584: 弥次郎 :2021/09/27(月) 23:19:38 HOST:softbank126066071234.bbtec.net

日本大陸SS 漆黒アメリカルート 「戦時交錯エトセトラ」Case.5 駆逐、あるいは群狼と狩人の戦い



 ドイツ海軍の撃退が完了した日英の欧州上陸はさらに速度を増していた。
 元々、英仏間の距離は短く、上陸するのに適した地形はいくつもあったこともあって、第一陣は迅速に展開できたのだ。
もちろんのことドイツの妨害も入っていたが、それらを防ぎながらの上陸および揚陸は基本的に英国優位に進んだ。

 加えて、海軍が時間を稼いでいる間に第二陣となる戦力---米連やカナダ、そして極東から日本が準備を整えてやってきたのも大きい。
大英帝国の立地上、即応の戦力は本土に駐留可能な分しか存在しない。しかし、逆に言えば時間さえ稼げば戦力を世界中から集められるのだ。
 いや、それは決して戦力に限った話ではない。その戦力を動かす上で消費される武器弾薬燃料食料といった物資も含まれている。
そも、日英同盟が握っているのは世界の海洋の覇権だけでなく、そこを自由に航行する能力と船舶の数々だ。
その気になれば、集めようと思えば生産地からいくらでも大量の物資の調達が可能となるということである。
それだけの経済力と生産能力と輸送力、それを支える国力があるという証左だ。
相手からすれば、消耗戦になった時点で負けが確定のクソゲーもいいところである。

 ともあれ、そんな戦力と物資の集積をドイツは黙ってみているわけではなかった。
 まだ潜水艦の戦力が充実していたころにおいては、その潜水艦による妨害も行われていた。
 当時、潜水艦というのは新しい艦艇であった。だから、それを攻撃する手段が潜望鏡を探して棒で叩く、あるいは艦艇のラムで潰すというものであった。
そして、その潜水艦を発見するには艦艇の上から望遠鏡を用いて必死に探すしかないという、極めて原始的な方法に限られていた。
 故にこそ、潜水艦は強いのだ。究極的に言えば、発見されず、攻撃を受けず、一方的に相手を叩きのめすのが理想形。
その理想形に最も近づけたのが、当時の技術水準とレギュレーションにおける潜水艦というものであった。

 だが、生憎と日英陣営は年季が違った。
 人類史上、潜水艦というのは発想自体は太古から研究をされており、それが形になったのは技術発展が著しい近代に入って形を成したのだ。
もっと具体的に言えば---アメリカ独立戦争が勃発していた1776年にはキップス湾でその潜水艦の先祖「タートル号」が投入されていたのだ。
 そして、その事実はのちに北米大陸事情に大きく介入した日本の知ることとなり、例によって先んじた研究が行われたのだ。
今すぐではないにしても、水の中に隠れる艦艇が出現し、これが脅威となりうる---そのように日本は推測していた。
英国としては半信半疑であった。攻撃は失敗に終わっており、今後そんなことが起ころうはずもない、と。
しかして、それが正しいと証明されたのはこの独仏戦争だ。
 斯くして、日英は海の中に隠れるほぼ無敵と言っていい相手を叩きのめす努力を開始することになったのである。

 英国としては疑問に思っていたのが、やたらと日本の準備が良かったことであろう。
 潜水艦を上空から発見するための航空機---陸上機のみならず複座型の水上機も含め---とその母艦の開発と投入。
 潜水艦を能動的に攻撃するための爆雷とその投射機の配備。あるいは、航空機に搭載可能な爆雷の開発と配備。
あるいは、無防備な輸送艦を護衛するための船団の組み方やその指揮のシステム。それらは俄かとは思えないほどに洗練され、完成され、完結していた。
それこそ、提供を受けたロイヤルネイビーが「準備が良すぎやしないか?』と言い出すほどには。
それでも受け入れたのは扶桑型戦艦のことがあったためだろう。ドレッドノート(蛮勇だ)だと渾名する程度にのめり込んでいたのを揶揄したのだが、その後手のひらを返したのだし。

585: 弥次郎 :2021/09/27(月) 23:20:43 HOST:softbank126066071234.bbtec.net

 まあ、実際のところ、すでに日露戦争時には潜水艇の研究と投入の検討が進められていたのだから、今更の話だ。
日本大陸とて、資源や自然に恵まれていても、海洋の通商路を守る必要があるのは言うまでもない。
その脅威となる潜水艦への対策を行うと言うのは、いくら早く始めても早すぎるということはない問題だったのだから。
そして何よりも夢幻会が前世の知識や反省点からその手の対策に力を入れていたということもあり、かなり研究されていたのだ。
無論のこと、技術的な限界があったことは否めない。だが、武器や取るべき戦術の有る無しだけでも相当に違うのだ。
 斯くして、ドイツの通商破壊潜水艦隊と日英陣営の護衛艦隊は海洋上で激しく激突することとなったのだった。



  • 西暦1915年6月 大西洋上 大日本帝国海軍 第22護衛船団


「偵察機より信号!潜水艦の艦影を確認!船団後方距離は---!」

 船団を率いる巡洋艦「秋津洲」で声がとどろく。
 未だに無線が小型化しきれていないこの時点で、人の肉声による伝達というのは極めて信頼のおけるものであった。
殊更に、艦と艦の間であるならばともかくとして、人と人とを結ぶレベルではこれが長く現役なのだ。
声と共に船団は進路を変更、護衛艦艇は輸送艦の楯となるように展開し、攻撃に備える。
 現段階では、上空から捜索をしていた水上機の発した光による信号では、水上に姿を現していたところを捉えられたところだという。
ここから相手が潜って逃げを決め込むか、あるいは攻撃を仕掛けてくるかはわからない。だが、それに備えて動き出していた。

 護衛艦艇の甲板上では直ちに船員たちが爆雷投射機に飛びついていく。
 爆雷投射機といっても、極めて原始的なものにすぎない。のちの世に誕生するものからすれば飛ばす距離の目安がわかるだけまだましだが、全ては人力だ。
 とはいえ撃沈確実と思われる戦果を挙げているのも、また確かなことだ。ほかの船団では水中に隠れた相手に囲んで打ち込んで降伏させたケースがあったのだし。

「警告攻撃を行う!一番、二番投射機用意!」
「爆雷、一番、二番用意!」
「撃ち方、はじめ!」
「てぇー!」

 そして、最前線、最も魚雷を食らう可能性のある駆逐艦から爆雷が投じられた。
 水中に姿を隠した潜水艦目掛け、目測と水上機からの観測情報を合わせて投射するのだ。
 無論、全力ではない。魚雷と同じく、爆雷は急遽搭載されたこともあって数に限りがあり、装填には時間と労力を必要とする。
 だからこそ、とりあえず打ち込むことで、攻撃手段があることを示すのだ。
 ドイツもこれを把握していることだろう。水上を航行しているときはもちろんのこと、水中にいても安泰はないのだと。
その情報がドイツ軍部に伝わることで、潜水艦の行動を抑止することになる。すなわち、この攻撃は敵の駒ではなく、戦略を攻撃しているのに等しいのだ。
 しかし、彼らの優先事項は船団の護衛だ。海上に目を凝らし、浮上してくるものがないかを確かめる。
 撃沈したならば燃料や艦内のものが浮上してくるはずであるし、そうでなくとも破れかぶれに水上砲戦に持ち込んでくる可能性だってあるのだから。
潜水艦といえば魚雷、となりがちであるが、魚雷は高価である。だからこそ、備砲による撃沈も割とよくある話なのだ。
その万が一があっては困る。護衛側も、攻撃側も、同じくらいに危険と隣り合わせだ。

「警戒は解くな、まだ付近にいるかもしれん」
「了解!」

 そして、船団側は発見した潜水艦が囮という可能性も考慮し、他の艦艇も油断はしなかった。
 これは、戦争という大局から見れば、ほんの小さな戦場にすぎない。
 しかして、重要な一助を担う者同士の、知恵と我慢比べであった。

586: 弥次郎 :2021/09/27(月) 23:21:33 HOST:softbank126066071234.bbtec.net

以上、wiki転載はご自由に。
短めにしました…というか、短くしないとボロが出そうで。いや、もう出ているかな?(白目

次回は……陸戦に主眼を移そうかなって思います。
どこら辺を書こうかな…やっぱりパリですかね?

608: 弥次郎 :2021/09/28(火) 18:02:17 HOST:softbank126066071234.bbtec.net
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修正をお願いします

×とはいえ撃沈確実と思われる戦果を挙げているのも、また確かなことだ。ほかの船団では水中に隠れた相手に

〇とはいえ撃沈確実と思われる戦果を挙げているのも、また確かなことだ。ほかの船団では水中に隠れた相手に囲んで打ち込んで降伏させたケースがあったのだし。

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最終更新:2021年10月07日 21:07