11: 加賀 :2021/08/30(月) 18:49:48 HOST:softbank060074207091.bbtec.net
『伊勢』型航空戦艦
全長 236m
全幅 36m
常備排水量 38000t
満載排水量 45000t
機関 艦本式重油専焼水管缶×10
主機 艦本式タービン×4
最大出力 12万馬力
最大速力 27.8ノット
航続距離 16ノット/11000海里
兵装 50口径41サンチ三連装砲2基
   45口径12.7サンチ連装両用砲6基
   40ミリ連装機関砲6基
   25ミリ三連装機銃6基
   同単装機銃80基
   12サンチ30連装噴進砲6基
航空機 水上機27機 戦闘機18機
油圧式カタパルト2基
同型
『伊勢』『日向』

【概要】

開戦前に改装が完了した『伊勢』型航空戦艦である。元々は35.6サンチ砲搭載戦艦だったがそれを一変する出来事があった。
『日向』爆発事件である。
1934年2月に日向灘で『伊勢』『日向』は『扶桑』『山城』を相手に対艦砲撃訓練を実施中だったが2203、夜戦に突入し第三斉射目を砲撃した時に『日向』の後部第四砲塔が突如、爆発したのである。艦長だった沢本大佐は直ぐに砲塔に注水したが注水が間に合わず連続した爆発が続き、更には後部第三砲塔も爆発したのである。此処に至り沢本大佐は全砲塔への緊急注水を決断、間一髪と言っても良いほど『日向』は爆沈を免れたのである。
しかし、その代償として二砲塔と第三、第四砲塔の爆発と誘爆により機関室にも火災が発生し避難が間に合わず機関員が大量に焼死する事案も発生してしまうのである。
事故調査の結果、原因は主砲弾装填後、尾栓が完全に閉じないうちに火管から電流が流れて装薬に点火、弾丸を前方へ飛ばすはずの圧力が砲塔内に逆流したためであった。火管から突然電流が流れることは、四番砲塔に特有の「癖」だったという史実に関連する爆発事故がこの場面で発生し、しかもその余波は大きかったのである。
それはさておき、『日向』は修理が決定するがそれに待ったをかけたのが伏見宮だった。当時、伏見宮は東郷からの意志を継いで橋本らの夢幻会に協力していた事もあり『日向』は元より『伊勢』型を大規模改装しようとしたのである。なお、それに乗っかったのが松本喜久雄少将である。
松本は直ぐに設計図と模型を伏見宮に提出した、それが『伊勢』型航空戦艦だったのだ。航空機の事は理解していた伏見宮も全面的に松本案を進める事にし、二隻は1935年から順次大規模改装が行われたのである。
松本は砲撃能力と航空能力の二つを持たせる事を優先とし主砲は開発が終了したばかりの50口径41サンチ三連装砲を前部に2基搭載、後部は飛行甲板を載せたのである。
史実では後部の5、6番砲塔を撤去したのみだったが今作では3、4番砲塔、煙突も撤去したのである。艦橋は撤去されなかったが艦橋後方にまで飛行甲板が載せられた。
また、飛行甲板は実験も兼ねて500キロ爆弾に耐えられるよう100ミリ程度の装甲甲板がエレベーターの周囲に敷かれエレベーターは新式の油圧式が採用された。
発艦は全て開発が1938年に終了する油圧式カタパルトが後に2基搭載される。着艦はそのまま空母と同じく飛行甲板に降りる方式である。
なお、搭載機については水上機の瑞雲と艦上戦闘機である。50機近くになるので全長も15m近く延長されており新型機関(通称島風機関)も搭載する事になった。
開戦時、『伊勢』型は第四航空戦隊を編成し初戦はウェーク島攻略作戦だった。その後に南方作戦に投入された。その過程で二隻はスラバヤ沖海戦等に参戦、瑞雲飛行隊を投入し南方作戦に参加した将兵からは「神様仏様瑞雲様」と崇められるようになる。

12: 加賀 :2021/08/30(月) 18:57:46 HOST:softbank060074207091.bbtec.net
そういや『伊勢』型は三連装砲艦にしたから五番、六番砲塔無いよなと修正しました。
また、飛行甲板はフルフラット……じゃなくて装甲甲板の『大鳳』の実験的な役割として装甲甲板を敷いています。(確か『大鳳』もエレベーター付近もそんな感じだった気が……)
機関は島風の機関を早期開発、生産しているのでそれに準じて搭載(ただし予算の都合上重巡以上の搭載のみ)
また、エレベーターも油圧式へ。(確か日本空母って電動式だった気がする)
主砲は以前のと変わらず。なお、大重量砲弾を採用するので貫通力及び破壊力は向上の模様

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最終更新:2021年10月11日 22:02