時には発動機を1080馬力の『瑞星』21型、主翼に13.2ミリ機銃2丁を搭載した22型が参戦、ソ連航空隊のI-15やI-16を九六式戦闘機(史実九七式戦闘機)と共に撃墜しまくるのである。なお、350L燃料タンクを採用した事で航続距離は史実より長くなるのである。
開戦時には主に小型空母等に搭載されていたがソロモン戦が始まる頃には引き揚げて内地で運用されるのである。
最終更新:2021年08月07日 19:24