319: 弥次郎 :2021/08/07(土) 23:25:03 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
【前史】日仏ゲート世界SS 夢幻衆の面々は現実と戦うようです
あって当たり前の物がない、というのは、戦国時代に転生してきた面々が突き当たる最初の問題だ。
慣れ親しんだ文明の利器の多くがないというだけでも、相当なストレスになる。ましてや、通信が制限されれば落ち着かないという人間も多かった。
だが、もっと深刻な問題は多くあった。織田家家中を盛り立て、戦国大名として花開かせるために必要な仕事が膨大であり、そのくせ道具がないという点だ。
例えばだが、現代の事務仕事に必須のパソコンがないというのは一つの例だ。
だが、ここで重要になるのは、パソコンがあることで何ができるのか、ということである。
つまり、パソコンにインストールされているソフトウェアやアプリケーションソフトなどが存在しないのでできないことが格段に増えているということ。
例としては、エクセルがあるだろう。この表計算ソフトは、あらゆる計算や表の作成、分析などにおいて使われる最たるものである。
それによって一々計算したり表を作成したり、あるいは人がこなすには複雑すぎる分析を行う手間を省略できる。
しかし、この戦国時代、そんなものはない。ギリギリ算盤があるかどうか、というレベルである。
そして計算過程や計算結果は手軽にメモできないし、紙に書いてしまうと修正ができないという致命的過ぎる欠陥が伴った。
さらに言えばその紙と墨の質に関してもお察しなレベルである。
ここまで述べれば、織田家に仕えていた夢幻衆の当初のストレスが如何ばかりのものであったのかを理解してもらえるだろう。
斯くして、夢幻衆の最初の仕事となったのは前世の知識や経験をもととしたツールの作成にあった。
無論、道具を作るための道具がない、という状況からスタートしなければならないので、苦労したどころではなかったのだが。
だが、道具の作成と販売と普及というプロセスにおいては、厄介な点はいくつもあった。
まずは技術の漏洩というものを警戒しなくてはならなかった。先進的で有用な道具は作ることはできるし、普及も容易いのは確か。
しかし、その道具を広めすぎれば技術的な優位性などでアドバンテージを失うことになるというデメリットもある。
ついで、既存の道具やそれを扱う生産者および販売者との兼ね合いというものがある。
便利な道具は既存の道具を駆逐してしまう。だが、それは同時にそれにより生活を立てている人間が一気にとは言わなくとも職を失うことになる。
いや、それが個人であるならばまだいい。問題なのはただでさえ利権などでバチバチな「座」というものがあるということか。
そんなところに無遠慮に乗り込んでいけば軋轢は避けえないのだ。最悪の場合、質が優れていても市場から叩き出されかねない。
そんな苦境などという言葉すら生ぬるい環境において、夢幻衆の戦いは始まったのである。
幸運であったのは、夢幻衆が集合知であり、集団としての行動が可能であったことであろう。
身分や経歴、あるいは仕事も様々なところに点在している夢幻衆は、個人の力だけに依存しないで活動が可能なのだった。
必要なヒト・モノ・カネをあちらこちらから集め、準備を整え、大義名分を勝ち取るというのは夢幻衆の得意とするところだ。
320: 弥次郎 :2021/08/07(土) 23:25:40 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
だが、世の中早々にうまくいくことばかりではないのだ。
「まずは紙の生産だろ」
「いや、まずは蒸気機関をだな…」
「それは時間かかりすぎるだろ……もっと即効性のあるものをだな」
「硝石丘法も時間かかるんですがそれは……」
「そもそも貨幣がアレなので私鋳銭でいいからちゃんとしたものを作りたいです……」
「燃料の問題もあるから竹の生産を大きく進めたいが…」
「あれはあれで成長しすぎると困るからな?」
リソースに限りはある。とても当たり前だが、同時に残酷なことにぶつかったのだ。
そんなリソースをどう割いて実行に移すか、夢幻衆は話し合いを重ねていた。
そも、戦国時代というのは割と油断ならない、平和とはいいがたい時期だ。
例えばだが、ちょっと収穫が足りない年があったとする。そうすると「ちょっと隣を襲って収穫するか」とノータイムで声が出るのが戦国なのだ。
そんなことがあるから、織田家でも防衛のために準備をしなくてはならない。それは大きいとは言えない出資であるが、積み重なれば膨大なものとなる。
そして、実際に戦闘になったりすれば人死にがでて、これまたマイナスになるのだ。そんなのは勘弁してくれというのが統治者の意見だ
まあ、農民にしても年貢をきちんと統治者たる武士におさめないとペナルティを課されるので文字通り命がけなのだろう。
そんなわけで、なかなかに余剰というものは生まれにくいのだ。江戸時代に大きく技術や文化が発展したのは、平和な時代になったというのが大きい。
少なくとも大名同士の争いはなくなったし、戦争なども起こらなくなった。統一政権による統治の安定もあるだろう。
逆に言えば、それに至ってからようやく花開いたものを、余裕がない時代でやろうというのは相当な無茶なのだ。
そんなわけもあって、今日も夢幻衆の会合の場は喧々囂々の議論が交わされている。
なまじか未来知識があるだけに、そしてタイムラインをある程度把握しているだけに、誰もが必死になるものだ。
「創作だと手軽にやっていたけど、実際にやると大変なもんだな」
「なにしろ現実ですからねぇ……早々に新技術の導入と普及が進められるわけがないです」
議論の途中で、あるグループ内では愚痴が始まった。
石高を、もっと言えば生産量の向上を図って色々と研究しているグループだ。
農法で言えば正条植えや種もみの塩選別、肥料の作成。道具で言えば唐箕、千歯こぎ、田打車などの開発をし、普及を進めている。
だが、そういった新規の道具を導入するのは楽ではない。これまでの方法に拘るというわけではない。
新技術や新農法を導入し、理解をしてもらい、実際に導入して成果を上げるというのが楽ではないからだ。
何しろ、それで実際に食べるものを作り、尚且つ、それが一歩間違えれば命や一家の命運までかかっている農民にやってもらうのだから。
「かといって、武士がそれをやるというのも不可能だしなぁ……」
「信頼のおけるところでやってもらわないと、技術や道具を持って逃げ出す可能性もあるし」
「そこを何とかするにはどうすれば…」
「パルマンティエに倣って盗ませる?」
「あるいは、大々的に効果をわかりやすくアピールするとか」
彼らの議論は熱中していく。
未来へ向けての議論や行動の積み重ねの果てに、彼らの望む未来があると信じて。
321: 弥次郎 :2021/08/07(土) 23:27:09 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
以上、短めですがwiki転載はご自由に。
平和じゃない時代に平和な時代に向けての行動をとらないといけない苦労話でした。
明日のための行動をしなくちゃならないが、そもそも今日を生きることさえ必死な事情があるという二律背反
最終更新:2021年08月12日 19:12