801 :ヒナヒナ:2012/02/09(木) 23:05:30

○エニグマ暗号を巡る物語


第二次大戦初期のドイツ軍の快進撃を語る上で、無くてはならないものがある。
ギリシア語で「謎」という意味の言葉を冠されたエニグマ暗号機だ。

第一次大戦後すぐの1918年にその原型が開発され、
ドイツ軍に正式に採用された。
タイプライターの様な形状をしたこの暗号機は、「鍵」にしたがって設定した後、
平分をタイプすると、複数の文字変換機構を通して、暗号文を即座に帰してくる。
また、暗号文を平文に戻すときも、暗号化したときと同じ設定にして、
暗号文をエニグマに打ち込むと、平文が帰ってくる。
暗号として強固なだけでなく、使い勝手が非常に優れていたのだ。

複数ある部品の組み合わせ、また「鍵」と呼ばれる初期設定を変えることができ、
平文を非常に強固な暗号に変換する。
この「鍵」を特定しようにも、設定数が多く膨大な鍵候補が存在するので、
第一次大戦までのような、紙とペンによる暗号解読をほぼ不可能にした。
最悪、エニグマ本体が鹵獲されても「鍵」が無ければ解読は難しかったのだ。
(セキュリティの強固さはもちろん大幅に下るが)

もちろん、人間のつくったものに、絶対というものは存在しないということで、
エニグマ暗号は史実では第二次大戦中に完全に破られることになる。

まず、地勢学上ロシアとドイツの争いに巻き込まれかねないポーランドが、
踏み潰されることを恐れて、死ぬもの狂いで解読の糸口を掴み取り、
初期型コンピュータの原型と言える機械式の暗号解読器ボンバを作成、
ロータの数が少ない(鍵も少ない)初期型のエニグマ暗号の解読に成功する。
その後ポーランドは結局ドイツに踏み潰されるのだが、
その解読方法と暗号解読器ボンバの複製品はイギリスとフランスへと渡った。
情報戦は大英帝国のお家芸だ。もちろんドイツも暗号をエニグマ強化するが、
イギリスの数学者アラン・チューリングはボンバを基にして、
改良型の暗号解読機ボンブを作成し、
ドイツの暗号をあの手この手で突きくずし、解読していった。
イギリスはこのUltraと呼ばれる情報を持って、
バトル・オブ・ブリテンなどドイツの攻勢を凌ぎきった。



―憂鬱世界 1940年


「これだけクラウツの暗号文が飛び交っていて、何故解読の手がかりが掴めない!?
アジアの黄色人種に出来ることが、何故、我々にできないのだ!」


英国諜報部ではそんなことが叫ばれていた。
英国は趨勢が悪いとはいえ、諜報において最先進国だ。
諜報戦において、ドイツや日本などに遅れを取ると言うのは耐え難いことなのだ。
大英帝国はすでにエニグマ暗号機のいくつかのバリエーションや、
重要部品であるロータを手に入れていた。
ただし肝心の「鍵」を見つけられなかったのだ。
もっと言えば、膨大な「鍵」候補から正しい「鍵」を探し出す手段が無かったのだ。

この世界のイギリスは、経済的に余裕が無かったことから暗号担当の人数が足りず、
国外での会議に出席できなかったので、ポーランドから情報を受け取れなかったのだ。
イギリス欠席の中、フランスはワルシャワでの会議に参加し、
暗号解読機ボンバを受け取ったのだが、
史実と同じくフランスはボンバを重要視しなかったのだ。
この結果、イギリスは日鍵が載っているコードブックが手に入ったり(非常に難しい)、
地道な諜報戦により日鍵が手に入った特定の日にしかドイツの暗号を解読できなかったのだ。

802 :ヒナヒナ:2012/02/09(木) 23:06:02


「暗号情報を伝えて恩を売れるのは良いのだが……
あちらさんの諜報部はヤキモキしているんだろうな。」

日本遣欧軍に暗号担当として欧州まで来ていた陸軍士官の釜賀が気の毒気に呟いていた。
1932年から始まった第二次五ヵ年計画の中で開発されたコンピュータ関連技術は、
大方の予想より若干早く1939年には初期型が完成した。
本土ばかりではなく、航空工作艦「龍驤」を始めとする特殊艦に試験的にいくつか搭載され、
フィンランド義勇軍やBOBを裏から支える力となったのだ。
BOBに合わせてコンピュータ搭載艦が派遣されており、暗号解読が行われていた。
(釜賀は陸軍士官であるが暗号の専門家という事でここに詰めていた)

生真面目なドイツ軍の定時通信や、通信のクセ、被害報告といったものから、
クリブと呼ばれるヒントを見出して、可能な限り「鍵」候補数を絞り、
コンピュータで総当りして正しい「鍵」を探すといった、かなりの力技を使った。
日本の持つトランジスタコンピュータと、史実暗号解読器の性能差はあったが、
史実イギリスの解読方法をなぞったやり方で日本は暗号を解読していた。
何にせよ一回「鍵」を導けば、その日は暗号が解読し放題なのだ。

日本は秘密裏に持ち込んだコンピュータに暗号を解読させていたのだが、
これは現段階では、他国には漏らせないので機密扱いであった。
今更イギリスに暗号解読器ボンブをつくり、解読者を育てる体力は無い。
なので、解読した「鍵」のみを日本からイギリスへ渡すといった状態になった。
まあ、暗号解読には解読法だけでなく枢軸軍通信の傍受が必要だったので、
イギリスの諜報網は重要には違いなかった。

下請けばかりで、自国で暗号が解読できないイギリス諜報部は怒っていたが、
しかし、イギリスにトランジスタコンピュータを渡すわけには行かないので、
日本の諜報最前線では淡々と情報を解析し、情報を流す作業が続けられていた。

只でさえ、大恐慌による影響と日本が八木アンテナを手放さなかったことで、
レーダー網の整備が遅れており、日本にレーダーの売却を打診してきたのだ。
それにさらに、諜報戦での手痛い遅れが加わった。

その後も日本が補助するとはいえ、それらの準備が出遅れた感は否めず、
反撃の手立てを見出せず、そのままずるずるとドイツとの講和に持ち込まれてしまった。
その後、イギリス首脳部はお家芸であった情報戦での遅れを重く見た。
このことを教訓として、その後、戦後の財政難の中にあっても、
落ち目の海軍やもともと微妙であった陸軍をしり目に、
諜報部門だけは肥大化することとなった。

ちなみに、エニグマを過信したドイツは戦後も暫くエニグマ暗号を使い続け、
北米に展開する諜報組織にキャッチされて、日本に情報を提供し続けることになる。



後にコンピュータが民生化されるに当たって、
世界はこの複雑な電算機が優秀な暗号解読機であることに気が付かされる。
世界各国の防諜関係者は自国の暗号さえも安全でないことを知ると、
真っ青になって新たな暗号システムの開発に躍起になった。
この件でもっとも被害を受けた暗号の名前を取って、
後にエニグマ・ショックと呼ばれることになる事件だった。


(了)

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最終更新:2012年02月10日 00:08